ときの忘れもの 今月のお勧め
■2017年12月07日(木)  金坂健二 《無題》 01
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金坂健二
《無題》 01
1968  
ゼラチンシルバープリント
イメージサイズ : 31.5x21.2cm
シートサイズ: 35.0x26.5cm
サインあり

金坂健二 Kenji KANESAKA
映画作家、評論家、写真家。1934年東京都生まれ。1957年慶応義塾大学文学部英米文学科卒業。松竹映画国際部に社長(城戸四郎)付きの通訳として籍を置き、ハーバード大学の国際セミナーに参加するうちに米国のアングラ映画作家と知り合い、松竹を休職中にフルブライト基金を受けて渡米、ノースウェスタン大学に1年間留学。

映画『アメリカ、アメリカ、アメリカ』を完成して学校を離れ、日本に帰国後、1966年に映画『ホップスコッチ』を完成。1964年、飯村隆彦、石崎浩一郎、大林宣彦、高林陽一、佐藤重臣、ドナルド・リチー、足立正生らと実験映画製作上映グループ「フィルム・アンデパンダン」を結成した。1999年永逝。


■2017年11月02日(木)  細江英公 《薔薇刑 作品32》
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細江英公
《薔薇刑 作品32》
1961年(printed later)
ゼラチンシルバープリント
20.0x30.0cm
サインあり

細江英公 Eikoh HOSOE
写真家。清里フォトアートミュージアム館長。1933年山形県生まれ。本名・敏廣。18歳のときに[富士フォトコンテスト学生の部]で最高賞を受賞し、写真家を志す。52年東京写真短期大学(現東京工芸大学)入学。デモクラート美術家協会の瑛九と出会い強い影響を受ける。54年卒業。56年小西六ギャラリーで初個展。63年三島由紀夫をモデルに撮った[薔薇刑]で評価を確立し、70年[鎌鼬(かまいたち)]で芸術選奨文部大臣賞受賞。

[薔薇刑][鎌鼬][抱擁][おとこと女]などの写真集は今や稀覯本です。瑛九の周辺に集まった画家たちの中では最年少だった細江先生ですが、98年紫綬褒章、2003年には英国王立写真協会創立百五十周年記念特別賞を受賞するなど、国内外において高い評価を獲得しています。功なり名を遂げても一ケ所に安住することなく、時代の先端をカメラを通して見つめ、謙虚で若い才能を愛する姿勢は一貫しています。


■2017年10月05日(木)  安藤忠雄 《水の教会》
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安藤忠雄
《水の教会》
リトグラフにドローイング
イメージサイズ:102.0×71.3cm
シートサイズ:103.0×73.0cm
サインあり

安藤忠雄 Tadao ANDO
建築家、東京大学名誉教授。1941年大阪生まれ。独学で建築を学び、69年安藤忠雄建築研究所を設立。[住吉の長屋]により79年日本建築学会賞受賞、衝撃的なデビュー。代表作に[六甲の集合住宅][光の教会][ファブリカ/ベネトンアートスクール][フォーワース現代美術館][直島コンテンポラリーミュージアム][表参道ヒルズ]他。吉田五十八賞、日本芸術院賞、プリツカー賞、高松宮殿下記念世界文化賞、UIA賞他を受賞。2010年文化勲章受章。著書『連戦連敗』『旅』他多数。

学歴なしでいきなり東大教授に就任したときは世間をあったといわせましたが、阪神・淡路震災復興支援にも尽力するなど、安藤さんほど建築家という職業を世に知らしめた人はいないでしょう。84年から版画制作に取り組み、『安藤忠雄版画集 1998』をときの忘れものより出版。ニューヨークMoMA、パリ・ポンピドゥーセンターなど世界各地で建築展を開催、出品される美しいドローイング、版画類は世界中のコレクター垂涎の的です。


■2017年06月01日(木)  植田正治 《光の筺》
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植田正治
《光の筺》
1994年
Type-Cプリント
20.2x30.1cm
イメージサイズ: 24.2×35.5cm
シートサイズ: 25.3×36.3cm

植田正治 Shoji UEDA
1913年、鳥取県生まれ。15歳頃から写真に夢中になる。1932年上京、オリエンタル写真学校に学ぶ。第8期生として卒業後、郷里に帰り19歳で営業写真館を開業。この頃より、写真雑誌や展覧会に次々と入選、特に群像演出写真が注目される。1937年石津良介の呼びかけで「中国写真家集団」の創立に参加。1949年山陰の空・地平線・砂浜などを背景に、被写体をオブジェのように配置した演出写真は、植田調(Ueda-cho)と呼ばれ世界中で高い評価を得る。1950年写真家集団エタン派を結成。

1954年第2回二科賞受賞。1958年ニューヨーク近代美術館出展。1975年第25回日本写真協会賞年度賞受賞。1978年文化庁創設10周年記念功労者表彰を受ける。1989年第39回日本写真協会功労賞受賞。1996年鳥取県岸本町に植田正治写真美術館開館。1996年フランス共和国の芸術文化勲章を授与される。2000年歿(享年88)。2005〜2008年ヨーロッパで大規模な回顧展が巡回、近年さらに評価が高まっている。


■2017年05月01日(月)  植田正治 《砂丘人物》
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植田正治
《砂丘人物》
1950年(Printed later)
ゼラチンシルバープリント
26.7×23.7cm
サインあり

植田正治 Shoji UEDA
1913年、鳥取県生まれ。15歳頃から写真に夢中になる。1932年上京、オリエンタル写真学校に学ぶ。第8期生として卒業後、郷里に帰り19歳で営業写真館を開業。この頃より、写真雑誌や展覧会に次々と入選、特に群像演出写真が注目される。1937年石津良介の呼びかけで「中国写真家集団」の創立に参加。1949年山陰の空・地平線・砂浜などを背景に、被写体をオブジェのように配置した演出写真は、植田調(Ueda-cho)と呼ばれ世界中で高い評価を得る。1950年写真家集団エタン派を結成。

1954年第2回二科賞受賞。1958年ニューヨーク近代美術館出展。1975年第25回日本写真協会賞年度賞受賞。1978年文化庁創設10周年記念功労者表彰を受ける。1989年第39回日本写真協会功労賞受賞。1996年鳥取県岸本町に植田正治写真美術館開館。1996年フランス共和国の芸術文化勲章を授与される。2000年歿(享年88)。2005〜2008年ヨーロッパで大規模な回顧展が巡回、近年さらに評価が高まっている。


■2017年04月01日(土)  堀尾貞治 《20 October 2016》
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堀尾貞治
《20 October 2016》
2016年
ドローイング
シートサイズ: 108.5×77.0cmm
サインあり

堀尾貞治 Sadaharu HORIO
1939年神戸に生まれる。三菱重工に勤務する傍ら、美術活動を精力的に継続。1957年より芦屋市展に連続出品。1964年より京都アンデパンダンに連続出品。

1965年第15回具体美術展に出品、翌年会員となり、1972年の解散まで参加。1968年吉原治良に師事する。「あたりまえのこと」をテーマに、年間100回以上の展示・パフォーマンスを行なっている。


■2017年03月11日(土)  石山修武 《アフリカの谷の門を出た者がいた》
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石山修武
《アフリカの谷の門を出た者がいた》
2016年
銅版
イメージサイズ: 36.0x28.8cm
シートサイズ: 50.0x39.5cm
Ed. 3
サインあり

石山修武 Osamu ISHIYAMA
建築家、早稲田大学教授。1944年生まれ。66年早稲田大学卒業。同大学院建設工学科修士課程終了。75年[幻庵]で衝撃的なデビュー。[伊豆の長八美術館]で85年吉田五十八賞、[リアス・アーク美術館]で95年日本建築学会賞、96年ヴェネチア・ビエンナーレでは瓦礫が散乱する廃墟を出現させ金獅子賞を受賞。著書『建築家、突如雑貨商となり至極満足に生きる』『現代の職人』『笑う住宅』『石山修武画文集 世田谷村日記』他。

雑誌『室内』連載のエッセイでファンになった方も多いでしょう。雪原に屹立する[十勝ヘレン・ケラー記念塔]に登ったときの震えるような感動を忘れられません。石山さんはまさに画家的資質をもった建築家だと確信しました。でなければあんな闇の建築を作れるはずがない。2004年春から突如始まった銅版画制作は到底はじめてとは思われぬ銅版の刻みが見事です。さすが建築界の異端児、豊かな色彩のドローイングも素晴らしい。


■2017年02月02日(木)  ソニア・ドローネ 《作品》
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ソニア・ドローネ
《作品》
リトグラフ
65.0x53.0cm
Ed. 75
サインあり

ソニア・ドローネ Sonia DELAUNAY
20世紀の前衛画家の中で女性として大きな足跡を残したソニア・ドローネ。昔、新聞社時代、お昼時に歩いて数分の竹橋の国立近代美術館によく通った。常設展示されていた夫のロベールの細長い「リズムー螺旋」を見るのが楽しみだった。ソニアとロベールの二人展が開かれたのも同美術館だった。新聞社を辞めて美術の世界に入ってから、パリに出張する機会が増えた。ロベールとソニアの夫婦の作品にたくさんめぐり合うことができた。ちょうど1980年代後半、パリにはソニアの作品を専門に扱う大きなギャラリーがあり、そこで彼女のテキスタイル作品、花瓶などのセラミック作品、そして版画を買い込んだものだ。ロシアのウクライナに生れたソニア・テルク(1885-1979)は、カールスルーエで絵を習い始め、1905年にパリに出て、アカデミー・ド・ラ・パレットで、アメデ・オザンファンやスゴンザックとともに学んだ。

1910年ロベール・ドローネ(Robert Delaunay, 1885年-1941年)と結婚した。パリ生まれのロベールはワシリー・カンディンスキー(ロシア)、ピエト・モンドリアン(オランダ)とともに抽象絵画の先駆者の一人であり、リズムと色彩に満ちた画風は「オルフィスム」といわれた。エッフェル塔を描いた連作はよく知られている。夫妻はともにディアギレフのロシア・バレエに協力し、彼女は衣装を担当した。ロベールより長命だったソニアは、油彩だけでなく、テキスタイルや版画など多方面にその才能を開花させた。特に色彩豊かな版画作品(リトグラフ、銅版)は素晴らしい。


■2017年01月07日(土)  オノサト・トシノブ 《二つの丸 黒と赤》
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オノサト・トシノブ
《二つの丸 黒と赤》
1958年
油彩、キャンバス
16.2x23.2cm
サインあり

オノサト・トシノブ Toshinobu ONOSATO
1912年長野県生まれ。その後群馬県桐生に移り住む。本名・小野里利信。津田青楓洋画塾に学ぶ。35年黒色洋画展を結成。38年自由美術家協会会員となる(〜56年、以後無所属)。41年に一兵卒として出征、戦後のシベリア抑留を経て48年に帰国後は桐生のアトリエでひたすら円を描き続けた。64年・66年にはベニス・ビエンナーレに日本代表として出品。戦前、戦後と親友の瑛九とともに前衛美術の道を歩み続けた。86年永逝。

瑛九、山口長男、菅井汲らとともに日本を代表する抽象画家オノサト先生は、油彩のほかに約200点の版画作品(リトグラフ、シルクスクリーン)を残しました。版元の私がアトリエに通い出した70年代はアトリエをほとんど一歩も出ず、終日絵筆を握る孤高の生活でした。東京国立近代美術館など多くの美術館に作品が収蔵されていますが、本格的な回顧展と画集の刊行が待たれます。



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