第379回 追悼・細江英公展 Part 1 2025年7月4日(金)〜7月12日(土) Part 2 2025年7月16日(水)〜7月26日(土) 11:00-19:00 ※7月15日(火)に展示替え、日・月・祝日休廊 ![]() ![]() ※画像をクリックすると拡大して表示されます。 |
2024年9月16日に91歳で逝去された写真家・細江英公(1933-2024)の追悼展を開催します。
細江は、既存の美術制度のあり方を否定した「デモクラート美術家協会」に参加し、瑛九をはじめ同時代の芸術家たちから影響を受け、フリーランスの写真家として活動。舞踏家・土方巽とその仲間たちを被写体にエロスの世界を追求した〈おとこと女〉や秋田の農村を舞台に土方巽を撮影した〈鎌鼬〉、三島由紀夫を被写体とした〈薔薇刑〉など数々の名作を生み出し、戦後の写真表現に新しい展開をもたらしました。
日本では写真がまだ印刷原稿と捉えられていた1960年代後半、アメリカでは写真が美術品としてコレクションされていることを知った細江は、写真家自身が製作するオリジナルプリントの重要性に気づき、写真教育、写真のパブリック・コレクションの形成など、社会的な活動にも注力しました。1974年5月、現代版画センターの機関誌『画譜』に「写真家からのお願い」と題して、オリジナルプリントの重要性を訴えたエッセイを寄稿しています。
また、バルセロナのガウディ建築に魅せられた細江は、1977年以降、20年掛けてガウディ建築を撮り続け、ガウディの造形芸術のすべてを収めた写真集を発表。
2003年には、土方巽の舞踏発祥の地「アスベスト館」の閉館が決まり、若手舞踏家が集結して江戸期の浮世絵画家や奇想の画家の絵をモチーフに、江戸の爛熟した文化と現代の舞踏家の肉体との融合をはかる作品〈春本・浮世絵うつし〉を撮りおろしました。
2009年にはイタリアの小都市ルッカで「細江英公写真展」が開催され、会場である16世紀に建てられた貴族の館「ヴィッラ・ボッティーニ」の天井や壁面にフレスコ画が描かれた絢爛たる空間に、細江の代表作を「写真絵巻」として展示。ヨーロッパの古典的な建築の中に日本的な絵巻物や屏風が繰り広げられる様はまさに壮観で、その光景に感銘を受けた細江は自らフィルムに写し取り、作品として発表しました。
ときの忘れものでの「細江英公写真展」は10回目になり、これまでに何度もギャラリートークの講師をしてくださいました。ギャラリートーク後に記念写真を撮るようになったのは、「人が集まったら必ず記念写真を撮りなさい、きちんとポーズをとってね。」という細江英公先生の教えがあったからです。
本展では、細江英公先生を偲び、代表作を中心に多彩な展開を見せた写真を2回に分けて展示し、初期から晩年までの細江英公の写真を回顧します。
7月18日(金)17時〜18時半に、ギャラリートークを開催します。
●ギャラリートーク
7月18日(金)17時〜18時半
細江賢治×吉野弘章(東京工芸大学)
参加費1,000円
ご予約はこちらから
※ギャラリートーク開催中、参加者以外はご入場いただけませんので、ご承知おきください
■細江英公 HOSOE Eikoh
1933年山形県に生まれる。1950年英語を学ぶため米軍居住地に通い、アメリカ人の子供たちを撮影。1951年第1回「富士フォトコンテスト」で最高賞を受賞し、写真家を志す。1954年東京写真短期大学(現・東京工芸大学)写真技術科卒業。デモクラート美術家協会の瑛九と出会い、強い影響を受ける。1956年銀座・小西六フォトギャラリーにて初個展。1959年「VIVO」の設立に参加(1961年解散)。1960年日本写真批評家協会新人賞、富士フォトコンテスト年間作家賞受賞。1963年写真集『薔薇刑』で日本写真批評家協会作家賞受賞。1970年写真集『鎌鼬』で芸術選奨文部大臣賞受賞。1975年東京写真大学短期大学部(現・東京工芸大学)の教授となる。1982年全米とパリで個展開催、パリ市賞受賞。1983年アルル国際写真フェスティバル名誉賞受賞。1994年東京工芸大学芸術学部教授に就任。日本写真協会年度賞(1993年)受賞。1995年清里フォトアートミュージアムの初代館長に就任。1998年東京工芸大学芸術学部(2003年で定年退職)及び大学院芸術学研究科(修士)課程教授に就任(2002年博士課程教授に就任)。紫綬褒章受章。2003年ロンドンにて英王立写真協会創立150周年特別記念メダル受章。2006年日本人初のルーシー賞(アメリカ)受賞。2010年文化功労者に選ばれる。2017年旭日重光章叙勲。2024年死去(享年91)。