ギャラリー新人日記

2006年4月

ギャラリー新人日記 4月28日

今日は、綿貫さんは出張で広島に行っている。

さっそく、海外事業部の三浦さんの仕事が舞い込んできた。「Can you speak English?」「少々お待ちください。」と三浦さんにバトンタッチ。トリシャ・ブラウンさんのドローイングを見たいとのことで、タクシーの運転手さんに場所を教えて近くまで連れて来てもらい、やっとのことで到着した。
聞けばパリのオペラ座の方だった!

私は、ひたすら柳田冨美子さんが執筆した原稿をデータ化する作業を行なった。

皆さま、愉しいゴールデンウィークをお過ごしください。

ギャラリー新人日記 4月27日

3月からバイトで入っている梅田さんが三浦さんの業務を引き継ぐことになり、三浦さんは本格的にときの忘れもの海外事業部の仕事をすることになった。

私は綿貫さんに美術館に売り込むトリシャ・ブラウン展の企画書の作成を指示された。

初めての企画書なので、綿貫さんに軽く書き方を教わったが、「まぁ書いてみなさい。」と言われたので、トリシャ・ブラウンのあらゆる情報をコピー&ペーストして作成した。その原稿に赤を入れてもらい、他社の企画書を参考にどんどん直していった。最初に作ったものと比べてみると、やっと企画書と呼べる形になった気がする。

綿貫さんに「トリシャ・ブラウンさんに実際会ったのだから、自分の言葉で書けるでしょう?」と言われ、『トリシャ・ブラウン――思考というモーション』、『芸術新潮』(文・聞き手=ぱくきょんみ)、DVD『トリシャ・ブラウン初期作品集1966-1979』に付いているブックレットを読み直して、コピー&ペーストで拝借していた文章を自分なりに変えて書いてみた。

仕事が終わり、綿貫さんと令子さんに夕食へ誘ってもらった。
美味しいと噂だけは聞いていたのだが、もう4回くらい振られ続けた近所のイタメシ屋に電話を入れるとラッキー!空いていた。
ニョッキとかズッキーニのメニューが豊富で、バジルとクリーム系のピッツァは生地の柔らかさも味も最高でした。たまたま木曜日はイタリアの唄をフォークギターで弾いて唄ってくれるらしく、カントリー風でとても心地の良い感じでした。私の食いっぷりは健在で、最後はとちおとめのタルトで締めました。


ギャラリー新人日記 4月26日

故・栗山豊さんとも親交があり1995年のウォーホル展を担当された朝日新聞社のOさんが来廊、来年没後20年になるアンディ・ウォーホルの本の企画について綿貫さんが相談をもちかけていた。本の構想と内容を話すと、やはり難題である著作権問題。
綿貫さんのグッドアイデアもアンディ・ウォーホルミュージアムが目をつけるかも・・・と
言われ、苦笑。著作権って嫌い・・・。

来月、アンディ・ウォーホル展のイベントとして、講師に野々村文宏さん(和光大学助教授・メディア論・美術評論)をお迎えしてギャラリートークを行なうことになりました。
日程は5月12日[金]19時〜
会費/1,200円(1ドリンク付)
タイトル「アンディ・ウォーホルとメディア/栗山コレクションをめぐって」
また、特別上映として、1983年に撮影された未公開のビデオ映像(9分)を上映します。
参加希望の方は、ときの忘れものメールでお申し込みください。
info@tokinowasuremono.com


ギャラリー新人日記 4月25日

今日は、14時から霞ヶ関の日本プレスセンタービルで『2016年福岡オリンピック開催計画 記者会見』で磯崎新先生が概要や計画について発表なさるということで、植田実先生と綿貫さんと東由美さんと私が出席した。同時通訳のイヤホンを渡され、わくわくしながら中に入ると報道陣がもう既に陣取っていて準備をしていた。彼らは、私の勝手なイメージを壊すことなく、ラフな格好をしており、少し屈託気味の表情だった。ご苦労様です。
私たちは前から2列目のど真ん中に座った。キャップを被った磯崎新先生とスーツを着た福岡・九州オリンピック招致推進委員会幹事長と事務局長が登場したのに、誰も拍手をしないのは意外だった。プレゼン中に接近して強いフラッシュをたいて連写する報道陣のあの図々しさは、ワイドショーで見る、まんまの姿だった。磯崎新先生から、パワーポイントを使って福岡オリンピックの計画などの説明が始まった。磯崎新先生が言う「20世紀型オリンピック」とは、ひとつの国の首都や準首都の一部がオリンピック会場となり、その国のイメージをクローズアップしているもので、都心に施設を置くことは交通などの面で難しく、会場を郊外に置いた結果、その後の施設利用方法されないまま廃墟になっているらしい。磯崎新先生が描く福岡オリンピックは、「21世紀型オリンピック」という国家や民族の枠を超えてあるひとつの都市にアスリートが集り競い合うという、オリンピックが開催された当初のオリンピックのコンセプトに戻そうというもの。九州は東アジア共同の家〈コモンハウス〉であり、東シナ海は全世界とつながっており、沿岸諸都市と協力してオリンピックの準備をしていくという。そこで、福岡市は、「21世紀型オリンピック」の最初のモデルになればいいと言っていた。
パワーポイントで福岡湾の地図にイタリアのベニスの地図が重ねたものが映り、それはほぼ同じ大きさで非常にコンパクトであった。また、メディアの宿泊施設は、選手村の何倍も用意しなければならず、その対策として、宿泊施設を湾岸につけた客船にするという計画。飛鳥号や戦艦大和、クイーンメリー2などを例に上げ、キャパシティの説明があった。質疑応答も含め、約1時間で終了し、その後は磯崎新先生のところに列ができ、とても挨拶をする隙間などなかったので、4人で隣のスタバのオープンカフェでお茶をすることになり、古くなって苔が貼りついた日比谷図書館を眺めながら、雨上がりの晴れた空の下でお茶をした。
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ギャラリー新人日記 4月22日

14時頃、N先生がご来廊された。というのも、アンディ・ウォーホルの没後20年の大イベントについて綿貫さんが相談をしました。1階で打ち合わせをしていると、お客様の反応を直で聞ける。チリリンと扉が開き、資料で埋め尽くされた派手な壁を見た第一声が「おぉっ」。心の中でガッツポーズしたくなりました。
ときの忘れものでは、5月12日にギャラリートークを予定しておりますが、後ほどホームページに詳細を掲載します。


ギャラリー新人日記 4月21日

今日からアンディ・ウォーホル展。私と同じくらいの世代のお客さまが結構多くて、皆さん目に付いたものをじっくり読んでいるご様子。
夕方、ぱくきょんみさんが玄米と豆のおにぎりをいっぱいにぎって来廊され、みんなで頬張った。
今日は、梅田沙織さんと東由美さんの歓迎会、それに便乗して私の引越し祝いを開いてもらいました。青山から離れ、皆で新宿に行きました。ときの忘れものメンバー8人が勢揃い。男性3人、女性5人で、いつの間にか女の園になっています。
令子さんと岡部さんが昔よく通っていたという飲み屋のマスターの店「陶玄房」で、皆でワイワイと世代を越えて話しました。変わった食材を料理したものが多くて、スペイン産のイベリコ豚は脂がのってて美味しかった。みんな酒に強く、よく喋る・・・。2次会は同じビルにあり、毎月第3土曜日にジョナス・メカスさんの上映会を行なっているバー『ナジャ』に移動した。みんな輪になって静かに飲める空間で、ついつい饒舌になり気付いたらもうすぐ24時だった。こうして、みんなでぞろぞろ移動して遊ぶのも楽しいな〜と思った。

ギャラリー新人日記 4月20日

岡崎乾二郎さんからメールが届いていた。『トリシャ・ブラウン――思考というモーション』をビーケーワンというネット販売会社で購入した方だけに送られるなんとも豪華な特典の一つ、岡崎乾二郎さんのパラパラ漫画が添付されていた。何度も再生しているとニヤニヤしちゃったので、私のデスクの後ろを通る上司の足を止めて見せた。パソコンを覗きこんでみんな笑った。こんな愉快なパラパラ漫画に初めて出会った。動きが柔軟でいて弾む。
今日は三浦さんと雄高さんはアンディ・ウォーホルの大きすぎる作品たちを展示した。私は昨日の続きで、空白の壁を資料のコピーで埋めた。なんだか裸足になりたくなった。入り口周辺の壁は栗山豊さんが収集した資料のコピーがワァーっと貼られ、私はゴシップ記事やスキャンダルものばかりを貼った。棚には綿貫さんが選んだ新聞記事などをワァーっと置いて、特注のアクリルでカバーした。楽しい予感・・・
アンディ・ウォーホル展展示風景1アンディ・ウォーホル展展示風景2

ギャラリー新人日記 4月19日

久しぶりに夢中になった。今日はシミュレーションのつもりで三浦さんに手伝ってもらいながら資料のコピーを展示した。考えて、貼って、眺めて、剥がして…画鋲を頑固な壁に押し込む作業で親指の爪が剥がれそうなんだけれども楽しい。
これが面白い企画展になるか、そうでなくなるかは尾立さんの展示次第なんて言われちゃって・・・気が変わりやすい綿貫さんなので、三浦さんと私は「やっぱり全部剥がしてあっちの壁に展示しよう!なんて言うのはなしですよ!」と念を押した。
夕方、白井版画工房に紙を取りに行った。10月に石山修武展を計画しているので、ドローイングの用紙を手配してもらった。白井版画工房に行くと前もってわかっている日は、スニーカーで出勤する。歩いて行くのが好きだから。
週刊新潮 記事
週刊新潮4月27日号 記事

ギャラリー新人日記 4月18日

今日は、アンディ・ウォーホル展の準備を行なった。壁に何枚貼れるか計算してみた。恥ずかしながら1メートルは100センチで、1センチは0.01メートル・・・とノートに書いてやった。梅田さんがコピーしてくれた資料、数百枚の中からおよそ100点を選ぶことになり、ゴシップ雑誌を読んでいるみたいで楽しくなってきた。80年代のファッションとか、どんな人が注目されていたのかなど、一目でわかる。パラパラ読んでいると、アンディ・ウォーホルが中谷芙二子さんにピンクのバラをあげたと書いてある記事があった。綿貫さんに「中谷芙二子さんって、あの中谷芙二子さんじゃないですよね?」と聞いてみた。あの中谷さんだよと返事がきて、感激した。そんな中谷さんお手製のパンケーキを、この前食べたんだと自慢した。
19時頃、パリから仕事で来ている田中さんが来廊されたので、綿貫さんに居酒屋『机』に私も誘ってもらった。ギャラリー寺下さんも来て、みんなかなり日本酒を飲んでいるようだった。2軒目はコーヒーを飲みに行き、私は3軒目までつき合いました。田中さんはフランスでは明るい2児のパパみたいで、すっかり仲良くなりました。


ギャラリー新人日記 4月15日

今日は14時から『週刊新潮』のエディターの方がアンディ・ウォーホルのウォッチャーの故・栗山豊さんについて取材に訪れた。
ギャラリー360°の根本さんも来廊され、栗山豊さんの生涯とアンディ・ウォーホル来日の記憶を辿って、思い出しては当時を懐かしむように語っていた。栗山さんの収集した資料の中に、新聞のテレビ欄に「アンディ・ウォーホル」という活字が載っているものまでも赤ペンで囲ってファイリングしているものまであったのには驚きだ。

ギャラリー新人日記 4月14日

明日、某週刊誌から、21日から開催する「アンディ・ウォーホル展」に関連して、史上最強のウォーホル・ウォッチャーだった故・栗山豊さんについての取材が入ることになった。そこで、綿貫さんとギャラリー360°の根本さんを訪ね、栗山豊さんと親しかったという根本さんにも一緒に取材を受けて欲しいと頼みに行った。
画廊に戻り、6月に開催する「フォーゲラーとヴォルプスベーデ展」の出品作品をひたすらスキャンしていたら日が暮れた。
18時過ぎに、ぱくきょんみさんが来廊された。本のことを色々心配してくださっていて、まだまだ『トリシャ・ブラウン――思考というモーション』の後始末としてやらなければならないことが残っている。
ぱくさんがトリシャ・ブラウンさんにインタビューした記事と、その時撮影したトリシャさんの素敵な写真が『芸術新潮』に4頁に渡って掲載されるそうです。4月25日に発売されるので、皆様ご高覧くださいませ。

ギャラリー新人日記 4月13日

今日はあっち行ったりこっち行ったりそっち行ったりした。
まずは原宿にあるプロセスアートに歩いて行った。青山ブックセンターに『トリシャ・ブラウン――思考というモーション』を納品できることになり、取り次いでもらっている田坂さんと打ち合わせた。中谷さんが事務所に下りて来て、中谷さんお手製の5分で作れるというクランベリーのパウンドケーキをご馳走になった。しっとりしていて甘さひかえめで、歩いて来た最高のご褒美だった。遠慮せずにもう一切れいただけば良かったと帰路で後悔した。
画廊に戻り、磯崎新連刊画文集《百二十の見えない都市》企画に参加してもらうことになった東由美さんと打ち合わせをした。綿貫さんの説明が終わり、近所の白井さんと北澤さんに挨拶に行くことになった。暗くなる前に乃木坂にある白井版画工房に道案内をした。ちょうど白井さんが《百二十の見えない都市》の銅版画を刷っているナイスタイミングだったので、刷る過程を説明してもらい作品も見ることができた。今度は乃木坂から表参道にあるディスハウスまで案内して挨拶に行った。
一日中歩き回りいい運動になった。その勢いで、帰りに青山ブックセンターに本を届けに行った。

ギャラリー新人日記 4月8日

昨日の夕方、プレスリリースの作成を頼まれた。今まではレイアウトは私で、綿貫さんが書いた文章を字割に合うよう削り、勝手にスパイスを加え変えていた。料理人が整えた味に醤油を掛けるような行為なのだが、綿貫さんは全く文句を言わなかった。今回は、「フォーゲラーとヴォルプスヴェーデ展の文章はあなたが書きなさい」と言われ、嬉しいけどかなり不安な面持ちでインターネットや文献で調べた。データを読んだだけで知ったかぶりをしている文章になったので、綿貫さんに校正をお願いした。
今日は、トリシャ・ブラウン ドローイング展最終日。人の入れ代わり立ち代りが最も激しい一日だった。2週間とちょっと、このドローイングを見続けてきた我々は、線が生きていることを実感した。オープニング前日、岡崎さんのアイデアで、私たちでは思いつきもしない通し番号のドローイングが渦巻き状に展示された。私はこのドローイングに、日に日に勢いを増す水流を感じるようになった。もう紙から手がはみ出して、アキュムレーション・ウィズ・トーキング・プラス・ウォーターモーターの画面にジャンプ!この展覧会は、甘美な出来事として私たちの中に生きるだろう。ありがとうございました。

ギャラリー新人日記 4月7日

13時に綿貫さんに連れられ、梅田さんと私はA3サイズのカラーコピー機を所有しているボールクラブの玉井さんの事務所を訪ねた。4月21日から開催するアンディ・ウォーホル展に向けて、故・栗山豊さんが生前コレクションしたアンディ・ウォーホルの膨大な量の資料をカラーコピーする作業を今日から取り掛かる。1枚カラーコピーするのにコンビニでおにぎりが買えてしまう値段なので、直立不動でコピーされるのを待った。3枚目のコピーをしていたら、紙詰まり・・・結構面倒くさいことになっており、機械の前では私はただ無力だった。修理の人を待つこと30分。直してもらって後は梅田さんに託し、私は画廊へ戻った。
画廊には、岡崎乾二郎さんとぱくきょんみさんが見えていた。岡崎さんはトリシャ・ブラウンのドローイングを「方法論としてのドローイング」と言っていた。何だか答えをもらえた気になった。この言葉は気持ちいいくらいにピタッと当てはまるものだった。
仕事が終わり、食事に誘ってもらった。綿貫さんと令子さんと三浦さんと「机」という居酒屋に行き、炙り刺身やアボガド納豆、帆立の酒蒸しを肴に、話題はトリシャ・ブラウン展から自分の性格までコロコロ変わり、気が付けば3時間も過ぎていた。

ギャラリー新人日記 4月6日

梅田さんと私は、ナディッフに『トリシャ・ブラウン――思考というモーション』を搬入した。ナディッフ系列の都内にある各店舗でも取り扱ってもらえることになった。そして、六本木の森美術館の3階にあるアート・アンド・デザイン・ストアでも取り扱ってもらえることになったので、ここにも搬入した。
17時前に植田実先生が来廊され、17時から磯崎新事務局通信のインターンに募集してくれた2名の方を個別に面接した。二人とも私のお手伝いというには畏れ多く、逆に何でもお手伝いします!と、言いたくなるような大人の方たちだった。
今日は白井版画工房での版画教室だった。前回エッチングという技法でジッパーを描いていたので、今日は腐蝕作業。線を強く出したかったので、1時間の腐蝕を試みた。試刷りをしてみるとジッパーの回りに充分すぎるくらいの余白があり、気に入らない。白井さんや生徒さんに意見をもらい、白井さんの提案で物足りない余白の部分はデニムの素材感を出すことになった。ジッパーと同じサイズの別の版にデニム生地を貼り付けて、2版で刷るらしい。次回試みることになり、どんな風になるか想像付かないけど、ワクワクする。
トウ・シューズ

ギャラリー新人日記 4月5日

『トリシャ・ブラウン――思考というモーション』の存在を日本にいる皆様にまず知ってもらうために、新聞雑誌の書評委員会に見本を送った。媒体に取り上げてもらうという方法がベストだと信じ、売れますようにと神頼みをしても仕方がないので媒体頼み。本が完成して満足している場合ではないみたい。
17時から磯崎新事務局通信のインターンの面接を行なった。綿貫さんはフランクに話しをする。10ヶ月程前、私もこんな感じの面接を受けたことを思い出した。なんて気楽な面接なのだろう・・・

ギャラリー新人日記 4月4日

今日は綿貫さん、令子さん、三浦さん、雄高さん、梅田さんは倉庫に行っており、倉庫の掃除や発送の準備を行っている。私は画廊にひとり留守番。
私は『トリシャ・ブラウン――思考というモーション』の営業に取り掛かかろうと、プロセスアートの田坂さんに電話をして、DVDの営業はどのようにやっているかを聞いた。倉庫から戻った綿貫さんと話し合い、ご近所さんのリブロ青山店に直接売り込みに行くことにした。店長さんに本を見てもらった。担当の方を紹介してもらった。交渉成立。私は「すぐ持ってきます!」と告げて画廊へ戻り、本を抱えてリブロへ運んだ。
夕方、弘前建築ツアーですっかりお世話になった石場旅館の若旦那が来廊することになっていた。綿貫さんたちも倉庫から戻り、昨秋のツアーにご一緒した元「室内」編集部の塩野さんご夫妻をお呼びし、近くのお店に皆で食事に行った。あのツアー後、石場旅館の一部を改造し、会員制のバーをつくったらしい。青森県立美術館も7月にオープンするらしいし、また弘前に行って建築を巡り、盛岡に行って直利庵のお蕎麦を食べたいな。おなかいっぱいでお酒もたっぷり含んだので、店を変え、貸しきり状態で自由に寛ぎ話した。

ギャラリー新人日記 4月1日

土曜日は、平日よりも時間がゆっくり流れているような気がする。
三浦さんは演奏会でお休みなので、いつも素っ気ないと言われる私が接客に挑戦してみた。というのも、夕方とっても気になるお客様が来廊された。彼女はフリーズしていた。トリシャ・ブラウンのドローイングをずっと、ポーっと見ていた。全てのドローイングをゆっくり隈なく真剣に・・・。その光景はとっても新鮮で温かくて、彼女の邪魔にならないよう、私も改めてトリシャ・ブラウンのドローイングを見た。なぜか、共有したいという気持ちが湧いていたので話し掛けてみた。彼女は目をキラキラさせ、胸を押さえ「感動しました!」と言った。その言葉は声ではなく感情が言っていたような、とても深くて重いものだった。ときの忘れもののこともトリシャ・ブラウンのこともダンスのことも知らなかったらしいが、東京メトロのチラシにトリシャ・ブラウン ドローイング展の告知が載っており、切り取って持っていたのだと。純粋な彼女に出会えて、今日は本当に嬉しかった。


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