2001年2月〜3月の展覧会

[ 小 野 隆 生 コ レ ク シ ョ ン ]

会期…………2001年 2月13日(火)〜 3月10日(土)

概要…………ときの忘れものでは、1995年の開廊以来、1995年10月、1996年12月、1998年

3月、1998年11月、1999年 7月、2000年10月と、小野隆生の企画展・新作展を開催してきました。1971年イタリアに渡り、以来イタリアに在住、独特の肖像画を描き続ける小野隆生は、毎年、新たな世界を切り開いていく新作を、イタリアの風ともに届けてきます。今回の企画展では、ときの忘れもののコレクションの中から、1970年代の初期作品から、近作までの15点を展示いたします。

小野隆生は最近寄せたメッセ−ジの中で次のようなことを言っています。

 ……私は長年にわたり自分のワ−ク・スタイルをアウトサイダ−と自認していますが--そこからロマン的な憧れの分を差し引いても--絵画表現に関しては、実はインサイダ−なのかも知れない、と最近では想えるときがあります。いずれにしても時代から脱離していることには違いはないけれど………

ヨーロッパの古典絵画に学び、イタリア各地の教会や美術館の修復に携わる一方で描かれた作品や、新しい素材と出合って展開された作風、現代美術の流れに乗らず淡々と己の道を歩み、卓抜な描写力でもって現代の肖像画を描き続ける小野の世界を堪能してください。

小野隆生(おの たかお)………1950年岩手県生まれ。71年イタリアに渡り、国立ローマ美術学校絵 画科、国立フィレンツェ美術学校絵画科、国立ローマ美術学校彫刻科に学ぶ。76年銀座・現代画廊にて第1回個展。77年国立ローマ中央修復研究所絵画科に入学(80年卒業)。77−85年イタリア各地の教会壁画や美術館収蔵作品の修復に携わる。地震で崩落したアッシ−ジのサン=フランチェスコ教会のジオットの作品も1980年に小野が修復を手掛けたものである。現在、イタリアに在住。

「肖像画F.K」1976年 油彩 33.5×24.5cm 「弦が切れて弾けなくなったチェロ」1998年 合板にテンペラ 174×176cm

 

[ ダ ダ と シ ュ ー ル ]

会期…………2001年 3月16日(金)〜 3月31日(土)

概要…………戦争の嵐が吹き荒れた1910年代のヨーロッパでは、それゆえにロシア、ドイツ、中央ヨーロッパなどパリ以外の都市において新たな芸術の動きが生じました。戦争が人々に与えた恐怖や衝撃、社会・経済の変動によって、ヨーロッパ文化の風景が根底から変わった中で、西洋文明の高尚ないままでの主張に抗議するためにナンセンスと挑発をもちいる、ダダのグループが、チューリッヒとベルリンで発生しました。20世紀のもっとも重要な芸術理論家であり前衛的挑発者であったマルセル・デュシャンがその先頭に立ち、爆発的な影響力をもちました。

ダダイズムを源泉として発生したのが、1924年アンドレ・ブルトンのリーダーシップのもと創始された、シュルレアリスム運動でした。創作を「心の純粋な自動現象」ととらえ、あらゆる方法を用いて「思考の実際上の働きを実現しようとくわだて」ようとしたのです。

これら、ダダやシュールの考えは、ひとつの芸術理論や技法にとどまらず、混乱する世界情勢や社会において与えた影響力ははかりしれません。今回の企画展では、マン・レイ、マックス・エルンスト、ダリ、ミロなどの作家の版画作品、約20点を展示いたします。

マン・レイ………Man Ray1890年アメリカ・フィラデルフィアに生まれる。デュシャンやピカビアらとともにニューヨーク・ダダを創始。1921年渡仏。パリのダダ・シュルレアリスト・グループの一員として多彩な活動を展開。絵画、オブジェ、写真、映画、グラフィックといった多岐にわたる活動は、既成の概念にとらわれぬ自由な精神と卓抜な感覚がみられる。1976年パリで没。

マックス・エルンスト………Max Ernst1891年ドイツ・ケルン近郊に生まれる。コラージュやフロッタージュなど革命的ともいえる技法上の新機軸を駆使し、彫刻、絵画、版画、写真など多様な手法で、独自の世界を築いた。フランスの思想家バタイユは「遊ぶ哲学者」と読んだ。1976年パリで没。

マックス・エルンスト「作品」リトグラフ 46.8×39cm
ダリ………Salvador Dali1904年スペイン・カタルニア地方フィゲラスに生まれる。1921年マドリードの美術アカデミーに入学するが、2度放校処分を受ける。その間に最初の個展を開催し、批評家から好意的な評価を受ける。カタルニアのアヴァンギャルド運動の積極的なメンバーであったが、パリのシュルレアリストとの親交が始まる。パリやロンドン、アメリカにも活動の場を広げた。1989年没。
ミロ………Johan Miro 1893年スペイン・バルセロナに生まれる。1918年バルセロナで最初の個展を開催する。1919年パリに行き、これ以後、冬はパリ、夏はスペインで過ごすようになる。シュルレアリスムの運動に完全に関わったとはいえず、敵対することもあったが、つねにそのつながりを保ち続けた。1983年没。

 
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