2001年4月〜5月の展覧会

 

[ 三 上 誠 未 発 表 作 品 展 ] 会期…………2001年 4月 6日(金)〜 4月21日(土)11:00〜19:00 日曜、月曜、祝日は 休廊概要…………パンリアル美術協会を創立し日本画の革新運動を展開するも、不遇のうちに52歳で病死した画家、三上誠(1919〜1972)の未発表作品展を開催します。 戦後間もない1949年、京都市絵画専門学校出身の若い日本画家たちが、既存画壇への 強い不満を動機に、日本画壇の封建的な機構の打破と新しい日本画の表現の可能性を目指して、「パンリアル美術協会」を結成しました。社会と画家の間には繋がりがなくてはならないと考えていた三上は、この運動の先頭に立ち、日本画を油彩画に対して膠彩画と呼び新しく定義づけました。そして、モティーフを現実社会に生きる観点から拡大し、マチエール(技法)の可能性を追及し続けました。岩独自の画風がみてとれる「灸点万華経」「輪廻」シリーズ、代表作「F市曼茶羅」、そして最後の連作「生理の機構」「機構の生理」シリーズといった作品群では、個人の身体の機構の乱雑さ、社会の機構の乱雑さが有機的なかたちで描かれ、そこには虚弱であった自身の肉体の回復の痛切な願いと同時に、社会自体の有機的で美しいものの回復が切望されています。死に近かったゆえに、自らに残る僅かな生の灯を太陽の光へと昇華した三上誠、今回は未発表作品10点を展示します。 三上誠(みかみ まこと)………1919年大阪市に生まれる。旧名、嶋田誠。幼少期を 福井市で過ごす。1944年京都市立絵画専門学校卒業。1948年星野真吾、八木一夫、鈴 木治らと「パンリアル」を結成。翌年、星野、下村良之介、大野俶嵩ら会員11名で日 本画の前衛グループ「パンリアル美術協会」を結成し、その中心となる。1952年結核 療養のため福井市へ帰郷。以後、福井市で制作活動を行う。1972年没(52歳)。没 後、その評価が高まり、O美術館や福井県立美術館などで回顧展が開催される。
三上誠「作品」1968年 紙・顔料・インク 91×61cm 三上誠「作品」1963年 紙・顔料・木・段ボール 68.6×40.5cm
[ 内 間 安 王星  追 悼 展 ]
会期…………2001年 5月 9日(水)〜 5月26日(土)11:00〜19:00 日曜・月曜・ 祝日は休廊
概要…………伝統木版にモダンな色彩感覚を吹き込み、アメリカ美術界に確固たる地位を築いた内間安瑆(うちまあんせい)の1960〜80年代の木版画代表作、銅版、水 彩画など、20点を出品します。
 闘病生活を余儀なくされ、1980年代を最後に殆ど発表をせず、日本では忘れられた観のある在米画家でしたが、二世としてアメリカに生まれ、父母の国日本に留学したときに出合った伝統木版に取組み、帰米後はニューヨークで清新な作風を展開しました。メトロポリタン、ホイットニ−など主要美術館が作品を収蔵し、昨春惜しまれながら79歳で死去しました。
 内間は、戦前から戦中にかけ早稲田大学で建築を学び、油彩にも取組みますが、戦後、油絵制作の社会的必然性に疑問を抱く中、恩地孝四郎に巡り合い版画の大衆性と創作版画の意義に惹かれ、木版画の制作を始めます。代表作の「森の屏風Forest Byobu Seeries」などに展開される、深い知性に裏付けられ、理論的に考え抜かれた構成。自律的に色彩が演じる“視覚ダンス”の世界は、リズム感に富んだ豊かな色彩 表現を確立しました。版木ベニヤ8面、水彩絵具で生漉奉書に手摺りで45度摺りを行うといった、浮世絵版画を思わせる手のこんだ技法のため、限定部数は決して多くはなく、数部が刷られたのみという作品も少なくありません。渾身の力が注ぎ込まれたひとつひとつの作品は、作り手の死を経てもなお、透明で真っ直ぐな光を放ち続けています。
内間安瑆(うちま あんせい)………1921年アメリカに生まれる。父母は沖縄出身。40年早稲田大学に留 
 学。創作版画の恩地孝四郎に巡り合い抽象木版に志す。55年東京・養清堂画廊で初個展。
 60年帰米、ニューヨークに住む。62・70年グッゲンハイム・フェローシップ版画部 門で受賞。
 2000年 5月 9日逝去(79歳)。
「FOREST BYOBU(SIENNA WEAVE) B」1981年 木版 61×53cm A.P. サイン 「Space:Flight」1970年 水彩 43.1×72.5cm(紙)
[ 永 井 桃 子 展 ]
会期…………2001年 5月30日(水)〜 6月 9日(土)11:00〜19:00 日曜・月曜・ 祝日は休廊
概要…………新進作家永井桃子の手彩色銅版画による個展を開催します。
 永井桃子は幼少より、母・慧子に詩や物語を書いてもらい、そこからイメージを膨らませては、クロッキー帳に絵を描き続けていました。高校生のとき、母がつくった童話に、覚えたての銅版画に彩色した作品を描き、一冊の絵本を創作しました。その『ウサギの畑』が大賞を受賞し、審査員の浅井慎平氏に「ちょっと恐ろしく、すごく楽しく、そして美しい。」と賛辞を送られました。
永井が使う銅版画は、版画の技法を使ってはいますが、複数原画としての版画としてではなく、銅版の枠なぞ無視して大胆に水彩で加筆、彩色することによって一点一点が全く別の作品になっています。銅版画の上にのびやかに、大胆に着彩された作品、あるいは銅版の囲みから空間が溢れ出すかのように描かれた作品、銅版画をまるでコラージュのように扱い、手彩色によって空間を膨らませたり、歪ませたりする作品群は、新鮮であり、「新星」出現の予感を感じさせます。
◆作家の言葉
「庭に鳥の餌台があり、冬になるといろいろな鳥がやってきます。
ある日オレンジを木の枝にさしておきました。
数日たつと皮だけになり、次第に水分が失われたそれは、それでもずっとそこに在りました。
丸い中空の球ができあがりました。
夕方になるとくすんだオレンジ色の球は別の、造形物としてその身を主張して、輝きを放つなにか大切なもののように見えてきました。
絵画は生活に必ずしも必要ではないかもしれませんが、時に豊かなものを与えてくれるのではないでしょうか。
ですから、作品をみて新たな視点を得ることができればうれしく思います。
今回私は手彩色銅版画を展示します。
銅版画の周囲に初めて絵を描き入れた時、エッチングの線の集積では表現できないものをどうにかして一枚の作品に同時に表現したいという欲求がありました。
記号的な線と色彩を用いた風景描写をあわせ、両方の表現の良さを生かせないかと考えたのです。
それは結果的に手彩色を主とした版画表現となりました。」
                          2001年 3月13日  永井桃子
永井桃子(ながい ももこ)………1976年東京に生まれる。2000年女子美術大学大学院美術研究科美術専攻修了。1989年初めて銅版画を制作。1992年東北電力「夢見る子供童話賞」絵本部門大賞受賞、受賞作品『ウサギの畑』は講談社より出版。1998年女子美術大学卒業制作展で優秀賞となる。
神奈川県美術展(1998年)、多摩秀作展(青梅市立美術館、1999年)、
シェル現代美術賞展(1999年、2000年)、
ウィンザー&ニュートン2000年記念世界の公募展(1999年)等に出品。
2000年、スカイドアアートプレイス青山で油彩個展。
グループ展:6人展(ギャラリー青羅、1998年)、4人展(ギャラリー青羅、2000年)。
「鏡の雨(ヌラヌラ川の話より)」1995-2001年 エッチングに手彩色(版画部分水彩、版画外周部アクリル)22×25cm 「歌声(ヌラヌラ川の話より)」1995-2001年 エッチングに手彩色(版画部分水彩、版画外周部アクリル)

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