2002年6月〜の展覧会

弊廊「ときの忘れもの」の2002年6月〜の企画展・常設展のご案内を申し上げます。 

[ ル・コルビュジエ 展 ]

2002年6月7日(金)〜6月29日(土)
11:00〜19:00
日曜・月曜・ 祝日は休廊
  
▼特別企画▼
  
ギャラリートーク
  「コルビュジエの美術活動について」
  
2002年6月25日(火)午後6時30分より 予約制

 

 建築家であると同時に画家であらんとした20世紀最大の巨匠ル・コルビュジエ。コルビュジエは、精力的に世界各地に優れた建築を残しましたが、その画家的資質がゆえに、生涯絵筆を離すことはありませんでした。「自分の建築は絵画という運河を通って来た」と、コルビュジエ自身述べています。


ル・コルビュジエ
『造形作品集』より

 コルビュジエは、友人で画家のアメデ・オザンファンらと編集した『エスプリ・ヌーボー(新精神)』誌上でピュリズム(純粋主義)を提唱し、1920年代、ピュリズムの画家としてパリの画壇にデビューし注目を集めました。当初は、物体の幾何学的な美しさと調和のとれた構図の中で描いていましたが、やがてうねるような曲線を用い、放漫で重量感溢れる力強い女性を描くようになります。さらに第2次世界大戦後には、象徴的なモチーフを彫刻やタペストリーなどで表現することも始めました。晩年にはよりグラフィカルで大胆、色面と描線が自由に踊るような作品を制作するようになり、「直角の詩」などの挿画本を多く発表しました。

 今回の企画展では、代表的な挿画本「ユニテ」「直角の詩」などを展示いたします。

 

ル・コルビュジエ Le Corbusier
(本名=シャルル=エドゥアール・ジャンヌレ)

 1887年スイスのジュラ地方ラ・ショー・ド・ファンに生まれる。1906年初めての住宅「ファレ邸」を設計。1917年パリに出るが、翌年左目を失明する。『エスプリ・ヌーボー』の創刊に関わり、美術運動にも参加。1922年建築事務所設立。その活躍の場は建築、絵画、彫刻の分野に及ぶ。近代建築国際会議(CIAM)メンバーとして近代建築理論の最大の指導者であり、多くの油彩、版画、詩画集を残した。1965年没。

建築代表作=サヴォア邸、新時代館(パリ万博)、ロンシャンの教会、国立西洋美術館(東京)等。

ギャラリートーク
「コルビュジエの美術活動について」

2002年6月25日(火)
午後6時30分より

講師 林美佐、植田実
定員 10名 
会費 1,000円
(ドリンク付)予約制
参加希望の方は、メールでお申し込みください。

植田 実(うえだ まこと)
 
1935年東京都生まれ。早稲田大学ではフランス文学を専攻したが、卒業するや建築専門誌の編集者となり、以来今日まで現代建築・都市に関わる編集企画・批評に徹してきた。とくに編集長をつとめた1968年創刊の「都市住宅」では、若い建築家たちの仕事を全面的に紹介、「都市住宅」派の名は今も残る。現在、住まいの図書館出版局編集長。
 著書に『ジャパン・ハウス』(グラフィック社)『真夜中の家』『ケース・スタディ・ハウス』(住まいの図書館出版局)、共編著に『世界の集合住宅:20世紀の200』(大京)『KURAMATA SHIRO』(原美術館)など。



林 美佐(はやし みさ)
 1963年東京都生まれ。1987年学習院大学大学院博士前期課程(美術史)修了。東京都庭園美術館学芸員を経て、現在大成建設ギャルリー・タイセイ学芸員。「ル・コルビュジエ 1996-1997」(セゾン美術館他)展などのほか、コルビュジエおよびライト、ミース、レーモンド、吉阪隆正など近代建築に関する展覧会に携わる。
 著書に『再発見/ル・コルビュジエの絵画と建築』(彰国社)、論文に「演じられたル・コルビュジエ」『ル・コルビュジエ展カタログ』、「〈ル・コルビュジエ〉を創造した写真家 ルシアン・エルヴェ」『10+1』など。

出品作
1. ユニテ  Unite (挿画本)
  1965年、オリジナル銅版20点入り(内16点に鉛筆サイン)、 カラー17点+モノクロ3点、ed.130、57.5×40.0cm、

2. 直角の詩(スウィート版)  Le Poeme de L'Angle Droit (挿画本)
  1955年、オリジナル石版20点入り(版上サイン)、カラー19点+モノクロ1点、ed.60、42.0×32.0cm

3. 造形作品集
  カラー石版4点入り(版上サイン)、ed.100、27.8×23.4cm

4. 小さな告白
  1957年、モノクロ石版10点入り(奥付に鉛筆サイン)、 ed.125、56.5×45.5cm

5. パニュルジュ・シリーズ (挿画本)
  1961年、オリジナル石版6点入り(内カラー1点、奥付に鉛筆サイン)、ed.150、57.6×45.7cm

6. 『永久の海』 より
  1962年、オリジナル石版、H.C.、57.5×52.2cm

7. 二つの間  (挿画本)
  1968年、オリジナル石版18点入り(内カラー1点)、ed.340、43.0×35.5cm、94ページ

ル・コルビュジエ
『ユニテ』より

 

ル・コルビュジエ
『ユニテ』より

 

 ル・コルビュジエ
 
『直角の詩』より

 

ル・コルビュジエ
『直角の詩』より

 

ル・コルビュジエ
『小さな告白』より

 

 ル・コルビュジエ
 
『パニュルジュ・シリーズ』より

 

ル・コルビュジエ
『永久の海』より

 

ル・コルビュジエ
『永久の海』より

 

ル・コルビュジエ
『二つの間』より

 

ル・コルビュジエ
『二つの間』より

 

[建築家の版画展]
会場………ときの忘れもの 東京都港区南青山3-3-3 Tel:03-3470-2631 
会期………2002年7月5日(金)〜7月19日(金) 11:00〜19:00 日曜・月曜・ 祝日は休廊
概要………建築家が版画を制作することのタイプを建築家・磯崎新は次の3つに類型しています。
1.計画案あるいは実施案として設計された図面を、本として印刷するように、独立した複数のプレートにしてあるもの。
2.現実に実現するというよりも、建築的要素を手がかりにして、想像力をふくらませ、幻想的な空間をえがきだそうとするようなドローイングを、版画のかたちにしたもの。
3.建築的主題とは無縁に、その予備的なスタディでもあるが、既に独立したひとつのタブローを指向して、それを版画形式にしたもの。(「建築家が版画をつくることは」より 1983年)
磯崎はそれに加えて、「自分の建築作品を、自分で分析してみせる、その有様を版画にしたてる」と語っています。建築家が自らの建築世界を語る表現としての版画作品。「空想の建築家」といわれたピラネージの「牢獄」連作、巨匠ル・コルビュジエの挿画本「永久の海」、日本で建築作品も多いマイケル・グレイブスの「インテリア」、安藤忠雄の「ベネトンアートスクール」、磯崎新「マッキントッシュ/ヒル・ハウス」など、古今の建築家5人による版画代表作15数点を出品します。

安藤忠雄「ベネトンアートスクール II」
1998年 シルク 60×120cm(紙) Ed.35
磯崎新「チャールズ・レニー・マッキントッシュ/ヒル・ハウス」
1998年 銅版・手彩色 38×28.5cm(紙)Ed.8
ピラネージ「牢獄・―The Giant Piazza」
2nd state 1761年 銅版 53.5×40.7cm
マイケル・グレイブス「作品84.7-1」
1984年 木版 30.5×24.0cm Ed.150
ル・コルビュジエ『永久の海』より 
1962年 石版 57.5×52.2cm H.C.

[ 東松照明写真展 アッサラーム・アレクイン ]

会場………麓(ふもと)スペース 神奈川県三浦郡葉山町堀内907-2
会期………2002年8月17日(土)〜9月11日(水)11:00〜16:30まで入場可 月曜・火曜は休館
入場料……500円(中学生以上)。入場料収益は全額を「ペシャワール会」に寄付。
「ペシャワール会」は中村哲医師のパキスタン・アフガニスタンでの医療活動を支する目的で結成され、情宣・募金活動ならびにワーカーの現地派遣等を行う団体。
主催………葉山・アフガニスタンを支援する写真の会事務局(担当 浅輪・八並)
     〒240-0112 神奈川県三浦郡葉山町堀内907−2 フモト・トレーディング内
     Tel:0468−76−3255/Fax:0468−76−0477        
協賛………葉山町
問合せ……ときの忘れもの…港区南青山3-3-3
                Tel:03-3470-2631 watanuki@nn.iij4u.or.jp
     木下哲夫…………横浜市港北区日吉本町2-18-1
                Tel:045-562-4503   Tetsuoki@aol.com
イベント………8月24日(土)午後2時・3時/谷川俊太郎・詩の朗読会
       9月8日(日)午後3時   /吉増剛造講演会
概要………今から39年前の1963年、写真家・東松照明が訪れたアフガニスタンは、のどかな、美しい国でした。しかしその後20年余りの戦乱を経て、野は荒れ、街は廃墟と化し、タリバンの掃討をめざす空爆が始まって以来、アフガニスタンといえば、思い浮かぶのは瓦礫の山と途方に暮れる人々の表情ばかりです。幸い今は戦火も止み、復興の営みが進みつつあるといわれています。
このたびの展覧会では、1963年、東松照明が創刊2年目の雑誌『太陽』の依頼で、アフガニスタンのカブールとバーミヤンで撮影した写真128点(3分の2モノクローム、3分の1カラー)が出品されます。カブール市民の活き活きとした表情、バザールの賑わい、タリバンに破壊される以前のバーミヤンの仏跡等がそこにはあります。東松照明が、「アッサラーム・アレイクン」、あなたの上に安らぎがありますようにという現地の挨拶の言葉をつけたこの写真展は全国を巡回しています。今年2月の長崎展を皮切りに、名古屋、豊橋、京都、大垣、千葉と巡回し、今後は大阪、福岡、秋田等数多くの都市で開催される予定です。開催を呼びかけるにあたって、東松は次の文章を寄せています。

 「カブールはまるで月のようだ、何もない。」アフガニスタンの首都に入った国際支援部隊の英国人司令官は、そうつぶやいたという。
 戦争につぐ戦争で廃虚と化したカブール。それらの映像は、テレビや新聞で私も繰り返し見ている。 私がアフガニスタンへ行き写真を撮ったのは1963年である。当時のアフガニスタンは、その後ローマに亡命したサルダール・モハメッド・ザビール・シャーが国王として君臨していた、まことに美しい国であった。
 アフガニスタンは多民族国家。パシュトウン族が多数派で他にハザラ、ウズベク、タジークなどの民族が複雑に入りまじっている。  地形は海のない高原台地で、面積は日本の約1.6倍の広さである。当時の人口は約1500万。しかし、定住地を持たない遊牧民が多いため、正確な数は把握できない。  遊牧の民は、冬は暖かい平地へ、夏は涼しい山地へと移動する。黒ヤギの毛で織ったテントや羊の毛で織ったカーペットなど家財道具いっさいをラクダの背に積み、家畜を追いながら移動する。
 熱砂の国にとって水は命の泉だ。砂漠の中に点在するオアシスに人々が集まり家を建てる。泥を木型に詰めて日干しレンガをつくり、それを積み上げて漆くいを塗るだけの簡単な住まい。レンガ1500個もあば、一軒の家が建つ。定住生活の始まりである。
 定住民は、中世さながらの農村社会を形成していた。農民たちはバザールと呼ばれる露天市場に集まり物々交換する。バザールの機能は品物の売買にとどまらない。人々はここで憩い、情報をも交換する。
 アフガニスタンの女たちは外出するときチャドリ=ブルカと呼ばれている外被で全身を隠すので顔が見えない。ブルカの色は、鼠、茶、緑、白の四色。初潮をみると被るという。この風習は、イスラム教の厳しい戒律によって定められている生活慣行であるが、当時はブルカを嫌って着用しないインテリ女性が増えていた。
 男たちは、おわん型の帽子をかぶり、その周りにターバンを巻き、布端を肩から下に垂らしている。薄いだぶだぶのズボンをはき、膝の下まである長いシャツを着る。敷布のような肩かけは、日本の風呂敷と似て利用範囲が広い。地面に敷けば食卓となり、祈るときは座ぶとんになる。夜は、この布で身体をくるんで寝る。
 空はぬけるように青く澄みわたり、明るすぎる太陽の光が町に溢れていた。アフガニスタンの男たちは陽気で人なつっこい。アゴヒゲのなかで子供のように自然に笑う。道で友と出会う。男と男は手を握りあって挨拶する。「アッサラーム・アレイクン」あなたの上に安らぎがありますように、と男がいう。友が答える「アッサラーム・アレイクン」あなたの上にも安らぎがありますように。二人は肩を抱き合い頬を寄せて長々と挨拶を交す。

 現在、戦火から逃れて四散した難民は約500万人といわれている。それらの人々が廃墟と化したカブールに戻りつつある。しかし、厳寒の冬を越せない人々が実に多いと聞いている。
 必死で生き延びようとしている誇り高き自然の民を支えるため、私にできることはないか。絶望的な無力感に打ちのめされながらも、39年前のカブールとバーミアンの風物とそこで暮らす人々の写真をここに差し出し、アフガニスタンの人々が、一日でも早く、これらの写真にみられる平穏な日々を取り戻すことを願うものである。
また、イベントに谷川俊太郎氏の詩の朗読会、吉増剛造氏の講演会が予定されています(予約制)。
なお、展覧会入場料による収益は全額、中村哲医師の「ペシャワール会」に寄付されます。
東松照明(とうまつ しょうめい)………1930年愛知県名古屋生まれ。1950年愛知大学法経済学部経済学科に入学。この頃より写真を始める。1954年愛知大学卒業。上京し岩波写真文庫のスタッフとなる。1956年岩波を退社。フリーランスとなる。1957年第1回日本写真批評家協会新人賞を受賞。1959年個展「日本シリーズ〈人〉」(富士フォトサロン 東京)、同展で第5回毎日写真賞を受賞。1961年長崎を取材。土門拳との共著「hiroshima-nagasaki document 1961」刊。同書は第5回日本写真批評家協会作家賞受賞。1963年「太陽」誌の取材でアフガニスタンを撮影。1965年多摩芸術学園写真科講師に就任。1966年東京造形大学映像科助教授に就任。1968年日本写真家協会主催「写真100年」展の編纂委員を務める。1974年「New Japanese Photography」展(ニューヨーク近代美術館)に出品。1975年写真集「太陽の鉛筆」(毎日新聞社)刊。同書で日本写真家協会年度賞受賞。1976年「太陽の鉛筆」により毎日芸術賞、芸術選奨文部大臣賞受賞。1981年「いま!! 東松照明の世界」展が全国30カ所を巡回。1985年「Black Sun : The Eyes of Four」(オックスフォード現代美術館他)に出品。1995年紫綬褒章受賞。1998年日本芸術大賞受賞。2001年紺綬褒章受賞。
個展=1962「〈11時02分〉NAGASAKI」 1964「泥の王国・アフガニスタン」(富士フォトサロン 東京)1989「プラスチックス」(パルコギャラリー 東京)1992「SAKURA+PRASTICS」(メトロポリタン美術館 ニューヨーク)1993「ニュー・ワールド・マップ+ゴールデン・マッシュルーム」(INAX 東京)1994「京・桜」(コニカプラザ 東京)1995「戦後日本の光と影」(那覇市民ギャラリー)1996「インターフェイス」(東京国立近代美術館フィルムセンター)1998「日本列島クロニクル―東松照明の50年」(東京都写真美術館)2000「日本列島クロニクル―東松照明の50年」(豊橋市美術博物館)、「長崎マンダラ」(長崎県立美術博物館)2001「八月の光・長崎」(中京大学アートギャラリー)。作品集= 「〈11時02分〉NAGASAKI」(写真同人社)「日本」(写研)「サラーム・アレイコム」(写研)「おお!新宿」(写研)「映像の現代5 戦後派」(中央公論社)「I am a king」(写真評論社)「ソノラマ写真選書12 泥の王国」(朝日ソノラマ)「光る風―沖縄」(集英社)

★麓スペース案内図



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