2004年1月〜の展覧会

弊廊「ときの忘れもの」の2004年1月〜の企画展・常設展のご案内を申し上げます。 

1月の展示
第109回企画展
[ 難波田龍起展 ]

会場………ときの忘れもの 港区南青山3-3-3 青山Cube 1階 Tel:03-3470-2631 
会期………2004年1月9日(金)〜1月24日(土) 12:00〜19:00 日曜・月曜・ 祝日は休廊
概要………戦後美術のさまざまな潮流のなかにあって、一貫して抽象を追求した作家というのはそう多くはありません。ときの忘れものの2004年最初の企画展は、70年以上画家として生き、独自の抽象世界を切り開いた難波田龍起の水彩と版画を出品いたします。
難波田龍起は、少年時代に高村光太郎との偶然の出会いによって、文学そして絵画への道を開かれました。その後、光太郎と一緒に観た展覧会でゴッホの「鰊」を目にして深い感動を覚え、早稲田大学を中退して絵画を志します。戦前は風景画、ギリシャ彫刻、埴輪などをモティーフに詩的な具象絵画を制作しましたが、戦後一気に抽象に転じ、 構成的、幾何学的などの時期を経て、おぼろげに人と風景が混然一体となったようにも見える、連続したモティーフと曲線による生命感あふれる独自の画風を築きました。90歳を過ぎてなお大画面に果敢に取り組み、その生命の切れる最後まで絵筆を置かず、画家としての生涯を全うした難波田が描き出したのは、「生きもの」「生成」といった「生」そのものの形象でした。詩情や情感が込められた透明な色彩や伸びやかにうねる線描から溢れ出てくるそれらは、今なお輝きを放ち、万物の「生」を讃美し続けています。
難波田龍起(なんばた たつおき)………1905年北海道・旭川生まれ。1923年早稲田第一高等学院入学。この年の9月関東大震災、震災直後の夜警当番で高村光太郎の面識を得る。1926年早稲田大学政治経済学部入学。この頃エリザベト・ゴッホ著『回想のゴッホ』を耽読する。1927年高村光太郎と第6回日仏美術展を訪れ、ゴッホ「鰊」を見て感動する。太平洋画研究所で石膏デッサンの勉強を始める。1928年光太郎に川島理一郎を紹介され、川島の主宰する絵画研究会の金曜会に入る。この頃ルドンに傾倒。1929年第4回国画会展に「木立(中野風景)」が初入選。1942年第1回難波田龍起個人展覧会(銀座・青樹画廊)開催。1960年アーサー・フロリーより吉田遠志のアトリエで指導を受け、石版画を制作する。1978年現代版画センターより銅版画集『街と人』『海辺の詩』(各7点組、限定75部)を刊行し、ギャラリーミキモトで発表展を開催、以後全国を巡回する。この頃銅版画を集中して制作する。1982年「形象の詩人 難波田龍起展」が北海道・旭川美術館で開催される。1987年東京国立近代美術館で「今日の作家―難波田龍起展」が開催される。1988年第29回毎日芸術賞を受賞。1994年「難波田龍起展」が世田谷美術館で開催される。1995年ときの忘れものより「難波田龍起銅版画集 古代を想う」(4点組、限定35部)を刊行。1996年文化功労者に選ばれる。1997年逝去。

「青のファンタジー」 1993年
水彩 37.0×53.2cm サイン有

「秋色」 1979年 水彩
23.0×20.5cm サイン有

「恵庭の牧場にて」 1953年
水彩 23.0×26.0cm サイン有

「無題」 1963年頃 リトグラフ
42.0×27.5cm Ed.20
サイン有

「昼と夜」 1978年 銅版カラー
20.0×15.0cm Ed.75 サイン有

「飛翔」 1978年 銅版カラー
28.0×18.0cm Ed.35 サイン有


「麗日」 1978年 水彩
26.9×19.0cm サイン有

「作品」 1978年 水彩
27.3×19.7cm サイン有

「生」 油彩
32.3×51.6cm(M10)  サイン有

「三体像」 油彩 
27.7×22.0cm(F3)  サイン有

「瞑想」 1987年 油彩
61.0×73.0cm(F20)  サイン有

「彫刻のある静物」 1949 油彩 
51.6×64.0cm(F15) サイン有

『都市住宅』再読・植田実の編集現場

会期=2004年1月9日(金)〜19日(月) 10時〜19時
会場=日本建築学会建築博物館・ギャラリー 入場無料
   建築会館建築博物館・ギャラリー 東京都港区芝5-26-20 
   Tel. 090-6575-3670(会期中)
    JR田町駅・都営地下鉄三田駅から徒歩3分

1960年、建築専門誌『建築』のスタッフとして仕事を始めて現在に至る、一編集者の軌跡を展示します。68年鹿島出版会から創刊された『都市住宅』の編集担当時代、また、87年住まいの図書館出版局(賛助・積水ハウス)から創刊された『住まい学大系』の時代を中心とした40年間の、レトロスペクティヴであると同時に現在進行形を見せる「編集現場」です。
ときの忘れもので刊行(中)の、植田さんが企画・編集された磯崎新『栖十二』や、《百二十の見えない都市》も展示されています。


主催=植田 実さんの建築学会賞受賞を祝う会
協力=鹿島出版会、積水ハウス株式会社
会場デザイン=アトリエ・ワン(塚本由晴+貝島桃代)
グラフィックデザイン=山口信博+小柳津久実
模型制作=東京電機大学山本研究室、東北芸術工科大学元倉研究室ほか
「ジョナス・メカス作品展」
  会期/平成16年1月21日(水)〜2月1日(日) 11日間
  会場/須坂版画美術館 展示室2
     長野県須坂市大字野辺1386−8
     ・ 026‐248−6633
  主催/須坂市文化振興事業団(須坂版画美術館)
  後援/須坂市 須坂市教育委員会
  協力/メカス日記の会
      ときの忘れもの
      優秀映画鑑賞推進事業実行委員会
  入場料/500円(上映会及び展示、入館料込)

「ジョナス・メカス映画上映会 〜リトアニアへの旅の追憶〜」
  日時/平成16年1月24日(土) 14:00〜15:30
  会場/須坂版画美術館 展示室
  上映作品/リトアニアへの旅の追憶   監督・撮影:ジョナス・メカス 
        1972年/アメリカ/87分/モノクロ&カラー/16mm
作品内容/1949年、故郷からナチスに追われアメリカに亡命したジョナス・メカス。
言葉も通じないブルックリンで一台の16ミリ・カメラを手にしたメカスは日々の生活を日記のように撮り始めます。27年ぶりに訪れた故郷リトアニアでの母、友人たちとの再会、そして風景。メカスは自在なカメラワークとたおやかな感受性でそれらの全てをみずみずしい映像と言葉で一つの作品にまとめ上げました。この感動的な映像叙事詩はメカス自身の代表作であるばかりでなく、アメリカ・インディペンデント映画の不朽の名作として広く愛され続けています。

  問合せ、連絡先/須坂版画美術館
      長野県須坂市大字野辺1386−8
      ・ 026‐248−6633  Fax 026‐248−6711



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