2006年7月〜の展覧会 弊廊「ときの忘れもの」の2006年7月〜の企画展・常設展のご案内を申し上げます。 ◆第132回企画展 闇を刻む詩人・日和崎尊夫展闇を刻む詩人・日和崎尊夫展 会期=2006年7月21日[金]〜8月5日[土] 12:00―19:00 *日曜・月曜・祝日は休廊 1960年代に彗星のごとくあらわれ、駒井哲郎、池田満寿夫とともに現代版画界のスターとなった日和崎尊夫は、木口木版画の天才作家として五百数十点の作品を遺し、1992年50歳の若さで逝ってしまいました。木を輪切りにして繊維の詰まった堅い面を版にし、刃先の鋭いビュランで彫り込む木口木版技法は18世紀にイギリスで始まり、その精緻な表現が書物の挿画としてさかんに用いられましたが、その後の写真製版にとってかわられ急速に衰微してしまいます。集中力と根気のいるこの技法を独修し現代に蘇らせた<闇を刻む詩人>日和崎尊夫は、詩画集や版画集も多く手がけ、その緻密な線が生み出す凝縮されたイメージは、あたかも闇の淵へと誘い込むような恍惚と不安を暗示しています。 ときの忘れものでは昨秋に続き「闇を刻む詩人 日和崎尊夫展」を開催します。初期の「星と魚のシリーズ」から代表作「KALPA」連作を経て、晩年までの木口木版画30点を出品します。 <日和崎尊夫展>出品リスト 見積り請求(在庫確認)フォーム展示風景 ギャラリートーク 7月29日(土)17時より、田村雅之さん(詩人・砂子屋書房主)と、松山龍雄さん(雑誌「版画芸術」編集顧問)を迎え、ギャラリートークを行ないます。 版画技法の中で最も集中力と根気のいる木口木版画技法を独修し現代に蘇らせた<闇を刻む詩人>日和崎尊夫は数多くの傑作を残し、1992年50歳の若さで逝ってしまいました。酒と詩を愛し生き急いだ生涯をよく知る田村さんらが、日和崎尊夫の世界を語ります。 ※要予約 参加費1,000円(1ドリンク) 参加希望の方は、お名前とお電話番号をご記入の上、ときの忘れものまでご予約ください。 メール info@tokinowasuremono.com Fax 03-3401-1604、Tel 03-3470-2631 「深き淵より−日和崎尊夫展」 原茂(はらしげる)〜<コレクターの声>第二回 ドアを開けると出迎えてくれたのが「Mの肖像」。 ブログ「画廊亭主の徒然なる日々」(7月21日)で紹介された、金子光晴『日本人の悲劇』の表紙を飾った一点である。「いらっしゃい」と作家に(そしてギャラリーに)挨拶されたような気になる。もっとも、その表情がなんとなく、「にこり」ではなく「にやり」であるように見えるのは気のせいか。「そうですか、来ましたか、足元は暗いですよ、奥は深いですよ、先は長いですよ、それでもよろしければ、どうぞ・・・」とのささやきはきっと幻聴に違いない。 そしてその隣が「しゃれこうべ」(正しくは「KALPA−羊歯」です)であるのに気がついて、おいおい、シャレになってないぞとツッコミを入れかけ、その次が「塔」ということではたと膝を打つ。そうだ、そうなのだ、これが日和崎尊夫なのだ、そして、ひとがいきるということ、死ぬということ、そしてなにものかをかを生み出すということはきっとこれ以外にはないのだ、と激しく一人合点をする。 この三点で早くもお腹一杯胸一杯。交通費のモトはとったと大満足である。 次のセクションは「鋼鉄の花」「殖」「花と…(無題)」「暗示」の小品4点が田形に並ぶ。 小さいのに、それでいてずっしりと持ち重りのしそうなのに驚く。密度が濃いというのか比重が大きいというのか、水に浮かべたらあっという間に沈んでしまうんじゃないか、そして二度と浮かび上がって来ないんじゃないかなどと、有りもしない空想に耽ってしまうのは、きっと日和崎の木口空間にすでに取り込まれてしまっているからだろう。 特に「現代版画センター」エディションの2点はその小さな印面の隅々にまでびっしりとしかしまたゆったりと、一つの世界が「満ちている」感じがたまらなく魅力的である。これには版元の力もあずかって大きいであろう。作家と版元とがしっかりとタッグを組んだ時のビッグ・バンとも言うべき巨大なエネルギーに降参である。エディションが2500であるとか、サインが刷り込みであるとかは、作品自体の素晴らしさの前にはまったく関係のないことが実に良く分かる。まぎれもない傑作である。 その次に版画集「薔薇刑」から10点が二段掛け。これまでの黒い印面とはうって変わった白い印面にほっと一息。驚くべきはその状態の良さ。シミもヤケもクスミもないその印面は艶めかしささえ感じさせ思わず頬擦りしたくなるほど(ってそれでは変態だ)である。これは絶対のお値打ち品。 その対面には蔵書票から始まって小サイズの作品が8点。それぞれに魅力的な世界(というよりは宇宙)を現出させている。どれもが紛れもなく日和崎尊夫の世界でありながら、どれをとっても「あれとおんなじ」という印象を抱かせない。一つ一つが確固とした独自性と唯一性を保っている。その意味で日和崎尊夫の一つ一つの作品は大きな日和崎世界の一部なのではなく、それぞれが一つの完全な日和崎世界なのである。日和崎は作品ごとに一つの宇宙を創造したのだ。 奥では初期の傑作「星と魚のシリーズ−No.3」「仮面−B」を含む、代表作「KALPA」シリーズが圧倒的な存在感を示している。テーブルに鎮座まします詩画集『FRESIMA』『緑の導火線』も畏れ多い。このあたりになると、もはや素人の「小コレクター」の手には負えないので、展評(というよりこちらのは単なる感想記)はどなたかにバトンタッチを切望することしきりである。 それではそろそろ、と扉に向かうとその脇に「海球」。ちょっと嬉しくまた誇らしい気持ちになる。以前、「ときの忘れもの」のヤフーオークションで落札した作品。その誇らしさのかなりの部分が「73,500円」という価格にあるのが情けないがまた偽らざる本音でもある。 たぶんあのときはこの3分の1ぐらいの価格で落札したはず。2003年の夏のことだから、それからわずか3年でということになる。きっと今回の展示も昨年の展示と同様、数年経たずして「あのころはね…」と語られことになるのであろう。 これは急がなければならない。帰りに池袋のホープセンターでサマージャンボを10枚連番で買うことを固く決意する私であった。 「静かの海に咲く花の・・・・日和崎尊夫展」 中村惠一〜<コレクターの声>第三回 最初は女性が普通にこちらを向いているアップ。でも息を吐くと大きな泡があらわれる。それによって女性のまわりを実は「水」が満たしていたのがわかる。最近見たテレビCMの中でとても印象に残ったものだ。一体何のコマーシャルだったのだろう、それ自体は覚えていないのに、我慢できずについに水の中で息を吐き出すシーンは忘れることができない。この一見、トリックのような映像に日和崎尊夫の一連の木口木版画をかさねてイメージしていた。 私にとって日和崎作品のイメージは「海」である。同じ木口木版であっても柄澤齊の作品には「宇宙」とか「空中」とかを感じるので、海のイメージは木口木版が根源的に内包しているものではなく、日和崎が抱えているイメージなのだろう。日和崎の作品を見る時、たとえモチーフが花であったとしても周囲に水を、海を感じていた。 今回の日和崎尊夫展で、久しぶりに彼の作品をまとめて見たように思う。私が日和崎の作品を見ていたのは80年代前半、場所は札幌と東京と半々くらいだったろうか。その多くはギャラリーに飾られた木口木版作品としてみたが、ごく一部は雑誌などの扉作品や本の装丁などの印刷物としても見ていた。このたびの展覧会では「旧友」に久しぶりに再会したような懐かしく、楽しい気分になった。 同じ木版画なのに、板目木版と木口木版とはまったく異なる世界を出現させる。板目木版の場合、正目を使う。自然木でいえば、もっとも成長の早い伸びしろの大きな部分が正目である。正目はともかくのびのびしている。木の状態では垂直になっているものを版画では水平において使う。一方、木口木版の場合、もっとも成長が遅く、伸びしろのないのが木口である。したがって硬い。木のなかの「おしん面」なのである。ともかく苦労している。立ったままの木を水平にカットして、そのまま版画の面として使うのが木口木版である。だから自然の摂理から考えると倒錯がない。もっとも自然な状態なのである。日和崎は特に椿を版木に使った。木口で切断された椿には時に割れもあったが、その割れも作品の一部として使う度量が日和崎にはあったし、黄楊ほどには硬くない椿の切断面をきれいに金属でいえば鏡面に磨きあげる作業を惜しまなかった。木口が苦労している「おしん面」であるなら、これを使う版画家も下準備に徹底して苦労する。この工程なくして木口木版作品の深さはでない。この磨きあげた面に黒いインクをのせて刷ると漆黒の闇がプリントされる。それは深い深い闇であるが、日和崎の闇は、私にとって果てしない海である。 銅版画つまりエングレービングの場合、光る金属面をさらに刃物で削る。すると、さらに輝く面が光をはじく。目に痛いほどである。だが、これを刷る場合、インクは輝く溝に入り込み、黒い刻み線としてプリントされる。左右の逆転とともにネガとポジの転換が生じる。木口木版の場合、左右逆転はあってもポジはポジのままである。硬くそして滑らかに磨かれた面に黒い海を孕ませ、刻んだ一本一本の線が光となって輝き始める。聖書には「はじめに光あれ」という言葉があり、世界のはじまりの前に光が生まれたということであるが、光がうまれるためには闇が必要であり、日和崎はまさにこの世界の生成を小さな木口という版木の上に形成していった。そして、その小さな宇宙は無音の海であり、海には生命のはじまりや生命の終わりが潜んでいる。日和崎は彼の代表作を『KALPA』と名付けている。KALPAとは古代インドの時間の永遠さを表す言葉。天女が百年に一度降りてきて羽衣でこする、これを繰り返して7km四方の石がなくなる時間というのだから無限ということだろう。生命の誕生からはじまる命をつなぐ無限の時間を日和崎は感じていたのかもしれないと思った。 2006.8.3. (なかむらけいいち) 「光の触感/日和崎尊夫展」木下知威〜<コレクターの声>番外編 柄澤齊さんなど親しい人たちは「ヒワさん」と呼んでいたそうだけれど、日和崎尊夫のちいさな展覧会に出かける。ギャラリーに入るといくつかの額縁がみえて、中心に黒いものがうごめいているのが、日和崎さんに対する印象なのだけどちょっと踏み入れようとすると、うごめいているものの正体は光の痕だった。ビュランによって、というよりも日和崎さんのそのものの生きた痕に感じられるのは、柄澤さんによる日和崎さんの弔辞を読んだからなのかもしれない。 相当荒れた生活をしていた時期もあったらしい。とにかく酒をくらって暴れていたとか。こないだの柄澤さんの展覧会でもみえていたシロタ画廊の白田さんが他のどんな芸術家よりも日和崎さんが印象に残るといっていた。柄澤さんが日和崎さんと飲んだあと、サッカーボールをみつけるとひたすらそれを蹴りつづけていて、すなわち日和崎さんは木版のうえで光を蹴り続けていたという文章。 冒頭に展示されていたのは海景で、浜からみた海のかたち。波がこちらにむかってうねっていて、巨大な太陽が海から出てきたほどに海岸線ぎりぎりに燃えさかっている。これがギャラリー「ときの忘れもの」の構成かい。ちょっとニヤリとする。波はとても優しく、そして荒い波が光の線で彫られている。夏という季節を意識したというのもあるのだろうか。隣に蔵書票4点ほど。すでに人名が彫られていて、植物と「EX-LIBRIS」のフォントが構成されている内容でしっくり落ち着いている。 「炎」「蝶」「焔」の作品は、日和崎さんの火に対する表現が印象に残る。紙そのものが燃えている。彫りのあとから平刀をつかっていると思うのだが、焔の中心が白く徹底的に彫られていて、まわりに徐々に黒がのこっていく感じでの焔の表現なのだけど、刀は平刀であるにもかかわらず、刀先がカーブしていて、しかもそれが微妙に濃淡がグラデーションする彫り跡を残している効果がそのまま焔と直結している。さらにインクをとおしてかすかに椿の木肌がみえ、生命が感じられる。ぼくには木肌がみえるけれど、他の人はどうだろう。意見をうかがってみたい。この焔は、摺られている紙すら燃やしてしまいそうだ。 「蝶」「薔薇刑」などは植物質の人物、昆虫だとおもう。現実の科学的にはありえない存在が紙の先にいるのをみると、中世の版画で博物誌的な記録的な版画たとえば、ユニコーンや巨人を思い出す。人物は同じ人間のかたちをしているにもかかわらず、肉体を構成している細胞が僕たちのそれとまったく違っていて不思議な感じ。薔薇が肉体から生えているようにみえるからなのかもしれない。「寓意」の目、手の神秘的な中世敦煌の壁画のような。。 KALPAは三点ほどですでに367500円の値段がつけられている。この値段はお得かもしれない。みつめていると、木の年輪をなぞったかのようだ。裂けている版木を使っているところもあって、そこを見つめると、黒がめり込んでいる!紙の白い部分よりもインクの黒い部分が低くなっているのだ。とてもやわらかく厚みのある紙を使っているんだろう。うおおおお、と叫びながらインクを紙に刻む印象。だから、白い点々がひとつひとつ浮いて見えて、止まっているはずの白い独立した部分が浮遊しているように見える。光を生かすためには、闇をきちっと描くということだ。そして、ビュランは長い線、短い線、かすり線、深い線、浅い線、おのおのの線がまるで日和崎と椿の木が一体化するかのような印象がする。それに、目で日和崎の光をなぞると、手で版画にふれたような凹凸の感覚 ー 光と闇に触れている感覚が目で再現されてくる。 ギャラリー「ときの忘れもの」にある写真にはギャラリーの主が日和崎のスタジオに訪れていた写真があった。高知県なんだろう。みると、木に囲まれたプレハブのような小屋で、お世辞にも豪華とはいえない。ボロである。カレンダーは1991年のまま(日和崎は1992年に亡くなっている)で、どっかの店からもらったもので店名が印刷されているものが無造作に置かれていた。机にはビュランがごろごろしていて、インクの黒いあとがたくさん水しぶきのようについている。窓からは木も見えるしどこか遠い風景が見えるから丘の上みたいなところにあるのだろう。机の上に木の板がたてかけていて、フックがいくつもあってはさみとか道具がぶら下げてあった。梁には酒があって、彼の俳句が窓の横に貼られている。蝉の俳句。版木は棚に積み重ねられている。自宅の写真もあってこちらは普通なんだけど、アトリエと自宅を別にしていたんだろう。夜になるときっととても暗いだろう。こういう部屋で作品をつくっていたのか。 日和崎さんに関する本を読むと、版木は椿を使っていたらしい。椿を切るときは自分で切るべきだったとか(そのあたり情報は正確ではないかもしれない)・・酒を椿の根本にかけて「傑作を彫りますきに勘弁してください」と椿に向かって言ったと柄澤さんが述懐している。 日和崎のは他の版画家と全く違う世界。版画というのは、一回彫った線をやりなおすことはできない。一本の線が版画そのものを壊してしまうこともある。だけど、日和崎さんの線は、そんなことではない・・・版画ではないとも思う。木の模様 ー 木とコミュニケーションしながら、木の意識を取り出そうとするということを栃木県立美術館の学芸員さんが書いていて、いい表現だと思うけど僕は、木に向かって行った、木に自分を突き立てたいという衝動がとてもする。というのは、1995年にあった日和崎尊夫展でのカタログの一枚目にはKALPAの版木の写真があるのだけど、これがびっしりと版木全体に深くえぐったあとがあって、版木が木であることすらわからないほどだということがとても印象深かったから。この展覧会のタイトルは「闇を刻む詩人」とあったけれど、版木の写真をみると光というニュアンスが結構するけどね。光を版木に叩きつけている。 最後、ガンにかかった日和崎さんは病巣の声帯をとられ、話す事もできなくなっていたらしい。もう少し生きていたら、とも思う。声が出せない版画家がどのような作品を生むのか、つまり、柄澤さんは日和崎さんの作品を原始人が壁画に刻んだような感じだとおっしゃっていたけど、その言語としての音声を身につけていなかったであろう原始人と日和崎さんを重ねてしまう。 日和崎さんの弔辞で、海は深いほうがいい、空は近いよりは宇宙の先のようなはるかに遠いほうがいい、という言葉が紹介されていて、やっぱり僕は聞こえない身体をもっている人間として、聞こえないというまったく無音でカーンと凝固している地平線の先にいきたいなと改めて強く思う。なにかとても音楽的な、きわめてリズミカルな、とてもあでやかなものに出会えるかもしれないのだ。 こんなことを書いていると、あの世から日和崎さんが飛んできて「こらァ!わかったようなことをふくな、このおんどりゃア!」と蹴りかかられそうだ。 (きのしたともたけ) *COETZER'222の連載コラム(2006年7月27日付)より、筆者の了解を得て転載させていただきました。 http://roo.to/sourd/ *7月21日〜8月5日の会期で開催した「闇を刻む詩人 日和崎尊夫展」にはたくさんのお客さんにご来場いただいた。直接感想を述べていかれる方や、MIXIやブログでご自身の思いを書かれている方も少なくない。最近の検索エンジンは瞬時にそれらを教えてくれる。 上記の木下知威さんの文章も、偶然検索で見つけたものだが、若い男性の率直な物言いが好ましく、早速転載をお願いした次第です。 快く許可して下さった木下さんに感謝します。 【TOP PAGE】 |