2008年2月〜の展覧会 弊廊「ときの忘れもの」の2008年2月〜の企画展・常設展のご案内を申し上げます。 ◆第154回企画展 ハンス・ベルメール版画展会期=2008年2月29日[金]―3月8日[土]12:00-19:00 *日・月・祝日休廊 ハンス・ベルメールは、人形作家、写真家そして画家・版画家といういくつもの面を持っていますが、彼の制作した球体人形とその写真は、のちの人形作家にはかりしれない影響を与え続けています。その隠微なエロティシズムは、バタイユらへの挿絵の提供を端緒として、後年版画という形で昇華していき、多くの版画作品を残しました。今回の展示では、1961年に制作された版画集『サドに』(銅版10点組)と1968年の版画集『道徳小論』(銅版10点組)から計20点の銅版作品をご紹介します ■ハンス・ベルメール(Hans BELLMER) 1902年ポーランド(当時はドイツ領)のカトヴィツェ生まれ。1923年ベルリン工科大学に入学するが、ダダイストのジョージ・グロスらとの交遊が始まり大学を中退。出版社の植字工見習いとして働き始め、小説の表紙や挿絵を手がける。1926年カールスホルストにデザイン事務所を開く。1932年ベルリンにて.ホフマン原作のオペラ『ホフマン物語』を観劇、その中に登場した自動人形オリンピアが彼に影響を与えたといわれる。翌年、最初の人形を制作し、1934年写真集『人形』を自費出版で刊行。パリのシュルレアリストの賞賛を受け、シュルレアリスム機関誌『ミノトール』の表紙を飾る。1935年パリにてシュルレアリスム・グループ展へデッサンを出品。同年、ベルリンのカイザー・フリードリヒ美術館にて展示されていた16世紀のドイツの球体関節を持った木製の人形からインスピレーションを得て球体関節人形を制作。1936年 『人形』フランス語版を刊行。ロンドンやニューヨークなど多くのシュルレアリスム展へ出品。1938年ナチスを逃れパリへ移住。マルセル・デュシャンやマックス・エルンストらと出会う。1939年第二次世界大戦が勃発し、ドイツ国籍のためマックス・エルンストと共に南仏の収容所に抑留される。翌40年解放され南仏カストルにとどまる。1946年ジョルジュ・バタイユの小説『眼球譚』の銅版画による挿画に取りかかり、翌年刊行。1947年パリにてはじめての個展。1949年 ポール・エリュアールの詩とベルメールの写真から成る『人形の遊び』刊 行。1954年女流作家ウニカ・チュルンとパリで同棲生活に入る。1957年著書『イマージュの解剖学』刊行。1958年 ウニカをモデルとした緊縛写真を撮影。1961年銅版画集『サドに』刊行。1965年 ジョルジュ・バタイユ『マダム・エドワルダ』の挿画を手がける。1968年銅版画集『道徳小論』刊行。1971年パリの国立現代美術センター(CNAC)で大規模な回顧展。1975年没。パリ・シカゴ・ジュネーヴにてベルメール展開催。1983年ポンピドゥーセンターにて回顧展開催。 見積り請求(在庫確認)フォーム展覧会風景 【TOP PAGE】 Copyright(c)2008 TOKI-NO-WASUREMONO/WATANUKI INC. All rights reserved. |