肩書きというものがないコレクターにとって、名刺の代わりになるのが「○○を持ってます」という自己紹介です。もっとも、コレクターにとって(予算月三万円の小コレクターにとってはなおのこと)コレクションは自分の分身みたいなもので、そこに自分の趣味だとか嗜好だとか志向だとか指向だとか(はい、中身は全部同じです)経済状態だとか、言うならばあまり人には知られたくないものがマル出しとモロ出しなので、スタッド・ポーカーよろしく、相手の顔と手をうかがいながらの心理戦(?)となります。
そんな中で、かなりの確率で相手のガードを崩し、あたりの雰囲気を和ませ、「やるな」と思わせることのできる作品が「植田正治」作品です。(私の場合にはアジェの「オー・ド・ロベック街の扉」、ベロックの「ストーリービル・ポートレイト」から「籐椅子に横たわる裸婦」、そして、植田正治「黄昏れる頃」から「B(スコアボード)」で、この三枚(というか3人)で「スリーカード」という感じでした。)
いずれも石原和子さんの「イル・テンポ」で求めた(というよりは「譲って頂いた」という感じでしたが)ものですが、予算月3万円の小コレクターがそれなりに大きな顔をして話をさせていただいたり文章を書かせていただいているのも、「僕はこんな写真を買ってきた」と胸を張って言えるこうした作品があったからだと思っています。
すでにお気づきの方がいるかも知れませんが、今回の「植田正治展」の展示作品の中で「12 、昏れる頃 3、Gelatin Silver Print、14.5x22.3、サインあり、1,050,000円」とあるのは、2008年06月22日06:56に「掲示版」に投稿させていただき、その後「コレクターの声」に転載させていただいている「月3万円で写真を手に入れる(1)」の中に登場する「植田正治『「黄昏れる頃から『B(スコアボード)』です。
「昏れる頃 3」
1974年 ゼラチンシルバープリント
14.5×22.3cm サインあり
ご亭主と三浦さんに「出品しませんか」とお誘いを受け、思い切って「嫁/婿に出す」(これがクラシックカメラのコレクターなら「放流する」と言うのでしょうか)ことにしました。別に債務不履行(Defoult)に陥ったわけでも離婚(Devorce)したわけでも死んだ(Death)わけでもありません。(ちなみにこの3つが3Dと言われてコレクションが処分される三大理由だとどこかで聞いたような気がします。もう一つぐらい理由があって4Dだったかも知れないのですが、あまり縁起のよいものではないので記憶が定かではありません)。もっとも、購入した時には小学生だった息子と娘が今や大学生と高校生というわけで、日々のしかかる学費の重圧に耐えきれず・・・という面があることも否めないのですが(泣)。それよりも何よりも、自分の目が正しかったか間違いだったかを見極めるための「延長戦」を戦う機会が与えられたような思いで、「はい」と返事をしてしまったという具合です。
なぜこれが「延長戦」なのかは、先にご紹介した窓社の写真雑誌「PhotoPre」No.5(2003年10月)に掲載させていただいた「写真を買うということ」の第4話「スコアボード」を読んでいただければ一目瞭然なのですが、「自分の目を信じて自分の好きなものを買う以外にはない」と決意して、「展示されていたこれぞ植田という作品には『ちょっと』と抵抗し」て、「一見らしくないというか、演出が見えないにもかかわらず、私たちの隣りに異世界への通路を一気に開いてしまう植田魔術を目の当たりにさせられる一枚」ということで、「どうしてこれなの」という周囲の怪訝な表情にも負けずに選んだものの、「2000年7月4日、植田正治氏死去の報に、思わず『しまった』と声を発して慌てて口に手を当て」るような不届きな姿をさらして、「やはり代表作にするんだったと悔しが」ったという「情けなくも見苦しい」経緯があるからです。それが、「みんなが欲しがるモノが欲しいけどみんなと同じモノはイヤだというしょうもなくひねくれた自意識の産物だった」のか、それとも「しょうもなくひねくれてはいるもののやはりそれはそれで一つの美意識の産物だった」のか、ここで世に問うて見たい! という小コレクターの「魂の叫び」です。
すでに購入時価格が「税別20万円」とバレてしまっているので、この価格は私からすれば実に申し訳ないような価格(でもこれならこれまでギャラリー通いを冷たい目で見ていた家庭内同居人にも胸を張ることができます。「どんな銀行に預けるより、どんな金融商品を買うより高利回りじゃないかッ!」)なのですが、1974年1月から12月まで「アサヒカメラ」誌に12回にわたって連載されたかの伝説(!)の「植田正治写真作法」(ギャラリートークで素晴らしい話をして下さった金子隆一先生が編集された『植田正治 私の写真作法 』(TBSブリタニカ、2000年)に収められています)の中に登場した一枚で、実際に使用された写真原稿そのものであり、余白に写真家のサイン、裏に「黄昏れる頃−B」とタイトルの記載があり、「ツアィト」の姉妹ギャラリー「イル・テンポ」での個展に際して販売され、「ときの忘れもの」での「植田正治写真展−砂丘劇場」で展示された、ヴィンテージプリント! ということからすれば、決して法外な価格ではなく、むしろバーゲンと言ってよいのではないでしょうか? もっとも、「原茂旧蔵」というのが大きな汚点であるということからすれば「高すぎる」ということにもなるのでしょうが、そこはそれ、新しい所有者の名前で上書きしていただいて、更に価値を高めて頂くということでどうでしょうか。ううむ。この辺は当事者なのでどうも歯切れが悪い(苦笑)。私なら絶対買うのに(当たり前だ)。
あと私なら、サインがないため(まさに不当に)安くなっているNo.15の「シリーズ『童暦』より」は借金してでも買いたい一枚です、なんといっても代表作にして人気作、著作権継承者である和子さんのサインを入れて頂くことだってできるでしょうし、「ときの忘れもの」のスタンプだって押してもらえるでしょうから、「サインなし」というのはあくまで「作家の」サインがないと言うだけで、「出所不明の」ということでは決してありません。かのダイアン・アーバスのプリントも、そのほとんどが、お嬢さんのドゥーンさんのサインによって裏書きれています。なにより細江英公とジョナス・メカスのギャラリーである「『ときの忘れもの』が売った」ということがこれ以上ない裏書きのはずです。
お金さえあるなら、欲しい作品は他にもあります。文字通りの代表作「パパとママと子供たち」が買える機会はおそらくもうこないでしょうし(あるとしても外国のオークションとかで、そうなると確実に0が一つ増えるでしょう)、No.14の「 砂丘人物」、 No.2と3の「妻のいる砂丘風景(III)」のトリミング違いは、金子先生がおっしゃっていたように、「写真する」「写真で遊ぶ」植田正治の面目躍如の作品です(No.2と3ならぜひとも2枚まとめてコレクションしたいところで)。「砂丘モード」はこれからますます世界的に人気が高くなっていくはずですし、「砂丘ヌード」をこれだけまとめて見る機会はもうないかもしれません。つまり全部欲しい・・・。
と言うわけで、みなさま、作品のほとんどが納まるべき所に納まってしまい、ここ10年ギャラリーでは展示のなかった植田作品をぜひ間近でご覧ください。これからは美術館でしか見ることができないかもしれない、まして買うことは(たとえお金があっても)できないかもしれない植田作品をどうぞその手に(ってセールストーク?)。