◆野口琢郎展 会期=2012年10月5日[金]―10月13日[土] 12:00-19:00 ※会期中無休 家業である京都西陣の箔屋に代々伝わる伝統的な引箔制作の技法を用いながら、漆と箔を駆使した新たな美術表現に取り組む野口琢郎。様々な風景の断片をコラージュするように制作する「Landscape」シリーズや、海と空、夜明けや星空などの風景を題材に、希望の光を感じられる「美しさ」を作品に表現している。今回は新作を含む約15点をご覧いただきます。 ●イベントのご案内 10月5日(金)17時より作家を囲みオープニングを開催します。是非ご参加ください。 《作家自己紹介》 「野口琢郎の箔画とは」 箔画という技法名は自ら名付けたものであり、家業として代々受け継がれてきた京都の西陣織に使われる引箔製造の技法を独自に応用したものです。 ベースは木パネル、そこへ漆を塗り重ね滑らかで光沢のある下地を作ります。 そしてまた漆を塗り、漆の粘着力によって金、銀、プラチナ箔、石炭を接着し、様々なイメージを表現しています。 青や赤、灰色の色部分は銀の焼箔と呼び、銀箔を硫黄と熱によって化学変化(硫化)させたもので、電気コテと硫黄を使い、硫化による色の変化をコントロールする場合と、始めから青や赤色に硫化させてある箔を金沢から仕入れ、部分によって押し分ける場合とがあります。 炭は石臼でひき、網で粒を揃え粉末にしたものを用いています。 2011年までは画面上に絵具類は一切使用していなかったのですが、2012年春から部分的に箔の上からアクリルの透明色を塗るようにもなり、表現の幅を広げつつあります。 箔画最大の魅力は、画面全体に箔が施されている為に、観る角度、光源の強弱や方向によって輝きが変化する所にあり、谷崎潤一郎の「陰翳礼讃」の中に、金箔の魅力について書かれている箇所がありますので引用致します。 「諸君はまたそう云う大きな建物の、奥の奥の部屋へ行くと、もう全く外の光りが届かなくなった暗がりの中にある金襖や金屏風が、幾間を隔てた遠い遠い庭の明りの穂先を捉えて、ぽうっと夢のように照り返しているのを見たことはないか。 その照り返しは、夕暮れの地平線のように、あたりの闇へ実に弱々しい金色の明りを投げているのであるが、私は黄金というものがあれほど沈痛な美しさを見せる時はないと思う。 そして、その前を通り過ぎながら幾度も振り返って見直す事があるが、正面から側面の方へ歩を移すに随って、金地の紙の表面がゆっくりと大きく底光りする。 決してちらちらと忙しい瞬きをせず、巨人が顔色を変えるように、きらり、と、長い間を置いて光る。 時とすると、たった今まで眠ったような鈍い反射をしていた梨地の金が、側面へ廻ると、燃えるように輝いているのを発見して、こんなに暗い所でどうしてこれだけの光線を集める事ができたのかと、不思議に思う。」
「表現したいことについて」 風景を元にイメージした作品が多く、代表的な作品としてはまず「Landscape」というシリーズがあり、空から見た風景や、様々な風景の断片をコラージュするように表現しています。 また、水平線や地平線、海と空、夜明けや星空といった風景を具象的に表現した作品も多く、どこか希望の光を感じられるようなイメージを表現しています。 そしてすべての作品に共通して表現したいことは「美しさ」であり、人々が精神を病みやすいこの時代に、本当の美しい作品を作り、観て頂いた方に癒しや安らぎ、生きる勇気を感じて頂きたい、それが私が作家として、すべき事、続けていきたい事だと思っています。 脳科学的にも、人間が美しい風景や芸術作品を観た時に「美しい」と感じる脳の部位の活動が低下すると鬱病になるという研究成果もあり、ならば美しいものを観る事は鬱病の予防やリハビリ、精神の健康を維持する為にとても大切な事だと思われます。 人の為、誰かの為、それは作家のコンセプト、自発的な表現といえるのか、疑問に思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、生きとし生けるものの母に創られたこの美しい世界を題材に、自らの父から教わった技術をもって美を描き、光を描く。 それが野口琢郎という人間がこの世に生きるという存在価値であり、紛れも無い自己表現であります。 光によって輝きの変化する箔画の本当の魅力は画像では伝わりにくいもの。ぜひ画廊にて現物の箔画をご高覧くださいませ。
《野口琢郎展によせて》 「文句なく世界一」石鍋博子 「満足した豚であるより、不満足な人間であるほうがよい。満足した愚者であるより、不満足なソクラテスであるほうがよい。その愚者がもし異を唱えたとしても、それは愚者が 自分の側のことしか知らないにすぎない」
私の解釈が間違っているかもしれないが、日本の工芸作品が、現代アートとして世界的な評価を受けない理由は、上記の有名な一説で説明できるのではないだろうか。つまり、外国の人にはいわゆる日本の完成度の高い工芸作品はできないのだ。自分達にできないことは、初めからその分野は存在しない。つまり正当な評価は存在しない。残念ながら、現代アートのルールが西洋でつくられている現実では、これは仕方のないことである。野口さんの作品も、いわゆる現代アートを扱うギャラリーからは、コンセプトがないとのことで散々ケチをつけられたそうだが、私は敢えて言いたい。「彼の作品は世界一だ」と。この作品は彼以外には制作できない。技法的にも、美の完成度からしても。古都京都に生まれ育ち、老舗の箔屋の息子だからこそ可能な技。 単なる目先の美ではなく、恒久の美をめざし続ける彼の作品は、伝統工芸とか現代美術とかの狭い枠では評価できない高い次元の美を感じさせる。 「本当に美しいものは、人に生きる勇気を与える」彼の言葉が印象的だ。
■野口琢郎 Takuro NOGUCHI 1975年京都府生まれ。1997年京都造形芸術大学洋画科卒業。2000年長崎市にて写真家・東松照明の助手に就く。2001年京都西陣の生家に戻り、家業である箔屋野口の五代目を継ぐため修行に入る。その後も精力的に創作活動を続け、2004年の初個展以来毎年個展を開催している。 <野口琢郎展>出品リスト 2012.10.5[Fri] - 10.13[Sat]
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