◆GUTAI 具体 Gコレクションより 会期=2013年3月15日[金]―3月30日[土] 12:00-19:00 ※会期中無休 企画・監修=石山修武 1954年に関西在住の若手作家を中心に結成された「具体」。 1950年代にはまだパフォーマンスやインスタレーションといった表現が新奇の眼で見られるだけで、美術作品としての評価はなかなかされにくい時代でした。 しかし近年では国際的にも注目をあび、1950〜70年代の日本のアートを再評価し検証する動きが活発です。2013年2月からはニューヨークのグッゲンハイム美術館で「GUTAI」展も開催されます。 本展では、「具体」のリーダーとして日本の前衛美術を牽引した吉原治良、天井から吊るした綱にぶら下がりながら足で絵を描く白髪一雄など、当時の最先端アーティストたちのパワフルな活動が俯瞰できるGコレクションから選ばれた約15点をご覧いただきます。 出品作家:白髪一雄、吉原治良、松谷武判、上前智祐、堀尾貞治、高ア元尚、鷲見康夫、他 ●イベントのご案内 3月16日(土)17時より、石山修武さんと河ア晃一さんによるギャラリートークを開催します(要予約/参加費1,000円)。 ※ギャラリートークは定員に達したため予約を締め切りました。ギャラリートーク中は予約者以外の方はご入場できませんので、予めご了承ください。 同日19時より、石山修武さんと河ア晃一さんを囲み懇親会を開催します。どなたでもご参加いただけますので、是非お越しください。 ■河ア晃一 Koichi KAWASAKI 1952年、兵庫県芦屋市生まれ。甲南大学経済学部卒業。卒業後、染色家中野光雄氏に師事、80年から毎年植物染料で染めた布によるオブジェを発表。87 年第4回吉原治良賞美術コンクール展優秀賞、第18回現代日本美術展大原美術館賞、88年アート・ナウ'88出品、93年兵庫県芸術奨励賞。 資生堂ギャラリー(95年)、中京大学ギャラリー(98年)INAXギャラリー(99年)などで個展を開催。また、一方で、75年から『画・論長谷川三郎』の編集、甲南学園長谷川三郎ギャラリーの開設準備に携わる。 89年に芦屋市立美術博物館準備室に勤務。90年同館学芸課長。館の運営、企画に携わり、「小出楢重と芦屋展」「吉原治良展」「具体展」「阪神間モダニズム展」「震災と表現展」などを企画した。 93年にはベネチアビエンナーレ「東洋への道」の具体の野外展再現、99年パリジュドポムの「具体展」など海外での具体の紹介に協力。 03年芦屋市の財政難による美術館事業縮小により退職。06年よりは兵庫県立美術館に勤務されました。 具体派Gコレクションの企画について 2013年2月 石山修武 Gコレクションと、ときの忘れものギャラリーを結びつけたのは、2002年に姿を消した毎日新聞記者、佐藤健であった。名物記者であり数々の業績を残した。ときの忘れものの主宰者、綿貫不二夫さんは元毎日新聞の経歴の持主だ。佐藤が自身の死を覚悟しての最後の旅、シルクロードへはわたくしも同行した。自業自得大明王の戒名の位牌を彼は鳴沙山の砂漠で自慢した。その戒名の実現に努力した僧侶が馬場昭道であった。僧侶の知合いにGコレクションのオーナーが居た。それで今度の具体派Gコレクション展が実現した。戒名の方はいかがなんでも明王の上に大をつけるのは問題であろうと大向こうから諭されて、プライベートな位牌だけが、今、佐藤の書庫であった酔庵にひっそりと在る。2013年春にはニューヨークのグッゲンハイム美術館で具体派の大展覧会が開催されるが、わたくしが佐藤との縁やらもあり企画監修することになったこのGコレクション展は、その日本での小さくとも同時開催展になり得るように考えた。これも又、仏教的神道的儒教的混沌としたカオスのなかの縁、すなわち極細の蜘蛛の糸としか言えぬ人間関係により、具体派の芸術家たちとはお目にかかることができた。四角四面の重箱づくりの建築稼業のなかに大半は身を置くわたくしにとっては、皆さん、眼が点ならぬミクロコスモスになりっ放しの怪人ばかりであった。東京を拠点とした同時期の実験工房の山口勝弘先生には色々と教示を受けてきたが、彼等の律儀で合理性を帯びさせようとした創作方法とは真反対な、それこそ良く言えば自由、悪く言えば出鱈目振りは実にまぶしいばかりの輝きを持つようではあったが、あんまり良いと言いつのれば、わたくしの四角四面の職業柄おもわしくないことも起きそうで、ひた隠しにしてきた。 が、しかし、どうしてこんなに真っ当で自由で、それこそ芸術らしいのだろうとは思い続けてきたのである。 1970年の大阪万博の、お祭り広場と岡本太郎の太陽の塔の実現は、日本の現代美術にとってひとつの画期であった。このお祭り広場の主役であるべきであった民衆の祭りは影も形も、結局見せようとはしなかった。有り体に言えば磯崎新の最初の挫折であったのだが、磯崎は当時、大阪の具体の連中に対して、あの広場で暴れろとアジッたと聞く。よくよく調べてみたら、太郎の太陽の塔のモデルらしきの、磯崎の六体の百メートルほどの着せ替え人形ロボットのスケッチも残っている。国籍不明のカーニバルもどきがイメージされていた可能性がある。予算やら何やらの不自由もあり具体派の連中の具体祭りも、彼等本来の破天荒振りも充分表現されるに至らなかた。 歴史にもしもは禁句だけれど、芸術は特に現代芸術はそのもしもの本来は連続であろう。もしもあの六体の着せ替えカーニバルロボットがうごめき、もしも具体派の大カーニバル、白髪一雄の空中ブランコ群が実現していたらと、呵々大笑の白昼夢さえ出現する。 あまり大言壮語は小さなときの忘れものギャラリーには納まり切らぬであろうが、その白昼夢のカケラは少なくとも皆さんは感得されるだろう。3.11の津波、原発事故の後には何も無いとは言いたくないだろう。 ひとときならぬ異形の断片を楽しんでいただきたい。おそらくニューヨークでもWTC崩壊のキノコ雲の後の虚無に芸術の本来の可能性の在り方が示されてもいる。
<GUTAI 具体 Gコレクションより>出品リスト 2013.3.15[Fri] - 3.30[Sat] ※Gコレクション
※以下の作品はときの忘れものコレクションです
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