|
昨年12月末に飛んで来るはずだった大鴉、寒いから、という単純な理由で来てくれませんでした。残された我々、心機一転、桜の季節に花鳥風月を愛で、それらの間に交わされる「愛」を垣間見たいと思います。ときに可憐、ときに残酷な愛の姿は、たとえそれが死に至ろうとも「いのち」そのものを告げ知らせるのです。
誰に知られるでもなく、ひっそりと野に咲いていた菫の憧れたのは羊飼いの少女。ああ、15分でいいから彼女の胸に・・と願う菫でしたが、陽気な娘は歌い乍ら野を駆け巡り飛び跳ねる。菫のことなど眼中になく、ああ、すでに菫は彼女の足の下。苦しい息をつきながら菫は言います。「ああ、死ぬ。でも嬉しい!彼女の足の下で死ねるなんて!」詩人ゲーテはここで筆を置きました。音楽を書いたモーツアルトはあまりに哀れ、と言って「なんと可哀想な菫! 心優しい菫!」との一節を書き加え、心からのコーダとしたのでした。
次は蓮と月の恋のお話です。昼間は元気の無い蓮の花も月が昇り出すとそっと身を震わせて花弁を広げます。昼間は湖水に顔を埋め、陽の光を避け乍ら、じっと月の昇るのを待つ蓮。ゆっくりと姿を現した恋人の月に向かって、蓮は静かにヴェールをはずします。花開いた蓮、しかし彼女は水の中、震え泣くばかり。愛、そして愛の悲しみに・・・こんなにも美しく、こんなにも悲しい話があるでしょうか。シューマンは蓮が花びらをひとひらずつ広げる様子を繊細な和音の変化に託し、高く照り輝く月との距離感も抜群、何度聴いても、何度歌っても退屈した記憶がありません。
白鳥はいまわの時にひと声啼く、と古くはギリシャの哲人が語ったということで、ヨーロッパの芸術は白鳥にまつわるイメージを遺作と結び付けてきました。イプセンの詩、グリーク作曲のこの歌は、死を前に声を挙げた一羽の白鳥の姿を描写し、いよいよ啼くというその瞬間に向かうまでの時の推移、その緊張感を見事に伝える佳品です。しかしこの歌は、白鳥の死を伝えるのはなく、短い歌に凝縮された白鳥の生命そのものを感じさせます。ソクラテスは、白鳥はいよいよアポロンの胸もとに飛び立てることを喜んで啼くのだ、と語ったとか。
続くはいよいよ人間、それも女性のお話、シャミッソー詩、シューマン作曲《女の愛といのち》です。少女が恋をし、婚約、結婚、夢うつつ、と、赤ん坊が胸に。そして・・・最愛の夫が逝きます。あまりにも絵に描いたような物語なので、フェニミズムの嵐をくぐり抜け、いまだに名作として歌い継がれ、なんと、かの名バリトン、フィッシャー・ディースカウの録音まで残されています。額縁に入れて飾っておきたいような全8曲ですが、この作品を歌う年齢に不足のない今、敢えて現し世に解き放ってみたいと思います。
そして、しんみりとお愉しみいただきたいスクエアピアノのソロ、ショパンの白鳥の歌、ノクターン 遺作 です。あの吹き抜け、コンクリト打ち放しのギャラリーに初登場のスクエアピアノ、武久源造のショパンも珍しいかと・・・ご期待下さい。
最後の3曲は山川彌千枝 『薔薇は生きてる』と金子みすゞ『童謡集』からの詩による武久源造の創作歌曲です。
『薔薇は生きてる』は私が国民学校1年生だった頃に母から手渡された本で、オールドローズ色の表紙がついていました。母が「弓子と同じくらいの歳の子の書いた文よ」と言ったので直ぐに読み出し、彌千枝の一言ひとことに頷く毎日でした。今どのページを開いても当時の驚きと喜びが甦ってきます。
山川彌千枝は1917年東京の中野に生まれ類い稀な才能に恵まれた少女でしたが、1933年肺結核で16歳の生涯を終えました。『薔薇は生きてる』は、彼女が8歳から書き出した詩、短歌、作文、日記などが集められたもので今も出版が続いています。
1993年、リサイタル開催にあたって、武久さんに作曲をお願いし、『薔薇は生きてる』から幾つかの曲が生まれました。その後も折りにふれて歌ってきた曲ですが、今回の?愛といのち?には欠かせない曲であると思い、その中から2曲を歌います。
「バラの花よお前の奇麗さ私は言えない」
「風の中の桜」
金子みすゞは彌千枝より14歳年上で1903年山口県の仙崎村で生まれました。結婚生活に破れ26歳で自死しています。不幸な日々を詩作によってくぐり抜け、1984年に出版された遺稿集は瞬く間に多くの人々の心を捉えました。彼女の詩による歌曲も次々に作曲され、今回はその中から武久源造作曲『薔薇の根』を歌います。
以上、紙の上では花鳥風月が出揃いました。実際の音は4月3日午後6時からという段取りです。駒込は六義園のお花見のあと、ギャラリー「ときの忘れもの」へお越しいただくのも一興かと。お目に掛かれれば嬉しく存じます。
[淡野弓子 記]
[歌とピアノ]
Das Veilchen(Goethe) W.A.Mozart モーツアルト すみれ
Die Lotosblume(Heine) R.Schumann シューマン 蓮の花
Ein Schwan(Ibsen) E.Grieg グリーク 白鳥
《Frauen-Liebe und -Leben》(Chamisso)
《女の愛といのち》シューマン
1. Seit ich ihn gesehen かの人を見し日より
2. Er der Herrlichste von allen 誰よりも素晴らしい彼
3. Ich kann’s nicht fassen, nicht glauben 私には分からない、信じられない
4. Du Ring an meinem Finger わが指の指輪よ
5. Helft mir, ihr Schwestern 手伝って、姉妹たち
6. Suser Freund, du blickest 優しき恋人よ、私を見詰め
7. An meinem Herzen, an meiner Brust 私の心に、胸に
8. Nun hast du mir den ersten Schmerz getan 今貴方は最初の苦しみを
[ピアノ・ソロ]
Nocturne cis-Moll Op.Posth. F.Chopin
ノクターン 嬰ハ短調 遺作 ショパン
[歌とピアノ]
山川彌千枝、金子みすず の詩による三つのうた 武久源造 作曲
バラの花よお前の奇麗さ私は言えない(山川彌千枝『薔薇は生きてる』)
薔薇の根(金子みすず『童謡集』)
風の中の桜(山川彌千枝『薔薇は生きてる』)
〜〜〜〜
■淡野 弓子 Yumiko Tanno [メゾ・ソプラノ]
東京藝術大学声楽科卒業。旧西ドイツ・ヴェストファーレン州立ヘルフォルト教会音楽大学に留学し、特に声楽、合唱指揮を集中的に学ぶ。1968年東京に「ハインリヒ・シュッツ合唱団・東京」を設立、以来2008年まで40年に亘り指揮者としてシュッツ音楽を始めとするルネサンス、バロックから現代に至る数多くの合唱作品の演奏に携わる。1989年に『シュッツ全作品連続演奏』を開始し2001年に全496曲の演奏を終了。歌い手としては、シュッツ、バッハより現代に至る宗教曲、ドイツ・リート、シェーンベルク《月に憑かれたピエロ》を始めとする現代作品の演奏、新作初演など。
1991年〜2004年、アグネス・ギーベルの薫陶を受けつつ内外のコンサートで共演。2010年より米国にてエリザベス・マニヨンに師事。メゾ・ソプラノ淡野弓子、ピアノ小林道夫による「歌曲の夕べ」を2013年2月および2015年10月(共演:杉山光太郎・ヴィオラ)を開催。2015年5月には井桁裕子制作の操り人形「ユトロ」との共演により『狂童女の戀』(人形操演:黒谷都/朗読:坂本長利/ピアノ:武久源造)を制作・演奏。著書:『バッハの秘密』平凡社新書。CD:<ハインリヒ・シュッツの音楽> I〜IV [SDG/MP]、メンデルスゾーン<パウロ>[ALCD]ほか。
■武久 源造 Genzoh Takehisa [スクエア・ピアノ]
1957年生まれ。1984年東京芸術大学大学院音楽研究科修了。以後、国内外で活発に演奏活動を行う。チェンバロ、ピアノ、オルガンを中心に各種鍵盤楽器を駆使して中世から現代まで幅広いジャンルにわたり様々なレパートリーを持つ。また、作曲、編曲作品を発表し好評を得ている。
91年よりプロデュースも含め30数作品のCDをALM RECORDSよりリリース。中でも「鍵盤音楽の領域」(Vol.1〜9)、チェンバロによる「ゴールトベルク変奏曲」、「J.S.バッハオルガン作品集 Vol.1」、オルガン作品集「最愛のイエスよ」、ほか多数の作品が、「レコード芸術」誌の特選盤となる快挙を成し遂げている。著書「新しい人は新しい音楽をする」(アルク出版企画・2002年)。1998〜2010年3月フェリス女学院大学音楽学部及び同大学院講師。
■大野 幸(建築家) Ko OONO, Architect
本籍広島。1987年早稲田大学理工学部建築学科卒業。1989年同修士課程修了、同年「磯崎新アトリエ」に参加。「Arata Isozaki 1960/1990 Architecture(世界巡回展)」「エジプト文明史博物館展示計画」「有時庵」「奈義町現代美術館」「シェイク・サウド邸」などを担当。2001年「大野幸空間研究所」設立後、「テサロニキ・メガロン・コンサートホール」を磯崎新と協働。2012年「設計対話」設立メンバーとなり、中国を起点としアジア全域に業務を拡大。現在「イソザキ・アオキ アンド アソシエイツ」に参加し「エジプト日本科学技術大学(アレキサンドリア)」が進行中。ピリオド楽器でバッハのカンタータ演奏などに参加しているヴァイオリニスト。