第310回 Tricolore2019―中村潤・尾崎森平・谷川桐子展 2019年4月12日[金]―4月27日[土] 11:00-19:00※日・月・祝日休廊 |
ときの忘れものが期待する1980年代生まれの若手作家の三人展を開催します。
それぞれが選んだメディアは異なりますが、表現したいものをどのように創るかに、強いこだわりを持った三人です。
中村潤はトイレットペーパーを編んで造形したものや方眼紙を刺したオブジェ作品を京都で制作しています。
尾崎森平は環境心理学に触発され、生まれ育った東北の現代の風景を描いています。
谷川桐子は油彩という古典的材料を使いながら、緻密に描いた砂利や地面の上にハイヒールやブラジャーなどを配した作品を創り続けています。
今回の三人展では大作を含め、それぞれ数点を出品します。
■中村潤 Megu NAKAMURA(b.1985)
【ステートメント】
編む、絡める、折る、積む、結ぶ、縫う……生活の中の様々な作業で作品を構築する。
買ったり、もらったり、いつの間にか手元にあった、紙や糸くずなどを素材とする。
おのおのが持つ関係性を再編集するように、手で作業と素材を引き合わせます。
このあたりにあるものを そのあたりにあるやりかたで、小さく、大きく、かたちづくる。
目で触りながら、手のひらから立ち上がる柔らかいかたちから、素材と技法の関係を探ります。
■尾崎森平 Shinpey OZAKI (b.1987)
【ステートメント】
私は環境心理学に触発され、
自分の生まれ育った現代の東北の景色や生活の記憶、
ステレオタイプ化された地方や田舎のイメージを引き合いに作品を作っています。(以下これらをまとめて“風景”と呼びます)
私が作品のイメージソースに風景を多用するのは、
勿論それが私のアイデンティティの外枠(ケース)を形成しているからに他なりません。
私を取り巻き、イメージを刺激するこの風景は、国境や時空、次元を超えて、
神話や寓話、歴史的事象など、あらゆる物語や史話と呼応しています。
私は制作に於いてそれらの結びつきをリアリズムに反映する試みをしているつもりでしたが、
蓋を開けてみればその試みはシュルレアリスムの探求者と同じ試みであり、
また個人的な社会へのアイロニカルなジョークの発露でもありました。
個人史を突き詰め、作品を作り続けることでしか分からない事実がある。
だからアートは面白い。
私は今日も明日も頭の中に釣り糸を垂らして、
混沌とした風景の中から食いついてくるイメージを引き上げるべく、
せっせと手を動かし、じっくり物思いに耽ります。
■谷川桐子 Kirico TANIKAWA(b.1982)
【ステートメント】
日々、何となく生きていると普段当たり前のようにある物が、突然に存在感を強くすることがある。今や世界で立て続けに起こる愚行について、スルーすることなど憚られてしまうのは、私だけではないのでしょう。たとえ、それが遠い地で起こっていたとしても。
ごく身近な所有物は、今、人間がこの地に確かに存在しているという現実の痕跡として、自らが再受容するものであり、切り取られた地面は、抽象的な感覚を伴いながら、私たちが生きているこの不可思議な世の中を呈しているように私には感じられるのです。
展示風景