第342回 伊藤公象作品集刊行記念展―ソラリスの襞
会期=2022年6月3日(金)〜6月12日(日) 11:00-19:00
※会期中無休
協力:ARTS ISOZAKI
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展示風景・作家インタビュー動画
映像制作:WebマガジンColla:J 塩野哲也
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1932年に金沢の彫金家の長男として生まれた伊藤公象は、10代のころ陶芸家に弟子入りしますが、その後、伝統的な陶芸の世界から飛躍し、陶を使って現代の表現を追求してきました。あるときは土を凍らせ、あるときは乾燥による土の収縮や亀裂をも創作に取り入れ、自然現象を生かした独自の表現は早くから注目され、1978年にはインド・トリエンナーレ、1984年にはヴェネチア・ビエンナーレに日本代表として参加し、国際的にも高い評価を獲得しました。90歳を迎えた今も土の造形のパイオニアとして、笠間のアトリエで精力的な制作を続けています。
クラウドファンディングで多くの方にご支援をいただき、半世紀に及ぶ活動の軌跡をまとめた伊藤公象作品集が6月に刊行されます(企画代表:磯崎寛也、監修:小泉晋弥、デザイン:林頌介、発行・編集:ときの忘れもの)。本展は、刊行を記念して、新作のドローイングやコラージュ、陶作品のインスタレーション《pearl blueの襞−空へ・ソラから》など展示します。
初日6月3日(金)12時頃〜15:00頃は作家が在廊予定です。
『ITO KOSHO 伊藤公象作品集』
刊行日: 2022年6月30日
著者: 伊藤公象
監修: 小泉晋弥
監修助手:田中美菜希(ARTS ISOZAKI)
企画: 磯崎寛也(ARTS ISOZAKI代表)
デザイン: 林頌介
写真: 内田芳孝、堀江ゆうこ、他
発行・編集: ときの忘れもの
体裁:サイズ: 30.6×24.6×1.6cm、164頁、日本語・英語併記
執筆者: 小泉晋弥、伊藤公象、磯崎寛也
●『ITO KOSHO 伊藤公象作品集』
価格:3,300円(税込)
●陶オブジェ付の特別版
『ITO KOSHO 伊藤公象作品集』と《Pearl Pinkの襞》(2016年、磁土・陶土)1点のセットを限定50部で頒布します。
陶オブジェ付の特別頒布(限定50個): 25,300円(税込)+桐箱代3,000円+梱包送料1,600円
*桐箱不要の方はダンボールの箱にお入れします(無料)。
「ソラリスの襞」について
本展は、伊藤公象の半世紀にわたるインスタレーションを一望に収める作品集『伊藤公象 ITO KOSHO』の出版記念として企画された。伊藤の作品の特色である、エロス(生命)の発現を体験していただくために、屋外インスタレーション《pearl blueの襞−空へ・ソラから》のほか、《pearl pinkの襞》、《回帰記憶》そして新作ドローイングを展示する。
作品集のために
クラウドファンディングが企画され、目標を大きく上回る賛同を得られた。そのプロジェクトのひとつとして、水戸市のARTS ISOZAKIで
「ソラリスの海《回帰記憶》のなかで−伊藤公象」展(2021年9月〜2022年3月)が開催され高く評価された。そこで発表された《回帰記憶》は、作家活動のドキュメントをシュレッダーにかけ、過去の記録を現在の作品中に昇華させるという、これまでにない制作方法によって新境地を開いたものだった。この会期中に九十歳の卒寿を向えた伊藤公象の制作意欲は驚くほど旺盛で、このプロジェクトの間に、ARTS ISOZAKIのオーナーであり、六月に詩人としてデヴューする予定の磯崎寛也の詩画集『ソラリスの襞』のために、斬新なドローイングを制作し参画している。
本展「ソラリスの襞」は、その詩画集のタイトルにちなんだもので、「ソラリス」とは、《回帰記憶》の命名に際し参照したポーランドのSF作家レムの小説『ソラリス』から引用したものだ。この小説では、ジェル状の海によって人間の記憶が物質化され、生命が吹き込まれる様子が書かれている。シュレッダー片を泥漿と混ぜ合わせて制作された《回帰記憶》は、ソラリスの海のように、見る者の記憶を活性化させる。伊藤の作品は、その初期から内部と外部を折り畳む粘土の「襞」が特徴的だった。伊藤は、そこにエロス(生命)と物質が混じり合う様を感じていた。この展覧会タイトルは、伊藤の作品そのもののように、作者と様々な他者を折り畳んで形成されている。観覧者もその襞の一部となって、作品に折り畳まれる鑑賞体験が期待される。
小泉晋弥
【ステートメント】
「ときの忘れもの」での個展のタイトル「ソラリスの襞」は、詩人hiroya(磯崎寛也氏)の初詩集のタイトルを共有した。
ARTS ISOZAKIでの個展「ソラリスの海《回帰記憶》のなかで」(昨年9月から今年3月までの長期開催)のタイトルは小泉晋弥氏の発案で、約50年間のぼくの「襞」を根底にした作品を俯瞰されたのだと思う。個展開催に際し、惑星ソラリスから降り注ぐ襞のコンセプトを磯崎氏も共感され、会期中磯崎氏から幾度となく詩が届けられた。そして詩集を出すのでドローイングを描いて欲しい、とお話があった。ドローイングと言えば、かつて金沢美術工芸大学大学院の専任担当時、芸術学領域の小松崎拓男教授の企画で同大学主催の個展をしたとき、“伊藤さんのドローイングを見たい”と言われたのを思い出した。興味があったので “やってみたいですね” とは言ったものの、独学の身でデッサンの経験がない。しかしドローイングとは何か?と思索していたし、長年土を素材にしてきたからか、紙と土で独自なモノをと思い立った。出品したド ローイングやコラージュは襞の概念を基に拍車が掛かった。作り出すと面白くて止まらない。夢中で製作に没頭した。「ときの忘れもの」はコンクリートの壁面が多い独特な展示スペースを持つので、壁面を主体にした展示には魅力がある。と同時に展示スペース全体を独自な空間にするインスタレーションの感覚は消せない。新たな作品を発表する。
「ときの忘れもの」のメルマガに故、瀧口修造氏をはじめ著名な詩人、建築家、美術関係者が登場する。歴史有る「場」での個展で、土を主な素材にした50年の作品集の出版記念展「ソラリスの襞」をぜひご高覧いただきたい。
伊藤公象
参考図版《pearl blueの襞》
撮影:大谷健二
提供:ARTS ISOZAKI
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伊藤公象 ITO Kosho (b.1932)
石川県金沢市に生まれる。1972年茨城県笠間市に伊藤知香と現伊藤アトリエを設立。1997年女子美術大学教授、同大学院教授(1999年定年及び満期退職)。2002年金沢美術工芸大学大学院専任教授(2009年任期満了退職。現在、金沢美術工芸大学大学院 名誉客員教授)。
主な活動として、1978年「インド・トリエンナーレ」日本代表として参加し、ゴールドメダル受賞。1984年「ヴェネチア・ビエンナーレ」に日本代表として参加。1985年伊藤公象企画の野外展示会「'85 涸沼・土の光景」(茨城県涸沼湖畔にて)をプロデュースし、「瀬戸内国際」や「越後妻有」等、大規模な野外国際芸術祭のルーツと評価される。2002年英国国立テート・ギャラリーのセント・アイビス美術館にて個展「ウイルス−地の襞、海襞」開催。2009年「伊藤公象 WORKS 1974〜2009」展(茨城県陶芸美術館、東京都現代美術館の巡回展)2016年「KENPOKU ART 2016 茨城県北芸術祭」に参加。穂積家住宅の庭園にて多軟面体のインスタレーションを披露。2018年新潟県「水と土の芸術祭2018」に参加、メイン会場にてインスタレーション「地表の襞 エロスとタナトスの迫間」を展示。現在も笠間の伊藤アトリエで精力的に制作活動を行う。
「ソラリスの襞—蠢くエネルギーのエロス」〜伊藤公象作品集 刊行記念展—ソラリスの襞」に寄せて〜
伊藤公象の活動は、1970年代初頭に開始した《多軟面体シリーズ》で一躍注目されて以来、半世紀にわたる。1972年に茨城・笠間の山中に伊藤知香と自宅兼アトリエを構え同年に築窯、以来自然とともに生活し制作を続けてきた。
伊藤は陶土や磁土を主な素材としながら、工芸の枠組みを逸脱し、現代美術においても類を見ない領域へと自らを駆り立ててきた。既存のメディウムやジャンルの自明性を疑い、潜在する変容や造形の可能性を感応し、試行錯誤し引き出していくラディカルな探求と言えようか。そこから生み出される/生まれてしまうものたちは、物質として存在するだけでなく、動的な現象態の様相を帯びている。
自然界に同じものは存在しない。自然現象においても然り。伊藤は、自らの中の自然、そして自然の中の行為性の境界領域に分け入り、そのプロセスから作品を揺籃させる。そこでは作家と自然と作品が、緩やかな連携を結んでいる。
初期の北関東美術館での展示、ヴェネツィア・ビエンナーレ日本代表(1984)、インド・トリエンナーレ(ゴールドメダル受賞、1989)、富山県立近代美術館の大規模個展(1996)、英国のテート・セント・アイヴスでの個展(2002)、東京都現代美術館(2009)、茨城県北芸術祭2016、富山県立近代美術館閉館記念展(2016)、土と水芸術祭2018…活躍は枚挙にいとまがないが、規模の大小に関わらず、伊藤は作品を通して自然そして世界との関係を問い続けてきた。
そのために発明した方法は、「多軟面体」「起土」「焼凍土」「木の肉・土の刃」、近年の「回帰記憶」など、シリーズのタイトルに顕著である。いずれも伊藤の行為と自然現象、窯焼きプロセスなど様々なバランスの妙に依るが、偶然を呼び込みつつ、時には途方もない時間をかけて生み出されてきた。自然と同様、作品にも同じものは一つとして存在しない。伊藤にとっては「失敗」さえも失敗ではない。廃棄粘土が冬に霜柱で上昇した現象から生まれた「起土」のように、アトリエも自然も一種の「ラボラトリー」なのだろう。
初期の多軟面体ブロックの作品を《エロス的な凝縮による偽装》と名付けたように、「エロス」そして「襞」など艶めかしい触覚性を、伊藤は重視してきた。作品では、陶土や磁土など物質の存在感だけではなく、単体であれ複数の集合体であれ、視覚からも触覚性が喚起されていく。可視・不可視に関わらず、生起するエネルギーの流れやバイブレーションが触覚として立ち上がるかのように。物質としての作品はいわばエネルギーの凝縮体であり、作品をインターフェイスとして、地中から空までを含む世界内でミクロ/マクロにわたる循環こそが志向されている。
* * *
玄関で靴を脱ぎ、個人宅にお邪魔する感覚で目の前の階段へと進む。階段に沿って艶めいたピンクの襞ー《Pearl pinkの襞》(陶土、2016)ーが流れるような群を形成し、私たちを上へと誘導する。伊藤の手のひら内で一期一会の形状を得た多軟面体は、単体として存在すると同時に、菌類のように環境に応じて数や形状が展開される。ここでは階段に「寄生」しているようにも見える。
階段踊り場の壁には、伊藤には珍しい、皿や平面作品のように正方形に収まった陶土作品
《土の襞―青い結晶―》(2007)が設置されている。抽象的だが植物のようにも見える直線は、凍結によってできた亀裂の刻印で、それを高温で焼いた《焼凍土シリーズ》の一つである。冬にアトリエの外で形成された偶然(自然においては必然か)のパターンは、自然とのコラボレーションともいえよう。
階段を上がった廊下では、複数の作品群に迎えられる。左のテーブルには、前述の
《ソラリスの海 回帰記憶》(2021)が、それぞれ小ぶりの多孔体としておびただしい襞を見せている。複数の襞(波)で形成された単体を一つの波とすれば、入れ子状になった大小の襞々(波々)が複雑に絡まり合い、蠢きのようなものが感じられる。廊下を挟んで1点置かれたパウンドケーキのような形状の《回帰記憶》の多孔の襞(波)が、それらに呼応するようである。
《回帰記憶シリーズ》は、半世紀にわたる書類ー伊藤が蓄えてきた記憶を表象するーを自ら時間をかけて再確認(反芻)し、その上でシュレッダーにかけ、陶土と同量を練り込んだものである。いわば土に含まれる大地・地球の記憶と伊藤の半生の記憶が、一対一で混じり合っている。温度を上げつつ長時間、何度も焼く中で、土の記憶は閉じ込められ、文字や色をとどめた微細な紙片としての記憶はほぼ消滅し、陶の内部のおびただしい大小の空洞(襞)や外部の不定形な形状として残される。よく見ると、紙片の名残りのような繊細な襞がそこここに見られる。土を浸透させた紙片が蒸発することで、うっすらと物質と非物質の間(あわい)のようなものが残されたのだ。ここに至るまで、窯が傷むことも覚悟の上で半年を費やしたという。
支持体(容器)としての紙を焼き消滅させる方法は、1980年代前半の《起土シリーズ》(註4)ですでになされていたが、大地の土と自身に由来する紙片を記憶として練り込む本シリーズは、明らかに異なる位相にある。ほとんどの紙は焼け、大気に分散していった。同時に紙片は薄い襞を名残りとして作品に与えている。記録は消えたが、伊藤の中、大気の中、そして作品の中で記憶が回帰し続けているように。(註5)
《ソラリスの海 回帰記憶》の隣では、シャープに屹立する
《木の肉・土の刃―異なった土の収縮による断片》(磁土・プラチナ焼付、1993)が対照的である。磁土を糸やワイヤーで薄く切断し、柔らかく曲げ高温で焼いたものという。
《木の肉・土の刃シリーズ》は、この場所から見下ろせる庭、そしてガラス越しに見える部屋でも展開されている(後述)。そしてその前年に制作された《木の肉・土の刃シリーズ》(磁土、1992)が艶めかしく湾曲した二面が寄り添うように佇み、表面に繊細な襞を見せている。
廊下には、今年制作された2つの新シリーズが左右の壁に額装で展示されている。奥に向かって左の壁面の《襞のある光景》
http://www.tokinowasuremono.com/artist-e58-ito/ito-17.html(ドローイング、2022)は、植物や樹木などの写真の表面に繊細な皺・襞が刻まれたものである。写真の土台は生の陶土で、乾燥によって水分が蒸発した痕跡だという。自然に創作の重要な部分を委ねることがここでもなされている。
右の壁面には、写真によるコラージュ
《卵体のエロス(生成の襞)シリーズ》(2022)が、すべらかな卵が裂け、球体内部の襞のようなものを外へと艶めかしく流出させている。白い表層の裂け目から漏れ出る襞のコントラストとともに、コラージュ特有の微妙な立体感が知覚を撹乱する。隠れていたもの(内部・無意識)の流出、異なるものの出会いと意味のぶつかり、亀裂と創造…コラージュという手法もあいまって、シュルレアリスムの色が濃い。
その系譜を遡るものとして、壁面に続く部屋に展示された
《木の肉・土の刃―異なった土の収縮による断片(5点組)》(1993)がある。曲線的の陶土の土台にシャープなシルバーの襞が密集する《木の肉・土の刃》がテーブル上に並ぶ光景は、巨大なカットフルーツのようで壮観である。外側を覆っていた殻が割れ、内部を占めていた生々しい襞が表に露わになったような物質感とエネルギーに圧倒的される。
本作はもともと、半球体の一つの陶土の内部に、磁土による複雑な薄い襞を屹立させ、プラチナを塗装後、焼くという工程で制作されている。タイトルの通り、陶土と磁土の土の収縮率の差を想定し、合体したものを窯で焼くことで物理的な破綻を誘発する。どの段階でいくつに割れ、どのような形状になるかは窯出しまでわからない。シュルレアリスムを素材、形状、色だけでなく、窯内での偶然の亀裂として「創造」へと至らせること。シュルレアリスム的な出会いや偶然性、無意識的なものの表出を、陶土を介して派生させること。それは伊藤ならではの特徴であるだろう。
この部屋からは、ガラス越しに階段やその上の空間、屋外のインスタレーションまでもが見渡せる。《木の肉・土の刃―異なった土の収縮による断片》は、窯の中で9つの断片に割れたというが、その中の7点が今回展示され、うち5点がテーブル上で、もう2点(前述)を部屋から見ることができる。
廊下の突き当たりには
《JEWELシリーズ》(陶土・長石、2003)がある。一見岩石と見まがう形状で、よく見ると長石が埋め込まれており釉薬とともに焼かれたつやが艶かしい。
3階への階段には、
《焼凍土シリーズ》(2006)から複数点が壁に、
《JEWELシリーズ》が1点置かれている。前者は、ふくよかに折り曲げられた立体―内部に空気か未知のものを孕むかのような形状―で、凍土が「彫刻」した複雑な亀裂や襞の規則性が美しい。後者は花や水中のエイのようになだらかに広がる曲面の中央に、釉薬を帯びた長石が宝石のように包まれている。
壁面の
《褶曲レリーフ》(陶土、プラチナ焼付、1989)は、本展で最も古い作品で、小ぶりながら凝縮された大小の襞が、縮緬や山脈のような複雑なパターンを形成している。粘土を紙の上で乾燥させ、収縮によって紙面に生じる皺を石膏で写し取ったという。
そして屋外には、茨城県北芸術祭2016に出展された
《pearl blueの襞―空へ・ソラから》(2016)の一部を再構成したインスタレーションが設置されている。(註6)室内からガラス越しに異なる高さや角度で見てきた作品の実物に対面し、じっくり味わっていく。多軟面体の濃紺と白のコントラストが鮮やかである。色だけではない。濃紺は釉薬の機微なのだろう、光や見る角度で様々な色を帯び、対して磁土の白はあくまで清々しく、上部に向かって薄さを際立たせている。
それぞれの単体が襞であり、襞が集まり全体でより複雑な襞を形成している様子から、自然にしばしば見られるフラクタル(自己相似形)構造(註7)が想起される。フラクタルは、シンプルなルールに沿って稼働するプロセスが形態化したものと言えるが、伊藤の襞はまさにそのような摂理に寄り添うかのようである。そこでは物質を起点としながら、現象的なもの、蠢く動態が想定されている。
展示期間を含め、ひと月の間設置された本作は、光や風、そして空をリアルタイムで反映し続けた(空へ・ソラから)意味で、動的なソラリスの海や襞となった。とある夜には、月光を受けて襞が微かに浮かび上がっていたという。目の前に見えるもの(物質、そして現象として)と同等に、背後にある可能態としての襞、そして終わりのない蠢きに感応する力が、ここでも求めらている。
* * *
「ソラリスの襞」展は、伊藤が半世紀にわたって探求してきたものの一貫性を開示した。「襞」は海であり、波動であり皺であり、単体同士がボトムアップに関係することで、常に組織化や分散を繰り返している。これらはミクロ/マクロ、自然/人間をつなぐ動的なエネルギーの作用であり、エロスはそのようなプロセスから常に放出され続ける。そうして生まれた作品は、単体が集合することで波から海へ、もしくは粘菌のネットワークのようにより複雑な襞の蠢きへと展開していく。
このようなエネルギーはどこから来るのだろうか? たとえば地球においては、地震や火山の噴火など地殻変動が常に起きている。いずれも地球の内部から亀裂や断層によって地表に出てくるエネルギーである。空を見上げると、太陽の光や熱が気象や波の変化を引き起こす。あらゆる動植物や事物への影響は言うまでもない。体感することはできないが、宇宙線も常時降り注いでいる。たゆまぬ運動が、地中や宇宙から常に届けられる諸々のエネルギーによって起きている。それだけではない、地球においては地磁気の逆転や地軸の傾きの変化がこれまで何度も起きている。氷河期も何度も経ており、一説では「全球凍結(スノーボールアース)」があったともされる。宇宙や地球内のエネルギーが、地上に様々な作用をもたらし、痕跡を刻み続けている。
伊藤はそのような作用を、地表近くで産出された土を素材に引き起こす。最低限の手の関わり、凍結や蒸発、焼くことによる物理・化学反応…偶然性を取り込みながら生まれた襞や亀裂は、自然の摂理を可視化することで見る側に美の感覚を呼び起こし、同時に美とは何かを問いかける。それは自然、そして人間の深層―無意識的なもの―の襞へと分け入ることでもあるだろう。
襞は、入れ子状になっており、突端と深部が繋がり、時にそれらは入れ替わる。地球史において、かつての海が山に、山が海へと変化したように。襞を見つめ、そこに蠢きを感じることは、見る側がそのような摂理に感応することであるだろう。自らの呼吸や存在が動きに共振、襞を感じ、襞そのものになること、自らを襞の蠢きとして発見すること。生命のエロスへの伊藤の感応は、やむことがない。
(しかた ゆきこ)
註1 『ITO KOSHO 伊藤公象作品集』(発行:ときの忘れもの、2022)、会期後に刊行。
註2 2021/9/18-2022/3/27 ARTS ISOZAKI(水戸)
註3 カールステン・ニコライ+マルコ・ペリハン「polar」(キヤノン・アートラボ、2000)。キュレーター:阿部一直、四方幸子。
http://yukikoshikata.com/artlab10-polar/
註4 《起土シリーズ》(1983-)段ボール箱いっぱいに詰めた黄土のパウダーを窯で焼くことで箱が消滅、崩れた黄土が険しい山並みのような形となったものがある。《回帰記憶》では、パウンドケーキの箱(紙型)を使⽤。
註5 参考:四方幸子「半世紀の記憶の焼火/昇華態」(『美術手帖』2022年2月号)
註6 筆者がキュレーターとして関わった茨城県北芸術祭2016で新作として展示(最終的に担当エリアが異なり、直接制作には関われなかったが、準備段階でお話をする機会に恵まれた)。
註7 シダの葉、雲、フィヨルド、腸の内襞…など、ミクロ/マクロを超えて自然界で見ることができる。
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四方幸子(しかた ゆきこ)
キュレーター/批評家。美術評論家連盟(AICA Japan) 会長。「対話と創造の森」アーティスティックディレクター。多摩美術大学・東京造形大学客員教授、武蔵野美術大学・情報科学芸術大学院大学(IAMAS)・國學院大学大学院非常勤講師。「情報フロー」というアプローチから諸領域を横断する活動を展開。1990年代よりキヤノン・アートラボ(1990-2001)、森美術館(2002-04)、NTTインターコミュニケーション・センター[ICC](2004-10)と並行し、インディペンデントで先進的な展覧会やプロジェクトを多く実現。近年の仕事に札幌国際芸術祭2014(アソシエイトキュレーター)、茨城県北芸術祭2016(キュレーター)など。2020年の仕事に美術評論家連盟2020シンポジウム(実行委員長)、MMFS2020(ディレクター)、「ForkingPiraGene」(共同キュレーター、C-Lab台北)、2021年にフォーラム「想像力としての<資本>」(企画&モデレーション、京都府)、「EIR(エナジー・イン・ルーラル)」(共同キュレーター、国際芸術センター青森+Liminaria、継続中)、フォーラム「精神としてのエネルギー|石・水・森・人」(企画&モデレーション、一社ダイアローグプレイス)など。国内外の審査員を歴任。共著多数。2021年よりHILLS LIFE(Web)に「Ecosophic Future」を連載中。
http://yukikoshikata.com
展示風景 ※画像をクリックすると拡大します。