2001年2月22日奇しくもウォーホルの命日に路上で倒れ55歳の生涯を終えた栗山豊(1946-2001)は、新宿などで夜の街角に立つ似顔絵かきでした。
栗山は1960年代からアンディ・ウォーホルに関するカタログはもちろん、新聞、雑誌、広告、展覧会の半券、テレビコマーシャル、中には珍しいジャズ喫茶のマッチ箱まで幅広いメディアを網羅してウォーホルに関する情報を蒐集していました。遺された膨大なウォーホル資料は日本におけるウォーホル受容史の貴重な記録であり、1983年に現代版画センターが企画した「アンディ・ウォーホル全国展」はじめ、その後のウォーホル回顧展の重要な基礎資料としても使われています。
本展では、膨大なウォーホルの栗山資料のすべてをはじめて公開します。現代版画センターが1983年にエディションしたウォーホルのシルクスクリーン〈KIKU〉〈LOVE〉シリーズ、栃木県大谷石の巨大地下空間でのウォーホル展の記録映像や、ポスターなどをご覧いただきます。日本のメディアがウォーホルをどのように捉えていたのか、この機会に貴重な資料を是非ご覧ください。
栗山豊は2001年2月22日に亡くなりましたが、その後(2000年代)については、かつて高田馬場にあった私設図書館「六月社」(橋本凌一主宰)の旧蔵書からウォーホル関連記事が掲載された雑誌の寄贈を受け、今回も展示しています。
1983年7月に栃木県宇都宮の大谷石採掘場跡で開催された「巨大地下空間とウォーホル展」のオープニング映像と、この展覧会のために現場で刷られた「200人のマリリン」の刷り作業(VTR撮影:石田了一)
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アンディ・ウォーホル
Andy WARHOL(1928-1987)
1928年8月6日アメリカ・ピッツバーグ生まれ。本名“Andrew Warhola”。49年カーネギー工科大学卒業。52年ニューヨーク・ヒューゴー画廊でドローイングによる初個展。56年友人と約6週間で世界一周旅行、日本にも立ち寄る。62年[ファクトリー]を設立。同年8月5日モンローの死に会い[マリリン]を制作。63年映画の制作を始める。68年ファクトリーで狙撃される。74年10月大丸の大個展のため来日。1987年永逝。
■栗山豊 KURIYAMA Yutaka (1946-2001)
和歌山県田辺市に生まれる。1965年田辺高校卒業後、東京銀座で似顔絵を描きはじめる。1969年文化学院美術科卒業。1977年アメリカ大陸横断、アンディ・ウォーホルに会う。1977年壁画を描きはじめる(渋谷PARCO他)。1979年東京都知事候補・秋山祐徳太子のポスター作成掲示。1983年アンディ・ウォーホル展カタログ編集(現代版画センター、渋谷PARCO)。1989-1996年世界12都市を歴訪。2001年2月22日、ウォーホルの命日に逝去
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