ギャラリー新人日記 2005年10月ギャラリー新人日記 10月31日今日は休日なのだが、ジョナス・メカスさんと夕食を一緒にすることになったと急に綿貫さんから連絡が入った。美味しい料理というフレーズに惹かれて行くことにした。メンバーは翻訳家の木下哲夫さんとメカスさん出演のCDを制作した阿部さん(今回も作品をお買い上げ戴い)、綿貫さん、三浦さんと奥様の和子さん、そして私。豆腐料理を出してくれる「梅の花」に行くことになっていたのだが、メカスさんは豆腐が苦手だという。ここは日本だから日本料理がいいということで、しゃぶしゃぶ屋さん「紫波」に電話を入れるが満席。う〜ん、日本料理・・・お寿司?とんかつ?・・・色々料理名を挙げ、とんかつ屋もいいね〜というメカスさんのご要望にお答えし、「まい泉」に行くことに決まった。お座敷しか空いていなく、メカスさんは苦手だろうということで、少し待って腰掛席に案内してもらった。以前はお風呂屋さんだったそうだ。天井に面影がある。初めて逢った時は全く話さなかった日本語「乾杯」「ありがとう」を使っていた。一番大切な、その二つあいさつを・・・。メカスさんが食べたいという天ぷらとしゅうまいを注文し、熱燗を嗜んでいる。綿貫さんの質問を木下さんが翻訳し、メカスさんの返事を木下さんが翻訳する。木下さん大変そう!!私は相も変わらず黙っていた。メカスさんはお腹いっぱいだけど酒は飲めるよ、と言いいっぱい話してくれた。撮影は順調で、宿も最高だと。息子や娘の話もしてくださった。店を出て、「ありがとう。」と握手をした。また、2
shot Get!!
ギャラリー新人日記 10月29日誰よりも遅く出勤し誰よりも早く帰る私だが、今日は一番乗りで9時半出勤。朝の青山はなんだか素敵・・・こんな事言ったら出社時間が早まりそうだが。昨日ほっぽり出して帰った版画掌誌第5号の校正を行なった。13時締め切りと言われていたので必死。11時を過ぎ綿貫さんが出勤。いつもこんなに早く来ているんだ・・・と思い、すぐに読み合わせを始めた。丁度読み合わせが終わった頃にディス・ハウスの森田さんが日和崎尊夫句集のゲラを届けてくださった。版画掌誌と交換をし、今度は句集の校正。慣れない早起きのせいか、お昼過ぎたら頭が朦朧としてきて反射スピードが鈍る。徐々に回復し、気合を入れて丁寧に校正を繰り返した。
15時頃ジョナス・メカスさんから今日サインできるかできないかという電話がくることになっており、英語担当の三浦さんはお休みのため私が応対することになっていた。「Hello! This is Reiko.」「Oh Reiko,○*▼◎#△※▲」さっぱり聞き取れない。とりあえず「Yes…Yes…」と言ってみる。「Are you O.K?」とメカスさん。全然O.Kじゃないよぉー、と思い浮かぶ英語を並べてみた。「Are you free, tonight?」「No, ○*▼◎#△※▲Tuesday○*▼◎#△※▲」これだけ聞き取れた。綿貫さんに、今日はダメで火曜日に電話をくれと言っていたと思います。たぶん・・・」と伝えた。小学高学年の時から高校1年まで英会話スクールに通っていました。全く身についていないようです。両親に申し訳ない・・・。 時間は刻々と過ぎ去り、もう夕方。刷り師の石田了一さんが来廊された。版画掌誌用のシルクスクリーンの最後の打ち合わせ。 今日は残業するつもりで友人からの誘いは断っていたのだが、19時過ぎに私の作業は完了してしまった。物足りない気分になり、北澤さんに何かやることありますか?と電話した。校正終わったのならいいよ、とのこと。令子さんが買ってきてくださったご飯を綿貫さんと令子さんと頬張りほっと一息。火曜日は何をしたらいいですか?と綿貫さんに聞いてみた。「少しボーっとしときなさい。」・・・帰ろうとしていたら、コピー機から“プーッ“と音がした。まさか・・・と思い見てみると和光大学の三上豊先生から版画掌誌の文章の校正がFaxで送られてきた。綿貫さんと「ひぇ〜」と言いながら慌てて校正しデザイナーの北澤さんにFaxし完了。 ギャラリー新人日記 10月28日今日も続く、校正の日々。デスクの上は書類でぐちゃぐちゃ。床に物を落としても拾うことさえしたくないほど余裕はなかった。ディス・ハウスに日和崎尊夫句集のゲラを持って行った。修正箇所の説明をして少し喋っていたら、版画掌誌第5号の校正は今日までに終わらせて・・・とのこと。喋っている暇はない、と急いで画廊に戻り、版画掌誌校正。
今夜は友人と国際映画祭に行く約束。それまでに終わるかな・・・映画祭行けるかな・・・。20時半に六本木で待ち合わせなのに20時が過ぎた。綿貫さんに「今日までですよね・・・?」と確認してみた。「北澤さんに聞いてみな。用事あるんでしょ。」「・・・はい。」綿貫さんが電話をして聞いてくださった。明日の13時まででいいと聞き、思わず「やったー!」。「明日朝早く来てやります!」と言い残し、急いで画廊を飛び出した。 ギャラリー新人日記 10月27日出勤したら、3時半に受信されている日記のことを言われた。同情心を抱いてくれているみたいだ。作戦成功!ちゃちゃっと日記を仕上げたはいいが、次なる山は溜め込んだ4日分の仕事“今日まで”という仕事をボンッと渡され、何度も「今日までですか?」と確かめる。「今日まで!」と譲らない綿貫さん。
日和崎尊夫句集と版画掌誌第5号は11月11日発行。11月頭には印刷所へ送らねばならないし、時間がない。句集のゲラを受け取り校正する。私の棚には版画掌誌第5号のゲラが手を付けられずに放置されている・・・今日は句集の日!と決め、元原と画像データとレゾネと睨めっこ。何度も繰り返し校正してきたはずなのに、日が違えば視点も変わるからだろうか、元原と照らし合わせると以前私が作成したデータがだいぶ違うではないかー。人の字は読みにくいという難点もあるのだが、勝手な解釈で俳句を作っている私もいる。その時は何とも思わなかったのに、急にある字に疑問を抱く。コノ字、ナンテカイテアル??と。作家の永井桃子さんが来廊され、「お茶にしよう!」という声に反応できないでいたが、リラックスしている状態の綿貫さんに、コノ字、ナンテカイテアル??話を持ち込んだ。永井さんも巻き込んで皆で睨めっこ。辞書で調べてみるがこんな字は存在しない。手偏に見えるが木偏か?とか、滲んでいる文字のせいで“筆”と思い込んでいた字が“竿”にも見えてきて、もう大変。色んな角度で見ると取り留めのない問題だ。わからないからこの俳句は却下、却下、却下。どんどん俳句が減っていく〜。明日、一緒に校正しようという話で今日は帰宅。 ギャラリー新人日記 10月26日今日は正常通り仕事。3日間7時前起きだったため定着してきたのか今朝は早起き。旅行疲れも一切無し。旅行して、疲れてどうする?!だから、今日はブーツを履いてシャキシャキ会社へ向かった。打ち合わせで綿貫さんが「記憶が鮮明なうちに今日は3日分の日記書いて!他の仕事はしなくていいから。」と強烈な一言。ドッと疲れが出てきた。気合を入れてその記憶を辿る。リアルな情景が目に浮かぶ〜。食事のことが一番記憶に残っており、味まで鮮明。しかし、満腹後の記憶は少し飛んでいる。日記は復習にもなる。古跡昭彦さん著書の『ぷらっと建物探訪』で見学した建物の箇所を読み返す。植田実先生やガイド係りの清水弘一さん、今隆さんの説明で、前川國男建築の点と点がリンクして線になったのが、こうして復習することにより枝分かれする。きっと「すごい」という言葉では片付けられないのだろうが、残念なことに私には言葉のキャパシティーが小さいようだ。簡潔にしたいのだが、何せ中身が濃かったため、分刻みの日記になってしまった。一日の内容を書くだけでものすごい時間を費やした。結果、残業。終わらない私に付き合ってか、綿貫さんも令子さんも、バンドの練習を休んで三浦さんまで一緒に残業をしてくれている。21時を回り、申し訳なく思ってきた。恐る恐る「3日目の日記は家で書いてきていいですか?」と言うと、「そんな声じゃ聞こえないよー!」と笑顔でイジワルする綿貫さん。「家でやってきま〜す!」と今度は元気に言った。「はい、ご苦労さま〜」。
寄り道をしてから家に帰り、1時から書き始めた。やばい、もう3時半。ほぼ書き終わったのだがあともう少し。「ギャラリー新人日記 10月25日 未完成」という題名で会社のPCへ送信。未完成の場合、いつもならマイアドレスに送るのだが、3時半まで頑張って書きましたというアピールの意味を込めてときの忘れものの皆のメールへ送信。 ギャラリー新人日記 10月25日今日は弘前ツアー最終日。6時過ぎに目が覚め、お布団から出ると冷たい空気を肌に感じる。体を温めに温泉へ直行した。誰もいないのだが遠慮がちに軽く泳いでみた。朝食を7時半に戴く。畑のキャビア、とんぶりだ!!秋田県名産とは知らなかった。今日は白ご飯を2杯戴き栄養を補給、そしてお部屋でお茶を啜った。9時に弘前から石場さんが迎えに来てくれた。盛岡へ連れて行ってくれるという。私たちを最後まで面倒を見てくれる。感謝だ。車を飛ばし、次なる目的地は盛岡の美術館。エントランス前に女の人の彫刻が見えた。柳田さんも綿貫さんも口を揃えて「舟越保武さんの作品ね。」と言う。すごい。彫刻の前で、柳田さんとあん子さんと私で写真を撮ることに。植田さんの提案で両手をひろげた彫刻と同じポーズで撮影。エントランスには岩手県立美術館と書かれてある。岩手??と頭の中は“はてな”が浮かんだ。綿貫さんに指摘された。岩手県ではなく、盛岡県だと思っていた私・・・
お恥ずかしい。
学芸員の方にご挨拶して、松本竣介、舟越保武の作品を見せて戴く。小野隆生の巨大な作品もあった。1階の企画展はルオー展を開催していた。出光コレクションから多数の作品が展示されており、キャプションを見て技法欄を見て理解ができるようになった。最近の私は銅版画作品を見る時、ドライポイントだ!これはルーレットを使用しているな!とか技法当てクイズをし、キャプションで答えをチェックしています。 上田浩司さんが営んでいるMORIOKA第一画廊を訪ね、コレクションを見せて戴いた。私も一目で誰の作品かわかるものもあった。芸術に関して無知だった4ヶ月前、ときの忘れもので、何気なく私の中にあらゆる芸術の情報がインプットされている・・・と少しニンマリ。上田さんの長女の“り土さん”(リトグラフが由来らしい)に、隣接している“舷”(舟越保武さんが名付けた喫茶店)でコーヒーをご馳走してもらった。昼食の時間になり、ゆうこさんというバリバリのキャリアウーマン美人女将が営んでいる、わんこ蕎麦で一世を風靡した「直利庵」という老舗のお蕎麦屋さんに向かった。丁寧なおもてなし、そして従業員の方の躾けが行き届いているという印象を持つことができる。オリジナルの「直利庵」という大吟醸のお酒を戴きながら、女将さんお勧めの温かいあゆ蕎麦を戴いた。あゆは骨まで柔らかく全て食べられる。お汁だって全部飲み干したい。お客を待たせない絶妙なタイミングと、お蕎麦を一人前ずつ運ぶという心配りが素晴らしかった。美酒に美食。幸福な気持ちになる。おなかは満たされたのだが、綿貫さんの勧めで冷たいお蕎麦も戴くことに・・・まるで大食いみたい。三浦さんを道連れに冷たいすじこ蕎麦を注文した。食欲は暴走し、とりとめもなくお箸が進む。すじことお蕎麦は本当にお似合いだ。心も体もふにゃ〜となり、女将さんのコレクションを拝見させていただいた。収集家の三浦さんは羨ましそうに眺めているのはゴーギャンの版画。岩手県立美術館で見た松本竣介・舟越保武の親友同士の作品も絶妙にレイアウトして飾っている。植田実先生もその素敵な作品に感動している様子だった。 綿貫さんたちは一足先に帰京。ゆっくりした私たちは、柳田さんにご馳走になり、柳田さんと三浦さんは盛岡駅から帰京。私は植田先生が北上に見ておきたい建築があるというので同行し、石田了一ご夫妻に車で送って戴いた。北上までの道のり、高速道路から紫波を発見。先日、綿貫さんに原宿にある「紫波」という岩手県産の食材を出してくれるしゃぶしゃぶ屋さんに連れて行ってもらったので反応した。北上の「さくらホール」へ到着。4人で見て回った。大きい箱のなかに独立したガラス張りの小さい箱がいくつも点在し、歌のお稽古をしていたり、講習会や打ち合わせをしたりしている様子が伺える。大・中・小のホールがあり、室内なのに街中みたいに緑地が存在する。かくれんぼができそうな路地があり、植田先生の予想通りなかなか面白い施設だった。石田さんご夫妻は車で東京へ戻るので、北上駅まで植田先生と私を見送ってくださった。この幸運過ぎる女の子は東京へ戻り、記憶が鮮明なうちに3日分の分刻みの超具体的日記を書けと言われる境遇に立たされる運命とはつゆ知らず、岩手県をあとにしたのだった。 私は東北初デビューにして、青森、秋田、岩手の3つの県を跨いだのだ。得たものは多いと実感している。多くの歴史的重要建築を巡り、美食に魅せられ、明るい弘前の住民と知り合い、全てが私の財産となった。前川國男建築は新宿の紀伊國屋書店しか見たことがなかった。建築を学んだ大学時代より建築を知っていく。植田先生にくっついて、綿貫さんにくっついて、皆にくっついて、いつの間にか巧みに建築を語る日が来るかも。見ていてくれよ、一緒に建築を学んだ友よ! 弘前ツアーの準備は2ヶ月の時間を費やしました。石場旅館の若旦那石場創一郎さんからドサッと届く資料を見る度、私の頭の中のキャパランプが“over”というサインを出し、司会のことを考えると泣き事を言いたくなる時もあった。石場さんはDMやポスター作り、資料作成、情報提供、旅館の仕事だってあるのに誰よりも多く動いてくださった。皆を満足させてくれるツアーとなったのは、石場さん、ツアーでガイドをしてくださった清水さん、今さん、コメンテーターとして参加くださった植田先生をはじめ寶神さん村山さん柏瀬さん伊熊さん、APE2005のデザインをしてくださった美術作家滝川真紀子さん、座談会の会場を貸してくださった三上ビルの方々、東京参加組の皆様、これ以上名前を挙げていたら朝がやって来るのでこの辺にしておきますが、携わってくれた皆様のお蔭であります。言いだしっぺの綿貫さん、これは嫌味なく言い出してくれてありがとうございます。年に一度程度なら、話に乗っからせていただきます。温泉ツアーのお話はこれでおしまい。 ギャラリー新人日記 10月24日8時に広間で朝食、朝ごはんを食べるのは数ヶ月ぶり。白ご飯3杯お代わりし
た。天候にも恵まれ、ポカポカ陽気だった。9時に石場旅館を出発。昨日お酒の席で話しをしたアラハバキ建築研究所の一級建築士今隆さんが本日のガイド役だ。
最初に上遠野建築事務所が設計したスペースデネガ(1983年)というギャラリーへ向かった。ギャラリーには地元の彫刻家・岩井康頼さんの力強い作品が展示されていた。丁度いいことに、スペースデネガを出たら、岩井さんに出くわした。そこで、岩井さんから作品の説明を受けた。終戦記念日などの祝日に下北半島に車を走らせ毎年同じ場所で廃材を拾って、それを作品にするという。なんと面白い発想。素敵!!と思った。2件目に毛網毅曠建築事務所の中三デパート(1995年)に向かった。昨日から見 てきた建築とは違い、未来的という印象。今さんの説明曰く毛網毅曠さんは風水が好きで、その風水を取り入れているらしい。10時からオープンだった為、裏口から屋上に入らせて戴いた。非公開でデパートの人で無い限り行けない場所だ。屋上からは弘前の町と岩木山が展望できる。桜島に似ているな・・・少しだけ帰りたいな・・・。次に前川國男の弘前市役所(1958年)に向かった。植田先生は、気に入ったみたいだった。来所される市民と受付の人の距離が近くて開放的。信頼感を持てそうな距離感だ。当初、前川國男がレストランを構想したという屋上へ上らせてもらった(普段は市民の方でも上がれない)。上から見下ろすと緑に囲まれて警察官がチャリに乗っていた。風情がある。旧藤田邸洋館(1921年)へ移動し、お茶をすることになった。テラスから見る洋館の内装はまるで貴族になった気分。私は、「こんがりカフェオレ」を注文した。キャラメルが焼きつけられたものだろうか・・・焦げている部分がほろ苦くてキャラメルが甘く、それが口の中で交差する。ここでは、広い庭園を皆で散歩した。池があったりお茶室があったり、とっても心地の良く穏やかな気持ちになる。誓願寺山門を潜り、早々に「そば割烹野の庵」旧正栄楼(江戸時代末期)でお蕎麦のコースを戴くことになっていた。春は桜が満開になり観光客で溢れるという川沿いを歩き、到着した。川は目の前、情緒溢れるお座敷で日本酒をちくと飲み、お蕎麦を啜った。ここのお蕎麦(津軽蕎麦)は大豆を繋ぎに使用しているという。ヘルシーで田舎臭くない風味と味が最高だ。お昼からご馳走を戴き、幸せ気分に浸った。昼食後は、弘前で三番目の鉄筋コンクリート造の越前屋漆商店店舗(1931年)にお邪魔した。非常に高い天井で、洋室のディテールは実に西洋的であった。いよいよ建築ツアーも終盤、前川國男の晩年の作品、弘前市斎場へ向かったが、葬儀中だったため控えめに見学をした。1泊2日の方との解散時刻も迫り、建築ツアーの最後は棟梁の神様・堀江佐吉の最後の作品といわれる、旧弘前偕行社に向かった。おっ、“最後”つながり、粋な計らいかな・・・。ここは、現在学校に使われている。映画の撮影にも使われたという。暖炉があり、広々としており、偉い人の部屋に入らせてもらった。西洋風の洋館はとにかくディテールが綺麗に施されている。それは、弘前の豊かな生活や環境を物語っているようにも思える。そして、日本的な建築は、間口が狭く奥に広く深い。箱のような塊建築は見当たらない。京都にある建物に近いものを感じる。現在も弘前に存在する西洋建築と日本建築どちらも、この伝統が朽ちてしまうまで守っていくべきだと思った。守ることがどれ程大変か、私には想像が付かないが、「春の桜、夏のねぷた祭り」だけとは言わせないほどの、豊かな建築文化を持っていると思う。ガンバレ弘前!!ガンバレ私!! 16時に弘前駅で1泊2日組と解散した。バスの中はガラーンとし、少し寂しいな。石場旅館まで送ってもらい運転手の大鰐さんにありがとうの挨拶。遅れて到着した刷り師の石田了一さんと奥様のあん子さんと合流し、石場さんと本日のガイド今さんに葡溜満という喫茶店に連れて行ってもらった。そこはまさに喫茶店。私はレアチーズケーキとカフェカプチーノを注文した。シナモンスティックで独特の甘みをプラス。三浦さんが隣でミディアムチーズケーキを食べている。1口ちとは言わず2口パクッと食べた。優雅な雰囲気で、香り高く味わい深いコーヒーを飲んでホッと一息した。三浦さんがご馳走してくれた。 夕暮れの弘前を後に、秋田県にある日景温泉まで石場さんが送ってくれるとのことで、石田さんの車と2台で向かった。私は始終爆睡。一時間ほどで山奥の日景温泉に到着し、部屋は柳田さんとご一緒することになった。夕食にはきりたんぽがあった。初めて口にした。白ご飯は2杯お代りした。おなかが重たい。太ったかな〜まぁこの3日間特別。部屋に戻りしばらく柳田さんとお喋りをした。一緒にお風呂へ向かい、乳白色の温泉に浸かった。お風呂上り、更衣室で柳田さんとまた話し込んだ。柳田さんは、女優さんみたいにとっても美人で、気品のあるおばあちゃま。憧れる。夜は綿貫さんの泊まる部屋にスッピンで登場し宴会に参加した。8月末に軽井沢出張で植田先生、石田さん、令子さんに見せているから平気。またここでちくと日本酒を戴き、就寝した。 ギャラリー新人日記 10月23日朝6時起き。眠い気持ちも吹き飛ぶほどの、でも小走りで東京駅へ向かった。そう、今日から弘前ツアー。8時28分発新幹線はやての中で集合。駅弁を購入して乗り込んだ。緑蔭小舎の柳田冨美子さん、植田実さん、綿貫さん令子さん三浦さん私は同じ車両。雑誌『室内』の塩野さんとナイト・スタディ・ハウスの菅野さん、システム開発をされている小林さんご夫妻は別の車両。さらに建築家の河村容治さんと原口慎也さん大宮優永さんご夫妻も別の車両に・・・。私は、新幹線の中で座談会に向け石場さんから送られてきた資料で猛勉強。弘前住民の方が事前アンケートに答えてくれた資料を読みながら初めての東北の景色も見逃すまいと集中できずにいた。八戸で特急つがるに乗り換え、ゆっくりと私たちを運んでくれる。弘前には13時7分に到着した。風が少し冷たい。ここで初めて東京参加組が全員顔を合わせた。タクシーで石場旅館に向かい、たくさんの人に迎えられたが、挨拶も早々に“弘前建築ツアー”と書かれたバスへと乗り込んだ。ガイドを担当してくれるのはAXIS建築計画工房の清水弘一さん、津軽弁でのガイドだ。東北の人は寒いからあまり口を開けずに話し、聞き取りにくいという印象を持っていたので、ジーッと観察してみた。そうでもない。生津軽弁は初耳だったので、温かいという印象を受けた。今回の建築ツアーでどの建築を見学して回るかというのは、『ぷらっと建物探訪』の著者である古跡昭彦さんが念入りに考えてくださった。その古跡さんが先日お亡くなりになられた。このツアーはきっと古跡さんの魂が宿っている。必ず皆が満足できるツアーになるはず・・・。まず、前川國男さんの処女作、木村産業研究所(1932年)を見学。師匠であるフランスの建築家ル・コルビュジエの近代建築5つの要素が組み込まれて表現されていると言われている作品だ。清水さん曰く、壁から離れた所に位置する太い柱が特徴。続いて弘前市民会館(1964年)・市立博物館(1976年)へ移動。ホールの中も見せていただき、外観を見るためぐるっと一周。みんなして、「おぉー」とか「いいねーこれは。」とか「こりゃすごいなー」と様々に感嘆し、パシャパシャ写真を撮っている。次は吉野レンガ倉庫、レンガとセメントの割合がレンガの色をいい具合に強調しているように思えた。清水さんはこの日のためにものすごく勉強をしてくださったそうだ。地元の人でも入れない場所も、私たちは入ることができた。これも石場さんと協力してくださった住民の方のお蔭です。重要文化財に指定されている旧第五十九銀行本店本館は、NHKの朝の連ドラに使用して欲しいと思うくらい綺麗なままで立派である。百石町展示館は壁に階段の跡などあり、前にあるリンゴのお菓子屋さん「ラグノウ」でお土産を購入した。夕食の時間まで少し時間があったので、今日の建築ツアーのラストとして重要文化財である江戸時代中期の建物石場家住宅(石場屋酒店)を訪ねた。時代を感じさせる趣のある空間。住人がいろりを囲み、私たちを全く意識してない様子で談話をしている。私からみえた弘前建築の印象として、弘前にある前川國男建築は、箱のように塊になっていないからか重たくない。サッシュのディテールは凝っているな・・・なんて、大学で建築を学んできた人とは思えないコメントしかできすに申し訳ないです。どうかご失笑を・・・
石場旅館に戻り、私は皆より一足先に会場である旧・弘前無尽株式会社社屋(1927年)の三上ビルに入り、今日の主催者・石場創一郎さんからイベントの進行説明を受けた。建築ツアー中、建築の撮影をしてくださった高橋さんが写真を映し出してくれる係り、プロジェクターも準備されていてなかなか本格的。古跡さんのご遺族の方も座談会にいらっしゃいました。コメンテーターである建築評論家の植田実先生、青木淳事務所で青森県立美術館を担当された寶神尚史さんと村山徹さん、八戸在住の写真家柏瀬八峰さん、弘前で大工をしている伊熊夏樹さん、そして司会の私が前に座り、打ち合わせもろくにできないまま座談会がスタートした。まず、それぞれの自己紹介。植田先生以外の皆さんはコメンテーターは初めて。そのわりに雄弁だな〜と思いながら、私も客席側の立場で聞いていた。まず、植田先生が「弘前に“建築”はあるか――」という題名にした理由を述べた。そして『事前アンケートの「好きな建築はなんですか?」という質問に対し、「“自分の家”と挙げている人が過半数、残りの人はサクラダファミリアやタージ・マハルといった世界的にも超有名な建築を挙げている。中間がなくてとても面白い。 好きな建築は自分の家であること、それでいいのだ」とコメントされた。私は、悲しいことに自分の家を建築として見たことがなかったな・・・と思いながら聞いていた。写真を観ながら弘前建築ツアーの感想をコメンテーターの皆さんが話をしてくださった。色使いの事、良い形で残していって欲しいと。寶神さんと村山さんは、青森県立美術館について、また、建築に携わるようになった理由などを話してくださった。柏瀬さんは、撮影している好きなショット、ウィンドウに写る景色を写真と一緒に説明された。伊熊さんはガテン系なコメント。あんな面白い大工さん出会ったことないな・・・。植田先生は私の司会を助けて下さり、客席に座っている東京組の大宮優永さんや柳田冨美子さん、河村容治さんに話をふり、和やかなムードになった。最後に綿貫さんも「弘前が素晴らしい建築都市である」と話し、8時に座談会は終了。集ったお客様は約65人と聞いた・・・。 その後、立食パーティーが行われ、お酒を飲みながらそれぞれコミュニケーションタイム。河村先生と私は数ヶ月前のナイト・スタディ・ハウスでお会いしていたことに気付いた。そして、原口慎也さんはなんと鹿児島出身。大宮さんに鹿児島弁で会話して!と言われたが、そう言われると出てこない。2次会はゆったりできるバーへ移動。生まれた場所も環境も年齢さえ違うのに、初めて出逢ったとは思えないほど親しくなる。話は尽きないが、時間は刻々と過ぎ去る。12時を回り、少しだけ眠たくなってきた。それでも話は尽きない。今日はこの辺で・・・夜は一段と冷え込む。冬の匂いがした。石場旅館に戻り、就寝。 ギャラリー新人日記10月22日ジョナス・メカス新作映画上映会も無事に終わり、明日からいよいよ弘前建築ツアー。なんだか緊張してきました。忘れ物が一番恐い。座談会はぶっつけ本番、自然体でいきます。資料を読んで考えるより、実際弘前の建築を見学してみたら話すことは浮かぶでしょうし。気楽にいこうと開き直り、プレスリリースを作成した。夕方、谷川渥先生が突然の来廊。版画掌誌第5号日和崎尊夫特集の原稿を書いてくださった方です。原稿はFaxにて既に戴いており、お逢いするのは初めて。原稿からは想像がつかないほど気さくな方でした。谷川先生はインターネットで私を知ってくださっており、なんだか嬉しく思いました。版画掌誌第5号の刊行は11月。最後の頁に私の名前が載るのかなーと思うと胸がわくわくしてきます。
ギャラリー新人日記 10月21日さすがメカスさんの展覧会だ、来廊者が途切れない。19時からジョナス・メカス新作映画『グリーンポイントからの手紙』の上映会、予約された21名のお客様が集った。ビールを片手に上映会が始まった。観始めてから気付いた。字幕スーパーじゃない・・・。
メカスさんの引越し風景だった。片付けられた後の寒々とした廊下に向かい、靴と床が接触する体重の掛かった音、自分に語りかけているようだった。新居に引越し、Boiled eggの殻をバリバリ剥きなが口に頬張り、「Thanks my friends!」・・・この言葉が私の耳に響き、今でも残っている。メカスさんは息子や男友達に囲まれている。音楽を聴き、スピーカーから聞こえるボリュームよりももっと大きな声で唄う。音と食のある生活だった。若い男友達とコーヒーショップでエスプレッソを啜り、新居でスープを啜る。時には腹の白い黒猫に話しかける。撫でてあげる。メカスさんの明朗な様はとても愛くるしい。普段の優し過ぎる表情、己の意見を話すときは真剣な眼差しをする。メカスさんにお逢いしてから色々な表情を見てきた。『グリーンポイントからの手紙』は温かかった。陶酔した。 映画が終わった後、ご近所のギャラリートキさん、森美術館の黒岩さん、メカスさんのコレクター岡本さん、メカスさんの母国であるリトアニアに写真を撮りに行った写真家の今井さん、写真家の萱原さん、綿貫さん、三浦さんと私で、原宿にある「紫波」という最高級の新鮮な素材を出してくれるしゃぶしゃぶ屋さんに行った。皆メカスさんのことをよく知っている。メカスさんの話やリトアニアを訪ねたトキさんと今井さんの話・・・メカスさんが大スキというのが伝わってきた。メカスさんへの情熱は誰にも負けない、そういった感じだった。岩手産の牛、たこ、いか、ホタテ、たっぷりの野菜など全て美味。素晴らしく温かい映画と美酒と美食、幸せです。 ギャラリー新人日記 10月20日いよいよ明日はジョナス・メカス新作映画『グリーンポイントからの手紙』の上映会です。毎日たくさんのお申し込みがありますが、定員オーバーでお断りしております。ご連絡くださった方々、大変申し訳ございません。
磯崎新連刊画文集『百二十の見えない都市』第二期を収めるたとう箱に使用する紙を、神保町にある竹尾という紙屋さんに注文した。社長からもらった地図とインターネットで出力した詳細地図を握り締め、取りに行った。地下鉄から出た場所が交差点だったため、地図を回転させて見てもいまいちピンとこない。25%の確立で感に任せて進もうか・・・。暫く周囲を見渡して現在地を把握し、竹尾へ辿り着いた。真っ白の空間に色とりどり、素材とりどりの紙達が階調状に整然と並んでいる。包装してもらっている間、色んな紙を触り店内を歩いた。楽しかった。 今日は18時から白井版画工房での版画教室だと思って急いで仕事を終わらせたら、来週だった。気が抜けた。綿貫さんに「呑気だな〜」と言われた。18時過ぎて、植田実先生が来廊された。23日からの弘前建築ツアーの一環として地元の皆さんと催す公開座談会の打ち合わせをした。植田先生と話をしたら、総合司会という大役の責任が少し軽くなったような気がした。 ギャラリー新人日記 10月19日今日は一日中デスクから離れられなかった。いっぱい頼まれ事をしたので憂鬱になっていたら、綿貫さんと三浦さんから「やれば、終わる」と笑顔で言われた。
『百二十の見えない都市』のたとう箱で必要なリボンをインターネットで購入、便利な時代だ。ジョナス・メカス展のオープニング写真をHP用に30枚ほどスキャニング、便利な機械さえ発明されていなかったら、やらなくて済んだ作業かも・・・と思った。版画掌誌用の30点もあるメカスさんの作品のキャプションを頼まれていたので気が重かったが、三浦さんが作成していた。ラッキー!! 帰り際、外出中の綿貫さんから電話が入った。「溜めるときついよー」と。何の事だろうと思ったら、日記の話だった。バレちゃった。家に帰ってやりま〜す。帰り道、やり忘れた仕事を思い出した。明日忘れないようにケータイからPCへ送信。 ギャラリー新人日記 10月18日23日に弘前で植田実先生を囲んで公開座談会「弘前に『建築』はあるか」を開催する。取り仕切ってくれている石場さんからスケジュールとコメンテーターの情報が送られてきた。私は総合司会という重要な任務を背負っているにも拘わらず、司会とは何ぞや・・・と思って何も考えられていない。大学のプレゼンは棒読みで有名。大丈夫か?と自分に問いかけたくなる。
夕方ディス・ハウスに版画掌誌に掲載する作品のポジを持って行った。ここに来て北澤さんと話しているといつの間にか時間が過ぎてしまう。ポジ(写真用語)を辞書で引くとポジティブの略。陽画と書かれてある。ネガ(写真用語)はこの逆のことが書かれている。ポジはポジティブからきているってこと?・・・と最近気になっていた話をしたりする。北澤さんの仕事の邪魔をしてしまうので、その足で弘前ツアーの往復チケットを購入しに渋谷のみどりの窓口に向かった。予測通り行列ができていた。東京は何をするにも並ばなきゃいけない。なかなか前に進まない。皆、先頭に立つと、やっと自分の番が回ってきたというような今まで抑えていた深いため息を吐く。私の番が来て、購入し終えると外はもう暗くなっていた。足早にギャラリーに戻るとメカスさんのファンで賑やかだった。そんな中で磯崎新連刊画文集《百二十の見えない都市》のたとう箱の製作を担当する仙台の経師やさんの小林さんが来ており、さっき会ったばかりのデザイナーの北澤さんと打ち合わせをしていた。箱の準備も着々と進んでいる。確か、磯崎新先生は10月半ばに中国から戻ると聞いている。近いうちに様子を見に行こう。 ギャラリー新人日記 10月15日今日は三浦さんとジョナス・メカスさんの宿泊先にまたもや作品のサインと大量の本のサインを戴きに伺った。昨夜のオープニングのお疲れの様子もなく、サインの数にも驚かず快く引き受けてくださった。
メカスさんはトレードマークとなっている重いタイプライターをニューヨークから持ってきたのだが、宿舎にはタイピングするための丁度いい高さのデスクと椅子がない。何とかして欲しいとおっしゃるので、綿貫さんと三浦さんは大慌てで家具屋さんに捜しにいった。戻ってくるなり私にこっそりテーブルを買ってきたことを報告してきた。綿貫さんは嬉しそうな顔をしながら「令子さんにはシーだよ!!」と言う。綿貫さんはすぐに買いたがる性格らしい。黒い大きなテーブルが運び込まれると、綿貫さんは必死に令子さんに説明をしていた。弁解しているようにしか聞こえなかった。 結局、ときの忘れもので使っていた古いデスクと三浦さんの椅子をメカスさんに貸し、綿貫さんは好きなテーブルをまたひとつ手に入れたというわけだ。 ギャラリー新人日記 10月14日今日はジョナス・メカス展オープニング。16時に三浦さんがメカスさんをお迎えに上がり、ときの忘れものに25分頃到着した。すでにお客様は数名おり、メカスさんの登場に一瞬止まり、3秒後に夢じゃないことに気付き喜ぶ・・・といった様子だった。綿貫さんの心配りでBGMにリトアニア合唱曲を流した。直ぐ様2階の三浦さんのデスクで作品と本に大量のサインを求めたが、厭な顔一つせず快く引き受けてくださった。私は図々しく昨日メカスさんの宿泊先で撮ってもらった2ショット写真に“To
ReikoJonas”とサインして戴いた。サイン終了後、Thank
you.を交わし握手した。なんて温かい手、穏やかな心、包み込む優しい顔、おごりの無い挙動。17時からのオープニングパーティには、数え切れないほどたくさん方が来廊し、ときの忘れものは大混雑で身動きすらとり難い状況だった。しずかな南青山の一角だけ空気が薄くなり熱気でムンムンとしている。作品をゆっくり眺められるほど余裕はなかったかもしれない。メカスさんはさぞかしお疲れでは・・・と思ったが腰掛けを拒み、皆と同じく立ちっぱなしだった。最初は写真を撮り、近付けずにただ見つめていた者も、徐々に自らメカスさんに英語で話しかけ、サインしてもらったり、写真を撮ってもらったり、ハグしてもらったり・・。ジャケットにサインを求める者もいた。たどたどしい英語で、でも何とか気持ちを伝えたいとしている者の英語は伝わっていた。むちゃくちゃな言語でも願えば届く。コミュニケートの根本は伝える者の気持ちと聞く者の気持ち、両者の態勢なのだと私は思った。
インタビューを求める者には場を移動して応じていた。皆のメカスさんを見つめるまなざしは温かい。愛と尊敬のまなざしだった。19時になっても訪れるお客様は途絶えることなかった。 その後の二次会は、南青山の中華料理でメカスさんを囲んで会食をした。メンバーは詩人の吉増剛造先生、有名な『メカスの映画日記』(1974年)の装幀を担当された建築評論の植田実先生、メカスさんの詩集の翻訳者・村田郁夫先生、そして早速大枚はたいて作品をお買い上げいただいたSさん、Hさんなどなど。メカスさんはお酒(日本酒の熱燗)も入り楽しそうな様子だった。綿貫さんがメカスさんに日本の大漁節を歌った。リトアニア大使館の素敵な女性もリトアニアのラヴ・ソングを歌った。メカスさんも高揚し、リトアニアのラヴ・ソングを歌った。明るい大きな声は愛国心に満ち溢れ、私の目には母国が恋しくなったようにも映った。リトアニアのラヴ・ソングは陶酔させる力がある。 オープニングパーティにご参加くださった皆様、ありがとうございました。29日までジョナス・メカス展を開催しておりますのでまたのご来廊お待ちしております。 ギャラリー新人日記 10月13日三浦さんと朝の11時にとある駅で待ち合わせ。いつもより早起きをして15冊の本を抱え向かった。ジョナス・メカスさんの宿泊先に作品と本のサインを戴きに訪ねた。メカスさんは目を擦る仕草をしながらサインをした。サインの作業が終了し、2ショットで写真を撮った。三浦さんは横に並んで撮ったのだが、私が横に並ぶとメカスさんは私の肩にそっと手を置きスマイル。私はビッグスマイル。尾立家の家宝がまた増えました。
明日17時からときの忘れものでジョナス・メカス展のオープニングです。メカスさんも来廊の予定。私はここに入社し、初めてのオープニングを迎えることになる。そうそう、今日で私は入社4ヶ月を迎えた。最近では、ギャラリー新人日記を溜めてしまっている。 ギャラリー新人日記 10月12日今日は家から直で白井版画工房に向かい乃木坂の駅に着いてから電話を入れた。白井さんは留守だった。仕舞った・・・工房へは3分程で着いてしまう距離。アシスタントの方が白井さんは12時半くらいには来るかもというので待つことにした。いくら待っても来ない。待ちくたびれ、アシスタントの方とお昼御飯を調達に行った。帰ってきてから、綿貫さんに「明日電話してから一番に取りに行ってください。」とメールしていたでしょ、と言われた。ごもっとも、返す言葉が見当たりません。
15時からディス・ハウスの北澤さんと打ち合わせ。日和崎尊夫展のDMの件、日和崎尊夫句集の件、版画掌誌の件。綿貫さんは「こうやって!ああやって!北澤さん決めてよ〜」と言う。北澤さんが渋い顔をしながら応じている。私はキャパオーバーで黙っているしかなく、そんな私に気付き綿貫さんが印刷時の紙の折り方について講義してくださった。小学生の時に一枚の紙を何回も折り、捲られる絵本を作った記憶を思い出した。それとこれとは別なのかな? ギャラリー新人日記 10月11日ギャラリー新人日記 10月8日今日は14時から寺下さんと三浦さんでジョナス・メカスさんの作品の展示作業を行った。寺下さんは用意周到で図面を持って来ていた。何せ写真は30点と、版画が7点もあるため大変なのである。ああでもないこうでもないと、私の目線を基準として高さを微調節した。昨日、青森県弘前の石場旅館のご主人石場創一郎さんから弘前ツアーのDMが送られてきた。モノクロで、活字だけのレイアウトなのだが、声明が伝わってくる素晴らしいDMだった。
ギャラリー新人日記 10月7日今日は福岡から私の叔母が来廊し、皆さんに紹介した。叔母は頻繁に東京に来ており、なかなか上京する機会がない両親に代わっての訪問だ。ブログも読んでくれている。内装は木造なので、イメージしていた会社とは違っていたとの感想。こうして私の職場に招いた私を見て、成長を改めて感じたそうだ。
三浦さんがさり気なく、昨日の残業の事を言ってくださりお蔭で私は1時間早く上がらせてもらった。三浦さんは舅みたいな存在だが、今日ばかりは天使に見えた。誤解がないように言っておくが、三浦さんはよくチョコレートをくれるとっても穏やかな人。チョコレートにつられているわけではない。こう言っては失礼になるかもしれないが、仲良しだと思っている。私のお肌の状態で寝不足と遊び過ぎを見抜ける力がありそうという意味での姑である。 ギャラリー新人日記 10月6日月に一度の狭山にある倉庫を掃除する日。昨夜から億劫になっていた早起き。6時半の目覚ましが鳴り、起ききらない自分と葛藤した。
三浦さんと待ち合わせをし、狭山の駅近辺にある三浦さん御用達の団子屋さんに立ち寄り、買って帰るお団子を吟味した。倉庫には、雄高さんの友人も手伝いに来ていた。まぁよくもこんなに集めたものだと思うほどの綿貫さんの本。まず、あの広い倉庫を掃除し、棚を配置し、本を仕分け並べていく作業をした。ガテン系といわれる私もさすがに滅入る。私だけ狭山を15時前に出て、青山に戻り岡部さんとバトンタッチで番人役(留守番)をした。狭山に残って作業を続けているメンバーは16時に作業を終了しお茶をしていると聞いた。ズルイ!!と思ったら、岡部さんが「モンブランを買ってきたの、お茶にする?」という言葉で、私は機嫌を取り戻し二人でお茶をした。体力を消耗した後の甘いものは癒される。 一人になり、こういう日に限って電話や来客がある。ちょっとした物音や電磁波に敏感になり、怖くなってきた。一人でいるには広すぎる空間で、余計一人ぼっちを感じる。ハ・ヤ・ク・カ・エ・リ・タ・イ。 ギャラリー新人日記 10月5日三浦さんと綿貫さんが、雨の中、両手に大きな荷物を抱え、汗だくで出勤した。朝一番で作家のところに伺い、作品と本にサインして貰ったそうだ。だんだん展覧会が近付き慌ただしくなってきた。
ディス・ハウスの北澤さんに届け物をしたらついつい余談をしてしまい、画廊に戻り綿貫さんの席でPCの修理。PCの機嫌を直し、北澤さんからの伝授にも関わらず少し得意気になった後、三浦さんとジョナス・メカスさんの作品の件で堀内カラーへ行った。今日は、仕事したかな?という気にさえなるほど、デスクにいる時間が短かった。 ギャラリー新人日記 10月1日今日は磯崎新展最終日。本当に多くの方が来廊した。
15時前に、私が卒業した神戸芸術工科大学のゼミの教授、三上晴久先生がご来廊くださった。なんだかとても照れくさくなって、私は少し無口になった。綿貫さんと三上先生は話をしているのだが、私はモジモジして台所に隠れたりしていた。三上先生から見て、大学時代の私からは想像もつかない姿なのだろうか・・・。私は三上先生にお世話になり過ぎているせいか、やりがいのある素晴らしい職場で働いているせいか、あるいは甘ったれている性格のせいか、友人から「コネクションで就職したんでしょ?」とよく突っ込まれる。いつからか、その言葉は誉め言葉に聞こえるようになった。三上先生、ご来廊ありがとうございます。またのお越しをお待ちしております。 【TOP PAGE】 |