ギャラリー新人日記

2005年11月

ギャラリー新人日記 11月30日

今日で11月も終り。あぁ早い〜。
13時にディス・ハウスに『版画掌誌第5号』のパンフレットの打ち合わせに行った。打ち合わせが終り、おなかが空いたと言うと北澤さんがランチをご馳走してくれた。昼間から満腹でご機嫌になり画廊へ戻った。
15時に長野県からリトグラフ刷り師の森さんが来廊され、続いて銀座のギャラリーせいほうの田中さんが来廊された。お二人は初対面らしいが、賑やかな話声が聞こえた。
17時にシステム担当の田中さんがおよそ2ヶ月ぶりに来廊され、みんな競って田中さんにあれもこれもお願いした。
森さんと綿貫さんは、18時過ぎに、私が始めて綿貫さんに連れて行ってもらった和食屋さん『北海屋』に行き、19時過ぎに令子さんと私は後を追った。森さんは、20代は「三彩」の編集者を務め創作版画の貴重な文献の編集に携わり、その後、突然独学で刷り師になり、2.5mの巨大なリトグラフを刷ることが売りの石版画工房を主宰しているそうだ。工房の設計は、綿貫さんが紹介した建築家原広司さん。工房で刷りの仕事をしながら、自分でも3年間で百数十点もの作品を制作したそうだ。私も白井版画工房で版画教室に通っているが、何を描きたいのかイメージが湧かない時はただ時間だけが過ぎ気持ちが焦る。森さんは描けば描くほど、もっとこうしたいああしたいと思い、結果百数十点という数になったそうだ。確かなイメージが存在するなんて羨ましい・・・。思ったことは相手構わずズバっと言う性格らしく、作家がムッとし喧嘩をすることさえあったと言う。しかし、痛いところを突かれたからつい怒ってしまったと詫びて戻ってくるそうだ。とても大きく厚い手をしている森さんのことを、「色彩感覚が非常に優れていて、パイオニアだ!」と綿貫さんは言っていた。 パワフルな方でもあり、「いろは歌」の意味を教えてくれるなど、情緒ある方だった。森さんのパワーは、より元気にさせてくれる。今日はいっぱい得ることができた。  

ギャラリー新人日記 11月29日

土曜日は代休をもらっていたため、私は3日ぶりの出勤。冴えない頭で日和崎尊夫句集のパンフレットのデータを作成した。舟越保武・難波田龍起展のDMが届き、岡部さんは発送の準備をしていた。
14時頃、磯崎新アトリエの平田さんから、シルクスクリーンの刷りに本格的に入るため、フィルムの確認の電話が入った。平田さんは、アトリエが休みの土曜日に、シルクスクリーン刷り師の石田了一さんの元へ打ち合わせに行ったと聞いた。私も頑張らなくっちゃ・・・。
注文していた磯崎新連刊画文集『百二十の見えない都市』のたとうに使用するリボンが届き、仙台に住むたとう職人の小林薫さんにたとう見本を発送するため、梱包作業でおろおろしていた。令子さんにどうしたらいいか聞いてみると、難儀なくちゃちゃっと綺麗に梱包してくれた。令子さんは梱包の達人だ。
高知のギャラリーに『日和崎尊夫句集』を置いていただけるよう日和崎雅代さんが宣伝してくださり、雅代さんに『日和崎尊夫句集』を発送する準備をした。令子さんが検品し、私は番号を朱墨で記入した。そして、木口木版『鋼鉄の花』を挿入する作業をした。
なんだか今日は完全に頭がボケており、いまいち仕事の波に乗れなかった。  

ギャラリー新人日記 11月25日

今日は『版画掌誌第5号/日和崎尊夫特集』に素晴らしいテキストを執筆をしてくださった谷川渥先生が来廊された。版画掌誌と句集のできばえを誉めて下さった。
夕方、綿貫さんの高校同級生の砂子屋書房の田村雅之さんと、装幀家の倉本修さんが来廊された。二人とも日和崎尊夫さんととても親しく、話が盛り上がり、日和崎さんの武勇伝を話していた。大阪で日和崎さんが酔っぱらって警察に捕まったこと、武生に和紙を捜しにいって80歳の芸者さんをあげてどんちゃん騒ぎをしたこと、田村さんの家に泊まった日和崎さんが朝食のコーヒーに生卵を落としたこと、などなどあまりにも面白い話なので、三浦さんと私は2階で聞いて笑っていた。19時になり、田村さん、倉本さん、綿貫さんと令子さんは、昨日行ったお蕎麦屋さんに出掛けて行った。
三浦さんは奥さんとお友達とフランス料理を食べに行く約束があり、私は大学時代の友人で、現在神戸芸術工科大学の三上晴久研究室で院生をしている児島君と東京で建築の仕事をしている山口君と御飯を食べる約束があった。表参道を歩きながらも、ご飯を食べながらもずっと建築の話。超建築好きで、建築を見に色んな場所に出掛ける物知りな彼等。建築に関して無知な私に色んな話を教えてくれる。私は弘前ツアーで学んだ前川國男建築の話をすると、「うわぁー尾立さんから建築の話教えてもらってる・・・」と驚かれた。あぁ〜弘前行って良かった。児島君が「磯崎新さんのシルクスクリーンはすごいねん」と言い出し、「それ、うちの会社がやってるんだよ!」と、どうしても今すぐシルクスクリーンを見て欲しくて、綿貫さんたちまだお蕎麦屋さんにいるかも・・・と思い電話をした。案の定まだお蕎麦屋さんにいると言うので、見せて欲しいとお願いした。「いいですよ〜。」と快くO.K.してくださり、3人でときの忘れものに向かった。綿貫さんと令子さんは準備をして待っており、シルクスクリーンやスケッチブックを見せてもらった。綿貫さんから磯崎新先生や安藤忠雄先生、原広司さんの建築にまつわる貴重な発言の話をいっぱい聞かせてもらった。みんな相当建築を見ているらしく、話に付いていけない私・・・。児島君も山口君も綿貫さんの話にすごく感動しており、「話聞いていて震えたよ、来て良かった〜綿貫さんにトークセッションして欲しい。また行くわ!」と言ってくれた。えへへ、自慢の上司です。綿貫さんの話を聞いていると、また違った目線で建築を見ることができる。彼らも同じ気持ちであれば、私ちょっと良い事したかも。また遊びに来てね。綿貫さん、令子さん遅くまでありがとうございました。1
  

ギャラリー新人日記 11月24日

三浦さんと雄高さんは年末オークションに向けて準備をした。もうすぐ12月。この前まで大学生だったのに早いな〜。
14時頃、『日和崎尊夫句集』で協力してくださった詩人の八木幹夫さんが来廊され、俳句の元の原稿をお見せしていたら、数分後に八木さんを紹介してくださったデザイナーの北澤さんも来廊された。北澤さんと、磯崎新画文集『百二十の見えない都市』のたとうの打ち合わせをして、たとうの制作をしてくださる仙台の小林薫さんに発注する準備をした。たとうで使用するリボンは、57メートル。インターネットで注文すると1万円を超える金額になり、間違っては大変なので念には念を・・・と思い確認の電話を入れた。
16時頃、綿貫さんと令子さんと私は、『版画掌誌第5号』と『日和崎尊夫句集』の献呈先の打ち合わせをし、私は献呈する方にお手紙を書いた。
18時頃、綿貫さんの高校時代の後輩である田沼さんが来廊され、続いて作家の井村一巴さんが写真作品にサインをしに来廊されて、ときの忘れものは賑わっていた。
19時半頃、画廊を閉めて、綿貫さんがひいきにしているお蕎麦屋さんに田沼さん、井村さん、綿貫さん、令子さん、三浦さんと私で出掛けた。みんなで熱燗をクッと飲む。最近日本酒の味を知りつつある私、おつまみを食べながら、綿貫さんの地元嬬恋村の話など聞き、最後のしめでお蕎麦と丼を完食。21時半に解散した。
八木さん詩人 八木幹夫さん  

ギャラリー新人日記 11月22日

相変わらず日和崎尊夫さんのファンの方の来廊が続く。綿貫さんが昔やっていた「ギャラリー方寸」のお客様だった方が偶然来られて、お互いに驚いていた。インターネットでときの忘れもののことを知ったそうだ。
先週に引き続き、プレスリリースを作成した。その作業を終え、HP用の『画廊主のあいさつ』に掲載するときの忘れものの様子が写っている写真をスキャンするよう頼まれた。カメラマンである永井桃子さんのお父様が、以前桃子さんの個展の様子を撮影した写真らしく、ときの忘れものが実際よりも広く見える。プロは違うな・・・。
夏以来、他の仕事で手がいっぱいで一時中断していた、柳田冨美子さんの画廊・緑陰小舎関係の書類の整理を再開した。弘前ツアーで柳田さんが「私の本はどう?ゆっくりでいいのよ。」とおっしゃっていたが、そういうわけにもいかない。今週中にリスト作りは終わらせると決めた。
18時頃、聖徳大学の講師で、版画研究者である桑原規子さんが、最近刊行した『由木礼全版画集』を持って来廊された。とても大掛かりな作品集で、調査から編集、刊行までとても忙しかったとおっしゃっていた。
19時に、私は柳田さんの書類リストを完成することができた。これからどのような本にしていくか、このリストを元に打ち合わせていかなければ。
昨日も休みだったのに、また明日も休み。こんなに休んでいいのかな・・・。由木礼全版画集1  

ギャラリー新人日記 11月19日

まだ開廊前の11時頃、日和崎尊夫さんの木口木版を1978年に摺って下さった五所菊雄さんが来廊されたらしい。私はまだ出勤していなかったのだが、残念。
今日は日和崎尊夫さんの奥様雅代さんが高知から上京なさった。13時過ぎに、日和崎尊夫さんとローマで知り合ったという柏木さんというお友達の方と来廊され、しばらくときの忘れものでお話をした。私はお会いするのは初めてだった。句集に掲載している雅代さんに依頼した文章は、達筆だったのでとても編集しやすかったのを思い出した。穏やかで優しそうな方で、高知弁がとっても可愛かった。
19時半頃、雅代さんと『版画掌誌第5号』と『日和崎尊夫句集』のデザインを手掛けた北澤敏彦さんと綿貫さんと令子さんと私で、超美味しいしゃぶしゃぶ屋さん『紫波』に行った。海の幸や野菜、岩手県産の牛肉や揚げ餅などをしゃぶしゃぶしながら私たちは色んな話をし、すぐに打ち解けた。雅代さんは日和崎さんを「日和さん」と呼んでおり、「日和さんは、寂しくなるとアトリエから東京にいる3人の息子たちに電話をしていました。」と言っていた。数年間の結婚生活だったらしいが、いっぱい思い出があるみたい。その思い出をいっぱい聞かせてもらった。最近、高知で日和崎さんの取材がいくつかあったとおっしゃっていた。
『日和崎尊夫句集』の句は、私が手書き送稿から活字におこしたものを北澤さんが考えて並べ替えた。『日和崎尊夫句集』はみんなのアイデアが詰まった、とっておきのモノなのです。今日も句集は売れた。ありがたい。この句集は高知でも販売しますので、どうぞ高知の皆さん宜しく。
9時半頃『紫波』を出て、そのまま地下1階のバーに移動した。みんなで小さい丸いテーブルを囲んで、また話した。とっても楽しかった。私たちは10時半頃まで雅代さんとひとときを過ごした。たった数時間だったが、なんだか「さよなら」は名残惜しかった。また、お会いしましょうね。雅代さんご来廊  

ギャラリー新人日記 11月18日

いよいよ明日からときの忘れもの新HPをオープンさせる予定のため、雄高さんがしゃかりきになってリニューアル作業を行なっていた。
昨日、デザイナーの北澤さんに12月16日〜28日に開催する舟越保武・難波田龍起展のDMのゲラをオッケーしたのに、突然綿貫さんがDMに載せている作品を変えたいと言い出す。ご自分で言ってくださいって感じなのに私が電話をする破目に。電話の向こうで北澤さん苦笑い。ディス・ハウスに作品を持って行き、画廊に戻ると『日和崎尊夫句集』が出来上がってきていた。『版画掌誌第5号』とはまた全然違う。何が違うって紙が違うし、重みも違うし、なんてったって本になっているから違うのかな句集たちの最後の頁(奥付)に1〜300までの番号を小筆で入れていく担当になり、筆を持つ手がプルプルしそうなほど緊張した。だって売り物。徐々に慣れてきたが若い番号は相当ヘタな字、なぞり書きしたら更にヘタな字になってガックリ。しかし、1冊1冊思いが込められています。岡部さんと木口木版『鋼鉄の花』を自然のりで貼り付け、あい紙を挟み完成。いよいよ販売できる状態になりました。
17時過ぎに、革ジャンを羽織ったダンディーな方が来廊された。只者ではない風貌。デザイナー永井一正さんだったのだ。できたてホヤホヤの『日和崎尊夫句集』を2冊も購入して戴き、額装作品もお買い上げ戴きました。綿貫さんに写真を撮ってもらいなさいと言われ、永井さんと2ショットをゲット。3枚目の家宝です。
句集は、初日にして結構売れました。目の前で売れていくのが、尚嬉しい。
永井一正さん来廊永井一正さんと2ショット  

ギャラリー新人日記 11月17日

14時半に令子さんと銀座のギャラリーオカベで個展を開催している故・舟越保武さんの奥様舟越道子さんにお会いしに出掛けた。道子さんは89歳。薄いグリーンのアンサンブルニットにグレーのスカートを身にまとい、磨かれた靴。「娘が準備してくれるの。」とおっしゃる、真紅の紅がとても似合うしゃんとした方だった。道子さんの作品も、ピンクやブルーなど、とっても女性らしい色鮮やかな水彩画。「白内障の手術をしたら、世の中がこんなに色鮮やかだって気付いたのよ。」とおっしゃっていた。道子さんは難波田龍起さんに朝日カルチャーセンターで絵を習ったとおっしゃっていた。
画廊に戻り、HP用の展覧会の記録の画像を60枚ほどスキャンした。
17時半頃、写真家の井村一巴さんが来廊された。令子さんが買ってきたハーゲンダッツを戴き休憩をとった。それぞれ別味のアイスだったので、ちょっとづつ味見させてもらった。井村さんは今後どのような作品を出していくのか楽しみだ。日和崎尊夫展  

ギャラリー新人日記 11月16日

磯崎新アトリエの平田さんから磯崎新連刊画文集『百二十の見えない都市』エッセイの引用文献一覧表とデータが送られてきた。
12月16日〜28日に開催する舟越保武・難波田龍起展のDMデータをデザイナーの北澤さんに送り、DMに載せる作品を持って行った。
18時過ぎに、日和崎光児さんのガールフレンドが2度目の来廊。彼女は昔、木口木版をしてみたことがあり、今回の日和崎尊夫展を楽しみにしていたそうだ。ときの忘れものは、予定が狂い、企画展の作家の順番が1ヶ月ズレましたよね・・・と指摘された。まだかまだかと待ちわびている人がいることを知り、少し感激した。  

ギャラリー新人日記 11月15日

今日は綿貫さんと三浦さんが狭山の倉庫で作業をする日。綿貫さんは、HPリニューアルの作業を休日に集中してやっていた様子が昨日のメールから伺える。いよいよ磯崎新連刊画文集『百二十の見えない都市』に本腰を入れていくよう、綿貫さんからメールで指示があった。そこで私は、やっと校正記号など校正の仕事を学ぶ本を買いに行った。数ヶ月前から、買って来なさいと言われていたのに、買いに行ってなかった。
お昼過ぎに、刷り師の石田了一さんから版画掌誌第5号のシルクスクリーンで刷られた表紙が届いた。一枚一枚、石田さんが丁寧に刷ったものを、検品しながら、本を覆うカバーの形に慎重に折っていった。印刷とは違い、凸凹している。令子さんが作品にあい紙を挟みナンバーを確認しながら、私は表紙を付けて袋に詰めていった。本というのはこんな風にして人の手で作られていくようだ。献呈のリストを作り、指示がないと何をやったらいいのかわからなくなり、今までやり損ねていた作業をやった。
  

ギャラリー新人日記 11月12日

昨日、三浦さんと私が帰った後、夜中まで飲んでいたらしい。三男の光児さんは日和崎先生にそっくりだったよ、と綿貫さんは言っていた。今日は、光児さんのお母さんがお友達と来廊された。息子さんが来廊していたことは全く知らず、息子は父親の真似をしているのよ・・・とおっしゃっていた。そして夕方、光児さんがお友達を連れて再び来廊された。もしかしたら彼は、ここに亡き父親に会いに来ているのかもしれないな・・・と私は思った。
私は、HP用の作家略歴に載せる顔写真を選び、スキャンするという作業を行った。昔のアルバムをひっぱり出し、私から見るイイ顔をしているショットを厳選した。「みんな若かったのよ。」と綿貫さんはアレコレ写真を見せてくれた。
社長の令子さんは版画掌誌の最終点検、エディションナンバーの記入、作品を挟み込む作業を一人でしていた。これはとても大変な作業だ。日和崎尊夫句集ができ上がってきたら、私もお手伝いしようと思う。
  

ギャラリー新人日記 11月11日

13時に写真家の今井智己さんと三浦さんと私で、ジョナス・メカスさんの宿泊先を訪ねた。サインをしてもらう最後の日なので、刷りあがったばかりの版画掌誌のシルクスクリーン全部数、本、写真など、サインの量は半端な数ではなかった。メカスさんは途中途中に、子供のような顔つきで手首をくねくね、腕をぶるぶるさせてサインを続けた。三浦さんが「これが最後のサインです。」と言うと、とても勢いよくサインをした。ありがとうとさよならの挨拶をし、メカスさんに、左、そして右・・・と、ハグしてもらった。
17時前に、岡部さんの娘さんが来廊され、みんなでお茶にすることになった。夢のために勉強している娘さんは、とても上品でしっかりした女性だった。
18時頃、「三男のコージです。」と突然男性が訪ねてきた。綿貫さんはキョトンとしていた。日和崎尊夫さんの息子さん(三男)がお友達を連れてオープニングに駆けつけてくれたのだ。日和崎さんを写真で見る限り、顔のパーツが似ている。綿貫さんは句集と版画掌誌を指し、「彼女が編集をしたの。」と私を紹介してくれた。その言葉がとてつもなく嬉しかった。綿貫さんは慌ててシャンパンを開け、日和崎さんと共有したそれぞれの時を語り合っていた。彼は小さい頃、日和崎さんが彫る姿を見ていたら、うるさいから下へ行けと言われていたなーと言っていたのを私は2階でシャンパンを飲みながら聞いていた。なき人の個展を催すということは、作家あっての賑やかさはないものの、故人を明るく偲ぶというかけがえのないもがあることを知った。きっと、息子さんも知らなかった父親像を綿貫さんから、また、お父様が制作した40点もの作品から知り得ることができたのではないだろうか。
仕事帰り、私は三浦さんと清澄白河に移転した8つのギャラリーが集結するギャラリーのオープニングパーティへ出掛けた。スペースを贅沢に使用して展示されており、8つのギャラリーはそれぞれ独自の色を出している。アート好きにはたまらない8倍楽しめる空間に違いない。メカスさんとだるまメカスさんと今井さん日和崎光児さん  

ギャラリー新人日記 11月10日

今日は久々に雄高さんが青山に来る日。出勤早々みんなで打ち合わせをした。ときの忘れもののHPリニューアルの打ち合わせ。そして、12月4日、5日に開催するオークションの打ち合わせは、綿貫さんが無茶なスケジュールを立てた為、苦笑いの雄高さんと綿貫さんはまるでコントのようなやり取りをしていた。1時間程の打ち合わせが終り、福井県から荒井さんが来廊された。みんなでお茶をしながら綿貫さんから貴重な秘話を聞いた。
三浦さんと雄高さんは明日11日〜26日まで開催される日和崎尊夫展の展示作業に取り掛かった。17時に展示作業は終了した様子。40点もの作品が整然と並んでいる。ポジでしかよく見ていなかったのだが、日和崎さんの木口木版は、気が狂いそうなほど細かい。お会いしたかったな。
明日はジョナス・メカスさんに作品のサインをもらいに行くことになっている。日本で逢うのはこれで最後になるのだろうか・・・最後くらい英語で話したい。ハグしてもらおうかな・・・。

ギャラリー新人日記 11月9日

今日はHP用作家の略歴データ作り。「この作家さんはもう死んでいますか?」「生きているよ。」「失礼しました。」と、こんな会話を三浦さんとしながらひたすら作成した。17時くらいになり、綿貫さんが「そういえばどこかに略歴あったはず。」とパソコンの中を捜したら今まで蓄積されていた大量の略歴が見つかった。もう略歴は半分以上完成していたため、トホホ・・・となりながらそのデータでまた作成した。綿貫さんと令子さんと三浦さんは11日から始まる日和崎尊夫展と、次回12月の舟越保武・難波田龍起展の準備をしていた。
  

ギャラリー新人日記 11 月8日

今日はいつもより少し早く出勤した。とても気になることがあったからだ。
版画掌誌第5号は7日の午前中にデザイナーの北澤さんが東京印書館という印刷所へ送ることになっていた。版画掌誌第5号のゲラを家に持ち帰っていたので昨晩再読したら致命的なミスを見つけた。日和崎尊夫特集の中に、「ムッシュイワサキ」と書かれているではないか!ヒワサキではなくイワサキ??血の気が引いて深く落ち込んだ。もう刷っているかな。手遅れかな。綿貫さんや北澤さんに言ったら怒られるよな〜言いたくないな〜でも、黙っておくのも苦しいな。直接、東京印書館に電話して印刷をストップしようかな。あぁどうしようどうしようと考え込んだらなかなか寝付けられなかった。いつの間にか眠っていて、少し早起きをして、出勤した。ドキドキしながら元原と照らし合わせた。思わず声を出したくなった。ミスじゃなかった!!安心していつもの私に戻った。綿貫さんに聞いてみると、フランス語では「HIWASAKI」は「ヒワサキ」ではなく「イワサキ」と呼ぶそうだ。
日和崎尊夫句集の最終のゲラがデスクに置かれていたので慎重に校正した。14時にディス・ハウスに持って行き修正箇所を伝達。画廊に戻ると、芸力(geiriki)というインターネットで都内にあるギャラリーの情報を発信する仕事を始めた竹本清香さんという方が来廊されていた。挨拶をするなり、ブログを書かれている方ですかと聞かれた。彼女は、ブログを書いているのは男性だと思っていたそうだ。どうやら私は男っぽい文章を書くらしい。
16時に石山修武先生が来廊された。先週石山先生から電話があり、絵本を出したいと話を持ちかけてきたので、その打ち合わせをした。山口勝弘さんの絵と石山先生の字のコラボレーションで、スーパーGiGieの絵本を出したいとのこと。インタビューや原稿、どんな絵を描いているのかなど見せて戴き、綿貫さんがこれをどのように世に出そうか考えている。山口勝弘さんはとてもおっかない方らしい。しばらく考えるとのことで打ち合わせが終り、お蕎麦屋さんに行った。まだ17時半だが私もお酒に付き合うことになった。石山先生のサクッと斬るような発言は面白いなーと思って聞いていた。  

ギャラリー新人日誌 11月5日

11月1日に印刷所に出していた版画掌誌第5号の校正刷りが届いていた。打ち合わせで綿貫さんにそのゲラを渡され、「楽しんで」と笑顔で言われた。楽しめそうにありません・・・。今まで校正していたゲラとは重みが違う。集中したかったので電話のない場所で校正していく。何度も見てきたのだが、それでも些細な見落としがある。「全角あけを半角あけに・・・。アポストロフィーが他のものと違う・・・」など。赤を入れるのがもったいないな〜と思いながら赤は増える。私生活は大雑把なのだが、こればっかりは細かくありたい。校正が終わり、デザイナーの北澤さんの所へ。変更の説明を終え、「o.k.のサインをして」と言われたが、まだ見落としがあるかも・・・と不安で仕方がないので「それはできません。もう一度冷静になって見てきます。」と言った。月曜日の午前中までなら受け付けるとありがたいお言葉を戴いた。
画廊に戻り、先月綿貫さんが買ってきた打ち合わせ用デスクを三浦さんと組み立てた。活字と向き合う作業より、力仕事は楽しい。打ち合わせ用デスクは黒色なので、画廊の雰囲気には強過ぎる。アレコレ試行錯誤して、なんとかマシに収まった。
今日は版画掌誌の校正刷りを家に持ち帰って校正し直すことにした。
  

ギャラリー新人日記 11月4日

16時から磯崎新アトリエで、磯崎新連刊画文集『百二十の見えない都市』の打ち合わせが行われた。メンバーは磯崎新先生、植田実先生、シルクスクリーン刷り師の石田了一さん、銅版刷り師の白井四子男さん、磯崎新先生の制作記録を撮影している白井久夫さん(パトロンのお一人でもある)、磯崎新アトリエの平田さん、綿貫さん、そして私。今回は、磯崎先生が書き上げた4本のエッセイをシルクスクリーンの図版と合わせたものを見ながらの打ち合わせ。いよいよシルクスクリーンの方も本格的になってきた。奥付や都市の説明書きは植田先生に書いてもらうことになり、シルクスクリーンの色は石田さんと確認した。銅版も4点を修正変更することになった。製版のやり直しが2点、銅版をカットして小さくするもの2点。磯崎先生は当初の第二期計画が大きく変わったことに関して、今回刊行する磯崎新連刊画文集『百二十の見えない都市』を第1章とし、2001年に刊行した『百二十の見えない都市』は第0章とする。そして、今回は60年代のものを、 次章は70年代のもの、次の次は80年代のものにするとおっしゃられた。気分がノッてきているご様子だ。本刷りした銅版90枚と20冊程の本にサインを戴いた。打ち合わせは1時間程で終了し、私は其の足で白井版画工房の教室に向かった。
今日の生徒さんは私を含めて3人。新しい版を制作するため、17歳の時に描いたデッサンのコピーを持参し、トレーシングペーパーに写して、エッチングとアクアチントという技法ですることに決まった。やり方をすっかり忘れていて、白井さんに付きっ切りで指導して戴いた。20時になり皆で晩御飯の買出しに行き、栄養が偏っている食材を購入した私にひじきや野菜を分けてくれた。食後はアクアチントをするため、松脂を万遍なく篩い、熱してそれを溶かす作業を2度繰り返したが、腐食がなかなかうまくいかない。22時になり、次回試刷りをしてみようということになって今日は終了した。
12サイン中和やかな打ち合わせ  

ギャラリー新人日記 11月2日

10月23日24日25日のギャラリー新人日記に弘前ツアーの写真を載せました。ご覧あれ。
打ち合わせで、どっさり仕事を任された。ときの忘れものHPのリニューアル話は私が入社した時には進められていた話なのだが、延びて延びてもう11月。綿貫さんはニコニコしながら、私にもHP作成のお手伝いをしてくれと言う。あれもこれも急ぎで・・・と。
デザイナーの北澤さんから磯崎新連刊画文集「百二十の見えない都市」シルクスクリーン用の文字と絵のデザイン案が届けられた。11月4日は磯崎新先生と打ち合わせ。いくつかタイトルや順番などの変更点の依頼があったため見取り図を作成し直した。
15時半頃、メカスさんから電話が入り、「Hello」と言うと、突然日本語で話しだした。アレ?私にも聞き取れる・・・と思ったらタクシーの運転手さんに代わっていて、ここの場所を教えてくれとのことだった。16時過ぎてジョナス・メカスさんが到着し、早速書籍やオープニングの写真にサインをしてもらい、10月31日に撮ってもらった2 shotにもサインをお願いした。「For Reiko」のあとにお花の絵を書いてくださった。やったーと思いニンマリして三浦さんを見ると、ズルイ!!という顔をしていた。木下さんも来廊され、メカスさんは撮影があるから戻らなきゃいけない「ありがとう」と帰って行った。メカスさんと私 2005.10.31  

ギャラリー新人日記 11月1日

もう11月、雲ひとつない秋晴。綿貫さんも三浦さんも狭山の倉庫に行っているため今日は令子さんと二人ぼっち。
DMに同封する手紙に画像を入れた。それから今までお返事していなかったメールを返し、現像に出したままになっていた弘前建築ツアーの写真を取りに行った。画廊へ戻りしばらくすると、入り口に付けている鈴の音が鳴った。先週ジョナス・メカス展は終わったのに・・・と思い、令子さんが話し掛けた。彼は三上ビルの息子だと言う。弘前で行なった座談会の会場、旧弘前無尽社、現三上ビルの東京在住の息子さんだった。三上さんは、三上ビルを使用した私たちをわざわざ訪ねてくださったのだ。三上さんと令子さんと私でお茶を飲みながら、さっき取りに行ってきた450枚ほどの写真たちを見て話した。三浦さんが撮影した三上ビルの写真を見て、色を塗り替える前の方が良かったんですよ・・・と寂しそうに言った。母が一人で営んでいる三上ビルをこれからどうしていったらいいかなどを話した。石場さんにせよ三上さんにせよ、弘前の男子は親思いの人が多いな〜。「また来ていいですか?」と言ってくれた。こうやって人が訪ねて来てくれると嬉しい。是非、また来てくださいね。夕方は弘前ツアーの写真を新人日記に加えるため画像アップの作業。上手くいかない。今日は諦めて明日やることにする。


 


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