ギャラリー新人日記

2005年12月

ギャラリー新人日記 12月29日

昨日、ときの忘れものは仕事納めだったが、綿貫さんと私はそうはいかない。15時から磯崎新アトリエで磯崎新連刊画文集『百二十の見えない都市』の打ち合わせを約2ヶ月ぶりに行うことになっていた。私は、ときの忘れものに14時に出勤し、持って行く資料などを準備した。
打ち合わせは15時半頃から始まり、4つのエッセイの校正のことで確認を取るとO.K.が出て、磯崎先生は、新たに大きく3つに分けた題名を考えており、皆大賛成で決まった。石田了一さんが試刷りをしてきたシルクスクリーンをお披露目し、色を決めた。そんな感じで、磯崎新アトリエ『百二十の見えない都市』の打ち合わせは淡々と終わり、白井四子男さんが刷った4版の銅版画にサインをして戴いた。先生は前川さんや丹下さんの話をしながら一定の拍子で淡々とサインをしている。すごーい!!と感激しながら耳を傾けていた私。その話の中で、辛美沙さんという方にお願いして、現在磯崎新アトリエでHPを構築してもらっていると伺った。しかし、作品が多くて追いつかないらしい。磯崎先生は、辛さんを電話で呼び出し、買い物中というところ駆けつけてくださった。そんな辛さんに磯崎先生は「買い物中どうもすみません。」と深々と謝っていた。その姿は磯崎先生の偉大さを物語っていた。
辛さんは、相当な数の作品(建築・本・版画、その他)の中で、それぞれ表記の仕方や建築名が一定ではないので、まずそれを統一するのに非常に時間がかかるとおっしゃっており、HPのためだけの人材を確保して行った方がいいなど話していた。また、ときの忘れものでは以前、磯崎新『百二十の見えない都市』事務局通信という(磯崎先生のタイムスケジュールを事細かに書き込んでいるもの)を発行していたらしく、綿貫さんは復活させたいと心中を告げた。
辛さんと綿貫さんが話している中、磯崎先生はどこからかお酒を持ってきて、みんなに飲めるか確認をしていった。私にも「貴方も飲める?」と聞いてくださり、私の分を注いでくれた。それは50度程の強いお酒を水割りにしたもの。独特の味だったが美味しくて軽井沢で打ち合わせした時みたいにホロっと酔いが回った。
磯崎先生との打ち合わせを控えた方たちが待ちくたびれていると知り私たちは退散した。植田先生と石田さんと綿貫さんでときの忘れものに戻り時計を見ると19時。私たちは随分長い間磯崎先生を独占していたことに気付いた。近所の「そのそ」に食事に行った。磯崎アトリエでの打ち合わせが延長しているように綿貫さんは事務局通信の復活の志しを語った。その仕事は当然私にふりかかって来ることは予想できた。
さぁ、明日から年末休み。2006年も大変になりそうだ〜。  

ギャラリー新人日記 12月28日

今日は舟越保武・難波田龍起展最終日。そして、ときの忘れものは2005年の仕事納めの日だった。
14時から、ディスハウスの北澤さんと3月に来日するトリシャ・ブラウンさんのカタログについて打ち合わせを行った。年末休みに入ろうとしている北澤さんに、10日までにフォーマットを作ってゲラを出してと無茶な要求を綿貫さんはしていた。北澤さんは苦笑い。
三浦さんと雄高さんは今年最後の発送の準備、令子さんと私は流れ作業で日和崎雅代さんに送る日和崎尊夫句集に朱墨で限定番号を記入し、木口木版画『鋼鉄の花』を挿入した。
18時からときの忘れもので納会を開いた。いつもお世話になっているお客様、デザイナーや刷り師、画商さん、顧問の先生方、などなど15人位でお酒を嗜みながら、持ち寄ってくださったコロッケやパンやらをみんなでつまみ、2005年の出来事などを話した。丁度、青山Cubeのお二階さんも納会をしており、乱入。行ったり来たりでごちゃ混ぜになりながら、とにかく皆飲んでいた。
まぁ、こんな感じでときの忘れものは2006年を迎えますが、今後ともときの忘れものを御贔屓に。
私は、2006年もまだ新人扱いをしてもらいつつ、補助輪は取ったけど、手を放そうとする大人を嫌がるチャリ初心者のように、まぁパワフルに動き回りたいと思っております。どうか、宜しく。  

ギャラリー新人日記 12月27日

磯崎新アトリエの平田さんから電話があり、磯崎先生との打ち合わせ日程が29日の15時からに決まった。29日なら、磯崎先生とゆっくり打ち合わせができるから・・・と考慮してくださったみたいだった。
ディスハウスから磯崎新連刊画文集『百二十の見えない都市』のゲラが届いていたため、綿貫さんと別々に校正を行った。第一期の磯崎新連刊画文集『百二十の見えない都市』の原稿の校正に従うことになり、照らし合わせて校正の原則を決めていった。
暗くなる前に、神保町にある紙屋さん「竹尾」に注文していた磯崎新連刊画文集『百二十の見えない都市』たとうの題簽紙を取りに行った。
画廊に戻ると、植田実先生からFaxが届いた。先日依頼していたときの忘れものHPに新設した「植田実の本」というコーナーの原稿だった。植田先生が選んだ第一回目の本は『植田実の編集現場』だった。
18時過ぎに植田先生が来廊されるということで、早急にデータ化した。植田先生に校正していただき、先程やっていた『百二十の見えない都市』エッセイの校正も見て戴いた。  

ギャラリー新人日記 12月24日

今日は、28日に打ち合わせを予定している磯崎新連刊画文集『百二十の見えない都市』のシルクスクリーン刷りのエッセイを校正した。28日はシルクスクリーン用のゲラを見せながら4つのエッセイの最終確認を行いたいので、校正の法則を綿貫さんと決めることになった。綿貫さんと私は別々に校正を行い、送り仮名や漢字を照らし合わせて法則を決めていった。やり始めたら限がなく、二人で大慌て。今回のエッセイには『古事記』『プラトンのティマイオス』『老子』『岡倉天心の茶の本』『日本書紀』『淮南子』など古典からの引用が多く、綿貫さんは本屋さんに様々な種類の辞書を買いに行き、私のデスクに積み上げた。19時を過ぎても全く終わらない。途中、頭がパニックになりそうだった。21時を回り、とりあえず終了した。磯崎新アトリエの平田さんとデザイナーの北澤さんに校正したエッセイをFAXで送り、終了・・・と思いきや、北澤さんから元原もFAXしてくれと言われ、持って行った方が早かったのでディスハウスまで届けた。しかし、どうやら北澤さんの言っていた元原とは、シルクスクリーンサイズのゲラのことだったらしく、後日やり直すことにした。サンタさんがいっぱい仕事を運んで来た。でもそんなに悪くないクリスマス・イヴだ。
 

ギャラリー新人日記 12月22日

今日は今年最後の全員が集まる日だった。社長の令子さんから挨拶があり、ボーナスを戴けるとの報告があった。お年玉をもらう時と同じ気持ち、超嬉しかった。初ボーナスはパーっと使わずに、自分へ何か大きなモノを買ってあげようと思う。
配達予定より1日早く、イタリアに居る小野隆生さんから新制作のポジがDHLで届いた。昨日送られてきたポジと同じ作品なのだがタイトルの番号がひとつズレている。小野さんってもしかして結構適当な人なのかな・・・なんて思ったりした。
磯崎新連刊画文集『百二十の見えない都市』の表題のフィルムがディスハウスから届いたので、シルクスクリーン刷り師の石田了一さんに刷ってもらうための紙を竹尾に発注し、断裁もお願いした。
15時半頃みんなでお茶にした。令子さんからみんなそれぞれクリスマスプレゼントをもらった。私はアンティークの綺麗なブローチ。岡部さんからブタの顔した可愛いキャンディーをもらった。ときの忘れものに一足早くサンタさんがプレゼントをいっぱい持ってやってきたみたいだ。

ギャラリー新人日記 12月21日

出勤すると、小野先生からDHLでポジを新たに発送し、「配達予定日23日と書かれたFAXが届いていた。午後に、昨日騒動した小野さんからのポジが届いた。綿貫さんと三浦さんは早く見たさに、私が封筒を開けるのをじれったそうに待っていた。女の子と男の子の肖像図の作品ポジが2点入っており、大きな文字でキャプションが書かれていた。小野隆生展のDMが年内に出来上がるか印刷所に問い合わせたところ年明けの16日にしか出来ないと言われた。展覧会は1月20日から。ギリギリになるがDMはやはり作成することになった。
磯崎新連刊画文集「百二十の見えない都市」のたとうの表題を、北澤さんに新たに4パターンデザインしてもらった。綿貫さんと三浦さんに意見を聞き、その中で1つに絞った。
 

ギャラリー新人日記 12月20日

今日は三浦さんと雄高さんは狭山で、綿貫さんはお休みだったので、画廊は令子さんと私だけだった。
磯崎新アトリエの平田さんからFAXが届いていた。先日磯崎新連刊画文集『百二十の見えない都市』の校正の件で連絡した返事だった。今年中に行なう磯崎先生との打ち合わせ日程を調節してもらっている。
私は、緑蔭小舎の資料を整理しているとまだ未開封の箱を見つけた。その箱の中には大量の写真や資料が入っていた。軽く凹み、資料を年別に分別し、データを足していった。
イタリアに在住している小野隆生さんに新制作のポジを10日までに送って戴くようお願いしていたのだが、まだ届かない。小野さんに確認のFAXを送ると、12月7日に書留で送ったと大きな字で返答のFAXが送られてきた。ポジは、2006年第一回目の企画展「小野隆生展」のDMで使用することになっている。ポジがまだイタリアから届かないため、イタリア在住の小野さんに催促のFAXを送った。小野さんから郵便局に確認したところまだ日本に届いていないと言われた。困った・・・  

ギャラリー新人日記 12月16日

今日は、綿貫さんは風邪でお休みだった。
朝日新聞のマリオン編集者の方から電話があり、舟越保武・難波田龍起展を 22日の展覧会の欄に掲載して戴けるということで取材を受け、作品データを送った。柳田冨美子さんが営んでいた緑蔭小舎のデータを作成した。柳田さんが執筆した展覧会の記録を打ち込んだが、だんだんわけがわからなくなってきた。
夕方、難波田龍起さんの息子さん難波田武男さんが来廊され、展覧会を観て行ってくださった。今回の展覧会は休みも挟んでいるため日数は少ないですが、是非来廊してください。
 

ギャラリー新人日記 12月15日

三浦さんと雄高さんは、明日から始まる舟越保武・難波田龍起展の展示作業を行なった。現代美術オークションの展示とは一転して、淡くて優しい作品が整然と展示された。14時にディスハウスの北澤さんが来廊され打ち合わせを行なった。綿貫さんからDMのサイズを変更したいという意見があり、展覧会に合わせ臨機応変にサイズを変えることに決まった。また、柳田冨美子さんが営んでいた緑蔭小舎の本はひとまずダミーを作成してからフォーマット等を決めることになったので、近いうちに私はデータを送ることになった。最後に、磯崎新連刊画文集『百二十の見えない都市』たとうの表題を北澤さんに3パターン作ってもらってから決めることになった。打ち合わせ終了後、さっそく緑蔭小舎の本のデータを作成する作業を行なった。彫刻家西常雄さんの執筆したものが200字の原稿用紙20枚をパソコンに打ち込み終わるまで帰らないと決め、黙々とやり終了した。舟越保武・難波田龍起展DM  

ギャラリー新人日記 12月14日

14時に霧の彫刻家中谷芙二子さん、作家の岡崎乾二郎さん、詩人のぱくきょんみさん、岡崎スタッフの木原進さんの4人が来廊され、2006年の3月24日〜3月26日に彩の国さいたま芸術劇場「TRISHA BROWN DANCE COMPANY」公演のため来日されるトリシャ・ブラウンさんのことで打ち合わせを行った。トリシャ・ブラウンは、ポストモダン時代に登場した世界的に最も評価の高い振付家で、振付の限界に挑みそれまでのモダン・ダンスの歴史を大きく変えた方。また、踊りながらアートを描いたり、右足で左足を、左足で右足を描いたりするらしい。モダン・ダンスの歴史に果たしている役割の大きさに比べて日本での知名度は低く、中谷先生と岡崎先生たちは3月の来日に合わせて、展覧会ができないかと考えているようだ。DVDでトリシャ・ブラウンのダンスを観させていただき、それぞれアイデアを出して話は盛り上がった。綿貫さんも、先日のジョナス・メカスさんの例や、『版画掌誌』や磯崎新連刊画文集『百二十の見えない都市』、『栖十二』などを見せて、作家の支援について様々な方法があることを提案していった。来週の頭に提案をまとめたメモを送るということで17時頃に打ち合わせは終わった。
17時半頃、福井から綺麗なバラが届いた。早速、宮脇愛子さんにお届けすることになり私は磯崎新アトリエへ持って行った。平田さんと磯崎新連刊画文集『百二十の見えない都市』の今後の打ち合わせについて相談した。磯崎先生はあまり日本にいらっしゃらないらしく、年内の打ち合わせは難しいみたいだ。
打ち合わせ1打ち合わせ2  

ギャラリー新人日記 12月13日

今日は皆でYahooオークションの今後の出品作品について打ち合わせを行なった。綿貫さんから「秋から諸般の事情で新しい作品の出品が停滞してしまった。新春から心機一転、活性化させたい」という意見が出され、ネット担当の雄高さんといろいろ議論となった。
午後からは三浦さんと雄高さんが現代美術オークションで展示していた作品の撤去作業を行ない、16時に終了。そのまま赤帽の中島さんと雄高さんは狭山の倉庫に作品を運んでいった。
15時に植田実先生が来廊することになっており、植田先生と綿貫さんと私で磯崎新連刊画文集『百二十の見えない都市』のエッセイの校正についてと、HPに掲載する植田先生が編集した本の原稿を書いて戴くことに関しての打ち合わせをした。植田先生が編集をした、またはレイアウトをした本の名前を挙げていくと40冊ほどあった。打ち合わせが終了し、植田先生と綿貫さんと私はお蕎麦屋さんに行くことになった。17時から熱燗を飲み、妹島和世設計の金沢21世紀美術館や来年開館する青木淳設計の青森県立美術館の話などをした。また、私も読んでいるマンガを植田先生も読んでいるらしく、マンガの話を熱く語ってくれた。1件だけまだ残っている同潤会を舞台にした実写版の映画が制作されているそうだ。上映されたら観に行きたい。
  

ギャラリー新人日記 12月10日

ときの忘れもので開催している現代美術オークションの展示を見に、何人かのお客様が来廊され入札していった。明日は現代美術オークション終了日。明日の18時から私たちは開札作業をし、落札結果を集計をすることになっている。
お昼過ぎにお遣いを頼まれ、渋谷にある額縁屋ウエマツにマットを取りに行った。画廊に戻り、私は昨日に引き続き柳田冨美子さんの緑蔭小舎展覧会リストを作成し、過去11年間の展覧会がほぼ埋まった。封印していた年月日不明の資料を洗い上げていくと、いつの資料なのかおおよそ見当がついた。
  

ギャラリー新人日記 12月9日

今日から現代美術オークションの展示作品をときの忘れもので公開した。来廊されたお客様はじっくり作品を見て入札していた。
綿貫さんと私は、柳田冨美子さんが営んでいた緑蔭小舎の展覧会開催リストの打ち合わせをした。柳田さんから預かっていた資料には、全部の展覧会のDMやパンフレットが残っているわけではなく、私が作成した緑蔭小舎の展覧会棒リストはすかすかだった。綿貫さんは展覧会期間がこんなに空いているはずはないと、以前綿貫さんが制作に携わった『資生堂ギャラリー七十五年史』を参考に、詳細リストの作り方を教えてもらった。もう一度、資料を洗い上げていくと、鉛筆でちょこちょこっと書かれた走り書きの記録を発見した。まるで全ピース揃っていなかったパズルの小片が見つかったように、1979年から始まる緑蔭小舎の展覧会が徐々に埋まっていった。綿貫さんに人物関係やその当時の背景を聞くとようやく理解ができることがあり、これって楽しい!と思って夢中になった。123  

ギャラリー新人日記 12月8日

明日からいよいよ現代美術オークション。雄高さんと三浦さんは、展示の続きを行った。
日和崎尊夫句集』パンフレット用のポジフィルムが出来上がってきたので、14時にディス・ハウスへ届けた。現代美術オークションの看板用ポスターを受け取り、画廊へ戻った。
日和崎雅代さんから『日和崎尊夫句集』を50冊追加で送って欲しいと電話があったため、令子さんと流れ作業で挿画『鋼鉄の花』を貼り込み、奥付に151〜200までの番号を記入した。慣れたものだ。綿貫さんが「綺麗な字を書くね。」と褒めてくださり、9年間書道をしていた甲斐があったと思った。
令子さんは、雅代さんに発送する準備をした。
体調の良くない綿貫さんは家へ帰り、私は柳田冨美子さんが営んでいた画廊緑蔭小舎の展覧会開催記録の棒リストを作成し、計画通り今日で完成した。

ギャラリー新人日記 12月7日

今日も冷えるので、三浦さんがヒーターを点けてくれた。懐かしい冬の匂いがした。
13時頃、風邪をひいている綿貫さんから出勤すると電話が入ったのだが、来て早々やっぱり無理・・・と打ち合わせを終え帰って行った。仕事が気になるみたいだ。綿貫さんらしい・・・。
ディス・ハウスから送られてきた『版画掌誌第5号』パンフレットのゲラの最後の校正を終わらせ、綿貫さんから柳田冨美子さんの棒リストを作成するよう指示されたので、緑蔭小舎で催された展覧会のリストを作成した。柳田さんから依頼されて季節を跨いでしまった。以前、段ボール3箱分に詰め込まれた書類などをまとめたリストを作成していたのだが、他のギャラリーの展覧会のことも記入していたので結構面倒な作業だった。磯崎新連刊画文集『百二十の見えない都市』と柳田冨美子さんの本など、同時進行というのは気分転換になる。明日までにこの棒リストは終わらせようと思う。
  

ギャラリー新人日誌 12月6日

今朝はとても冷えた。
打ち合わせを終え、風邪をひいている綿貫さんは大事をとって帰宅した。
『版画掌誌第5号』パンフレットのゲラが届いていたので校正をし、磯崎新連刊画文集『百二十の見えない都市』エッセイの原稿の校正法則を作成することにした。送り仮名や漢数字、鍵カッコなど、統一する項目を、いくつかピックアップしていった。
夕方、HP用に「弘前建築ツアー写真のキャプションを付ける作業があったことを思い出し、打ち込んだ。
磯崎新連刊画文集『百二十の見えない都市』のたとうを制作してくださる小林薫さんから、たとうに使用する布を注文して欲しいと連絡が入った。ディス・ハウスの北澤さんのところへ布の色の確認に行った。ついでに、『日和崎尊夫句集』パンフレットに掲載する句集画像を3カット選んでもらった。

ギャラリー新人日記 12月3日

12時に三浦さんと初台の改札で待ち合わせ。オペラシティーにあるミュージアムショップに難波田龍起作品を委託していたため、引き取りに行った。海藤さんに久しぶりにお会いし、「ブログ読んでいます。」と言われた時には少し照れた。三浦さんとオペラシティー内のパスタ屋さんでランチを食べ、コーヒーをご馳走してもらった。
タクシーでときの忘れものに戻ると、『日和崎尊夫句集』のパンフレットに掲載する執筆を依頼していた詩人八木幹夫さんの原稿が届いていた。昨日の依頼でもう届いている。きっと浮かぶがままに書いたであろうその文章は、温かくて優しかった。何度も何度も読んでみた。『日和崎尊夫句集』の原稿は全て揃い、デザイナーの北澤さんにメールで送った。
15時頃、塩野さんが来廊され、弘前ツアーの写真およそ600枚のデータを渡した。
刷り師の白井四子男さんと昨日打ち合わせた磯崎新連刊画文集『百二十の見えない都市』の奥付データを作成した。
今日は、取り返しのつかない大失敗をしてしまった。あぁ〜私のバカバカカ・・・。
  

ギャラリー新人日記 12月2日

今日は三浦さんと雄高さんが9日〜11日に開催する現代美術オークションの展示作業を行なった。壁一面に色とりどりの作品が飾られた。出品作品はこちらをご覧下さい。岡部さんは、舟越保武・難波田龍起展のDM発送の作業をした。
14時頃、刷り師の石田了一さんが来廊され、磯崎新連刊画文集『百二十の見えない都市』のシルクスクリーンの打ち合わせをした。昨日校正したエッセイに含まれる正字のままシルクスクリーンで刷ることになった。
私は、ホームページに掲載する弘前建築ツアーの写真を100点選ぶ作業をした。
今日は18時から版画教室だったので、1時間前に白井版画工房に行き、磯崎新連刊画文集『百二十の見えない都市』の奥付に記入する24点の銅版画の技法とイメージサイズ、何版何色かを教えて戴いた。
版画教室では私を含めて生徒数3人だった。前回制作していた姉のバレエのトーシューズを描いた銅版画の試刷りを行った。平べったい出来上がりだったため、皆に意見をしてもらい、ルーレットとバニッシャーで明暗を付けて補正した。用紙によって印象が変わることを知った。結局5枚試刷りをしてもらい、徐々に立体感が出てきた。次回は、本刷りができるようもっとリアルにしていこうと思う。
第1刷第4刷
  

ギャラリー新人日記 12月1日

今日令子さんと三浦さんは終日、現代美術オークションの出品作品の整理と額装をしていた。
『日和崎尊夫句集』パンフレットを製作することになり、どなたかに句集について書いていただくことになり、ただいま執筆依頼中です。
15時過ぎに、綿貫さんと磯崎新連刊画文集『百二十の見えない都市』のエッセイ『円柱』『布石』『樹』『孵化』の原稿を読み合わせした。さすが磯崎アトリエの平田さん、ほとんど修正する箇所がなかった。エッセイは、『日本書紀』や『古事記』、『老子』など漢文などの引用も多い。Wordには入っていない正字が多く使用されているため、文字を作成しないといけないらしい。でもあまり細かいとシルクスクリーンでは刷れないかも・・・。平田さんに電話してみると、シルクスクリーン用のフィルムのことで色々な店を回っていると言っていた。いよいよ皆が本腰を入れて動き出している。本の編集の仕事は、やりがいがあって気合いが入る。

 


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