ギャラリー新人日記 ギャラリー新人日記 1月28日2月24日から始まるオブジェ展に出展する作品ポジをスキャンした。
14時頃、シルクスクリーン刷り師の石田了一さんが来廊され、磯崎新連刊画文集『百二十の見えない都市』のシルクスクリーンの納品日の打ち合わせをした。40.0×120.0cmの特大サイズのシルクスクリーンをおよそ180枚刷るのに、綿貫さんはたった2週間の猶予しか与えず、それはあんまりなので3週間後に決められた。 2月20日にたとうは納品される予定である。白井四子男さんが刷った銅版8作品は検品のみ。パトロンの方々に2月中に何とか発送したい。 16時頃、小野隆生展に国立国際美術館の島敦彦先生と、詩人でオンライン書店ビーケーワンの辻和人さんが来廊され、トリシャ・ブラウンさんの本について話していると、辻さんからネット販売に特典を付けるというアイデアを戴いた。この話が生きるかは2月2日のぱくきょんみさんとの打ち合わせをしてみなければわからないが、色々な方に話すと、幾通りのアイデアを戴ける。 17時過ぎにディス・ハウスの北澤敏彦さんが来廊され、柳田冨美子さんの本のダミーを持ってきてくださり打ち合わせを行った。大体の形式を決めた。少し遅いけれど、年明けてそろそろエンジンがかかり始めてきました。 12月28日、磯崎新アトリエにて打ち合わせ風景 ギャラリー新人日記 1月27日雄高さんと岡部さんも集り久しぶりに6人全員が揃い、上半期スケジュールの打ち合わせを行った。
これから、トリシャ・ブラウンさんの展欄会と本(カタログ)の編集で、慌しくなるだろう。 来週三浦さんは奥さんと遊びメイン、仕事半分でニューヨークに行く。ニューヨークでは、日時は決まっていないが、トリシャ・ブラウンさんのスタジオとジョナス・メカスさんと利三郎さんにお会いしに行く予定らしい。羨ましい。 私は、雄高さんとHP関係のやり取りを行い、綿貫さんに前々から指示されていたことは完了した。 夕方、システムの田中さんが来廊してくださり、私のパソコンとスキャナーの接続を直してくれた。 最近、綿貫さんはmixiというサイトにハマっている。今日からブログをするみたいだし・・・。 ギャラリー新人日記 1月26日24日、25日代休をもらって京都と神戸へ遊びに行ってきた。後ろ髪を引かれ1日帰る日時を延ばし、仕事に間に合えばいいか〜と出勤時間から逆算してギリギリまで神戸に留まった。まだまだ仕事に対する緊張感が足りないようだ・・・。
メールが溜まっていたため全て返信し、ジャパンデザインネットと情報ハブに『小野隆生展』と『オブジェ展』と『トリシャ・ブラウン ドローイング展』の告知して戴くことになった。 ディスハウスからオブジェ展のDMのゲラが届いており、綿貫さんが画像を替えたいと言うので差し替える作品を持ってディスハウスに届けた。 画廊に戻り、綿貫さんは早退。どうやらまだ具合が良くなさそう・・・。 私は、柳田冨美子さんの原稿を打ち込み、休みボケのまま仕事を終えた。 ギャラリー新人日記 1月21日今朝は雪が積もって、なおも降り続いていた。どうも慣れない雪に弄ばれ、何度も転びそうになった。
綿貫さんは体調が優れないためお休み。 雪の中、ディスハウスの北澤さんが磯崎新連刊画文集『百二十の見えない都市』エッセイのフィルムを届けてくださった。 丁度、シルクスクリーン刷り師の石田了一さんがNHK文化センターで講師をする日だったため石田さんのいる青山一丁目までそのフィルムを届けた。 私は、明日から25日までお休みをもらうため、仕事を今日中に終わらせるので必死だった。 2月24日から開催するオブジェ展のDMの原稿を作成し、オブジェたちのキャプション作成を三浦さんに手伝ってもらいなんとか終了。 長期休み、ご迷惑をお掛けします。 ギャラリー新人日記 1月20日今日から2月4日まで小野隆生展。しかし、新作はまだ4点。
夕方、東京大学の西村研究所へ向かった。磯崎新先生が丹下健三研究室にいらっしゃった頃の図面をお借りし、磯崎新連刊画文集『百二十の見えない都市』に使用したため、返却に行くことになった。とても大きい図面を抱えていると、人に優しくされる。電車では席を譲ってもらい、道行く人は私に道をあけてくれる。東大に足を踏み入れて、あぁここがドラマの舞台か〜とキョロキョロしながら西村研究所を探した。 図面を返却し終え、身軽になり小走りで帰った。 ギャラリー新人日記 1月19日今日、綿貫さんは体調を壊してお休み。3日分溜めていたギャラリー新人日記を書き、夕方早稲田大学の石山修武研究室へ銅版の原版10枚(重い!)を届けに行った。
新大久保駅を降り、地図を見ながら歩いても一向に大学らしき建物が見えず、信号待ちをしていた女性に大学の場所を尋ねた。近いからと言って大学の中まで連れてってくださり、とっても親切な方だった。 石山修武研究室に近づくにつれシャキッとなり、鏡の前で帽子と手袋を外し身だしなみをチェックした。 石山先生は、「寒かったでしょう・・・温まって帰ってもらわなきゃね。うんと熱いコーヒーを出してあげて」と、うんと熱いコーヒーを入れてくださり、「甘いもの食べる?」というお言葉についつい笑顔で「食べます!」と返事。石山先生の前に座り、「仕事しててもいい?」と原稿に手を加えながら少し話をした。「パソコンで書いている原稿には粘りが無いよね。」と。どうしてか尋ねると「文章までデジタルっぽくなっちゃうんだよね。」とおっしゃった。その通りかも・・・と思った。ギャラリー新人日記もたまに機械的なものの言い回しとかになってしまい、淡々としちゃっているときがある。石山先生を知ったのはテレビ(世田谷村の放送だった)、そして大学の特別講義で石山先生の講義を受け、そして今、目の前にいる。 最近、建築家や作家、詩人までも交流する機会があり、私って一体何者?なんて思ったりする。20分ほど居座り、コーヒーを飲み干し、体も温まったので画廊へ戻った。 ギャラリー新人日記 1月18日出勤すると、もうすでに綿貫さんと三浦さんと雄高さんは、あの手が縺れそうな作業をしていた。昨日仕掛けて帰ったプリンタが途中で止まっていた。理由を追求すると、私がパソコンの電源を切って帰ったから・・・。あぁバカ。
昨日の残りの発送作業は2時間弱で終了、三浦さんと雄高さんは小野隆生展の展示に取り掛かった。 15時にシルクスクリーン刷り師の石田了一さんとデザイナーの北澤敏彦さんが磯崎新連刊画文集『百二十の見えない都市』の製版の打ち合わせを行った。 「網点がどうのこうの・・・」とか、私にはさっぱりわからない技術的な話をしていたので、隣でポカーンと聞いていた。 1月4日〜25日までアートコテージぱぴるすで「工藤政秀(画家)・八木幹夫(詩人)展」を開催している八木幹夫さんにお呼ばれしていたので、綿貫さんと18時頃横浜市の橋本まで出掛けた。八木さんには『日和崎尊夫句集』のパンフレットでお世話になり、お会いするのは2度目になる。八木さんに仲間たちを紹介してくださった。詩人の八木忠栄さん、宮本むつみさん、画家の工藤政秀さん、彫刻家の西澤利高さんと新婚ほやほやの奥様さん、アートコテージぱぴるすのオーナー細川孝光さん。 展覧会を見せて戴き、八木幹夫さんのぽつり、ぽつりと入ってくる純粋ではあるが無垢ではない・・・(きっと“純粋”と“無垢”は同じ意味なんだろうけど、ただ純粋無垢ではないということが言いたい)詩に溶け込む工藤政秀さんの絵がぽつり、ぽつりと入ってくる。工藤政秀さんが描いた絵に八木幹夫さんが詩を浮かべ、また八木さんのリクエストに応えて工藤さんが絵を描くといった感じで3ヶ月ほどかけて進めたという。 会場で少しワインを呑んだ後、8人で橋本駅近くのご飯屋さんへ移動した。日和崎尊夫さんの話題から始まり様々な作家さんの話、詩の世界の話、・・・皆さん、お酒に酔わされて熱くなり始めた様子だった。10時くらいまで呑んでしまい、綿貫さんは今日中に帰れるかな、令子さんに怒られるかな・・・と呟きながらそそくさと帰って行った。帰りの電車で、八木幹夫さんは詩について語り、これが男のロマンというものか・・・と思わせるほど情熱的な人だということを私は知った。宮本むつみさんは、「専業主婦として努めるために詩をかくのを止めた時、このまま私はそこにあるコーヒーカップになってしまうのではないか」と思ったとおっしゃられた。自分からあるコト・モノを取ったら静物になってしまうかも、という恐怖を覚えるくらい私にも人生そのものというコト・モノを見つけたいと思った。何よりコーヒーカップという喩えがステキな表現だ、と感激した。 ギャラリー新人日記 1月17日小野隆生さんから新制作の作品が送られてきた。私好みは「白いマフラーをしている子」。早速撮影した。
ぱくきょんみさんから送られてきたプレスリリースの原稿を三上豊さんに校正して戴き、私はそのプレスリリースを清書した。同時に書簡のレイアウトを行い、綿貫さんにオッケーをもらった。プリンタとコピー機を働かせて数百枚印刷し、今日出来上がってきた小野隆生展のDMを同封して発送する作業に取り掛かった。DMのゲラが出来上がった頃には印刷所が年末年始休みで、小野隆生展の媒体が滞り展覧会オープニングまで後3日。綿貫さんも令子さんも岡部さんも私も、手が縺れるんじゃないか・・・と思うほど同じ作業を早急にやったが19時になっても終わらず、限がないので明日やろうということになった。プリンタはマイペースに印刷をしているため、50枚の印刷を仕掛けて帰った。 ギャラリー新人日記 1月14日今日は、久しぶりに柳田冨美子さんの本のデータ作成を行った。出来上がった横組みのデータを綿貫さんにチェック入れてもらうため見せると、縦組みって言ってなかったっけ?と指摘され、すっかり思い出せないでいる私は算用数字を漢数字に直した。
夕方システムの田中さんが来廊され、私が使用しているパソコンを移動した机の方へ運んでくださった。あちこちにのびる配線が大変なことになっていたため綺麗にしてもらった。私も2つ繋げたデスクを綺麗にしようと思ったが、やけに荷物が多く、デスクの広さは前と変わらないような・・・。探し物が多い私、時間を浪費しないですむよう整理整頓に心掛けたい。 ギャラリー新人日記 1月13日今日は皆でギャラリーを大改造。綿貫さんの指揮のもと、2階の棚を解体して1階に下ろし、1階の荷物棚を分解し・・・など、肉体労働。ギャラリーは荷物で散乱した。
ギャラリーの1階に設置する作品の収納棚を新しく作ってもらうために、仙台から経師やさんの小林薫さんが上京してくれた。小林さんには磯崎新連刊画文集《百二十の見えない都市》のたとうも製作して貰っている。棚のラフスケッチを見せ、安い費用で、しかしチープに見えない棚を依頼した。 18時半頃、ニューヨークの作家の木村利三郎さんが来廊された。皆が「リサさん」と呼んでいるので、三浦さんに聞くまで外国人の女性を想像していた。私は初対面だが、皆は久しぶりのようだった。19時で画廊を閉めると、利三郎さんと小林さん、北澤さん、綿貫さん、令子さん、雄高さん、三浦さんと私で、金華飯店に食事に行った。利三郎さんはアートの話から女性の口説き方など、ずーっと陽気に喋りっぱなし。とても81歳とは思えないパワー。勉強になります。「今日は本当に楽しかった」と帰って行った。 ギャラリー新人日記 1月12日今日は14時からタケミ・アートフォトスさんに出張して貰い、昨日選んだオブジェの撮影をして貰った。綿貫さんは狭山の倉庫に行っており、撮影の立ち会いは私だけ。しかも、プロの撮影現場は初めて・・・。たくさんの機材や三脚などが運び込まれ、興味津々だった。鏡や不思議なものを使って撮影しているので、邪魔にならないように質問してみた。鏡は、光を反射させて影をぼかすために使っていると教えてもらい、不思議な器械は「露出計」というものだと教えてくださった。「露出計」は「被写体からの反射光を測定する反射光式と被写体に当たる光をその場にいって計測する入射光式がある」と辞書に載っているが、それがどの数値だといいのかなど、素人の私にはよくわからない。こんな感じでいいですか?と、試しに撮ったポラロイドを見せてもらったが、
全てお任せ状態・・・相変わらず半人前な、私。撮影は17時過ぎまでかかり、全てのオブジェ作品を撮り終えた。
18時から白井版画工房で版画教室だったので急いで出掛けた。昨年制作していた、トーシューズの版画に色を入れて刷ることにした。色は自分で作っていいよと言われたので、靴の部分とリボンの部分を色分けし、2色使いにすることにした。1色目はピンクと黄色を混ぜて少しオレンジがかったピンクにし、2色目はその混合色に白を混ぜて薄くした。トレペで靴の部分とリボンの部分のフィルムを2枚作った。 試刷りをすることになり、黒いインクを詰めて、フィルムの部分にローラーでさっとピンク色をのせた。ん〜黒色が出すぎでピンクの印象がない、却下。白井さんと生徒さんの意見をもらって、今度はグレーをベースにしてピンクをのせた。ん〜、ぼやけて見えるし、甘すぎ。次は、ピンクっぽい赤をベースにして、ピンクをローラーで重ね。部分的に黒を入れた。うん、なかなかいい感じ。9時半を過ぎたので、最後に本刷りをしてみようということになり、版の角を落として、さっきの調子で本刷りをした。白井版画工房で乾かしているので、次回お披露目します。 ギャラリー新人日記 1月11日2月24日からときの忘れもので開催する次回企画「オブジェ展」のプレスリリース用のポジ撮影を行うため、私は、倉庫から運んだ箱の中からたくさんのオブジェたちを取り出して準備をした。
15時頃、デザイナーの北澤さんにどの作品を撮影するか、どういう風に組み合わせるか、被写体を選んでもらうことになっており、オブジェたちを並べ、アングルを決めて戴いた。 今日は私の23回目の誕生日。皆さんがケーキとコーヒーでお祝いしてくれた。私だけ、ケーキ2つ。皆さんからプレゼントまでもらっちゃって・・・本当にありがたいです。 夕方、植田実先生からときの忘れものHPの「植田実の本」に取り上げる次回の指示がFaxで戴いた。こちらも急いで原稿を清書して、植田先生に送り返した。 ギャラリー新人日記 1月10日先週の土曜日に引き続き、綿貫さんと岡部さんは本を狭山の倉庫に運ぶため、荷造りをしていた。
植田先生から『植田実の本』の画像指定のFaxが届いていた。絵付きだったためとてもわかりやすかった。「この絵、私かな?」と思う絵が描かれており、かなり嬉しかった。 今日は6時半から草月会館(設計:丹下健三)でギャラリー・間主催の『日本の現代住宅1985-2005』第一回講演が行われていたため、出掛けた。草月会館に着くなり、外に整理券をもらう人の列ができていた。前の方に植田実先生が並んでいらっしゃり、先生と手を振って挨拶を交わした。会場は満席で、植田先生を見失ってしまった。どうやら、教員や学生が多いようだった。18時半から開演で、磯崎新先生は黒のチャイナ服風ジャケットの袖から、鮮やかな黄緑色のシャツの袖を覗かせたとてもお洒落な格好で登場した。先生は、自分は住宅はほとんどやっていないからこの講演会には相応しくないと言いながら話し始めた。45年程前、2人の友人と「八田利也(やだ としや)」という匿名で「所住宅設計万歳」と言っていたという。なぜ、「八田利也」なのかは平仮名で読むと「はったりや」と読めるからだそうだ。住宅の基本形がnLDKと特定なものなってしまっている話、オタクやニート、ホームレスなどが出現し、また、ケータイなどの出現により場所を越えてコミュニケートできる世の中に対し、住宅のあり方を考え直さなければならないのでは?という考えを発言していた。「なぜ建物ではなく住宅として設計し、何を基準に評価しているのか?」と私自身が皆に聞きたいとおっしゃっていた。講演は1時間半で終わり、30分質問の時間が与えられた。3人が質問し、先生は質問に一通り答えた後で、「質問の答えになっているかな・・・話しているうちに、あなたの質問の内容わすれちゃいました・・・。何でしたっけ?」と客席を笑いで沸かせた。 ギャラリー新人日記 1月7日綿貫さんは、ギャラリーのスペース拡大と、私の作業スペースを広く確保するため家具のレイアウトを考えていた。ほとんどの本を狭山の書庫に移動することになり、岡部さんと一緒にせっせと大量の本を段ボールに詰めていた。1階は段ボールで埋め尽くされていくのに一向に片付かない。ここにある本は半端な量じゃなかったようだ。
私は、29日に磯崎新先生と打ち合わせで変更した内容や、また新たに決定した内容があったので、見取図や奥付けを作り直した。磯崎新連刊画文集『百二十の見えない都市』たとうの題簽に載せる題名がこれで決まり、デザイナーの北澤さんにデザインして戴いた。エッセイの方もそろそろ製版にまわさなければ・・・。 ギャラリー新人日記 1月6日今日は仕事始め。私は、2005年の最後の3日間のギャラリー新人日記を書いていなかったのが綿貫さんにバレており、急いで書いた。
17時からトリシャ・ブラウンさんの展覧会カタログについての打ち合わせを行った。岡崎乾二郎さん、ぱく・きょんみさん、中井悠さん、北澤敏彦さん、綿貫さん、三浦さんと私で、本の内容についての打ち合わせを始めた。岡崎さんとぱくさんが企画書を作って持ってきてくださり、執筆依頼者などスケジュールを立て、ほとんどの項目は決定した。何せ、時間がない。 18時から、3月24日〜26日に彩の国さいたま芸術劇場で開催されるトリシャ・ ブラウン・ダンス・カンパニーの公演を企画に携わっているカンバセーションアンドカンパニーの前田圭蔵さん、久保風竹さん、服部聡子さんたちが来廊。ダンスの公演と、展覧会がうまくジョイントできるかどうかの打合せに入った。 19時半に打ち合わせが終了し、岡崎さんとぱくさん、北澤さん、綿貫さん、令子さん、三浦さんと金華飯店に御飯を食べに行くことになった。私の姉が鹿児島から来ていたので、姉も参加させてもらった。岡崎さんとぱくさんは、内間安王星さんと親しい間柄だったらしく、綿貫さんと思い出話に浸っていた。 【TOP PAGE】 |