ギャラリー新人日記

2006年2月

ギャラリー新人日記 2月28日

11時半頃、ディスハウスに三校のゲラを取り行き、12時にぱくきょんみさんが来廊された。修正が直っているか一緒にチェックをしていき、見落としを発見した。いま気付いたからよかったものの、とても致命的な見落とし。ぱくさんと、「あんなに何度も見たのに・・・」と深く息をついた。明日入稿しなければ3月22日刊行が間に合わないため、今回は三校まで。まだ見落としがありそうで、もう少し手元に置かせて欲しい気分。
印刷所から「トリシャ・ブラウン ドローイング展――思考というモーション」のDMが届いた。とてもいい出来具合で、ぱくさんも大喜び。
15時に柳田冨美子さんと打ち合わせが入っていたため、「もう一度読んでから北澤さんに戻す」とおっしゃるぱくさんに後はお願いして、私と綿貫さんは柳田家のお屋敷に向かった。
今日は色々考えさせられる出来事があり、電車の中で綿貫さんにアドバイスをもらった。お蔭様で少し気が晴れました。
柳田さんとお会いするのは弘前ツアー以来。アクティヴに遠野と東京の往復で忙しく過ごされている様子だった。柳田さんが営んでいたギャラリー「緑蔭小舎」の歴史本製作は、入社当初から抱えている仕事。段ボール箱5つ分をリストにし、見本として一部を北澤さんにデザインしてもらったゲラを持っていった。綿貫さんが提案をし、そんなことまで考えてたんだ・・・と私は感心して聞いていた。柳田さんもゆっくり考えて返事をするということになった。柳田さんに「仕事慣れたみたいね。前より元気そうよ。」と言われ、温かく見てくださっているように感じ、嬉しく思った。写真で見ていたギャラリーを覗かせて戴き、実際入ってみると天井の高さや区分けされた部屋など全体的に落着いている雰囲気だった。
17時くらいに画廊に戻ると、ぱくさんはすでにお帰りになった後で、植田実先生も来廊されたと令子さんに聞いた。ここで三校を行なっていたぱくさんと植田実先生が久しぶりの再会を果たしたらしい。
  

ギャラリー新人日記 2月24日

今日からオブジェ展。
綿貫さんと打ち合わせを行なった。故・栗山豊さんが収集していた膨大なアンディ・ウォーホルの資料を見て、最近あれこれ考えを巡らしているようだった。2007年2月22日はアンディ・ウォーホルの没後20年の命日。その日に先駆け、綿貫さんは栗山豊さんが生前収集したその資料を皆様にお披露目したいとのこと。忙しくなるのは目に見えているが、とても面白い企画だ。2006年2月22日までに刊行されたアンディ・ウォーホルの資料を全国の皆様からお借りし(必ずお返しします)、集った資料たちを大きな会場に展示するという企画。貴重なアンディ・ウォーホルの資料を見つけられるかもしれないし、知られていなかったアンディ・ウォーホルの事実など浮かび上がってくるかもしれない・・・。それぞれの媒体のレイアウトやデザインを一気に見ることができ、形態やデザイン流行など一目でわかるだろう。そこで得られるものは無限大にあり、またそれは確かなものだと思う。
14時前に、ディス・ハウスから再校が届き、赤が直っているかをチェックする作業を行なった。
17時頃ぱくきょんみさんが来廊され、ぱくさんがチェックした再校と照らし合わせた。入稿まで時間がないと、慌しく行なった初稿は見落としが多く不十分なものだったことに気付き、ぱくさんと私は少し肩を落とした。北澤さんに申し訳ないと思いながら、また思いっきり赤を入れていった。妥協はしない。途中、ぱくさんが作って持ってきてくださった数種類の豆が入っている玄米(韓国の料理)を空になりかけた胃に入れて、再校のチェックが終わったのは22時頃だった。それから綿貫さんと打ち合わせを行ない、決めかねている箇所の判断をしてもらった。
全てが終わったのは23時頃で、ずっと待っていてくれた綿貫さんと令子さんにお好み焼き屋さんに連れて行ってもらった。青山のご飯屋さんは全て制覇して頭に入っているのか、いつも必ず美味しいモノを出してくれるご飯屋さんに連れてってくれるので、私も友達を連れていく店として使っている。さっきまできつく張っていた集中力とか、神経とか、思考と眼と気が繋がっていそうな回路が切れて、モリモリ食べた。最近、ハマっているやきそばはやっぱりおいしい。  

ギャラリー新人日記 2月23日

明日からオブジェ展なので、雄高さんと三浦さんは展示作業を行った。可愛らしいオブジェたちが互いに主張し合って、なにかの発表会かのようにキラキラしながら並んでいる。その背後には、カンディンスキーとクレーとポリアコフは少し遠慮がちに、アンディ・ウォーホルは派手に壁を飾っている。草間彌生さんの「Aカップ」は女王様のごとく一段とキラキラしてとても可愛い。
19時前に『トリシャ・ブラウン―思考というモーション』の巻末に挿入する文献とコピーライトの原稿がぱくさんから送られてきた。今日は19時きっかりに帰ろうと構えていたので予想外なメールだった。三上さんにも見てもらうためにメールを送り、慌てて少し手を入れて、北澤さんに送った。これで、全ての原稿が揃った。私のこの慌て様を見てか、遊びに行くことを綿貫さんに見抜かれた。
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ギャラリー新人日記 2月22日

今日はよく働いた。そして、いっぱい編集のことを学んだ。
13時前に三上豊さんが来廊され、『トリシャ・ブラウン―思考というモーション』の75頁以降のゲラに赤を入れてもらい、ぱくきょんみさんから送られてきた参考文献と執筆者紹介にも赤を入れて戴いた。わからないことは三上さんに聞いた。恥ずかしながら、「訳注」や「編集者注」などの「注」が分別されていることをはじめて知った。「コピーライトを書かないと。」と三上さんに言われたのだが、さっぱり何のこっちゃわからない・・・。三上さんが本棚から見本となる本を取り出し、それを参考にコピーライトの書き方やルールを教わった。私もまねして書いてみた。
19時過ぎにぱくきょんみさんが来廊された。執筆者と翻訳者から戻ってきたそれぞれのゲラをぱくさんが1つにまとめて持ってきてくださり、三上さんが校正してくださったものを合わせて、本ゲラに手分けして赤を入れた。今まで使用したことのなかった校正記号を教わりながら書き込んだ。ぱくさんは手と思考を休めることはなかった。本当に熱心だ。ぱくさんが編集者で良かったとぱくさんに会うたびに思う。なにはともあれ腹ごしらえ・・・令子さんが買って来てくれた大好きなアンデルセンのパンたちをほお張った。11時を回り、本ゲラの校正が完成したので、ディスハウスの北澤敏彦さんを呼び出し、こんな遅い時刻にもかかわらずすっ飛んで来てくれた。それから校正内容の説明と次の段階の打ち合わせを行った。作業が終わったのは日が変わる数分前だった。みんなみんな、本当に時間と身を粉にしてこの本を作っている。本を作る楽しさや面倒くささを知った上で、それでも作ることが好きだと思えるから、全然苦ではない。商売になっているかなっていないかは別にして、綿貫さんが作ることを止められない理由がなんとなく、わかる。令子さんと綿貫さんは、ぱくさんと私の作業が終わるまで待っていてくれた。ありがとうございました。

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ギャラリー新人日記 2月21日

3月22日に刊行予定の『トリシャ・ブラウン――思考というモーション』の75頁以降のゲラがディスハウスから届いた。
今日は急いでプレスリリースを作成するよう綿貫さんから頼まれた。
4月の展覧会は4Flowers展という花に纏わる作品を出展することになっていたのだが、アンディ・ウォーホルのウォッチャーだった故・栗山豊さんが蒐集した1960年代〜90年代の新聞、雑誌、カタログ、ポスターなど資料を壁四面いっぱいに展示しよう・・・という綿貫さんからの提案で、4月は急遽「アンディ・ウォーホル展 FROM THE PERSONAL COLLECTION OF Yutaka KURIYAMA」という企画展をすることになった。
17時から磯崎新アトリエで、磯崎新連刊画文集『百二十の見えない都市』シルクスクリーンのサインを行うことになっていた。15時過ぎに磯崎新アトリエの平田さんから電話があり、磯崎先生が風邪をひいており17時にはアトリエに出てくることになはっているがまだわからない・・・ということだった。16時半に電話を入れるとまだ見えていないと言われたが、磯崎新アトリエで待機することになった。綿貫さんに骨董通りにある老舗和菓子屋さん「菊屋」を教わり、鮮やかで可愛らしい和菓子を手土産として購入していると、綿貫さんのケータイが鳴った。磯崎先生は出てこられないということだった。手土産をお見舞いに変更し、磯崎新アトリエに持って行った。シルクスクリーン刷り師の石田了一さんと助手の大谷さんはすでに見えており、磯崎新連刊画文集『百二十の見えない都市』のたとうを平田さんにお渡しし、次のシルクスクリーンに使用するデータを戴いた。
19時からぱくきょんみさんと北澤さんと『トリシャ・ブラウン――思考というモーション』についての打ち合わせが行なわれた。少し込み入った話だったので、大人の話に子供は首を突っ込まないほうがいいかな・・・と私はその席から外れてみた。しかし、後で綿貫さんに「なに逃げてるのよ〜」と叱られた。すみません、微妙な年齢なので都合のいいときだけ子供のふりをしてしまいました。一大人として今度はきちんと傍に座って話を聞きます。
仕事が終わったのが21時過ぎで、綿貫さんと令子さんに夕食を誘ってもらった。ガッツリ食べたいと言うと、表参道にあるフレンチレストランに連れていってもらった。私はガッツリお肉コース。メニューと味と量とバランス、全てにおいて文句なし。最後のデザートまで大満足だった。  

ギャラリー新人日記 2月18日

出勤するとぱくきょんみさんからFaxが届いていた。中谷芙二子さんの原稿があがってきて、三上豊さんに校正を依頼したとの内容だった。
13時頃、ディスハウスから、『トリシャ・ブラウン――思考というモーション』の前半部分のゲラが届いた。
執筆者、または翻訳者にそれぞれの執筆頁のゲラを郵送した。
シルクスクリーン刷り師の石田了一さんが草間彌生さんの作品を持ってきてくださったので、皆でお茶にした。ちょうど16時頃、ぱくさんが三上さんが赤を入れてくれた原稿を持って来廊、 綿貫さんs御対面のお二人を紹介した。
その原稿を読んで、私はデータ上で修正していった。
残るはクレジットと執筆者紹介の原稿のみ。
火曜日までに皆さんから校正を戻して戴くことになっている。  

ギャラリー新人日記 2月17日

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昨日は熱が下がらずお休みを戴いた。流行の風邪をひいてしまい、思い通りにならない身体に歯痒さを覚えた。
ご心配をして戴いた方々、ありがとうございました。ご迷惑をお掛けしました。
ジョナス・メカスさんから三浦さんの元へ、依頼していたトリシャ・ブラウンさんへのコメントがメールでやっと届いた。
私は15時過ぎに府中市にある石田了一工房へ出掛け、着いた頃には外は薄暗くなっていた。シルクスクリーン刷り師の石田了一さんが磯崎新連刊画文集『百二十の見えない都市』を刷る現場の見学だったのだが、湿気の関係で紙が朝より縮んできているためその作品は刷れなかった。その代わり、シルクスクリーンの知識が全くない私に作品を作らせて戴いた。
透明のフィルムに赤、または黒のインクで絵を描くのが1枚、そのフィルムとは別に赤いフィルムを上に載せ色を付けたい部分は赤いフィルムを残し、色を載せたくない部分は赤いフィルムを剥す。といった二つの技法を試みた。その両方のフィルムを緑の液体が塗られた板みたいなものに載せて、エアーを抜く機械に入れて真空にし、それに太陽光並みの光を当てて焼く。そうすると、その緑の液体を塗った版に絵が焼きつき網目ができる。それを水で洗い流し、乾かす。その後、浮かないようにエアーを吸い取る掃除機みたいな機械に紙をセットし、絵が焼きついた版を上に載せて石田さんの指導の元、ゴム製のへらで体重を乗せてインクをスーッと刷る。石田さんのアシスタントをしている大谷さんも手伝ってくれた。たった一度で2.5センチ角の中に760個の穴があるという版からインクが落ち絵として出てくる。先にベタ刷りを行い、次に細い線の絵をズレないように合わせ刷る。これが、石田さんが得意とするものだ。綿貫さんがよく言っているが、石田さんの刷りにはズレがない。本当に1ミリたりともズレがない。それに、石田さんが刷るグラデーションは美しい。
シルクスクリーンがこういうものとは知らなかった。エキサイトした。私の子供染みた絵を見て、石田さんは誉めてくださった。記念にTシャツにも刷ってくださった。注文がくるかもしれないからフィルムは置いてていいよと言ってくださった。くるかな・・・でも、そう言ってくださるだけでテンション上がる!!
シルクスクリーンは気候、凄腕、体調、気持ち・・・きっと様々な要素が連結しなければ人を圧倒する作品にする事はできないのだろうと思った。それは銅版画も同じこと。職人さんってすごい。
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ギャラリー新人日記 2月15日

14時頃植田実さんとアトリエ苫人の中野照子さんが来廊された。ときの忘れものHP用の「植田実の本」の原稿を校正して戴いた。画像の指定をして戴き、本の撮影もその場で行った。皆でお茶にして、磯崎新通信の復活の話をしていたところ、私も今は手が回らない状態なのでインターンの募集をかけようということになった。きっと楽しい仕事なはず!!ご応募お待ちしております。
18時頃、中井悠さんがトリシャ・ブラウンの本に使用する画像データを持ってきてだ
さり、綿貫さんとお話をした。中井さんは幼少時代に6年間、ロンドンやメキシコ・シティなど海外に住んでいたらしく、トリシャ・ブラウンの本にあたって翻訳を務めている。
今日も居残りで校正を行い、最後の原稿と題してデザイナーの北澤さんに原稿を送った。
なんだか朦朧としてきたので熱を測ると微熱があった。この夜は体温の上昇で寝苦しく、夢を見た。トリシャ・ブラウンの原稿に登場する人物の名前が頭の中を駆け巡っていた。

ギャラリー新人日記 2月14日

岡崎乾二郎さんの原稿が遂に出来上がってきた。私は、ぱくきょんみさんが来廊されるまでに、わからない箇所に付箋をして質問する準備をした。ぱくさんは18時頃来廊され、つきっきりでご指導してくださった。ぱくさんはご多忙にもかかわらず毎日ときの忘れもの足を運んでくださり、とても熱心に考え、また動いていらっしゃる。私もぱくさんを見習って、何度も何度も原稿を読み直し、校正を行った。
三上さんから仕事が長引いて寄れないと連絡が入り、私は校正が済んだ原稿を北澤さんに送り今日はここまでにしといた。
寺下さんと綿貫さんと令子さんが表参道近くのご飯屋さんに行っとくことになり、ぱくさんから預かった資料をディスハウスに届けて北澤さんと一緒に皆が待つイタ飯屋さんに向かった。岩塩の利いたお肉が美食だった。昔から変わらずあると聞いていた大坊珈琲に閉店ギリギリにも関わらず入れさせてもらった。オーナーが珈琲を一杯一杯手で入れてくれるのだが(口で説明ができないので、是非ご自身でオーナーの手つきを見てください)、まさにお湯と挽いた珈琲豆が融合する姿・・・といった感じ。見入ってしまうほど優雅な注ぎ方だった。

ギャラリー新人日記 2月13日

今日は休廊日なのだが、16時半からトリシャ・ブラウンの打ち合わせが入っており15時頃出勤した。
ぱくきょんみさんが16時頃来廊され、ぱくさんから三上豊さんに回った校正を、再度ぱくさんに見て戴いた。
そして、ぱくさんが私の隣に座り口頭で指示して戴き、私が活字に直すという作業を行った。
16時半頃、明日は修士論文の口頭試問だというのに中井悠さんが来廊され、欧文タイトルに翻訳して戴いた。
17時半にデザイナーの北澤敏彦さんを交えて最終的な打ち合わせを行い、ぱくさんと中井さんから、どこにどの写真を入れるか一つ一つ説明があった。
明日は、ぱくさんと三上豊さんが来廊されることになっている。
何度も打ち合わせを繰り返し一つ一つ決めていくと、本を1頁1頁作っているという感覚が薄っすらと芽生えてきた。
この本に関われる悦びも忙しくなるに連れ増してくる。

ギャラリー新人日記 2月10日

今日と明日はオノサト・トシノブ、大沢昌助 O氏旧蔵30点特別セール。
ときの忘れものは小野隆生展と打って変ってサイケデリックで鮮やかな作品ばかりである。
17時頃、編集顧問の三上豊さんが赤を入れたトリシャ・ブラウンの本の原稿を持ってきてくださり、私はその原稿を見ながらパソコン上で修正する作業を行った。
三上さんにクレジットの表記など、本を制作する上で必要なことを丁寧に教えて戴いた。
監修者の岡崎乾二郎先生のスタッフ中井悠さんと木原進さんにデータを送って戴き、三上さんにその場で校正して戴いた。
編集を担当するぱくきょんみさんは18時前に来廊され、三上さんと30分程の打ち合わせを行い、タイトルは欧文もあった方がいいということになった。
目次はぱくさんと私で作成することになり、ぱくさんが口頭で指示してくださり、私はそれを活字にしていった。
「edit」というものを忠実に教えて戴き、かなり私は恵まれた環境だ。21時になってしまったので、残りの仕事は月曜日に見送り、今日は帰ることにした。

ギャラリー新人日記 2月9日

今日は雄高さんと三浦さんはオノサト・トシノブ、大沢昌助 O氏旧蔵30点特別セールの作品の展示作業を行った。壁面の高さが5mもあるので脚立に上りいつも命懸けの展示だ。
私は、HP掲載用のオブジェ展に出品するオブジェたちを撮影した。そのオブジェの置き方を見て、そんな風に置く人を初めて見たよ・・・と三浦さんは驚きの様子。
今日は表参道ヒルズ(旧同潤会青山アパート)の内覧会だったので、17時頃三浦さんと出掛けた。帰宅途中、毎日のように表参道を見てきたが、ここ1ヶ月この通りはいつになく人と車で溢れている。
表参道ヒルズに入ると、空間が広いことを知り、まずどこから攻めていけばいいのか迷った。とりあえず2階へ向かい上から全体を見渡すと、そこはファサードからは全く想像のつかない巨大な豪華客船を想わせる大空間だった。地下3階から地上3階まで清々しいほどの吹き抜けで、地下3階から始まる大階段には、穏やかな波のような、風に揺すられているケヤキ並木の影のような映像が映し出され、演出も施されていた。表参道の高低差と表参道ヒルズのスロープが上手い具合にスパイラル状になっており、収容されているショップはまるで同潤会アパートの部屋番号のように「M114」・・・と振られている。コンクリート打ちっぱなしは決して出しゃばりな印象を与えないため、個々のショップが確立されて見える。色々な所に目を向けるとコンクリート打ちっぱなしの丸い柱など安藤忠雄さんが得意とするあのコンクリート打ちっぱなしを見ることができ、嬉しくなる。
1時間程で画廊に戻り、トリシャ・ブラウンさんの作品のキャプションを作成した。作品と今日出来上がってきたポジを確認しながらキャプションを貼り付け、終わったのは20時を回っていた。
表参道ヒルズ表参道ヒルズ2表参道ヒルズ3  

ギャラリー新人日記 2月8日

ニューヨークから帰ってきた三浦さんと久しぶりに会った。
12時にトリシャ・ブラウン ダンス カンパニーから三浦さんが借りてきたトリシャ・ブラウンの作品とポートレートを、みんなで見て打ち合わせをすることになっていた。11時半に岡崎乾二郎さんとぱくきょんみさんと木原さんが来廊され、41点のドローイングと10枚の写真を覗き込んだ。北澤敏彦さん、三上豊さん、中井さん、中谷芙二子さん、前田圭蔵さん・・・と相次いで来廊され、また皆でドローイングと写真を除き込む。岡崎乾二郎さんにドローイングの説明をして戴いた。左手で右手を描
き、右足で左足を描いている。1999年のドローイングは手を骨折している時に踊りながら描いたものだそうだ。みんな、そうなのか〜といった様子で頷いていた。説明できる人がいるということはとても重要で、理解度が増すことがわかった。企画書を見ながら進行状況を確認していった。トリシャ・ブラウンの本を刊行する日まで僅か1ヶ月。木下哲夫さんと中井さんの翻訳は揃い、また執筆を依頼していた方から原稿は送られてきて徐々に揃ってきている。ぱくさんと三上さんと私が校正チームとなり、ぐるぐる回していく。私にもできる作業があるとわかると活が入る。打ち合わせが2時間ほどで終了し、近所のお蕎麦屋さんにぞろぞろと食事しに行った。「そのそ」の親子丼はおいしい。
打ち合わせ打ち合わせ中  

ギャラリー新人日記 2月7日

出勤すると鍵が閉まっていた。綿貫さんたちは倉庫で今週末のオノサト・トシノブと大沢昌助の特別セールの準備作業、私は画廊に独り。私も留守番に慣れ、綿貫さんも私を独りにさせるのに慣れたのだろうか・・・今日はあまり心配していない様子。心配されないと心配されたいと思う。
三浦さんが昨夜NYから無事帰国。トリシャ・ブラウン ダンスカンパニーからトリシャ・ブラウンさんのスケッチブックと写真をお借りして持ち帰ってきた。明日12時からの打ち合わせに間に合うよう、早急に撮影に回した。
オブジェ展のDMが印刷所から届き、代金引換と言われたのだがその金額に達する持ち合わせがなかった。恥ずかしかった。
3箇所からトリシャ・ブラウン展を告知してくださると連絡があり、画像データを送り、柳田冨美子さんの本に使用する画像を送り、独りでいると電話に追われて終了した。

ギャラリー新人日記 2月4日

ニューヨークにいる三浦さんからメールが来た。昨晩、利三郎さんのお宅に遊びに行き、珍しく酒に呑まれて二日酔いとの内容だった。
今日はオブジェ展に出品するオブジェの下に敷く板をたとう職人の小林薫さんに発注した。
綿貫さんに板のサイズは任せると言われたので、よくわからないが用紙のサイズを基にして決めた。
昨日、シルクスクリーン刷り師の石田了一さんからシルクスクリーン試刷りを納品されたため、奥付に必要な作品のサイズを測りデータに加えた。
今日は永井桃子さんが来廊され、永井さんの展覧会期日を話し合って決めた。今まで展覧会の日程などの決め事は自分でしたことがなく、こう見えて(どう見えるのかな・・・?)私は決め事が苦手でいつも人任せ。作家を不安にさせないようにピシッと決め事ができる人にならなければ・・・

ギャラリー新人日記 2月3日

出勤すると、令子さんと岡部さんが昨日届いた小野隆生さんの新作5点を展示していた。これでやっと9人の少年少女が揃った。
14時からぱくきょんみさん、三上豊さん、北澤敏彦さん、前田さん、服部さん、綿貫さん、私の7人でトリシャ・ブラウンさんの本の打ち合わせを行った。岡崎さんとぱくさんが作成してくださった企画書に沿って進行した。岡崎乾二郎先生や黒沢美香さんなど執筆者への働きかけや、木下哲夫さんに依頼した翻訳作業は早急に進めており、三浦さんがニューヨークで41点のドローイングを受け取ったと連絡が入った。着実に進んでいるのだが、本として未だ形になっていないものを打ち合わせするのはそれぞれの想像の世界だ。
私が思い浮かべているものと、あの方が思い浮かべている本は果たして一緒なのだろうか・・・と思ったりした。
ぱくさんが、「私は本を全部売りますよ。」と心強い発言がたくましく、全てはそれに込められた気持ちからなのだろうと感じた。
19時に森美術館で「東京−ベルリン/ベルリン−東京展」のオープニングに植田実先生、三上豊さん、寺下さん、綿貫さん、令子さん、私で出掛けた。各自観て回って30分後に集合することになった。ドイツ・デザイン展はスタイリッシュで欲しいと思うモノばかり。BMWの車は中がゆったりしている様子でカッコイイ。絵画で印象的だったのは、東郷青児の油彩。2月のオブジェ展にも出展するカンディンスキーやナム・ジュン・パイクの作品もあった。
観覧中に横山正さんにお会いし、ヒルサイドに中華料理を食べに行った。横山さんは建築家で、岐阜県大垣の情報科学芸術大学院大学の学長さんで、植田先生はじめ皆さんとは昔からの知り合いのようだ。
三上豊さんが、「昔、横山さんに本を貸したのに返ってこない。」と言うと、植田先生も「僕も横山さんに貸したのに返ってこなかったから、古本屋で探し続けて25年後にやっと買えたよ。」と、横山さんは苦笑いをしていた。
横山さんは「図書館の村」を作りたいとおっしゃっていた。死んだら、その図書館に本を提供するというシステムにすると莫大な数になり、それをマニアックに細かい分類わけをして巨大な図書館の村を作りたいと熱く語った。遺留品を捨てずに大事に利用することになるし、その中には貴重な本もあるはずだし、とても面白い発想だ。もし横山さんの「図書館の村」という夢が叶わなかったら、その夢を私に託して欲しいと思った。
12展示風景  

ギャラリー新人日記 2月2日

12時半頃、DHLが届いた。小野隆生さんの作品だ。開けてみると、少年少女の肖像図が5点入っていた。触りたくなる艶々肌の感じが好きだ。デジカメで撮影し、額装に出した。
今日は突然、友達が来廊してくれた。大学時代の友人、現在設計事務所で働いている西森怜子さん。みんなでお茶を戴き、これで“れいこ”が3人揃った。
17時過ぎに、美術評論で活躍している池上ちかこさんが来廊された。綿貫さんが、「HP用の小野隆生さんの連載をして欲しい」と依頼していた。
池上さんは快くO.K.してくださった。
私の版画の先生でもある白井版画工房の白井さんとみすみさんも来廊してくださった。
夕方は、小野隆生展が賑わっていた。新作がなくて残念だ・・・。  

ギャラリー新人日記 2月1日

今日は14時頃綿貫さんと令子さんが出勤した。やはり独りじゃない方が安心して仕事できる。
DHLから電話があり、「小野隆生さんからの荷物なのですが、中身は何ですか?」と聞かれた。怪しまれたのだろうか?今から税関を通るとのことだった。新作が明日届き、そのまま額装に出すと展示できるのは3日。二日間だけの展示となる・・・。
今日は、柳田冨美子さんの本のゲラ作成に必要なデータと画像をデザイナーの北澤さんに送った。  

 


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