ギャラリーお出かけ日記

2006年7月〜9月
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ギャラリーお出かけ日記 9月28日

 植田実先生は、毎週木曜日の3限目に「日本大学生産工学部建築工学科 居住空間デザインコース」で講師をしている。「私の仕事・現在」というタイトルの今学期の授業は、「建築関係の仕事といっても設計が全てではない」ということを生徒たちに伝えたいということで、何らかの形で建築に関わる仕事をしている人を招き、植田先生の質問に答えるという授業形式。そこで、“建築を勉強していたが、建築に進まなかった人”というので私は適役だったみたい(?)なので、第二回の授業は私がゲストとして参加し、津田沼キャンパスにお出かけ。

 一日講師なんてそうあるものではない。しかも大学だし・・・喋れるかな〜不安を除くためにアルコールの力を借りたい気分。私の場合、前もって話す内容を準備したら棒読みになるのは目に見えているので、アドリブで話すことにした。

 13時少し遅れて教室に入った。女性のみの生徒さんが30名くらい、後ろの方から席が埋まっていってた。(私も学生の頃は後ろに座るタイプだったが、最近では前の方に座りたいと思うようになった。)まず植田先生から紹介を与り、「ときの忘れもの」とは一体どんな会社なのかを説明した。これは前もって質問されるとわかっていたので、前日に「ときの忘れもの」とは一体どんな会社なのかを綿貫さんに聞いていた。版画を作家さんに描いてもらう話や、実際にどんな刊行物があるかを見てもらった。また、母校・神戸芸術工科大学での課題設計や卒業論文・制作の内容、一度は建築家になりたいと思った理由、もう図面描くのは嫌だと思ったこともあるけれど建築は好きだ、ということなど・・・あっという間に1時間半が過ぎた。

 あれでも私は精一杯でした。淡白だったかもしれないけど棒読みではなかったと思う。無意識に話を終わらせている私は、チラッと植田先生を見て何度もフォローしてもらった。緊張というよりは興奮に近いもので、終った後は心地よい疲労感を味わえた。エネルギーのいる仕事だ。19時近くまで院生の人たちと話した。同じようなことを学んできた同士、共感できることも多い。彼女たちも図面描くのを嫌だと思ったことがあるそうだが、やっぱりみんな建築が好きなんだな〜。
               (おだちれいこ)


ギャラリーお出かけ日記 9月15日

 今日は、神戸芸術工科大学三上研究室・三上晴久先生が設計した、世田谷松原の家・A邸のオープンハウスに出かけた。私は、工期中に2度見学している。最初に訪ねたときは敷地内に深く掘られた土があり、霜が降りていた寒い時期だった。現場監督の真似事をして図面を見たり、測量の人が覗いていたモノを覗きたいとお願いしたり・・・。二度目は鉄骨や断熱材が見えている状態の時だった。

あぁ〜建ったな〜という嬉しい気持ちと、紙の上のものが地球上に建った!すごい!という感激がこみ上げる。
どんなに図面を引き直しても、ボンドがはみ出ている模型が完成しても、徹夜が続いて気性が荒くなっても、私が課題で設計した建物は、机の上にしか建たなかった・・・。

植田実先生と13時に現地で待ち合わせをしていた。植田先生と一緒に見学することになっていた。
初めて入る建物は、初めてのアトラクションに乗り込むような感覚にどこか似ている。どんな仕掛けがあるのだろうって。

南側は道路、敷地の三面はピタリと住宅が隣接している。南側の外階段のストライプの格子が、お向かいさんと道路からの視線を曖昧にしてくれる。
A邸は2階建ての二世帯住居。家の中心に寄ると繋がり、中心から離れれば分れる、という感じだ。その中心に緊張感のある階段がある。スコーンと吹き抜けており、誰しも快適だと思うであろう空間に、澄まし顔のまるでピアノの鍵盤のような階段が1階の家族と2階の家族の行き来を繋ぐ。庭に向って、両手両足を左右に伸ばして座っているテディ・ベアのような住宅だと思った。胴体は吹き抜けのリビング、右脚はキッチン・ダイニング、左脚は部屋・水周り、右腕は部屋、左腕はキッチン・ダイニング・水周りに相当する。
2階の玄関の向い側に天井から三角に開いた壁があった。これはブレスに合わせて上の部分を開けたのだという。植田先生も面白いと見ている。2階の廊下で立ち話、窓を開ければこの廊下がバルコニーの方へ伸びるから、その廊下は廊下以上のものになるだろう。
天地左右を隈なく見て、暗くないのに電気を点けては消し、開くものはなんでも開けてみたくなる建物だ。三上先生は隅々までこだわる建築家だと私は思う。「気になる」という言葉を何度か耳にしたことがある。だからこそ、今回の住宅も細かい仕掛けをたくさん見つけられる。

40分くらい居たのだろうか、植田先生の「ほぉー」とか、「なるほどー」とかそんな言葉の後ろを付いて回って、私たちは好奇心の連続で見て、体験した。

駅までの帰り道、植田先生はまだ好奇心が連続していた。というか、植田先生は常に好奇心が連続している人間なのかもしれない。植田先生は変わった建物を見つけては立ち止まり・・・を繰り返した。先生の体はあらゆる建物に反応する。駅周辺の喫茶店に入り、先生はコーヒーフロートを、私は抹茶ババロアを注文した。植田先生からお願いされている件についての打ち合わせをした。     (おだちれいこ)

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ギャラリーお出かけ日記 9月14日

 16時半過ぎ、銀座に向かった。滅多に来ない街だ。

 資生堂の「女たちの銀座 稲越功一の視点+銀座の歴史展」のオープニングにひとりで出かけることになった。展示会場に入ると、稲越功一さん(名札を付けていたのでわかった)にお目にかかれた。一階は、稲越功一さん撮影の銀座で働く女性たちの写真が展示されており、それぞれの銀座についてのコメントも添えられていた。写真とコメントを見ながら私も銀座のことを考えてみた。人は街を選ぶけれど、街も人を選んでいる、と思う。私は、銀座に行くとわかっていたらビーチサンダルも長靴も履かないし、財布にはいつもより多めにお金を入れる。それは、銀座の文化がそうさせるのだろうか。

 二階の展示室に気になるモノがあった。『御婦人手帳』という、80年前のもの。手のひらより小さな233頁のそれ。趣味と教養が高まることを目的に制作された生活文化情報誌らしい。当時50銭で、各国の風俗やスポーツ、建築、美容、文化などが書き込まれている。こういうモノってあったら便利だな、と思う。知らないよりは知っていた方があなたの株も上がるかもよ、というマナーなどが書かれてあると嬉しいかも。

 綿貫さんにゆっくり観ておいでと言われたが、ひとりではなんか落ち着かなかった・・・。

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ギャラリーお出かけ日記 9月2日 (岡倉天心命日)

 13時から、財団法人三徳庵とワタリウム美術館主催の“岡倉天心 国際シンポジウム 「茶の本」の一〇〇年”が有楽町の朝日ホールで開催された。開演15分前に朝日ホールの11階で植田実先生と待ち合わせをしており、ロビー周辺をうろうろ探していると、「お待ちしておりました」という声の方から磯崎新先生登場。綿貫さんが磯崎先生と挨拶を交わすと、「植田がエレベーター前で待ってるゾ」と言われたので、私はエレベーター前へ走った。

 前方の真ん中に座った。このシンポジウムには、一体どんな業界の人が来るのだろうか・・・茶道をやってそうな感じの人もいるけれど、明らかに茶道に不釣合いなみてくれの人も多い。私は後者だ。

 英語での講演もあり、翻訳器を耳に当てていない人がいると、この人英語わかるんだ・・・と、かっこよく見える。翻訳機からはニュースを読んでいるような真面目な声が聞こえてくるし、笑うところもテンポ遅れになる。かっこ悪い。

 9名の講演者がおり、磯崎先生は2番目。建築家と「茶の本」、一体何を話すのだろう・・・。さっそく、フランク・ロイド・ライトの話が出てきた。先生の講演は下記の内容から始まる。
 1906年に「茶の本」がニューヨークで発行された直後にライトは読んだと言っている。建物の本質は空虚であり、壁や屋根ではなくそこに住まうべき空間にある、と老子を引用しながら書かれてあるが、この考えは、まさしくライトが独創的に考えてきたことだった。“空間”という概念は、100年前の世界の建築論や歴史の叙述には出てきておらず、19世紀後半になってやっと“建築空間”という言葉を手がかりに分析されるようになった。それなのに、天心が老子を引用して、1906年に既に言っていたことにショックを受ける。そしてライトは、がちがちの箱の隅をはずし、中の空間が外に流れ、外の空間が中に流れる、間の関係を作り出そうと考えた。これを“箱の破壊”と言っている。

 この他にも五浦六角堂の話など、建築にまつわる話をされた。講演を終えた磯崎先生は、私たちの席の前に移動してきた。よく見ると、くしゅくしゅとした黒の薄手のジャケットを着ていた。磯崎先生はいつだってお洒落さんだ。後ろを向いて「おい、綿貫」とか「植田」と話し掛けて、なんだかとても元気そうだった。

 第1部が終わり、植田先生と綿貫さんとお茶にしようということになった。エレベーターで磯崎アトリエの方に遭遇したので、みんなでお茶に行くことに。銀座は至る所にカフェがあるのにどこも満席。手当たり次第“cafe”という看板が掛けられている店をあたったが、フラれっぱなし。歩き回ること数十分、私たちは銀座7丁目に来ており、やっと見つけたマクドナルドみたいなカフェの席を確保できた。
                         (おだちれいこ)


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ギャラリーお出かけ日記 8月27日

 今日のお出かけは遠出。11時前に待ち合わせた刷り師の石田了一さんとあん子さんご夫妻の車に便乗させてもらい、軽井沢へ出発。あるスピードを越えると、車から鈴音が鳴る。高速に乗ってからは鈴音が鳴り止むことはなかったが、この音も耳に入ってこないくらい眠くなったので少し寝た。旧軽井沢で綿貫さんと令子さんと合流し、栗で有名な「竹風堂」で遅い昼食。ここの栗ごはんは甘くてもっちりしていて、まさしく一度食べたら忘れられない味。頭まで食べられるという鮎がお皿に載っていたけれど、恐い顔をしていたので残してしまった。

軽井沢石田・尾立
 軽井沢に来た目的は、彫刻家の宮脇愛子さんにお会いするため。私は、愛子さんとはいつもすれ違いだったので、今日初めてお会いすることになる。テラスに招かれ、紅茶とケーキとロシア人からもらったというヨーグルトを戴いた。みんなの言うとおり、キリッとしていて本当に素敵な方だった。気圧された私は俄然無口になり、自分の作法や行儀がひどく気になった。

ゲストルームを見学させてもらった。他の部屋とは温度の違うワインクーラーやサウナまであった。興奮冷めやらぬ状態でテラスへ戻り、今度は愛子さんのアトリエに案内してもらった。和紙に墨で描いたという制作中の作品が壁に掛けられていた。とてもシャープな弧を描いており、金属ワイヤの作品に通ずるものだった。

 綿貫さんがお世話になったT氏は数年前にお亡くなりになったが、奥様にご挨拶に伺った。明かりが点いていないようだったがチャイムを鳴らしてみると、「はーい」という微かな声に期待した。奥様が出てきて、玄関先で少し立ち話をし、帰ろうとしたその足を呼び止められた。「よかったら、家の中を見ていかれますか?」・・・思いがけないラッキーな展開となった。

 磯崎新先生が友人であったT氏のために設計をした幻の住宅。
スタジオジブリに出てきそうなお家だった。玄関に入り、廊下を5、6歩進むと、右手に「コンコルド」とT氏が呼んでいたというフロアで道が四方に分かれる。亡くなったT氏の書斎へ繋がる廊下、居間へ繋がる下る階段、奥様の書斎へ繋がる上がる階段、寝室へと繋がる廊下。コンコルドに立って、それぞれ別の方向に進もうとした私たちに、最初は居間を案内してもらった。T氏の写真の前に、ずっと身に付けていたという腕時計が置かれてあった。この腕時計は、 1時と2時の間にヒビが入っているものの、「今でもちゃんと動いているんです。」と嬉しそうに語る奥様。
居間からコンコルドに戻り、次は左の廊下を進み小階段を上るとT氏の書斎がある。本棚には、文学者たちの全集が並んでいる。机の上に布が掛けられ、その上には2片の羽根が置いてあった。ここにも、奥様の思いを感じた。コンコルドへ戻り、今度は5段くらいの小階段を上って奥様の書斎へ。そしてまたコンコルドへ戻り、今度はコンコルドに一番近い扉、寝室に案内された。この、どこに行くにもスタート地点となる「コンコルド」は、ちょっとお茶をする場所でもミシンを置いて裁縫をする場所でもない。ただ部屋と部屋を繋ぐほんの少しのスペースであるのに、この住居の心臓であると確信した。
台所から水回り、物置も全て見せてもらった。どの部屋に居ても思うこと、それは雨上がりのグレーな空も葉から零れる滴も、この家にとてもお似合いだということ。そしてもうひとつ、それは広すぎず狭すぎず、人間の寸法に対して丁度の大きさだということ。空間は、ある程度あれば、それ以上は必要ないのかもしれないな・・・。
磯崎先生の設計したこんなにも素晴らしいと思える住宅を見ることができたということは、私の財産です。素敵な住宅建築はいっぱいあるけれど、今後それらとT邸を比べて見るつもりはない。私の記憶の中だけに留めておきたいと思った住宅。

 なんだか体中が満たされ、その後万平ホテルのレストランに入った。さっきもケーキを食べたはずなのに、すっかり忘れた振りをしてまたケーキをペロッと食べたあん子さんと私。この後、綿貫さんと令子さんとあん子さんは演奏会に出席し、私と石田さんは東京に戻った。
                    (おだちれいこ)


ギャラリーお出かけ日記 8月25日 その2

 裏原宿の裏のまた裏に入ると、明治通りとは一転していつの間にか静けさの中を歩いている。そんな所に、光と緑が溢れる豪邸が現れる。

 6時半からナイト・スタディ・ハウス主催の“自分が欲しいものをつくる・売る インテリアショップ「ワイス・ワイス」ゼロからの8年間 −山田長幸 in WISE・WISE Cafe−”に参加した。
 13回目となるナイト・スタディ・ハウスの会場は、ここ「WISE・WISE」というインテリアショップで、オリジナルブランド「WISE・WISE」の家具を提供している。元々は個人の邸宅だった店内は、地下1階、地上2階の白くて大きい一軒家。住宅だった内装は少しいじったもののnLDKは生かされ、今でも住まいを感じさせるゾーニングプランで家具や雑貨が配置されている。バリ風のインテリアに興味がある私にとって、あれも欲しい、これも欲しいと目移りしてしまう家具ばかり。店内を見学した後、この店の経営者のひとりであり、プロダクトデザインも手掛けるこんがり日焼けした山田長幸氏のトークが始まった。

 デザイナーとして会社勤めをしていた山田氏は、クライアントの要望に応えるということは容易だったが、誰の要望でもなく自分がいいと思うものをデザインしていくには、自分がお金を出して作る側になればいいと考えた。そして、10年前に友人と株式会社ワイス・ワイスを設立し、家具を製作してもらえる工場を回るも、バブル崩壊後のシビアな日本経済の中ではそう簡単に受けてもらえなかった。そこで、単に好きだったという素材“ラタン”に着目し、インドネシアに飛び立ち、受け入れてくれる工場に出会った。8年前に広尾に店を構え、3年前に神宮前のこの場所に越してきたという。何もかも手弁当のように作り上げて来て、今でも手弁当でやっているという。「何でも自分たちでやるのは楽しいですよ。」と、共感できる素敵なセリフだ。

 「夜8時頃に就寝、夜中2時起床」という山田氏は、大切なのはめちゃくちゃ楽しみながらデザインをすること。そんな明るい気持ちで生まれてきた家具たちは、部屋の中をいつまでも明るく照らしてくれるに違いない。また、デザインと一塊で言っても、山田氏の思うデザインは“衣装”という意味を示しているという。コンセプトは特にもたないが、あえていうなら、“Balance & Comfort”。
どんなモノもがっつりデザインし過ぎない、そして偏らない、これが大切らしい。バランスって、自分では気付きにくいもので人ってつい力を入れ過ぎてしまう部分がある。生活でも栄養でも何でも、レーダーチャートでバランスの取れた放射状になるには困難なことだが、一度バランスが崩れると後の祭。過剰にならずに、力まずに、私自身バランスを心がけていこうと思った。

 ナイト・スタディ・ハウスの帰り道は、散歩がてらポジティブに自分のことを考えながら帰りたくなる。学校の授業より真剣に聞いている私がそこいた。
(おだちれいこ)


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ギャラリーお出かけ日記 8月25日 その1

フジテレビギャラリーは、今日がオープニングの「清水九兵衛展」を最後に閉廊することになった。36年の歴史で幕を閉じるそうだ。また、清水九兵衛さんは、惜しくもこの「清水九兵衛展」を待たずして、先月の20日にこの世を去られた。
5時からオープニングだったので、令子さんとフジテレビギャラリーのある有楽町まで出掛けた。ビルの中の一角、真っ白な室内に、木に和紙という素材のキュービックの作品が2階に分けられて展示されている。作家の名前からして、“和”のテイストのものをついイメージしてしまいがちだが、とても80代のおじいさまの発想とは思えない近代的な造形だった。
『朱頭』というシリーズ作品は、和紙でコーティングされている9センチ角のキュービックがいくつか連なっており、そのひとつに全面朱色のキュービックがあるというもの。これらは台の上に展示されている。そして、『朱容』という作品は壁に掛けられているもので、和紙のボードに2〜4つのキュービックが配置されており、そのひとつに全面朱色のキュービックと、それに対面しているキュービックの側面が朱色になっているというもの。また、和紙のボードに朱色のペンで弧や直線が描かれている。美術というよりは建築っぽく、どこか科学的で数学的な要素があるように見えてきた。
オープニングは、おじさま方がいっぱいだった。私が浮いていることは、誰かに言われなくても自分で気付く。この場に馴染みようがないので、通行の邪魔にならないようにとそればかりを気にして、令子さんの行く先々をついて回った。
            (おだちれいこ)

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ギャラリーお出かけ日記 7月25日

ゆーじん画廊 岡崎乾二郎展/おかざき けんじろう展

 渋谷の宮益坂にある、6年間通った小学校の校舎みたいな建物。階段や廊下の感じが懐かしく、ピンポン玉がすごい勢いで跳ね返ってきそうなところ。見るのは慣れっこになったセンター街にいるギャルたちは、やっぱり異質な存在だと改めて思った。そんな建物の一室にある「ゆーじん画廊」。岡崎乾二郎展が7月25日[火]から8月10日[木]まで開催されています。
 キャンバスの枠には到底収まりきれないこの世界は、一体どんな思想なのか、論理的なものなのか、哲学的なものなのか・・・観察すればするほど困惑する。キャンバスを目の前に、私のあらゆる思考が作動する。それは五感だけでは足りなくて、とりとめのない想像が駆け巡った。
 タイトルやコンセプトを知った上で作品を見ると、その先に考えることはない。しかし、作品のタイトルが見当たらなかったので、何を表現しているのか検討もつかない。ここに展示されている作品は明らかに魚でもなく記号でもない、きっと名詞のモノではないだろう・・・迷路にはまった。
 メロン味の飴を嘗めたときと少し似ている感覚。ミント味や梅味と違って、メロン味の場合、何味かを知らずに嘗めると一体何の味なのかわからない。メロン味だと聞かされると、メロンってこんな味だっけ?と思いながら、でもメロン味と書いているから・・・と無理矢理認める。
何を表現しているかはわからないが、このキャンバスの中は、なんとなく私の憧れの世界であるような気がした。そんなことを考えながらキャンバスを見ていると、キャンバス内に凸の影が映っているのを発見した。
 19時をまわり、岡崎ファミリー(「えんがわ」の方と四谷アート・ステュディウムの方)と岡崎先生とぱくさんの友人たちと食事に出掛けた。広東料理「青山一品」。あっさり・さっぱりしていて、美味しくて、美容と健康によさそうなものばかり。
 岡崎先生はこんなことを言っていた。詩人のぱくきょんみさんと作家の勝本みつるさんは、2年ほど毎日文通をしているにも関わらず、その親友同士の会話は敬語。また、「〜らしいですよ。」などと、己の話をしているのにどこか人ごとのようで、主体が自分たちではないように聞こえると。ぱくさんの詩と勝本さんの作品も同じく、主体が自分たちではないと言っていた。そんな二人の会話は、とても不思議に聞こえるに違いない。でもそれってすごく面白い。私も、何となく文章を書いていると、無意識にボクという表現を使っている。これは一体何なのだろう・・・。

ゆーじん画廊12


ギャラリーお出かけ日記 7月19日

7月19日に、綿貫さんとパレスホテルで3日間だけ開催される「PARKETT COLLECTION展」に行ってきました。昔、綿貫さんがニューヨークでアンディ・ウォーホルやジョナス・メカスさんと会ったとき交渉を助けて下さった真田さんという方がおり、その真田さんが企画した展覧会に招待されたのだった。

『PARKETT(パーケット)』とは、1984年よりスイスのチューリッヒで出版されている出版社パーケット社の美術雑誌で、年間2〜3冊を刊行し、過去23年、今年で76巻の出版になります。この美術雑誌は、常に最先端の現代アーティスト達の紹介・啓蒙活動を継続しているもので、次世代をリードするアーティストをいち早く発掘・紹介しており、その実績は欧米の美術関係者の間で語り草になっています。
美術雑誌『PARKETT』は 1冊に3名のアーティストを特集しており、英語とドイツ語の2カ国語が収録されています。分厚い雑誌の刊行は購読料だけでは賄えず、その刊行を持続させるために、特集したアーティストに限定60部でエディションを制作してもらい、それを売って編集費をカバーしているそうです。
そのエディション作品の数は現在で168点となりました。雑誌刊行に伴って制作された先端アーティストのマルチプル作品は、絵画・版画・彫刻・インスタレーション・ビデオなど、広範にわたっていますが、このすべての作品を網羅しているコレクションは世界的にもきわめて稀な存在です。これまでパリのポンピドーセンターやニューヨークの近代美術館(MoMA)でPARKETT COLLECTION全作品を集めた展覧会が行われてきましたが、日本の美術館ではまだ企画されたことはありません。
そこで今回、その全エディション作品を日本に将来し、美術館へアプローチするためのプレ展覧会が開催されたというわけです。会場のパレスホテルでは「PARKETT COLLECTION展」の半数が紹介されました。

展示されていた作品はさまざま。思わずクスッと笑ってしまったもの、これも作品?と言いたくなるようなものもあった。食事の席で恋人同士が些細な喧嘩から殺し合いになるという、何も殺さなくてもと言いたくなるような映像。ドライヤーの風でピンポン玉が浮かされているというもの。地球に優しい作品ではないが・・・CELINEのサンダルの底に玩具みたいにプープーと音が鳴る仕掛けのものや、無造作に置かれたペイントされたひょうたんとリュック(床に置いてあったので誰かの忘れ物だと思った・・・)などがセットになったもの。耳元で囁かれる感覚のする、オルゴールの仕組みと似ている大きいイヤリング。さすがにお洒落とは言えないが・・・日本ではあまり見たことのない実にユニークなものばかり。私にとってこの展覧会は、アートと呼ばれるものが形式を持たず自由であることを目の当たりにする「現場」だった。

ゲルハルト・リヒターのエディションなど、当初は4,000ドル位で発売されたそうだが、今ではオークションで80,000ドルの高値で落札されたという。その他『PARKETT』の特集、またはエディショがきっかけとなり名前が広がったというアーティストも多いそうだ。
今回の主な展示アーティスト(順不同)は、ゲルハルト・リヒター、ジェフ・クーンズ、アンドレア・ガースキー、ブルース・ナウマン、シグマー・ポルケ、ロバート・ゴーバー、ダミアン・ハースト、レベッカ・ホーン、アンディ・ウォーホル、ルック・タイマン、アニッシュ・カプール、リチャード・アーシュワーガー、チャック・クローズ、マルレーヌ・デュマ、ピーター・ドイグ、トム・フリードマン、エリザベス・ペイトン、チャールズ・レイ、ジェームズ・タレル、カラ・ウォーカー、ジョン・ウェスレー、フランツ・ウエスト、草間彌生、杉本博司、森万里子 他。
過去23年の168点中の半数で十分にパワフルであった。カタログがわりの全作品の箱入りカードはときの忘れものでも扱っています。
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ギャラリーお出掛け日記 7月14日

9月24日まで、世田谷美術館で「クリエーターズ 長大作/細谷巌/矢吹申彦」の展覧会が開催されている。
14日の夕方、綿貫さんと私はオープニングに参加した。

まず、長大作さんがデザインした椅子たちの展示室から廻った。
公園に展開する弧を描いている大きい窓ガラスに沿って、美脚の椅子たちが奥までポンポンポンと配置されていた。入ってすぐ左の壁面には、解体された椅子と部品が掛けられていた。パーツ同士は組木のように組み立てられるようになっているようで、部品らしいものはほとんどない。木材を美しい曲線や直線になるまで削ったように思わせるほど、木目もまた美しい。背もたれの部分と坐る部分の弧が、人間の体の曲線に心地よくフィットするような美しいラインを描いていた。どの椅子も華奢く長い脚をしているのだが、存在は堂々たるものだった。
長大作さんの招き猫〈黒目のにゃん助〉に目を奪われながら、次の展示室に進んだ。

壁面にはインパクトのあるポスターなどが展示されてあった。
細谷巌・・・恥ずかしながらクリエーターの名前は初めて聞いたのだが、作品はほとんど見たことあるとても身近なもの。中央のほうに〈ポカリスエット〉と〈カロリーメイト〉が展示されていた。「えっ?これも?」と思わず声に出る。風邪の時はポカリスエット、節食中にはカロリーメイト・・・。私は細谷さんデザインのものに随分とお世話になっている。他にも「男は黙ってサッポロビール」と書かれたポスター、〈アオハタ55ジャム〉・・・日常のなかにいつの間にか当たり前に存在していたものだった。キューピーマヨネーズのCMも細谷さんの作品だった。CMが流れる度に反応してしまう刺激的な映像だ。中には音楽にあわせてたくさんのたらこキューピーが回り出すというギョッとするものもあるが・・・。野菜が野菜に見えなくて、食べられる物にも見えなくなってくる。マヨネーズなしでは食べられないぞーと言われているみたいだ。
また、細谷さんのデザインしたポスターは、必ずと言っていいほど言葉が入っている。私の気に入ったフレーズは「出来事には、次がある。」「過ぎた夏は、サンドイッチの包み紙のようなもの。」「森を歩いているとビタミンDに出会った。」「子供にピーナツを与えるな。」等。インパクトのあるデザインと断定的な言い種のフレーズによるコンビネーションには、がっちり心を掴まされた。

いつの間にか矢吹申彦さんの絵が並ぶ展示室に移動していた。
これらの作品もまた、どこかで目にしたことのあるものだった。身近なものは、森山直太朗の「さくら(独唱)」のCDジャケット。どの絵も超インパクトのあるもので、青い空に浮かぶもくもくとした白い雲や、色使いは幸せを語っているようだ。矢吹さんの作品は、永井桃子さんの温かい絵を思い出させてくれる。一番多く描いている猫は、リアルなのかそうでないのか混乱してきそうなほど不思議な感覚を覚える。その猫たちは今にも気の利いた言葉を言いそうな顔付きをしている。童話の世界のようだったり、ありえないシチュエーションだったり、意外に非現実的なものが多かった。〈1879年製のミルキー〉と〈SAZAESAN〉は、慣れ親しんでいるキャラクターは影と形だけを残してはいるもののそこにはあの可愛いペコちゃんとサザエさんは存在せず、超リアルに描かれているのでちょっと衝撃的だった。

この世に存在するほとんどのモノには創作者がいる。このことを、もっと気に留めて生活してみようと思うようになった。3名のクリエーターズの今後の作品を、まだまだ日常生活の中で確かめられることだろう。

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