パブロ・ピカソ
Pablo PICASSO
|
|
パブロ・ピカソ Pablo PICASSO(1881-1973)
1881年スペインのマラガ生まれ。父ルイスは美術教師であった。1892年から美術学校で絵を学び、1897年サン・フェルナンド王立アカデミーに入学するが中退。バルセロナで制作をしながらパリに出向く。1901年パリで初の個展。この頃の作品が青く暗い色調であったことから1904年頃までを青の時代と呼ぶ。1904年モンマルトルの「洗濯船」に移る。明るい色調に転じたバラ色の時代を経て、アフリカ彫刻の影響などを受け「アビニョンの娘たち」を制作。1909年ころからブラックとともに分析的キュビスムの作品を制作する。その後、コラージュを使った総合的キュビスムから一転して古典的な画風となり大らかで量感のある人物を描いた。 |
|
1930年代から精力的に版画作品を作り始める。また、この頃愛人であったマリー・テレーズをモデルにした幸福感溢れる明るい色による作品を制作した。恋人が写真家のドラ・マールに変わると、彼女の激しい気性から「泣く女」が生まれた。年齢を経るにしたがってより奔放な作品を描くようになり、1950年頃からはヴェラスケスなどの過去の名画を解釈した作品を描き始めた。晩年の1968年から347シリーズと呼ばれるエロティックな連作銅版画を制作したあと、続けて156シリーズを発表。1973年に亡くなるまでその旺盛な制作欲は衰えることがなかった。
|