ナダール
NADAR
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1820年フランスに生まれる。本名はガスパール=フェリックス・トゥールナション。若い頃、彼は全ての単語の語尾に「ダール」(dar)を付ける遊びをよくしたため、友人たちは「トゥールナダール」というあだ名で呼んだ。これが後に省略され「ナダール」という通り名となる。厳しい生活の中、小説家や戯画家として活動。また1848年初頭に風刺新聞ル・シャリヴァリの風刺画家となる。1851年から始めて1854年に完成した、当時の重要人物300人以上を描いた風刺肖像画シリーズ『パンテオン・ナダール』は彼の名声を高めた。1854年部屋をアトリエにして、新技術である写真による肖像の探求に打ち込み、写真スタジオを開く。1858年彼自身の気球への関心や気球操縦者としての活動が加わり、気球で世界初の空中撮影を行なう。1860年スタジオを移し、フランスの文化人、政治家、軍人などをも撮影し、肖像写真家として活躍。 |
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1874年自分のスタジオをモネ、ドガ、ルノワールら画家たちによる展覧会の会場として貸す(当時嘲笑の的となったこの展覧会が、後に第1回印象派展と呼ばれる展覧会である)。1897年ナダールは写真家として再度挑戦する気になり、南仏のマルセイユに写真館を開く。写真館は成功を収め、1900年パリ万博において、息子ポールの企画した回顧展は大きな反響を呼び、ナダールは受賞をするに至る。1904年パリに戻り、1910年に永逝。
ナダールの肖像写真はわざとらしさが少なく、対象となる者の自然さや精神性を引き出すことに成功している。これには装飾的要素の少なさや、アングルや光の当て方の工夫による、画面内の光が見る者に対して生む心理的効果が貢献している。
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