磯崎新の版画制作

綿貫不二夫
2002年 1月

 この事務局通信は磯崎先生が十年がかりで取り組む連刊画文集『百二十の見えない 都市』の予約購読者に向けて、制作の進行状況やら、作家の近況をお伝えする目的で昨春四月から発行を始めました。ところが、肝心の画文集の制作が予定より大幅に遅れてしまい、その遅延のお詫びと言い訳のお手紙を毎号、同封しなければならない 仕儀となってしまいました。お待たせしている予約購読者の皆様には、たいへんご迷惑をかけてしまいましたが、しかし、一九七七年以来、版画の版元として、磯崎先生の版画制作に寄せる執着と情熱を間近に見てきた私は、先生が一旦始めたことは、 なにがあってもやり抜くということを確信していました。 
 とはいえ、昨二〇〇一年の磯崎先生の世界を駆け巡っての多忙な日常は尋常ならざ るものでした。その合間を縫って何とか版画の制作とエッセイの執筆をと願う私たちも、先生の建築家としての苛酷なスケジュールを知れば知るほど、版元として作家の創作を督促しサポートせねばならないのに、面と向かうとそれらの言葉を飲み込まざるを得ない日々が続きました。 
 いよいよ年も押し詰まった昨年十二月、アトリエの網谷さんが、「これじゃあいつ になっても制作の時間は取れないわね。中国出張の折り、〈空白の一日〉をつくって、そこでやって貰うというのはどうかしら。」という、私たちが思いもつかなかった奇策をあみ出してくれ、急遽、リトグラフ用のアルミ版を用意して、旅行鞄に入れていただきました。かくして、十二月九日の上海のホテルの部屋から、怒濤のごとき版画の制作作業が開始されました。 
 実は、初年度分の十二都市(各二点)を描く版画の技法について、磯崎先生は当初銅版を中心に考えておられました。前回企画『栖 十二』で使ったエッチング技法が、 思いのほかご自身の表現に合うことを感じられたようで、今回の最初の二十四点は銅版画で行こうと思われていたようです。ところが、上海のホテルで制作という段取り を組んだとたん、重くて取り扱いに不自由な銅版ではなく、移動に便利で軽くて描画しやすいリトグラフの版(アルミ)がいいということになってしまいました。これがかえって制作の進行を一気にはかどらせる契機となりました。 
 磯崎先生は昔、試作的にリトグラフをやったことはあるのですが、本格的な制作は今回が初めてです。傍に制作をサポートする刷り師がいれば、専門的なアドバイスができるのですが、海外のそれもホテルの一室ではそれもならず、出国前の慌ただしい打合せで、チョーク(クレヨン状のリトグラフの筆記具)の使い方を教わっただけでしたが、帰国後、私たちに戻された五枚のアルミ版には見事な都市のかたちが描き出されていました。 あらためて「画家イソザキ」の実力を思い知った次第です。 
 さて、帰国してから新年元旦にかけて版画制作に割かれた時間とエネルギーは、遅 れていた作業を取り戻すとかというレベルのものではなく、まさにこの一年間、先生のなかに蓄積されつつあった「見えない都市」への大構想が一気に溢れ出てゆく瞬間 の連続でした。次から次へと湧いてくるイメージを、あるときは素早く、またあるときは技法上の試行錯誤を重ねながらしかも逡巡することなく、おもむろに版に描き出 してゆく様は、さすが学生時代からスケッチブックを離さず描き続けてきた画家の姿そのものでした。その場にいた私たちは、ただ息をひそめて見守るばかりでした。アトリエから僅か徒歩六分のところに今回のリトグラフと銅版の刷りを担当する白井四子男さんの版画工房があるのですが、連日のように白井さんは乃木坂下から高台の磯崎アトリエまでを昇り降りしたのでした。
 版画の専門知識のない方のために、簡単にご説明すると、磯崎先生が制作している「オリジナル版画」が完成するまでには、〈版への描画(原版の制作)〉〈製版〉〈紙への刷り〉という三段階があります。そして第一段階の〈版への描画(原版の制作)〉だけは作家自らが直接関与することが「オリジナル版画」の必要最低限の条件とされています。 
 近年の版画ブームとやらで、版画家ではない有名日本画家たちのいわゆるエスタン プ(複製版画)が数多く出版されていますが、それらの多くは「原画」を渡された職人(多くは刷り師が兼ねる)が作家の代わりに原画から版に絵を写し(描い)て制作したもので、〈原版の制作〉に作家自身は直接関わってはいません。 
 磯崎先生は、今回、初年度の十二都市をリトグラフと銅版画で制作されています が、その全ての原版を直接ご自分で制作されています。従って原画というものは存在しません。リトグラフの場合は前述のチョークや筆で版に直接描画されました。 銅版の場合は、エッチングという最も一般的な技法と、ソフト・グランド・エッチングという、線よりも面的な表現に適した技法をも併用して制作されています。約半数の作品は着彩される予定です(カラー版画)。版画というのは、基本的には一つの原版から一色しか刷られません。従って三色の版画とすれば、そのための原版は三つ必要になります。磯崎先生は、そのための色版も全てご自身で制作されています。 
 もちろん版画には、リトグラフや銅版のほかに、木版やシルクスクリーンなど多種 多様な技法があり、今後『百二十の見えない都市』の制作には、これらの技法が総動員されるでしょう。原版の制作も、写真製版や転写、コラージュなど、直接描画ではない方法も駆使されるに違いありません。それらを含め、磯崎先生がご自身のオリジナル作品として原版制作に直接関与し、版画を制作していることを、ぜひ皆様にはご理解いただけたらと思います。 
 この「制作立ち会いの記」を書いている一月二十一日現在までに、先生は十一都市分に相当する二十一点まで漕ぎ着けました。色版も含めると約四十版の原版を制作されたことになります。お約束の十二都市二十四点まで、あと三点に迫ったわけです が、私たちの過去の経験からいうと、恐らく構成の変更があるでしょうから、いくつかの都市が入れ替わるでしょう。まだまだ楽観はできませんが、この大プロジェクトが大きく前進していることは、感動をもってご報告したいと思います。 
 とはいえ『百二十の見えない都市』は版画とエッセイによる画文集です。磯崎先生 にとっては、版画制作の後には、十二篇のエッセイを書き下ろすというさらなる難行苦行が待っています。そしてこのエッセイも、私たちは「美しい版画」として皆様に お届けしたいと思っています。あくまで絵と文が一体となった画文集が私たちのねらいです。書き下ろされたエッセイは北澤敏彦さんデザインにより版がつくられ、磯崎版画の初期からの名プリンターである石田了一さんがシルクスクリーンで一枚一枚を刷りあげるという贅沢な仕上がりです。
 最後に、画文集の仕様の変更について、お願いがあります。当初は募集要項に記載した通り「32×25cm」を基本のサイズとし、用紙は二つ折り「32×50cm」を予定していました。しかし、先生の構想が膨らみ、基本サイズを「38×38cm」に、用紙は 「40×120cm」の三つ折り(片観音)に、大きく変更させていただくことになりました。事後報告で誠に恐縮ですが、何とぞご了承の程、お願い申し上げます。


2001年12月22日 アトリエで。
リトグラフの主版(墨版)を前に置き、アルミ版にあらたに色版をリト・クレヨンで描画する。

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