画廊主のエッセイ
このコ-ナ-では、画廊の亭主が新聞や雑誌などに依頼されて執筆したエッセイを再録します。

『資生堂ギャラリー七十五年史』の編纂を終えて

綿貫不二夫 1995年 3月
『ア-ト・トップ』 140号/1995年 4-5月号に掲載。

 企画が立てられてから足掛け六年、調査チームが新聞雑誌の悉皆調査に着手してから四年半、漸く『資生堂ギャラリー七十五年史 1919~1994』(監修・富山秀男京都国立近代美術館長、資生堂企業文化部編、求龍堂)が刊行された。A4変型、 736頁、図版約二千五百点、収録展覧会約三千、その内容は一民間ギャラリーの歴史というには余りに膨大である。新聞雑誌の閲覧調査、作家・遺族への直接調査など、私自身二度と経験できまいと思われる程、大規模かつ広範囲な調査が実施された。富山秀男、阿部公正、海野弘、飯沢耕太郎、五十殿利治、田中日佐夫、横山勝彦の各分野の研究者が編纂委員となり、執筆、調査など、関わった人々は70名にもなる。編纂に携わった一人として概要を記したい。

 本書は、我が国で最も長い歴史を持つ資生堂ギャラリーの歩みと、そこで開催された展覧会の記録を開催当時の資料によって正確に復元したドキュメントである。今までも「画廊史」はいくつも出版されたが、画廊の主人の一代記や、回想録が多く、そこで開催された展覧会について正確な記録を網羅したものは少なかった。もちろん画廊(ギャラリー)の性格によって、その歴史をたどる方法は色々あってよい訳だが、私たちは、資生堂という企業が運営するギャラリーの性格(特色)を踏まえ、今までの「画廊史」にはなかった方法と形態を採用したのである。

 資生堂ギャラリーの開設は1919(大正 8)年12月、川島理一郎展が最初の展覧会である。父有信が明治 5年に創業した資生堂を継いだ福原信三(初代社長)は、薬品から化粧品への転換を押し進め、欧米留学の体験をもとに、商品の製造、販売、宣伝の各方面にわたり多彩な人材を集め、「リッチ」という言葉に象徴される資生堂スタイルの確立に精力的に取り組んでいた。留学時代の友人である川島をブレーンにギャラリーを開いたのも決して趣味や道楽といったレベルの発想ではなく、福原の経営哲学の中に企業と文化に対する確固とした理想があったからである。今日、資生堂は日本最大の化粧品メーカーとして誰一人知らぬ者はないが、戦前は数多くある化粧品メーカーの一つに過ぎなかった。むしろ規模は小さくてもよい、美しく高度な質をもった商品を作りたいというのが福原の一貫した考えで、その理想と同じ線上にギャラリーの開設があり、四分の三世紀に及ぶギャラリー活動が展開されたのである。

 以後何があってもギャラリーの灯は消さないという意思が歴代の経営者に受継がれていった。監修の富山秀男の言を借りれば「資生堂は日本における企業の文化支援の先駆ともいえようが、むしろ企業が文化支援によってどれほど豊になれるかという見本」でもある。我が国のギャラリーは1910(明治43)年の琅干王洞を初めとして、大正年間にいくつか生まれるが殆どが短命に終わる。大正、昭和、平成の三代を生き抜いたギャラリーは資生堂唯一つである。この間、関東大震災、昭和恐慌、太平洋戦争という未曾有の惨禍が資生堂を襲い、企業本体も危機に瀕したがそれでも僅かな中断をしたのみでギャラリー活動は継続された。その中で童画の武井武雄、バウハウス帰りのデザインの山脇道子、洋画の須田國太郎、日本画の山本丘人、陶芸の安原喜明、版画の駒井哲郎らが初個展を開き、今和次郎・高村豊周らの装飾美術家協会、山口蚊象らの創宇社建築会、仲田定之助・中原実らの三科、松本竣介らの新人画会などがここを発表の場としたのである。このような民間ギャラリーの典型ともいうべき「画廊史」を編むことは、日本の近代美術史からすっぽりと抜け落ちている街の画廊の歴史と、そこに拠って発表活動(街頭展)を行った若い作家や群小のグループの軌跡を明らかにすることであるというのが私たち編纂側の共通した認識であった。

 本書の第一の特徴は、「典拠主義」ともいうべき編纂方針で、全ての記録を開催当時の案内状、目録等の一次資料と、閲覧した約三百の新聞・雑誌の記事に基づいて作成したことである。後年の文献からの孫引きはせず、一つ一つの記録(会期、展覧会名、主催者、出品作家、出品作品等)を何を【典拠】として確定したかの原典を全て記載してある。その中には例えば靉光らの広島美術人協会が戦時中の昭和一八年七月に開催した展覧会など、今まで全く忘れられていたものも少なくない。

 第二の特徴は、本書は美術事典としての内容をもっていることである。75年間に展覧会を開催した作家や、主催者・後援者、さらに展評等を執筆した人物は約五千名にのぼり、主催・後援団体は六百余あるが、そのすべてを本文記録編に収録した。特に個展や二人展を開いた約千名については有名無名を問わず略歴を記載し、資生堂を拠点としたグループ・団体については結成の経緯、構成メンバーについても詳述した。どんな作品を発表したかについても作品名はもちろん、図版を豊富に収録している。また重要な展覧会や埋もれた作家については、46名の専門研究者がコラムや解説約 190本を執筆しており、読み物としても充分な内容を持っている。資生堂の記録のみならず書誌事項に重点を置いた「関連年表」は一般読者のみならず、研究者にとって便利なものとなるに違いない。

 第三の特徴は、本書には多彩で幅広い分野の人々とグループ・団体が数多く登場するが、それらに関して細大漏らさず、一万件をこえる完全な索引を作成したことである。

 『資生堂ギャラリー七十五年史』は洋画、日本画、彫刻、版画、写真、工芸、建築、デザイン、服飾、園芸、文芸、演劇、舞台美術など日本の近代文化全体を覆う幅広さをもち、文化史事典、人物事典としての内容を持つ本として刊行に至ったのである。

                       1995.3.15.記


『ア-ト・トップ』 140号/1995年 4-5月号に掲載。

 私がフリ-の編集者として、発足したばかりの資生堂企業文化部の柿崎孝夫氏に<資生堂ギャラリー史 刊行企画書>を提案したのは1990年の夏だった。社内の一部門に過ぎない画廊の歴史に、社史でもないのに膨大な調査と労力を費やす大企画に、当初は柿崎氏も驚かれた。なかなか社内合意が得られなかったようだが、翌1991年春から私も企画スタッフとして参加したギャラリ-企画「資生堂ギャラリーとそのア-ティスト達」展が始まり(第1回展は駒井哲郎回顧展)、ようやく社の内外に資生堂ギャラリーの歴史的意義が再確認されていった。私の事務所内に資生堂ギャラリー編纂室を設け、三上豊氏(現和光大学教授)と柴田卓氏(『三彩』の最後の編集長)という美術界きっての名編集者を迎え、永田町の国会図書館に通いつめた日々はいまとなっては懐かしい思い出である。1995年 3月遂に刊行となり、 8人の調査チ-ムを解散し、資料の山だった事務所を改装し画廊「ときの忘れもの」を開廊したのは同年 6月である。私の40代のすべてをつぎこんだ大プロジェクトだった。


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『資生堂ギャラリー七十五年史 1919~1994』
『資生堂ギャラリー七十五年史 1919~1994』


資生堂 1995年
A4変型(30.5×23cm) 736P

編集:資生堂企業文化部
発売:求龍堂
制作:(有)ワタヌキ
 
収録図版約2,500点
収録展覧会約3,000展

監修:富山秀男

刊行の辞:福原義春

編纂委員:阿部公正、飯沢耕太郎、海野弘、五十殿利治、田中日佐夫、富山秀男、横山勝彦

執筆:赤木里香子、秋山正、阿部公正、飯沢耕太郎、石川毅、海上雅臣、海野弘、大井健地、大泉博一郎、大河内菊雄、大谷省吾、大屋美那、五十殿利治、金子賢治、河田明久、菊屋吉生、北川太一、栗原敦、小池智子、佐々木繁美、島田康寛、清水勲、清水久夫、白石和己、菅原教夫、巣山健、田中日佐夫、富山秀男、中村圭介、中村誠、野地耕一郎、林洋子、福原義春、藤森照信、藤谷陽悦、増野恵子、松永伍一、六岡康光、村上公司、諸山正則、矢口國夫、柳沢秀行、山本武夫、横山勝彦、吉田漱、綿貫不二夫、

あとがき:柿崎孝夫

記録作成:綿貫不二夫、三上豊、柴田卓

デザイン監修:中村誠
アートディレクション:北澤敏彦

◆我が国で最も長い歴史を持つ資生堂ギャラリーの歩みと、そこで開催された展覧会の記録を開催当時の資料によって正確に復元したドキュメントである。
美術、写真、工芸、建築、演劇、舞踊、服飾、文芸、デザインなど、あらゆる文化の流れを一望できる。展覧会開催当時の原資料徹底的に渉猟、網羅。今まで不十分だった戦時中の芸術家たちの活動など美術史の空白をも埋める資料性の高い厚い一冊。
大正8年から75年間に展覧会を開催した作家や、主催者・後援者、さらに展評等を執筆した人物は約五千名にのぼり、主催・後援団体は六百余あるが、そのすべてを本文記録編に収録した。特に個展や二人展を開いた約千名については有名無名を問わず略歴を記載し、資生堂を拠点としたグループ・団体については結成の経緯、構成メンバーについても詳述した。どんな作品を発表したかについても作品名はもちろん、図版を豊富に収録してる。
また重要な展覧会や埋もれた作家については、46名の専門研究者がコラムや解説約 190本を執筆しており、読み物としても充分な内容を持っている。資生堂の記録のみならず書誌事項に重点を置いた「関連年表」は一般読者のみならず、研究者にとって便利なものとなるに違いない。
本書には多彩で幅広い分野の人々とグループ・団体が数多く登場するが、それらに関して細大漏らさず、一万件をこえる完全な索引が巻末にまとめられており、美術史研究には欠かせない。

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