堀江敏幸のエッセイ「言葉はそこからはじまった」 ――大竹昭子ポートフォリオ「Gaze + Wonder/NY1980」に寄せて 2012年09月07日 |
人を介しての、手探りの情報を頼りにした移動がまだ生きていた一九七〇年代末のニューヨーク。石造りを基本とする欧州の都市から、金属とコンクリートとガラスの圧倒的な量塊が迫り出す別世界に足を踏み入れた大竹昭子は、動物的な嗅覚と勘を働かせながら賑やかな碁盤目の中心線を離れ、いつも周縁地区に引き寄せられていった。地下に潜ることを比喩にすりかえず、自然体で実践していたのである。
高い建物のあいまから覗く空の誘いに惑わされない低い目線と、ひと足ひと足の動きに呼応する真新しい心の揺れは、のち『アスファルトの犬』(一九九一)と題された小さな本で再度計測されることになるのだが、二十代を終えようとしていた彼女の不安定な軸足のぶれをなんとか支えてくれたのは、写真を撮ることだった。じっさい、右の本には、今回このポートフォリオのためにセレクトされたものとおなじ写真が何枚も収められている。
写真集「NY1980」のなかのエッセイで原初の体験として挙げられている「歩道にいる犬」は、人生においてそう幾度も遭遇できない幸福な不意打ちを捉えた一枚だが、「この写真を見返すとき、かならずフレーミングのことに思いがいく。犬をど真ん中にいれてこれ以外は関心なし、という感じで撮っているところが、子供の写した写真のようだ」と彼女は書き、これをもって「子供時代」は終わったのだと断言している。 しかし、本当にそうだろうか。ある時期に集中して撮影されたこれら一連の写真には、学校を休むには少し足りない微熱と夢の中の彷徨に似たあやうさが刻まれている。原っぱで遊んでいた子どもたちの無計画さや無鉄砲さ、その場その場で遊びを発見していく柔軟さ、そして目の前の出来事を言葉で説明しようとしない身体感覚がある。子供時代は、「このアングルでないとしっくりこないと思う何かがからだのなかで作動する」ことを悟った瞬間ではなく、そのような感触に言葉を与えた時にこそ終わりを告げられるのだ。 見慣れたものを見知らぬものへといったん変貌させたうえで意識のネガに取りこむフレーミングは、アスファルトを歩く犬ではなく、屋根の上から地上を歩く犬としての自分を見ている「私」という幽体の眼に等しい。この眼の力と鮮度をどのように保ち、どのように稼働させたらいいのか。大竹昭子の「言葉」は、その問いからはじまったのだ。ニューヨークの写真がとどめているのは、レンズ通りが言葉通りと改名される直前の、みずみずしい姿なのである。 (ほりえとしゆき) ■堀江敏幸 HORIE Toshiyuki 1964年、岐阜県生まれ。作家。主著として『仰向けの言葉』(平凡社)、『戸惑う窓』(中央公論新社)、訳書として、エルヴェ・ギベール『幻のイマージュ』(集英社)、ロベール・ドアノー『不完全なレンズで』(月曜社)、ジャック・レダ『パリの廃墟』等がある。 エッセイバックナンバー |
大竹昭子ポートフォリオ『Gaze+Wonder NY1980』
発行日:2012年10月19日 発行:ときの忘れもの 限定8部 ・たとう入りオリジナルプリント12点組 ・写真集『NY1980』(赤々舎)同梱 テキスト:堀江敏幸、大竹昭子 技法:ゼラチンシルバープリント 撮影年:1980年〜1982年 プリント年:2012年 シートサイズ:20.3x25.4cm 各作品に限定番号と作者自筆サイン入り 《夜の会話》 《屋上犬》 《猫を見る男》 《ナッツ・ショップ》 《セントマークス通り》 《消防士》 《A街171番地》 《SOHO犬》 《掃除機を担ぐ女性》 《雪の日のジョガー》 《《廃墟》 《キッチン》 |
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