飯沢耕太郎のエッセイ「日本の写真家たち」 第5回 「牛腸茂雄(GOCHO Shigeo 1946-83)」 2013年9月23日 |
牛腸茂雄は、1946年に新潟県加茂市で生まれた。3歳の頃、胸椎カリエスという難病にかかり、一年ほど石膏のベッドで寝たきりの生活を送る。一命はとりとめたものの、重い後遺症が残り、医者からは20歳まで生きられないかもしれないといわれたほどだった。
身長が伸びず小柄なままの体型だったが、10代になると体調もだいぶ回復し、1965年に東京の桑沢デザイン研究所に入学してグラフィック・デザインを学ぶ。そこで講師をしていた写真家の大辻清司に出会ったことが、彼のその後の生涯を決定づけることになる。写真撮影に強い興味を抱いた牛腸は、写真家になることをめざすようになるのである。 1971年に最初の写真集『日々』(桑沢デザイン研究所の同級生、関口正夫との共著)を刊行。都市の日常を鋭敏な感覚で切り取ったスナップショットで注目を集める。だが、彼の写真のスタイルが確立してくるのは、次の写真集『SELF AND OTHERS』(1977年)だろう。文字通り「自己と他者」との関係の見取り図を描き出すように、家族、友人、行きずりに出会った人々のポートレート60点をおさめている。特に大辻清司が「願望の自画像」と称した、子供たちをモデルにした写真群が印象深い。彼らの中に潜む脆さ、危うさを繊細な手つきで引き出している。 『SELF AND OTHERS』は日本写真協会新人賞を受賞するなど、高く評価されるが、牛腸はそこに留まることなく前に進み続けた。というより、30歳を超えた頃から、ずっと死の予感を抱き続けていたのではないだろうか。牛腸の最後の写真集になったのは、1981年に刊行した『見慣れた街の中で(Familiar Street Scenes)』である。カラーフィルムを使った都市のスナップショットだが、そこここに非日常的な裂け目が顔をのぞかせているように感じる。この写真集刊行の2年後の1983年、体調が悪化して故郷の加茂市に戻り、36歳という若さで逝去した。 今年(2013年)は、牛腸の没後30年という年にあたる。それにあわせて、写真集『こども』(白水社)と新装判の『見慣れた街の中で』(山羊舎)が刊行された。牛腸のライフワークといってよい子供たちをモデルにした作品を集成した『こども』からは、体のハンディを背負いつつ「いのち」の輝きを追い求め続けた彼の写真家としての軌跡が浮かび上がってくる。『見慣れた街の中で』は、展覧会には出品されたが写真集には未収録だった27点を新たに加えた構成になっている。 生前の牛腸の仕事を知らない世代も含めて、これから先も、彼の静かだが張りつめた緊張感を持つ写真は、人々の心をとらえ続けていくのではないだろうか。 (いいざわ こうたろう)
■飯沢耕太郎 Kotaro IIZAWA 写真評論家。1954年生まれ。日本大学芸術学部写真学科卒。筑波大学大学院芸術学研究科(博士課程)修了。1990〜94年季刊写真誌『デジャ=ヴュ』編集長。著書に『「芸術写真」とその時代』(筑摩書房)、『日本写真史 を歩く』(ちくま学芸文庫)、『写真美術館へようこそ』(講談社現代新書)、『私 写真論』(筑摩書房)、『「写真時代」の時代!』(白水社)、『荒木本!』(美術 出版社)、『増補 戦後写真史ノート』(岩波現代文庫)、『写真的思考』(河出ブックス)、『「女の子」写真の時代』(NTT出版)など多数。きのこ文学研究家としても著名。その著に『きのこ文学大全』(平凡社新書)『世界のキノコ切手』(プチグラパブリッシング)ほか。 「飯沢耕太郎のエッセイ」バックナンバー |
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