飯沢耕太郎のエッセイ「日本の写真家たち」 第7回 「小林紀晴(Kisei KOBAYASHI 1968〜)」 2014年08月09日 |
長野県諏訪出身の小林紀晴は、1988年に東京工芸大学短期大学部写真学科を卒業後、日刊工業新聞社にカメラマンとして入社する。3年半後、息が詰まるようなルーチンワークに疲れ果てて辞表を提出し、タイ、インドネシア、ネパール、インドなどを放浪する旅に出た。この時期にアジア各地で出会った若い日本人たちについて、文章と写真で綴った彼の最初の著書『アジアン・ジャパニーズ』(1995年)は、この種の本では珍しく10万部を超えるという大ヒットになった。
その後、小林は『アジアン・ジャパニーズ2』(1996年)、『アジアン・ジャパニーズ3』(2000年)をはじめとして、写真集、エッセイ集、小説などを次々に刊行し、同時代の若者たちの生き方を代弁するような立場になっていった。2000〜2002年にはニューヨークに滞在し、たまたま「9・11」の同時多発テロを間近で体験した。この時の衝撃は写真集『days new york』(2003年)にまとめられている。 小林のこの頃までの写真と文章の仕事は、無名の同世代の若者たちへの共感に裏づけられており、彼らとの関係を細やかに、「等身大の」親しみやすいスタイルで記述したものだった。それはたしかに社会に広く受けいれられやすいもではあったが、反面、表現の奥行きや強度においては、物足りないところがあったことは否定できない。だが、2000年代半ば以降、彼はもう一度自分自身を見つめ直して、そのルーツを確認し、一回りスケールの大きな表現のあり方を模索するようになっていった。 そのきっかけとなったのは、7年に一度、故郷の諏訪で開催される「御柱際」をはじめとする、日本各地に伝わる儀礼や祭礼を丹念に記録し始めたことだった。既に1999年には「御柱際」の前後を撮影した写真集『homeland』を刊行しているが、近年はその範囲が日本全国にまで広がりつつある。その成果は写真集『KEMONOMICHI』(2013年)と写真展「遠くから来た舟」(同)に結実し、後者で第22回林忠彦賞を受賞した。また、オーストリア在住の写真家、古屋誠一との交遊を軸に、「写真家であること」の意味を問いつめた『メモワール 古屋誠一との二〇年』(2012年)は、渾身のノンフィクションとして話題をさらった。 小林はいま一つの壁を乗り越え、写真家として、また文筆家として、さらなる未知の可能性にチャレンジしようとしている。 (いいざわ こうたろう)
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