飯沢耕太郎のエッセイ「日本の写真家たち」 「石原悦郎??写真をアートにした希代のギャラリスト」 2016年03月09日 |
2016年2月27日、石原悦郎さんの死去が伝えられた。享年74。石原さんとは個人的な交友も多少あったので、いろいろな思いが渦巻いている。今はただただご冥福をお祈りしたい。
石原さんの最大の功績は、何といっても1978年に「オリジナル・プリント」の展示・販売をめざすギャラリー、ツァイト・フォト・サロンを、日本ではじめて東京・日本橋に創設したことだろう。今でこそ、写真をアート作品として収集・展示するギャラリーや美術館はあたり前になっているが、当時としては時代に先駆けたものだったのだ。写真は報道や広告のような視覚的な情報伝達の手段であり、何枚でも複製できるプリントに価値はないという考え方が一般的だった時代に、石原さんはアジェやカルティエ=ブレッソンやマン・レイの「オリジナル・プリント」を展示・販売することで、敢然とチャレンジしていった。 石原さんが笑いながら話してくれたことがある。「ツァイトでは鳥を飼っていたんだよ。閑古鳥という鳥をね」。実際、最初の一年余り、お客はほとんど来なかったようだ。だが、少しずつその存在が知られるようになり、1980年代になると森山大道、荒木経惟、植田正治、北井一夫、そしてより若い世代の柴田敏雄、杉本博司、渡辺兼人、畠山直哉、伊奈英次など日本の写真家たちにも門戸を開いていく。 1985年、科学万博の開催にあわせて開設した「つくば写真美術館」のことも忘れることができない。「パリ・ニューヨーク・東京」という三都市を取り巻く写真の状況を、19世紀から現代まで、450点余りの写真作品(すべて石原さんが私財を投じて蒐集したもの)で辿る大展示会だが、経済的には惨敗だった。この展覧会に金子隆一、平木収、横江文憲、谷口雅、伊藤俊治の諸氏ともに、「キュレーター・グループ」の一員としてかかわらせていただいたのは、僕にとっても得がたい経験だった。わずか半年余りしか開催できなかったのだが、この仮設の美術館が、川崎市市民ミュージアム、横浜美術館、そして東京都写真美術館など、80年代末?90年代初頭にかけて次々にオープンした、本格的な写真部門を持つ美術館の呼び水になったことは間違いない。 ツァイト・フォト・サロンは90年代以降、日本橋のブリヂストン美術館の裏手、さらに京橋と移転し、オノデラユキ、米田知子、鷹野隆大、鈴木涼子、蔵真墨など、さらに若い世代の作家たちを取り上げていった。展示を見に行き、石原さんと作品を見ながらいろいろな話をするのが楽しみだった。作品を売買するというだけではなく、彼は写真家、コレクター、編集者、評論家などのオープンな出会いの場として、ツァイトを育てていこうとしていたのではないだろうか。経済よりもロマンを優先するという思いは、いつお会いしてもはっきりと伝わってきたし、本音で話ができるギャラリストはなかなかいない中で、彼の存在は代えがたい貴重なものだったと思う。 とはいえ、立ち止まっているわけにはいかない。ツァイトが創設された1970年代と比較すれば、写真をアートとして認知する見方は大きく広がり、ほぼ定着したといってもよいだろう。実際に、写真作品を扱うギャラリーや美術館も相当な数になってきている。だが、それが本当の意味で「文化」として根づいたのかといえば、まだ道半ばという印象を受ける。石原さんの遺志をどのように受け継いでいくのか、それぞれの覚悟が問われる正念場を迎えつつあるのではないだろうか。 (いいざわこうたろう)
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