井村治樹のエッセイ《イリナとの出会い》 |
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「ピラミッドの中の写真集―イリナとの出会い―2」
イリナ・イオネスコは間違いなく芸術家です。それだけに、イリナは、私の意図を十分理解してくれるはずです。しかしCD-ROMを作成して販売しようとすると、イリナに会う前に解決をしておかなければならない問題がいくつかありました。
その一つがエージェントの問題です。写真業界でのエージェントの役割は、まず、マネージメントとプロモーションです。芸術家と専属契約を結んでいるエージェントと、一時的に企画者とアーティストとの間に立ってマネージメントをするエージェント。かかる役割の比率が違ってくるだけです。 日本では、写真のエージェントの数が少ないことから、アーティストとの間に専属契約がなくても専属契約をしているかのように振る舞うエージェントもいますが、どちらとしてもとても厄介なのがこのエージェントです。エージェントとしてのプロモーター的な仕事(それはアーティストが最も望む事ですが…)をあまりせずに、単純ななわばり意識だけでアーティストをつなぎとめ、作品を塩漬け状態にしてしまうエージェントが少なからず存在し、多額のエージェント料を要求しようとします。 さらに、そのようなエージェントは、アーティストとコンタクトをとろうとすると、自らの存在を必要以上に主張してきます。具体的には、エージェントが所有する写真を使って欲しいとか、その写真は売れないのでこちらの写真を使った方がよいとか、新作は出来が良くないから出さないで欲しい等々。 結局、エージェントがいかにその作家と親しいかを主張したいだけであったりします。このようなエージェントが、企画者にとっての足かせになるのです。予算だけでなく、写真集自体の内容さえ変えられてしまうというリスクもあります。それはアーティストにとって、日本で歪曲化されたイメージが、本人の意図するところとは違ったかたちで作られてしまうので、たまったものではありません。 具体的な例をご紹介しましょう。フランスでたいへん人気のある日本人写真家がいます。ヨーロッパでは大御所です。もちろん作品も素晴らしく、このような作家がいることを誇りにさえ思うほどの作家です。ところが、彼の作品を日本で紹介しようとすると、とても高いハードルを越える必要があります。なぜなら、彼の日本の事務所(エージェント)は、彼をただの高額商品としてしか見ていないからです。彼の作品はその使われ方がどうであれ、お金で換算できるものでしかないのです。それは作家にとっても日本の芸術界にとっても、たいへん不幸なことです。結局、彼の作品は、日本ではほとんど公開されることはなく、日本での知名度も驚くほど低いのです。 ある編集者から、その作家の写真を、あるフランス女優の自伝の表紙に使いたいのだがどのようにしたらよいかと相談を受けたことがあります。日本の写真家の事務所(エージェント)に相談したら、とんでもない法外な使用料を要求されたと言います。私はその写真家が芸術家であることを知っています。その本には彼の写真がどうしても必要でした。そこで、友人に直接コンタクトをとることを勧めました。数日後、友人からお礼の電話がありました。うまくコンタクトがとれ、本の内容を理解して、快諾してくれたとのことでした。窓口であるはずの彼の専属の事務所では横柄な対応だったにもかかわらず、写真家本人はとても良い人だったとのことでした。 これは希なケースではありません。私は何度もこのようなケースを経験してきましたが、これほど不幸なケースはありません。この素晴らしい写真家が、日本で全く理解されず評価されていないのは、彼の作品のせいではなく、彼の東京での事務所(エージェント)に原因があります。そこをかいくぐるためには、その世界のことを十分知っているにも関わらず、情熱をもって知らない振りをすることです。 また寄り道をしてしまいましたので、本題に戻りましょう。幸いイリナには、その時、専属契約のエージェントは存在しませんでした。そのためなのか、イリナの写真集は10年以上にわたって紹介されることなく、売りギャラリーは別として、彼女の写真展も何年も開かれていませんでした。もちろん新作を紹介する写真展などまったくなかったのです。もし専属のエージェントがいたならば、イリナはまさにそのエージェントにより塩漬け状態にされていたということです。専属のエージェントがいないとわかったので、私は彼女にダイレクトにコンタクトをとることにしました。 ただ著作権の契約など、法律的な問題が絡むため、エージェントとしての役割を誰かに頼む必要がありました。幸い日本にも、良心的で芸術を愛する信頼できるエージェントも多く存在します。そのなかで私が最も信頼できると思っていたエージェントが、フランス著作権協会でした。そして驚いたことに、当時、その協会にいたのがコリーヌ・カンタン嬢でした。実は彼女とは20年来の親友です。コリーヌがはじめて日本に来たときに、共通のフランスの友達から面倒を見ることを言い付かって以来、ことあるごとに、しかも偶然に合うことが多く、不思議な縁で結ばれている存在です。そんな彼女と仕事をすることになるとは、夢にも思いませんでした。(つづく) 2008年2月20日 (いむらはるき) "Porte Doree 11" イリナ・イオネスコ Irina Ionesco 「Porte Doree 11」 Printed in 1998 Gelatin Silver Print 14.4×9.8cm Ed.10 Signed こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから 【TOP PAGE】 |