コリーヌは改めてイリナに専属のエージェントがいないこと、そしてパリに住んでいることなどを突き止め確認してくれました。細かくお話しできませんがそこに至るまでの多くの偶然のお蔭で、コリーヌはパリでのバカンス中にパリでイリナと会うことが出来たのです。そして私もイリナにパリで会えることになりました。
日本と違い、夏でも湿気のないパリは、エアコンを備えているアパルトマンは少なく、またパリの安宿にもエアコンは不要です。しかし、この年の夏は例外で、温暖化のためにパリは猛暑となっていました。私は後輩のO氏とともに一路パリに向かいました。イリナへのおみやげに古い人形を携えて行きました。イリナは人形が好きで、しかもアンティークのものが好きだろうと彼女の作品を見て思っていたからです。
イリナのアパルトマンはパリのはずれにあります。とても静かな場所です。O氏と私とコリーヌの3人で訪ねました。20年も使っていなかった私のフランス語は、やはり錆び付いているのでコリーヌがいてとても心強く感じました。薄暗い廊下の扉が開くと、イリナの「アントレ」の声が狭い廊下に響きました。すぐに10畳ほどのリビングに通されました。壁紙はロイヤルレッド。入り口の壁にはイリナの作品が額装されて飾られていました。
ふっくらとしたカウチに座り、一通りの紹介と挨拶が終わるとおみやげの人形をイリナに渡しました。むさ苦しい私の顔とは正反対の純朴な人形の顔。イリナは眼を細め歓び、受け取ってくれました。イリナは、「私は人形が好きなの。でも人形遊びはしないのよ」と一言。それは私も同じですよと答えると、複雑な表情で「そうね」と相づちをうち、「もっていた人形はすべて手放したの」とつぶやきました。彼女の声はとても太いのです。彼女には失礼ですが、私にはペリカンのような声に聞こえました。でも、言い回しや声の出し方は、とても女性的でチャーミングです。
そしていよいよ本題です。その前に、彼女はあるエージェントのことを聞いてきました。それはイリナが日本で出版した写真集に関わったエージェントのことでした。私はそのエージェントのことは知っていましたが、そのエージェントと専属契約ではないということも知っていました。そこで「そのエージェントとは専属契約があるのですか」と確認のために尋ねました。彼女の答えはとても不思議なものでした。「私はエヴァの父親としか結婚(専属契約)はしないの。彼以外とは結婚しないのよ。だから誰とも専属契約は結ばないの」。それは彼女独特の言い回しです。
彼女はこのような遠回しの表現が大好きで、現代人には回りくどいとさえ思えるような言い方で答えるのが大好きなようです。それが若い頃に多くのシュールリアリストと出会い、哲学者と出会い、詩人と出会い、そして芸術家と出会った彼女の文体なのです。またそれがとても可愛らしいのです。
彼女は遠回しに専属契約ではないことを明言しましたが、どこかに義理堅いところがあって、断りだけは入れておいて欲しいとのことでした。私もそれは当然のことですといって頷きました。もしかすると専属ではないにしても、何らかの口約束があったのかもしれません。ただそれは私の知ることではなかったのです。
 それから私たちの企画の話がはじまりました。私がまず説明したのは、日本でのイリナ・イオネスコのことでした。現状です。どれだけ多くの日本の若者が新作を求め、新しい写真集を求めているのかを伝え、10年以上も彼女の新作が日本で公開されていない現実。新作のための写真展が開催されていないことを伝えました。もしエージェントが存在するなら、イリナのことは塩漬けにされていると伝えました。さらにそのような現状を変えようと、イリナを探しにパリにまでやってきたことの意味と理由を伝えました。
イリナはパリで今も生きていて、写真を撮り続けていることを日本のファンに伝えたいと言ったのです。新作の写真展と未発表の作品展を日本で開催したいということ、そしてCD-ROMを作って若者たちにイリナの作品を数多く見てもらいたいということを伝えました。イリナは私の申し出に快く応えてくれました。(つづく)
2008年2月26日   (いむらはるき)

イオネスコP12イリナ・イオネスコ Irina Ionesco
「Porte Doree 12」
  1986  Printed in 1998
  Gelatin Silver Print
  14.4×9.8cm
  Ed.10  Signed




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