井村治樹のエッセイ《イリナとの出会い》

<前回     次回>

「ピラミッドの中の写真集―イリナとの出会い―7」

 イリナ・イオネスコは、私のチェックした写真のネガに何一つ文句を言いませんでした。チェックをいれたスリーブをイリナに見せると、老眼鏡越しに私を見て、ただ頷くだけです。それはまるでチェックの善し悪しを判断しているのではなく、遠くアジアからきた得体の知れない日本人が、どの写真を選ぶのかを見定めているようです。また同時に、私のセンスをチェックしているようにもみえました。そのように感じはじめるとどうも緊張してきて、ついさっきまで自分なりに持っていた写真を選ぶ基準が揺らぎ、慌ててネガを再度チェックしたものです。
 もう少しでチェックが終わるという時、すでにスタジオには、スタッフの姿はなく、「マンドレイク」のご夫妻と私たちだけでした。必要のない電気が消され、私たちのテーブルは小舞台のようにスポットが当たっていました。すでに3時間が過ぎていたのです。そこでコーヒーブレイクにすることになりました。緊張感が取れたのでしょう。3人とも顔を見合わせるとどこからともなく笑みがこぼれました。
 私は背筋を伸ばし、張りのある腰に手を当てて注がれたコーヒーを飲みました。そして一息つくと、イリナにこんなことを聞いたのです。「『バロックのエロス』という写真集が、すでに10版以上刷られています。写真集の中身はとても良くできていて、その影響でイリナの写真はバロック的と日本では言われています。イリナはバロック的と言われることをどのように思いますか?」と。イリナはとても不思議そうな顔をして「マンドレイク」の方を見ました。そして「あなたはどのように思う?」と、納得のいかない顔で「マンドレイク」に尋ねたのです。イリナは、バロックという言葉自体は好きでも、彼女の写真がバロック的と言われることにはどうも抵抗があるようです。「マンドレイク」も肩をすぼめ困った顔をして、そしてこう答えました。「ある一面、そうデカダンなところがバロック的に映るのかもしれない」と。彼もバロックという言葉に抵抗があるようでした。
 意外と思われる方もいらっしゃるでしょうが、イリナはフランスでは、シュルレアリスムの写真家として知られています。古本屋ではイリナの写真集は間違いなくマグリットやマン・レイ、ミシェル・ピュトールやベルメール、レオノール・フィニと同じシュルレアリスムの棚に置かれているのです。バロック芸術の棚ではありません。イリナの怪訝な顔の意味は、まさにそこにありました。日本ではバロックという言葉は、芸術の一様式と言うより、バッハなどから連想されるとてもきらびやかで、それでいて退廃的な美意識を意味します。「バロック」という言葉の方がデカダンや不道徳な女性のイメージを喚起しやすかったので、日本では「バロックのエロス」と名付けられたのでしょう。「バロックのエロス」の監修は伊藤俊治先生です。私が最も尊敬する現代美術評論家です。彼がそのようなタイトルを付けたのだとしたら、そのセンスの良さに改めて尊敬してしまいます。このタイトルの御陰で、イリナは日本の女性ファンをしっかりつかみました。イリナの写真芸術をこれほどまでに端的に表わす言葉はほかにはないと思います。ただし、日本だけで通用する言葉です。
 話はまたそれますが「バロックのエロス」のなかでイリナへのインタビューがあるのをご存じでしょうか? このインタビューは素晴らしいもので、イリナを知るためには必読書と言えましょう。たいへん出来の良いものです。しかも訳がとても解り易いのです。ただ私が気になったのは、このインタビューを書いたライターのことです。彼はどのような人なのだろうか。また存命だろうか気になったのです。存命かどうか気にするのは不思議かもしれませんが、これは大切なことです。イリナにはどこか巫女的な感覚があります。というより死神と子供のようにじゃれて遊ぶところがあるのです。成人になってからも葬式のまねごとをして遊んだことがあるようです。彼女の周りにはどうも「死」の臭いがします。そこでライターの方が存命なのか存命でないのかが気になっていました。このような気になる直感を私がもったこともたいへん不思議です。私はライターの存命に疑いをもっていました。監修の伊藤俊治さんではなくライターに。
 私は、イリナに悟られないように「バロックのエロス」のときのライターは今どこに住んでいるのかと聞きました。するとイリナは大変困った顔でこう答えました。
「彼はパリに住んでいました。とてもフランス語の上手なサンパティックな青年でした。私が最後に彼を見たのはメトロです。偶然、彼が乗っているのが見えたのです。それが最後です。そして、彼がその後死んだことを聞きました」
「死んだのは最近のことですか?」
「いいえ。インタビューが終わって1年後のことです」
イリナはたいへん辛そうでした。実はそれ以上に私は動揺していました。「死んだ」という言葉を聞いたとき、私の頭の中は一瞬真っ白になったのです。予知夢が現実になったときと同じような、真空の時間が私を一時的に支配しました。しかしどうすることも出来ません。すでにサイは投げられているのです。迷信と思い、覚悟を決めるしかない。わたしは何もなかったように話を終え、ネガのチェックを再開しました。それは夜の10時まで続けられました。(続く)
        2008年4月15日(いむら はるき)

イリナEva2イリナ・イオネスコ
「Eva 2」
  1973(Printed in 1996)
  Gelatin Silver Print
  19.0×27.5cm
  Ed.20  Signed



こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから

<前回     次回>


【TOP PAGE】