2009年8月の展覧会
◆五味彬写真展
会期=2009年8月4日[火]―8月22日[土]
12:00-19:00 *日・月・祝日休廊
昨年の個展「Yellows1.0」に引き続き、今回は、ヘアヌード解禁前夜の1989〜1991年に撮影された「Yellows」のプロトタイプと言える作品のヴィンテージプリントを中心に約30点を展示します。
1991年イタリアの写真家トニ・メネグッツォと共作した写真集『nude of J』のために撮影されたカラーのポラロイド作品、同年『月刊PLAYBOY』6月号に掲載されたポスターカラーで修正が施されたカラープリント、仙葉由季の写真集『SEnBa』のために撮影されたポラロイドなどのヴィンテージのほか、『BRUTUS』に掲載された「ジャパニーズ・ビューティ」および『nude
of J』より村上麗奈、小森愛のニュープリントなどをご覧いただきます。
●8月15日(土)17:30〜ギャラリートークを開催します。
「コレクターのための印画紙講座」
講師:金子隆一(東京都写真美術館専門調査員)、五味彬
※要予約(参加費1,000円/1ドリンク付/参加ご希望の方は、メールまたは電話でお申し込み下さい)
電話:03-3470-2631
メール:info@tokinowasuremono.com
■五味彬 Akira GOMI (1953- )
1953年東京生まれ。日本大学芸術学部写真学科卒業。77年渡仏し、ローレンス・サックマン、ミッシェル・ベルトンに師事する。83年帰国後、ファッション誌『流行通信』『エル・ジャポン』などを中心に活躍。93年日本初のCD-ROM写真集『YELLOWS』を発表。その後、『YELLOWS2.0』『AMERICANS』『YELLOWS3.0』など00年までに14タイトルを発表。バンタンデザイン研究所で写真Webデザインを教える。97年東京都写真美術館で「アウグスト・ザンダーと五味彬」展。99年「YELLOWS
RESTART」を発表。97年DIGITALOGUE Gallery Tokyo(東京・原宿)で個展「YELLOWS Contemporary Girls
Psycho Sexual」。2008年キャノンギャラリー(銀座、名古屋、梅田を巡回)にて個展「YELLOWS Return To Classic」、ときの忘れものにて個展「五味彬写真展 Yellows 1.0」。09年GALLERY COSMOSで元アシスタントたちとのグループ展「Family Plots」。
<五味彬写真展>出品リスト 2009.8.4〜8.22
※展示作品以外にもございますので、どうぞ画廊にお出かけください。
※ポラロイド作品の色が淡いためうまく出ておりません。実作品をご覧下さい。なお、これは元々このような色で制作されたものです。
展示風景
ギャラリー・トークの様子
コレクターの声 第18回
五味彬展への期待 原茂
2009年8月3日
五味彬先生の写真史におけるポジションということですが、これについては、1997年に東京都写真美術館で「アウグスト・ザンダーと五味彬」展が開催されたということで、すでに定まったということができるのではないでしょうか。
むしろ、1920年代のザンダーの方法論にも匹敵する「体型の記録」という手法が、「ヘアヌード」という世界的には全く通用しないコトバによって歪曲され、「清潔な帝国」を目指して「退廃芸術」を抹殺しようとしたナチスにも負けない(?)当局の圧力と「表現の自由」を守る責務を放棄した出版社の怯懦と、それを見て見ぬふりをした評論家の敵前逃亡によって日陰に追いやられてしまったことは、日本写真史の「汚点」ではないかと思っています。
そのまますくすく成長していけば、人種、性別、年齢を越えた「20世紀の体型」ともいうべき大樹になったはずの「時代の体型」は、社会的には「アダルト写真」というカテゴリーの中に押し込められ、そこに雌伏することを余儀なくされてきたのではないでしょうか。
世界的に見れば、五味先生の作品は、ザンダーから始まり、ベッヒャ−夫妻、クリスチャン・ボルタンスキーらに連なる写真表現の「王道」に位置づけられるはずです。残念ながら、論理ではなく感性(といえば聞こえは良いもののある意味では芸術ではなく芸ということになってしまいます)を重視する日本の写真表現においては、この流れが一番評価されにくいので、その意味でも五味先生は割を食っているような気がします。
だからこそ、世界的なスケールで仕事をしてこられた細江英公先生が最初のお客さまとしてついて下さったのでしょうし、写真家のレスリー・キーさんが「五味先生にずっと会いたかった」と言われるのでしょうね。また、写真界よりも世界に対して開かれている現代美術の分野から佐伯修先生のような文章が寄せられるのではないかと思います。
世界的にはそろそろ定まりつつある五味先生の評価(今年はドイツで、来年はアメリカでの展示が予定されているようにお聞きしました)ですが、日本の写真界は「逆輸入」されないとその価値に気がつかないのかもしれません。とはいえ、だからこそコレクションするには今が(ひょっとしたら最後の)チャンスだとも言えるわけで、その意味でも五味彬展が楽しみです。
「アウグスト・ザンダーと五味彬」展 原茂
2009年8月6日
東京都写真美術館での「アウグスト・ザンダーと五味彬」展のカタログを手にする機会がありましたのでご報告です。都写美に問い合わせてみたもののカタログはすでに売り切れで(当然か)、都写美の図書室には当然所蔵されているものの閲覧のみで貸し出しはしていないとのことでした。ダメ元で最寄りの図書館にリクエストを出してみたら、都立図書館の蔵書が届いたというわけです。
表紙はカラー「五味彬《憂木瞳》 シリーズ”イエローズ2.0トーキョー1993”より」。膝から上の正面からのヌード作品。そこに「Akira
Gomi」と黒で作家名がのせられています。
裏表紙がモノクロ「アウグスト・ザンダー《医長》」。こちらは「August
Sander」が白抜きです。
1頁には「August Sander & Akira Gomi」とタイトル。
2頁には展覧会のタイトル「映像工夫館作品展/アウグスト・ザンダーと五味彬/1997年6月5日(木)―7月27日(日)/主催:東京都写真美術館」。
そして3頁には「東京都写真美術館」からの「ごあいさつ」があります。「映像工夫館ではテーマ展『記録としての映像』にあわせて、作品展のシリーズ『時と空間の記憶』を開催します。シリーズの第2回は『アウグスト・ザンダーと五味彬』と題し、人間の記録をとおして時代を表現しようとした、または現在も続けているふたりの写真家の作品を紹介します」と始まり、五味先生については「1953年東京生まれの五味彬は、現代に生きる女性たちの体型を記録し続けています。10代から20代のプロフェッショナルなモデルたちではなく、様々な職業の若い女性たちを、数パターンの角度で同一ポーズによる撮影をし、CD-ROMに収録しています。CD-ROMを表現の媒体として選んだことにより、彼が本来意図しようとした、感情と主観を排除した無機質な感覚がより忠実に再現されています」とコメントされています。
4頁にはこの「ごあいさつ」の英文が「Foreword」として載っています。
5頁から12頁までが、ザンダーの作品、「羊飼い1913」「菓子作りの親方、ケルンca.1928」「女流彫刻家、インゲボルグ・フォム・ラス1929」「中産階級の子供ca.1927」「若い詩人Before1929」「作曲家パオル・ヒンデミット、ケルン1926」「建築家ハンス・ペルツィヒ、ベルリン1928」「クビを切られた海員1928」とお馴染みのイメージが1頁に1点づつ掲載されています。裏表紙を含めて全9点。
そして13頁からが五味先生の作品です。13頁には「シリーズ”イエローズ2.0トーキョー1993”より」として9点。「(上段左)中村沙弥、(上段中央)岩沢かずみ、(上段右)島田琴美、(中段左)奥寺ちはる、(中段中央)富田純、(中段右)堀内たばき、(下段左)松下英美、(下段中央)亜月美代子、(下段右)矢島姫呂奈」いずれもカラーで着衣の作品です。
14頁、15頁は「仲村沙弥、シリーズ”イエローズ2.0トーキョー1993”より」。カラーのバストショットのヌードで、目を開いているものと閉じているものとで1点づつ。
16頁、17頁は「セヴェリン・ヴァン・ガーデレン、シリーズ”アメリカンズ1.0 1994 ロサンゼルス”より」カラーの全身のヌードで、右側からと左側からのもの1点づつ。
18頁、19頁は「廖春美”イエローズ3.0 1944 チャイナ”より」膝から上のヌードで、正面と背面のものが1点づつ。
そして20頁、五味先生の作品の最後を飾るのが「村上麗奈、シリーズ”イエローズ”より」モノクロの肩から上のヌードで表紙を入れれば計14点。頁数はどちらも8頁ながら点数ならザンダーに勝ってます(!)。
そして22頁から24頁まで、東京都写真美術館の鈴木桂子さんの「展覧会ノート」。全文掲載とはいうわけにはいかないので、五味先生についての部分を中心に抜き書きしてみます。
(前略)
1920年代の写真家は殆どが「1枚の写真でいかに表現するか」ということに意識を集中していたのに対し、ザンダーは大量な写真をシリーズとしてまとめることは、その組み合わせや熟慮された配列により新たな価値のあるものを作り出すことができることをこの頃すでに知っていた。そして写真だけではなく各作品にキャプションをつけることにより文字情報も提供しようと考えていたといわれている。
こういったザンダーのアイデアを見ていくと、彼の生きていた時代に幅広い可能性を持つCD-ROMというものがあったら、彼はこれを使用していただろうか。そして、彼だったらどう表現しただろうかと興味が湧いてくる。
五味彬はそのCD-ROMを作品の媒体として制作している。「Yellows」とは黄色人種の意味で、ファッション写真という仕事上、撮影対象は殆どが外国人というのと見ていた彼の母親からの「なぜ外国人しか撮らないのか」という言葉から、日本人の体型の記録としてプロフェッショナルではない10代から20代の女性たちを中心に撮り始めることになった。そして1989年、2名のモデルからスタートし、その後『流行通信』や『月刊プレイボーイ』などの連載を経て、1991年に写真集として出版されるはずであったが、配本3日前に発売中止となり、作者には明確な理由が告げられないまま5000冊の『Yellows』は断裁処分となった。今では、ヘア・ヌード写真集はおいていない本屋を見つけるのは難しいほどあたりまえとなっているが、この頃の、出版物のヘアー露出は刑事的に処分を受ける危険性を伴っていた。おそらく、このことが発表できなかった理由のひとつではないだろうか。
(中略)
そういった意味でふたりの記録の取り組み方はかなり違っているが、ザンダーの作品群を見終わった時にまず感じるのは1920年代前後のドイツの雰囲気といったものが浮かび上がってくる。また、五味の「Yellows」に関しても、これだけの若い女性たちを見たあとで感じられるのは現在という時代性なのである。
ザンダーがかつて語った「私には誠実な方法で真実を語らせていただきたい。われわれの時代について、そして人間たちについて」という言葉が時代を経て、五味のこの作品から聞こえてくる。
(以下略)
略した部分を含めて、全体としては技術論、CD-ROMという媒体論に重心が置かれすぎている観もありますが、五味彬を世紀末のザンダーとして位置づけようとしていることがはっきりと分かります。参考文献として「『20世紀の人間たち』リブロポート」と「『Yellows』デジタローグ」があげられています。
25頁から27頁が「展覧会ノート」の英文。28頁から30頁までが「出品リスト」。31頁に作家解説として短く略歴と主な出版物が邦文と英文とで記されています。
32頁が後付です。英文も併記されています。
映像工夫館作品展
アウグスト・ザンダーと五味彬
編 集 東京都写真美術館編
翻 訳 ザ・サードワークス
デザイン 樺島知彦・若林純子
製 作 株式会社 求龍堂
印 刷 錦明印刷株式会社
発 行 財団法人 東京都歴史文化財団 東京都写真美術館
1997
これだけの扱いをされている写真家のオリジナルプリントが10万円以下、ヴィンテージプリントや性質上ヴィンテージとしてしかあり得ないポラロイドが5万円台というのは大間違いのような気がしてきた今日この頃です。
アサヒカメラ1991年7月号 原茂
2009年8月10日
夏休みを利用して東京メトロ半蔵門駅すぐの「日本カメラ博物館」まで行ってきました。ライブラリーで「五味彬の写真史におけるポジション」を調べようとの魂胆です(夏休みの宿題!?)。現在はHP上でも検索ができるようになっているので、とりあえず家から検索をかけると、
図書1件、逐次刊行物1件がヒット! 図書はかの都写美のカタログ、逐次刊行物は「アサヒカメラ」でした。さらに「各号一覧」に進むと、
★1.
アサヒカメラ
1994年11月号 縮小ムードの中で本格派が人気 デジタルフォトは高画質で実用化へ
★2. アサヒカメラ
1994年5月号
フィルム・プリントの新時代!?
★3. アサヒカメラ
1993年2月増大号 新時代の中判レンズ
★4. アサヒカメラ
1992年3月号 中・大判高級機のテクニック
★5. アサヒカメラ
1991年7月増大号 いま AEシステムを考える
と出ます。さすがは「カメラ雑誌」(!)。「写真」ではなく「カメラ」が主人公なのは仕方がないとあきらめて、さらに「各号データ詳細」に進むと
1994年11月号が「ブックインタビュー
五味彬さん」
1994年5月号が「表題1 プライバシー・ドキュメント」「執筆者名1 五味 彬」
1993年2月増大号が「表題1 YELLOWS THE REVENGE」「表題2 風景とランドスケープ」「執筆者名1 五味 彬」「件名 グラビア」
1992年3月号が「表題1
NISHINA」「執筆者名1 五味 彬」「件名 グラビア」
1991年7月増大号が「表題1 YELLOWS」「執筆者名1 五味 彬」「件名
グラビア」
ということでした。「YELLOWS」は「アサヒカメラ」のグラビアに載っていた!
というわけで、のこのこと千代田区一番町25番地まで出かけていったというわけです。
出してもらった「アサヒカメラ」1991年7月号はなんと表紙が「YELLOWS」。そして17頁から22頁までが五味先生のグラビア。着衣、上半身脱衣、膝上正面ヌード、目を開けたバストショットのヌード、目を閉じたバストショットのヌード、全身正面のヌードの6点。データとして「モデル 工藤弓子、ヘアメーク 加茂克也(Mod's
Hair)、ジナーS・コマーシャルエクター8インチ・ポラロイドTYPE55」。こういう時だけは「カメラ雑誌」であることに感謝。さらに138頁の「撮影ノート」には次のようにあります(<>内引用)。
<ファッション写真家として活躍する五味彬さん(37)は、日本人の若い女性のヌードを撮り続けている。背景を極端に整理し、ほとんど同じポーズでという、きわめて、”禁欲的”な写真である。
「デザイナーや編集者と話していて、いままでの日本にないスタイルのヌード写真を撮ってみようということになり、このシリーズを始めたんです」
五味さんによると、これまでの女性ヌードは、女性の体の造形美を追求するものと、エロチックな幻想をいだかせるもののふたつがあった。そこで、「主観の入らない、客観的で記録的なヌードをめざした」そうだ。
ドイツのベッヒャー夫妻が撮り続けている給水塔のシリーズのように、主観をすてて記録することでなにかが見えてくる方法に、どこか通じている。目標は100人の女性をこの方法で撮ること。そのときは、どんな体が見えてくるのだろうか。>
日本を代表するカメラ雑誌である「アサヒカメラ」によれば、五味彬は日本のベッヒャー夫妻だそうです。ちなみに、写真の売買について日本語のものとしては最も役に立つHPの一つ「アート・フォト・サイト」の「
アーティスト(フォトグラファー)ガイド」によれば、「ベッヒャー夫妻」は次のように説明されています。
<冷徹に撮影者の主観をなくした客観的な表現方法はミニマリズムの範疇で語られることも多く、特に1980年代以降に現代アートとして高い評価を受け、活躍の場を欧州、米国へと拡大しています。1990年ヴェネツィア・ビエンナーレのドイツ代表として金獅子賞を受賞、2004年にはハッセルブラッド国際写真賞を受賞しています。いまや現代アートオークションで作品が高額落札されることが多い世界的人気アーティストです。>
時代の証言者 原茂
2009年8月12日
「日本カメラ博物館」のライブラリーで「アサヒカメラ」を漁ったついでに、1991年前後の「ヘアヌード」をめぐる記事をいくつかコピーしてきました。本来なら「朝日新聞」の記事索引を引かなくてはならないのでしょうが、とりあえずということでご勘弁を。
「ヘア」で警視庁が出版2社に”警告”
女性のヘアが写っている写真を掲載した2種の出版物について、警視庁防犯部は、6月10日、月刊誌『芸術新潮』〔1991年5月号 特集荒木経惟「私写真とは何か」〕(新潮社)と、写真集『ウォーターフルーツ―不測の事態』(朝日出版社)の責任編集者を呼んで口頭で”警告”し、『芸術新潮』からは始末書をとった(同誌は否定している)。
刑法のわいせつ罪を適用して摘発することは見送ったが、同様の出版物があふれることを牽制しての処置とみられている。『芸術新潮』は荒木経惟さん、『ウォーターフルーツ』は篠山紀信さん(モデルは女優の樋口可南子さん)の撮影作品である。
一方、6月15日に東京の出版社アイピーシーから出版された中村立行氏の写真集『昭和・裸婦・残景』は、大手書籍取次会社の東版が”自主規制”して新刊委託配本しなかったため、一部の書店に並ばない事態になっている。
中村さんの作品集には、戦後すぐに撮ったヘアの写ったヌードも含まれるが、すでに発表したものもあり、”警告”をめぐって過剰な反応と受けとめられている。(1991年8月号「ニュースラウンジ」)
再び「ヘア」で警視庁が雑誌『太陽』に”警告”
警視庁防犯部は、8月20日、ヘアなどが写っているヌード写真を特集して掲載した月刊誌『太陽』(平凡社)に対し、「わいせつ容疑での立件には至らないが、違法性は残る」として、発行責任者を呼び、口頭で”警告”した。
6月に『芸術新潮』(新潮社)と写真集『ウォーターフルーツ』(朝日出版社)に対し”警告”したのに続くもの。
『太陽』は7月号の特集。「100NUDES・100人の写真家による裸体と肉体の150年」で、土門拳、マン・レイらの作品を載せたが、その中にヘアや性器がはっきり見える写真が含まれていた。
一連の警告に対し、写真界には「今更なにを」という声も強い。(1991年10月号「ニュースラウンジ」)
荒木経惟氏の「写狂人日記」展で警視庁が展示作品を押収する
ヌードを掲載した雑誌や写真集に対して、このところ何度か”警告”を発している警視庁保安一課が、こんどは写真展会場に乗り込んで作品を押収するという、近頃あまり例を見ない強い姿勢を示した。
対象となったのは荒木経惟氏の「写狂人日記」展(4月1日〜13日=東京・渋谷のEggGallery)その会期半ば、陳列作品にわいせつ図画にあたるものがあるとして、警視庁は家宅捜索を行い、証拠品として展示の35ミリスライド8点を押収した。また、別の数点についても「警告」を行い、ギャラリー側に取りはずしをうながした。同課によると、女性のヘアや性器がはっきり写っていたため、という。
この”事件”が明るみに出たのは4月21日。だが警視庁は、押収後も展示作品について会場から出てくる人々に意見をきいていた。意見を聞かれた男性のひとり(46)によると、刑事だと名のり、「まる見え、もろ出しのああいうヌードをわいせつだと思いませんか」とたずね「法律があるわけだから、何でも野放しというわけにはいかない」などと話していたという。(1992年6月号「ニュースラウンジ」)
荒木経惟氏ら5人 「ヘア」で書類送検
警視庁保安一課は5月26日、荒木経惟氏と、同氏の事務所のカメラマンら2人、東京・渋谷のギャラリー経営者らを女性2人の計5人を、わいせつ図画公然陳列と、同ほう助の疑いで書類送検した。6月号で既報のように、同課は荒木氏が4月初めに東京・渋谷のEggGalleryで開いた「写狂人日記」展に対し、作品にヘアが見えるものがあるとして家宅捜索を行い、スライド8点を押収していた。(1992年7月号「ニュースラウンジ」)
残念ながら、出版社の”自主規制”の形で断裁されてしまった『YELLOWS』についての記事は見つけることができませんでした。ジャーナリズムはどこに目をつけているのでしょうか。
ちなみに、この状況の中で、「アサヒカメラ」の当時の編集長であった藤沢正実は、1991年8月号の「編集室から」の中で「(前略)愛媛の撮影会の後の懇談会で、週刊誌などで取り沙汰されているヌードとヘアが話題になり、アサヒカメラはどういう姿勢をとるのか、と尋ねられました。わたしたちは、ことさらにヘアを見せるつもりもありませんが、作品づくり上の必然性が認められ、美しい出来ばえならば、頑なに拒むことはしない方針でやっています、とお答えしました。ただ、警察権力による規制などは、ご免こうむりたいものです。」と書いていました。
これが当時の(ひょっとしたら今もなお)日本の写真界の現実ということなのでしょう。その意味で、今回のホワイトで修正が施された五味先生の作品は、この時代の証言者として逆に貴重かと思います。HPだと分かりにくいかも知れませんが、実物はとても繊細に(綺麗に)ホワイトがかけられています。一見の、そして購入の価値アリです。
芸術新潮1992年8月号 原茂
2009年8月17日
ということで、「ヘアヌード問題」の美術界からの一応の総括とも言われている「芸術新潮1992年8月号」です。この号が書店に並んだ時点では、すでに警視庁が「芸術性が高く真摯な表現であれば警告はしない」という方針が内部で申し合わされたとの報道(朝日新聞1992年5月16日付)がなされていましたが、「芸術的なあまりに芸術的なヘア」として、「大特集」が組まれました。
第1部は「写真表現―隠さない美しさ」。高橋周平の解説で「今日のヌード写真は、もはや”ヘア”抜きでは語れない。写真の黎明期から現代まで、世界の一流写真家たちの代表作から厳選した”ヘア”入り作品を、特大グラフで紹介!」という挑戦的な企画。取り上げられている写真家は、「近代写真の草分けヌード」としてエドワード・スタイケン、マニュエル・アルヴァレス・ブラーヴォ、E・J・ベロック、ウィルヘルム・フォン・グローデン、エドワード・ウェストン、マン・レイ、「ヘアが強調するエロス」としてイリナ・イオネスコ、ヘルムート・ニュートン、リシャール・セルフ、ボブ・カルロス・クラーク、クロード・アレキサンドル、ジル・ベルケ、ジョエル・ピーター・ウィトキン、「コンセプチュアル・ヘア」としてケネス・ジョセフソン、デヴィッド・ホックニー、ロバート・ハイネケン、パオロ・ジオリ、「ナチュラル・ヌード」としてジョック・スタージス、カレル・フォンテーン、ジョイス・バロニオ、ベッティナ・ランス、ウンベルト・リーヴァス、ナン・ゴールディン、「フォルムの中のヘア」としてアリス・オディロン、リー・フリードランダー、スティファン・ルビノ、デヴィッド・サーレ、ラルフ・ギブソン、そして「男たちのヘア」としてジョージ・ブラッド・リンス、里博文というそうそうたる写真家の作品が掲載されています。
さらに、「在って当然なのに、在ると白い眼で見られる日本の”ヘア” 猥褻の象徴となってしまったこの”ヘア”の写真表現をめぐって、評論家、美術館学芸員、写真家が、直面している問題を語り合う」として、飯沢耕太郎+清水敏男+五味彬による座談会が、「写真の性表現をめぐって 猥褻って何だ!」と題して載せられています。
第2部は、丹尾安典+井上章一による対談「”ヘア”でたどる美術史」。「いったい身体のどこに生えても”毛”は」性的イメージをもつのだろうか 髪、眉、体毛、陰毛……/古代ギリシアの昔から現代まで、様々な形で絵に描かれ、彫刻に刻まれてきた美術作品をグラフでで紹介!/大理石のギリシャ彫刻に”ヘア”はどのように表現されていたのか? 同時代でありながらクラナッハには/”ヘア”があってデューラーにはないのはなぜ? 日本人が”ヘア”を意識しはじめたのは、いったい/いつごろからなのか……等々。”ヘア”に関する素朴な疑問から、時代背景、美術史上の問題点まで、ユーモアたっぷりに蘊蓄を傾けた”ヘア”の文化史」となっています。
「芸術作品における性表現に一石を投じた内容」と評価されるゆえんです。飯沢先生の『戦後写真史ノート』(中公新書、1993年)の「戦後写真史略年表」の中でも「[1992年]8月『芸術新潮』の特集、『芸術的な、あまりに芸術的なヘア』が話題を集める」と取り上げられています。もっとも、反響が大きかった分、発売後、またしても警視庁から(今度は「警告」ではなく)「配慮」が要請されたとも言われています。
座談会の中の、五味先生の発言を中心に抜き書きしてみます。
編集部
その問題はまた後で出てくると思いますが、五味さんはその出版物で問題を抱えてしまった。数年来撮り続けてきたヌードのシリーズが『YELLOWS』という写真集にまとめられるかというところで暗礁に乗り上げてしまったわけですが、一般には知られていないことなんで、ざっと経緯を説明していただけますか。
五味
三年ほど前に、ある雑誌で、日本人はこれほど美しくなっているんだという視点で特集をやろうということになって、僕も前々からファッション写真をやっていて、モデルといえば外人ばかり、何で日本人に注目しないのかとおもっていたんですよ。そういう形で始まったヌードのシリーズなんですが、写真が本来もっている記録性というものに注目したいと考えて、ちょうど世紀末の日本人の体型がどうだったのかという記録として、これはすごく面白いと思いましてね、とにかく数をたくさん撮りたいと。それで、その後もいくつかの雑誌で発表していって、某出版社で写真集にすることになったんだけど、レイアウトの段階で上の方からストップがかかった。ちょうど昨年の篠山紀信さんの写真集『WATER
FRUIT』や、芸術新潮に出た荒木経惟さんの、いわゆる「ヘア問題」の事件があった頃です。で、まだ発表していないものも含めて百人近く撮っていたんですが、その話を別の出版社が聞きつけて、うちで出さないかと連絡してきた。それで今度は、ヘアの部分を修正するのかしないのかということがあったんだけど、何しろ金太郎飴のごとくどのページを開いても必ずヘアが出てくるわけです。僕は修正して構わないと言ったんですが、やはり無修正でいこうということになったんです。
飯沢
その段階では、ヘアの問題も最終的には大丈夫だろうという判断だった?
五味
ええ、そうなんでしょう。ところが、印刷も済んで、発売三日前になって、その出版社の社長の判断で中止するということになってしまったんですね。途中でもいろいろ問題はあって、たとえば取次がこれは扱えないというから、初版五千部を各書店に予約注文をとってもらって発売一週間前には完売の状態になっていたんですけれどね、結局断裁処分ということになってしまった。
僕は、この経験で思ったのは、ヘア問題というのは、つまりは出版社と流通機構の問題なんだということですね。各社が自粛してしまうという……。
飯沢
自粛の構造、自己規制の構造がもろに出てくる。日本の社会には常にそれがあって、たとえば昭和天皇が亡くなる直前、あらゆる祝い事が自粛されたり、いったい誰がそうしろと言ったのかわからないんだけど、いつのまにか自粛というムードが出来上がってしまい、その空気にしたがってみんなが動く。そして空気だったものが実体化してしまうんですね。五味さんの本は、実際に出版できなかったわけだから、どこか権力機構の中で圧力がかかって出なかったということになるわけだけど、では誰かが圧力を加えたかというと、もとをたどっていっても誰もわからない。(以下略)
編集部
(前略)五味さん自身は、『YELLOWS』の撮影で、ヘアや性器の問題を考えて撮影してましたか。
五味
まったく考えないですね。というのも、これを出す前に、もし裁判になったらどうなるかということを、数人の弁護士と研究してまして、一応結論を出していたんですよ。すでに芸術と猥褻とが両立するということは「チャタレイ裁判」で認められているんだそうです。一つの作品があって、そこには芸術性もあるかもしれないし、猥褻性もあるかもしれないといということですね。それなら芸術を盾にしてもこれはダメだと。写真そのものが猥褻なのかどうかという判断をしてもらわなければならない。僕の写真は記録ということで撮ってるんで、ただの記録が猥褻なのかどうか、ということですね。次に、記録にヘアを出す必然性があるのかどうかという問題になる。その場合の答えとして、僕の写真をよく見てもらえればわかるんだけど、女の子がヘアの部分をカットしているのが多いんです。この四、五年、ハイレグという水着がはやっていて、女の子はそれをはくためにヘアをカットしていたわけです。だからその部分を出さないと、この時代の文化的記録遺産にならない。そういう必然性があるんだという論理でいこうということになっていたんですよ。結局、それを試すところまでいかなかったわけですが……。(以下略)
飯沢先生や清水敏男さん(水戸芸術館現代美術センター芸術監督:当時)のこの問題に対するコメントもと思いますが、さすがにそれはできないので、関心のある方はどうぞバックナンバーを入手してみてください。今日現在Amazonには無いようですが、「日本の古本屋」http://www.kosho.or.jp/servlet/top には10点(\400〜\1000)載っています。
むしろ、気になるのはこの対談に添えられた掲載図版で、当時、メープルソープ展が東京都庭園美術館を皮切りに全国を巡回していたこともあって、出品作でもある「アジトー」の4点組と「リディア・チェン」が掲載されているのは当然としても、それに並んで五味先生の『YELLOWS』から2点、しかも見開きで1頁1点ずつという巨匠たちと同じ扱いで掲載されているのが圧巻です。『芸術新潮』がメイプルソープと五味彬の作品を並べて掲載したという事実は実に重いと思うのです。ちなみに、もう一点この対談に添えられている図版が、1982年にみすず書房が国際共同出版として出版した際に、税関で印刷シートが止められ、黒く塗られた形で出版される形になった写真集『マン・レイ』であることを申し添えます。これが美術界における五味彬の位置づけです。
問題は、写真界以外ではこのようにきちんと位置づけられているはずの五味先生のお仕事が、写真界の中ではまるで「なかったこと」のように扱われてしまっていることです。このことは別にどなたかにきちんと論じていただかなければと思うのですが、やはり大事なことは「五味彬展 ときの忘れもの」と展覧会歴の中にきちんと記録されることと、そして何よりその作品が購入され、所蔵され、リセールされ、そしてオークションでセールスレコードが残ることなのだと思います。その意味で展覧会への入場者と購入者もまた、というかそれこそが「歴史の証言者」であり「歴史の形成者」なのです。「支持することは買うことだ」という久保貞次郎先生の至言を噛み締めるこの頃です。
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