ときの忘れもの ギャラリー 版画
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写真を買おう!! ときの忘れものフォトビューイング
第5回フォトビューイング 報告と御礼 原茂
2011年3月8日
 「第5回 写真を買おう!! ときの忘れものフォトビューイング」は、2月11日(金)、写真家の林和美さんをゲストに、6名の参加者を得て開催されました。


 当日は祝日ということもあり、午後5時からの開始となりました。林さんが「営業」のときにつかっておられるという「林和美 資料」からプロフィールの部分をコピーしていただき、写真家林和美のこれまでの歩みを語って頂きながら、作品を拝見しました。

 高校生の時にお兄さんのキャノンAE-1を手にしたのをきっかけに写真に目覚め、高校の写真部から大阪芸術大学に進まれたこと、芸術「論」中心の大学の 講義には興味が持てず、「ただのカメラマン」になりたいと、地元に鈴鹿サーキットがあったこともあって最初はF1カメラマン(!)を目指されたこと、当時 活躍していたモータースポーツの写真家に作品と弟子入り志願の手紙をを願ったところ「技術を磨きなさい」(!)とのやんわりとした断りの返事が届いたこ と、その後は「なんとなく」大学で4年間を過ごして卒業されたということです。

 大学卒業後は広告代理店に就職。「普通に会社員」をする中、写真は一時止めてしまわれたということでした。一年後、もっと写真に「近い」生活がしたく なって、広告代理店を退職し、主に公告のために写真を貸し出すフォトエージェンシーに営業として勤務。その後自分でも写真を撮ってエージェンシーに預ける ようになり、写真家としての歩みを始められます。

 その後、もっと写真を大事にしたいと思うようになった頃、OL向き(!)のフリーペーパーに載っていた公告を見てギャラリー開設のための講座に参加した ことをきっかけに、2000年6月にギャラリー「ナダール」を開設。その中で自分の作品を新しく作り始め、色々撮っていたもののどうしても理屈が先に立つ 「頭でっかち」な写真しか撮れず、「これ」というものが定まらなかったこと、そんな中で、本当に自分が好きなものは何かを考えて、自分は「女性が好き」 (!)だということに気がついたこと、「女の人って綺麗だな」「髪の毛が綺麗だな、手が、足が綺麗だな」という自分の気持ちにはウソがないことを確認でき たことから、自分の作品が撮れるようになったとのことでした。

 ナダールで佐内正史さんの企画展をされたことをきっかけに、当時京都の青幻舎におられ、今や飛ぶ鳥を落とす勢いというか、ヒヨコを空に飛ばす勢いというか、木村伊兵衛賞受賞作家を立て続けに世に出している赤々舎の 姫野希美さんと面識を得て、撮りためた作品を見て貰うようになり、2ヶ月に1回、100枚くらいづつ1年近く作品を持ち込まれたこと、自分でも「もう最後 だな」と思いながら作品を持って行った時に「出しましょう」ということになって、かの『ゆびさき』の出版に至ったことを聞きました。世が世なら林さんは木 村伊兵衛賞受賞作家ではないか、いやいやこれはきっと未来の木村伊兵衛賞受賞作家に違いないと心の中で頷いたことでした。


とはいえ写真集の出版までには紆余曲折があったとのこと。モデルになってくださった方の関係で写真集にできない写真が出てきて、花や風景を「女性を撮るようにして撮った」作品が加えられて、『ゆびさき』が誕生したことを興味深くうかがいました。

 花はギャラリーへの祝花で、「枯れていく中で残った色」「きれいな一本の線」を撮るために、花瓶で撮るのではなく「シーツに寝かせてあげて」「しっと り」したところを「ゆびでさわって」あげながら撮る、そのためにカメラは片手でシャッターの切れるようにニコンのF80をずっと使っているとの「秘話」を 聞きながら、そんなふうにして撮るのは花だけではないに違いないと確信、こ、これは実に「羊の皮をかぶった荒木経惟」「草食系のアラーキー」ではないかと 失礼(!)な感想を覚えたことでした。

 飯沢耕太郎さんによれば、「『女の子』写真」のルーツの一つが「アラーキー」さんということですから、「男の『女の子』写真家」(これも実に双方に失礼なネーミングですが)林和美むべなるかなといったところでしょうか。

 この『ゆびさき』の出版によって「写真家としてやっていけそうな気がして」東京へ。それ以外には食べる方法を思い付かなかったからとご本人は謙遜してお られましたが、マンションの部屋の中に壁を立てて、これまた伝説のギャラリー「ナダール東京」を2003年に開廊。昼間はギャラリー夜は寝室という「写真 に囲まれた生活」どころか文字通り「写真と寝る」生活を開始。いまでもこの中目黒のサードリハイツ時代の「ナダール」を知っているというとそれだけで ちょっと自慢ができるというのは、ここでいくつもの名写真展が行われたからで、ギャラリストの覚悟と写真家の覚悟(フツーのマンションのフツーじゃない一 室で写真展を開こうというわけですから)が化学反応を起こすとこんなことができるのかと毎回楽しみに足を運んだことを思い出します。
 
 その中で、『ゆびさき』のテイストでカラーができないかと2004年からカラーの作品に取り組み始められます。作品を装幀に使いたいというオファーを きっかけに「装幀写真」というジャンルを開拓。学生時代から「弱い」と言われてきた自分の写真だけれど、作品の邪魔をしない、ここから物語が始まる感じが すると、作品の装幀に使ってくださる作家さんたちとの出会いの中で、自分にしかできないものとして、装幀の仕事は好きですと語っておられました。

 その集大成として2008年に『装丁写真』を「ナダール書林」から出版。「そのときに自分ができることの全部」を注ぎ込んだという『装丁写真』には、かの谷川俊太郎さんが詩を寄せてくださっています。


世界の気配
          谷川俊太郎

光が通過している
色を
空へと

記憶のファイルの中で
写真は少しずつ
魂のリアルに近づく

肉眼はぼやけている
肉眼はぶれている
視覚から逃れようと

ピクセルは世界の気配を写せない
瞑目できないから
目を信じすぎていて

柔らかい焦点に抱かれて
懐かしい無名へと
帰っていくものたち

視線が愛撫すると
うっとりと目を閉じる
細部を忘れて

世界は無口
囁きと木霊と
微笑みだけで自らを装幀する


写真家よりも詩人の名前の方が大きい(!)と林さんは謙遜しておられましたが、頼まれれば誰にでもというわけではないはずの谷川さんが詩を寄せてくださったということ自体、『装幀写真』がどのような質をもった作品であるかを雄弁に語っています。

 「弱い」と見えるものがどれだけの強度を持っているか、「やわらかな」外見がいかに堅固な志によって支えられているか、8×10インチ (203×254mm)の「小さい」作品がどれほどの存在感を示しているか、それは今回のビューイングがこれまでで最高の売り上げを達成したことからも分 かります。
 
 自分が前に出ることよりも、人を前に出すことの方が得意という林さんですが、ナダールの林和美としてだけではなく、写真家の林和美としてもっともっと前に出て欲しいと思うことしきりです。
(はら しげる)



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