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建築を訪ねて

尾形邸「タイルの家」を訪ねて1
植田実
2010年5月

尾形一郎・優夫妻の自邸を訪ねた。
四角い打ち放しコンクリートの箱形で、各辺ほぼ12メートル、つまり正方形プランの3階建て。御両親や妹さんも住む複数世帯の家だが、外観は四面とも等間隔に各階三つの開口部が並ぶだけだから、店舗ともオフィスとも工房ともつかない佇まいである。見るなり私は、哲学者ルートウィッヒ・ウィトゲンシュタインが姉マルガレーテ・ストンボロウのために設計した住宅を連想した。やはり3階建て、等間隔の窓が三つ並ぶ正面ファサードが印象的だからだが、尾形さんたちの家はその基本形だけで全てを決めた、ずっとシンプルな表れになっている。
この家があるのは高級住宅街、どころか都内随一の、駅を要とした放射状の並木道を誇る場所で、3,40年前まではそれぞれ控え目でありながら自分の美しさを十分に心得ている洋館和館が多かった。そのほとんどが建て替えられた現在の家並みは何だかぎくしゃくしている。それは戦後初期から今日まで、核家族のための生活に即した小住宅設計に建築家たちが専念し、それより上の階層の住宅について考える動機も機会も失っていた、その結果としての景観だと私は思っているのだが、さて、この放射状の道路の末端部をつなぐ円弧状の道に出ると家々の強張りは緩む。さらにその外側が深く落ちこんで、切り立った崖が迫ってきたり家々の隙間から遠い風景が大気のように入り込んでくる地形のせいかもしれない。
尾形邸の立地はこのいわば裏手の、高名な地区特性の縛りから解放された、つまりはいちばん気持ちのいいところで、緩やかなスロープに背面をわずかに埋め、落ち着いている。幾何学的なコンクリート・ボックスが向こう三軒両隣りにたいして異質な存在ではなく自然に感じられるのは、さきに触れた住宅らしからぬ性格と巧妙な接地の形によるのだろう。歴然とした住宅対住宅においてこそ異質性が発生する。レベルの高い住宅街においてはすべてが住宅対住宅の連らなりだから、すべて異質同士が相互に閉じているのが現状であるそのなかで、尾形邸はかえって普通であり、開かれている。

 

「タイルの家」正面ファサード


それは均一的な壁と開口部の並びが「住宅らしからぬ」ばかりか、出入り口の構えさえうかがわせていないからだし、もっとずっと直接的には、道に面したファサードのコンクリート外壁が、両端部を残して、めずらしい図像と文様のタイルに覆われているからである。メキシコのアラベスク文様をベースとしてグァルダルーペの聖母と聖なる幼子が嵌めこまれている。
絵タイルを住宅の一部に採り入れるというあしらいは決して特別ではない。スパニッシュを基調とした、かの三島由紀夫邸にも門の鉄格子の奥の壁に可愛らしい絵タイルが1枚嵌め込まれていると聞いて、私はわざわざそれだけを見に行った記憶があるが、あれは飾りである。飾りは住まい手に愛されるほどにその私有を強調した表れとなる。住宅街景観の心地よさとはそうした関係で、外から見る者にもとりあえずは許容されてきたといってもいいだろう。 けれども尾形さんの家におけるあまりにも大々的、しかも本格的な(現地のタイル・アーティストに発注した)タイル壁は装飾という一線をあっさり越えてしまっている。一点豪華主義ではない。といって建物を丸ごとタイル貼りにしてメキシコの精神風土に帰化した姿でもない。ぎりぎりまで理詰めでつくられた日本のお家芸ともいうべき打ち放しコンクリート(技術的にも美意識的にも)の建物に、突然メキシコの建物が交叉した、その瞬間がそのままフリーズしたような、何とも不思議な動きの表れが、尾形さんたちの家なのである。ここで尾形さん夫妻をまず建築家として紹介しておこう。

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尾形邸「タイルの家」を訪ねて2


正方形平面は、基本的には各階とも九つに等分割されている。すなわち4x4メートル(高さは3メートル)の単位がベースになる。それをさらに二分して水まわりと階段に分けたり、あるいは2単位、3単位をひとつの部屋に拡げたりしている。そのなかでもっとも大きな部屋は4単位・2層分の吹き抜け空間で、ここが尾形さんたちの厨房・食堂・ロフト風のワークスペースになっている。



タイルの家 平面図 S:1/150


割り切ったプランニングである。だからといってそれぞれの部屋の体験的シークエンスは単調にならない。どころか、その徹底ぶりによってまったく違う表れになっている。平面図と実際に出来上がった空間との意表をつくおもしろい関係が堪能できる。たとえば、前に触れたように外壁四面はすべて等間隔に同じ開口部があるが、それは玄関においても変わらないから、外からガラスのドアを開けた途端にそのまま大きな室内に入っている。内外の境界を意識させるしつらえが、ドアはもちろん床にも、その周辺にも(例えば靴の収納らしいものとか)ほとんどないのだ。
これは上下足を区別しない結果ではあるが、それ以上に、厨房・食堂と図面にとりあえず書かれているこの空間には、それらしい場所がまるで感じられないことに気がつく。流しやレンジはある。食卓らしいテーブルもある。それでも厨房や食堂とは思えない。なぜならば、厨房関係の機器(業務用をそのまま置いてある)や家具などの素材がそれぞれ構成要素としては立派すぎるというか強く自立しているために、住まいの日常という表層を形づくらないからだ。さらに決定的なのはこの空間に運び込まれ、あちらこちらにどっかと腰を据えている特異な大きさや肌合いや色彩や図像である。

厨房・食堂


「生命の樹」と呼ばれる巨大な陶壁画、低く分厚い仕切り壁(台といったほうがいい)を覆い尽す絵タイル、漆細工の重々しい屏風、動物みたいな四つ足の収納箱、そのほか挙げていけばきりがないが、どれもメキシコの伝統工芸の第一人者たちが尾形さんの注文を受け長い歳月をかけてつくった美術品である。さらにはある邸宅の高い屋根部を飾っていた球と円筒を重ねつらねたような陶製の小塔が6基も、この部屋のなかに聳えている。 住まいとしては非日常なものの気配が生活のなかに立ち籠めている。それはメキシコ・スタイルのインテリアショールームのようにも見えるかもしれないが、だから逆に、根強い日々の生活が森を切り拓くかのように現れてくるのをひしひしと感じるのだ。
1998年に着工、坪40万円が目標だったという。ローコストだが「建築は雑貨の延長ではない」と尾形さんは言っている。設備の寿命とコンクリート構造体の寿命は違うし、美術品の寿命はさらに長くて当然だから、そこをわきまえて構造とインテリアを完全に分離するのが設計上の大前提だったという。厳しい経済性と合理性の追求のなかで、メキシコ現地に入りこみ、人間国宝級のアーティストたちにこれだけのものを特注した尾形さんの度胸と余裕には驚くばかりだ。重くかさばる品々を日本にまで運ぶことを考えただけでも普通は尻込みするにちがいない。この家の尋常ならざる気配はこうした日本とメキシコの交叉、さらには定住の場所と旅の場所の交叉から発生している。住まいとしてのまとまりを嫌うかのように、すべてが断片的であると同時に、断片のひとつひとつが全体として迫ってくる。

厨房のコーナー
 

現代の日本の住宅のほとんどは、ある「住まいらしい」傾斜面のなかにある。たとえばそれは「くつろげる」居場所である。居間やそこに置かれたソファはもとより、キッチンにも食堂にも浴室にも個室にも「くつろぎ」が用意され、美術品からカーテンから小さな装飾までもがそれを補う。定住への夢と消費が果てしなく連鎖している。楽しげな表情に満ちた尾形さんの家は、こうした傾斜への、じつは痛烈な批評となっている。多角的な交叉と分断の只中から、生をくぐり抜けていく死―すなわち永遠が垣間見えてくる。


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尾形邸「タイルの家」を訪ねて3

尾形一郎・優夫妻の写真集『HOUSE』は、私には一大事件だった。
今回「ときの忘れもの」で公開される「ウルトラバロック」は、私は以前建築誌でみてその精緻な写真に驚かされたし、また尾形さんたちの自邸「タイルの家」は住宅誌で知ってそのユニークさに興味をひかれていたのだが、このふたつの作品が同一人物によるものとは気がつかなかったのである。だってどちらも文句のつけようのないプロの写真家の仕事、プロの建築家の仕事じゃないか。余技とはいえないのである。結局は、尾形さんたちは建築家としてメキシコの建築に惚れこみ、その記録のために素晴らしい写真技術を自然に身につけていったということで自分を納得させたのだったが。
ところが、昨年10月に上梓された『HOUSE』は、そんな私の先入観を吹き飛ばしてしまった。ここにはどんな遠くまでも届いて見逃さない眼を持ち、どんな悪条件の土地にも踏みこめる足を持つペアの文化史研究者がいた。地球規模で文化史上の建築特異地点を探り出し、その貴重な発見を(8x10インチの大型銀塩フィルム!を使っての)美しい写真で実証している。尾形さんたちの生涯的な関心で覆われていると私が思いこんでいたメキシコ建築はその1項目にすぎなかったとも言えるのである。
建築特異地点と私が勝手に呼んでいる内容については『HOUSE』に寄せられた尾形さんの解説を読むのがいちばん(その文章の明快さと詩性も特筆もの)だが、とりあえず具体的な地名を挙げると、アフリカ南西部のナミビア、中国の開平と台山、ギリシャのティノス島、沖縄の那覇や宜野湾、メキシコ、日本の日光、金沢、大阪、等々である。その土地に出現した建築の特性はひと言で要約されている。「西欧文明と異文化の衝突」である。各地の同質性と遠隔性とは、メキシコの空白恐怖症的聖堂と日を追って漂白されていくナミビアのドイツ人による鉱山跡の家々を比べるだけで十分だろう。
この先は尾形さんたちの写真と文章に譲りたいが、『HOUSE』は、建築に添って深く思考し発見を自分の手で掘り起こす人には肩書きは無いことを教えてくれたと付け加えておきたい。つまり、建築家であり写真家でもありエッセイストでもありという加算的な能力は意味がなくなり、それらから抜け出た純粋な思考と発見そのものが、私たちの心をゆさぶるのである。
撮影された建築群はどこかで尾形さんたちの家に通じている。しかし「タイルの家」についての印象を私は日本とメキシコとの、打ち放しコンクリートと陶壁との、定住と旅との「交叉」と表現したのにたいして、尾形さんは『HOUSE』の各地における十七世紀末-十八世紀、十八-十九世紀、二十世紀初頭、第二次大戦初期の建築的変容あるいは創出が「衝突」によってなされたと表現している。その最たる表れである「ウルトラバロック」について「人間の心の奥深くにある濃密で混沌とした宇宙が、現実の世界に持ち出されている。彼らが作った神の家は、可視化された人の心の総体である」と絶妙に語られている。メキシコの過剰なまでの図像に惹きこまれる人がいる一方、身を反らして後ずさりする人もいるかもしれないが、上の言葉は対象に向かうためのこの上ない理知の明かりである。

ワークスペース
 

寝室
 

 

暗室と鉄道模型の部屋
 
 

尾形邸はなんといっても現代の住宅だ。成熟したものとものとの交歓がそこにある。だが、「住まいらしく」落ちつくつもりはないから、つねに室内の間仕切りや手摺を入れ替えたり、新らたな要素が加わったり(ワークスペースの吹き抜けに面したところは教会の装飾などをつくる職人に特注した額縁だけをつらねてスクリーンとするウルトラアイデア!)で、休む間なく前進しているようだ。中心の大空間ばかりではなく、奥の暗室と鉄道模型の部屋には沖縄の本来は外壁を構成する花ブロックが積まれてもうひとつのビルが隠されているみたいだし、表通りに面して独立した出入り口を持つ奥深い個室・書斎は木工場のように活気づいている。そこでは尾形さんたちは建築家・写真家にとどまらず、なんでもこなす家具・室内装飾職人としてさらに分身を増やしている。だからこの家は街といってもいい。そして旅に完成というものがあり得ないのと同様に、この住宅にも完成形はない。ここから私たちには未知の、住まいの変容あるいは創出を期待しても裏切られることはまずないだろう。(終)

(うえだまこと)





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