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建築を訪ねて

映画『蝶の眠り』からの住宅論
植田実
2018年06月

植田実のエッセイ

 映画のなかに現れる建築や都市が虚構をめざすとき、あちこちの建築や都市の断片をつなぎ合わせ、ときにはセットを加えて現実から逃げようとしているのが面白い。あるいはよく知られた街にいっさい手を加えないままに、例えばサンフランシスコの街なかで実際にはあり得ない激しいカーチェイスの一部始終を撮影するとき、坂の起伏だけを身体接触でたどる街に切り替えられて、サンフランシスコは虚構になる。あるいは違反に向かう速度が外科手術的に摘出した、サンフランシスコの真実になる。テリー・ギリアムの『未来世紀ブラジル』ではパリ郊外の集合住宅「アブラクサス」の屋内通路にやはり破壊的なカーチェイスが挿入される時、ふだんは子どもたちが遊んでいる安全な場所が見知らぬ都市空間に移植される。リドリー・スコットの『ブレードランナー』ではロサンジェルスの歴史的建築の玄関側ファサードをつくり変え、館内の床を水浸しにするだけで本来の建築が奪い去られて、見知らぬ建築が居坐っている。
 そのような作品がいくつかあるというのではなく、すべての映画のなかで建築と都市がウソとホントとのあいだを行ったり来たりしている。物語られる全プロセスが眼に見えるようにつくられる、それが映画の宿命でありエンタテイメントにもなっている。気楽に見ているテレビ・ドラマでも、外観は超高層の企業本社ビルや贅をつくした政治家の邸宅の、一歩屋内に入ればあきらかに別のところで撮ったにちがいないエントランスロビーや応接間との辻褄あわせが楽しい。まさに物語のなかの建築になっているのだ。

 今年三月に試写会で見せてもらった『蝶の眠り』は素晴らしかった。映画のなかの建築が否応なく虚構と現実とに向き合わされるというより、以前からよく知っていたつもりの建築が映画の視線によって思いがけない読まれ方をしている。そこを実際に訪れたという信頼できるはずの体験、図面やスティル写真を中心としたメディアでの再現がいかにも狭く弱く思えてしまう。ただの動画も同じである。物語をつくる映画だけに可能な建築の解読、それを『蝶の眠り』は示唆していると思ったのだ。
 主人公の小説家(中山美穂)の住まいでも仕事場でもある建築がそれで、建築家の阿部勤さんの、現在はひとり住まいの自邸を、居抜きじゃないが生活していた状態をほとんどそのままに阿部さんから明け渡してもらって、あとはたぶん監督(チョン・ジェウン)の判断で家の内外にあるもの、家具その他の道具類から書物までを見繕いながら撮影したように思われる。1974年の竣工時の取材から始めて私は何度か訪ねているので、映画のなかには見覚えのある椅子や壁に架けられた絵の気配が濃く残っていて、けれどもそこには阿部さんはいわば住んでいない。つまり物語というトンネルを抜けて懐しく親しい家を訪ねている。
 肝心のその物語の流れは忘れてしまって申しわけないのだが、女性小説家は街で偶々知りあった韓国人留学生(キム・ジュウク)に自分の仕事を手伝ってもらうことになる。彼は手に障害がある彼女の口述筆記役をつとめ、あるときは愛犬散歩係を引き受ける。現実の阿部邸は東京西郊の緑が多い美しい住宅地の一画にある。1階は鉄筋コンクリート造。その上に木造の2階が載る建物だが、まさにその家の前から犬を連れた青年は歩き出す。すぐ広々とした公園のなかを歩いている。背後に超高層建築軍が迫っている。新宿中央公園らしい。所沢と新宿と、ふたつの場所の縫い合わせはごく自然である。と同時に不可解な隔たりもちゃんと残されている。それは家そのものがまとっている雰囲気、設計する側からすれば、ある独自の構成のせいだ。

 ここからがじつは本論、あるいは結論というとおおげさだけど、言いたかったことのまとめである。私には、家の本来の在り方としてその土地に繋ぎとめられ土地の顔になっているなどという、つねに変わらぬ住宅論の息苦しさがこの映画作品によって窓を思い切り開け放ったように消えていくのに気がついた。青年と犬のあとを追って家が、建っている場所から辷り出していくような動きを感じたのだ。
 この家の例えば配置図を見るといい。住宅地のなかの十字路に面した4つの敷地に4軒が建ち、その1軒が阿部邸なのだが、この家だけ敷地に約30度斜めに振られている。家の正面が十字路の中心に向き、しかも塀も生垣もない三角形の空地をつくり出して建っている。もし他の3軒も同じように家を斜めに振り塀をやめて配置したら十字路は広場に変わるだろうが、1軒がそのようにしただけでも住宅地の風景が一新されたことがすぐ分かる。
 阿部邸はこれまで、私有地を閉ざさず公共空間に連続させていると評価されてきた。けれども映画を見ると向こう三軒両隣にだけ貢献しているのではない。この建築自体の特性として、はるか遠くにまで辷り出していくような、移動するような性格を帯びていることがわかってくる。配置だけでない。平断面計画の至るところに同じ特性が見られる。これ以上詳しい説明は省くが、映画はそこをじつに的確に描写している。それは阿部さんが手がけたほかの建築にも通じている特性なのだ。いつも旅へ誘っているかのような。
 小説家には厖大な蔵書がある。作家別あるいは項目別に書棚に並べてあるが彼女はその全体を把握しきってしまっているために目をつむったままでも目的の本を取り出すことができ、逆にそれで悩んでいる。本を新しく読むことができないのだ。青年は蔵書全部を並べ替える。内容に関係なく背表紙の色に則して揃えてゆく。結果は虹のように色調が移り変わる美しい書棚になり、内容は脈絡がつかない。アナーキーな整理法で蔵書を「新生」させたのだ。
 これ、阿部さんの設計手法と思いがけないところでつながっている気がする。これから考えたいことだ。小説家の家はその後は住まい手がさらに増えたかのように、変わって街の小さな図書館になっていた。
2017.9.20 うえだまこと


蝶の眠り
5月12日(土)、角川シネマ新宿ほか全国ロードショー
配給:KADOKAWA

 
阿部勤さん自邸。玄関ホールから見る左はアプローチ、右は屋内


阿部勤さん自邸。正面外観

*東京都内での上映は6月17日(日)までですが、そのほかの地域では上映中、もしくはこれから上映する予定です。詳しくは公式サイト『蝶の眠り』をご覧くださいませ。
*ときの忘れものの新米スタッフによる「中心のある家」阿部勤邸訪問記もお読みいただければ幸いです。




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