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建築を訪ねて

植田実「美術展のおこぼれ」第48回〜「建築の日本展」
植田実
2018年09月

植田実のエッセイ
「美術展のおこぼれ」第48回
 

建築の日本展
会期:2018年4月25日〜9月17日
会場:森美術館

 六本木に展示を見に行った6月下旬にはカタログがまだ出来てなかったので、代金を先払いし住所氏名を書いて帰ってきた。7月に入って郵便が届いた。展覧会のカタログはこれでいいと私は思っている。会場の入り口で作品リストなどをもらえるし、会場内にはさまざまな解説のパネルがある。展覧会での自分なりの印象を煮つめる時間に、その場で買えるカタログの論文や図版は邪魔なことだってある。とくに印刷された図版はサイズも精度も、会場でその作品の全的存在に少しでも近づけたと思う一瞬を、もとの図柄の記憶に戻してしまう慣性が働くのがふつうだ。
 そもそも見本もなしで先に本代をいただきますという仕組みは、ぜったいにいいカタログをお渡ししますという美術館の自信にたいする楽しみにもなっているのだ。そして建築展のカタログは、とくに平面作品の再現に大きく比重がかかる美術展カタログとは別の、編集のバランスや精度に建築のリアリティが左右される。建築そのものは展示できないという言いわけは納得されないのだ。
 7月に入って郵便が届き、中味を見てまず嬉しかったのは要所々々に会場の写真があったことだ。ふつうのカタログには間に合わない。オープニング直前まで展示作業が続いているからだ。建築展は写真・模型・図面と、見せかたの方法が多様であり、その全体を覚えるのはたいへんだから会場写真がカタログに組みこまれているのはありがたい。けれども展示会場写真というのは(それが見事に、あるいは下手に撮られているかどうかの関係なく)、なぜか記憶のポテンシャリティを低めることが多い。撮影者が悪いのではない、もっと構造的な問題なんだと思うがうまく説明できない。最近は作品リストと一緒に会場構成の略図などを配布して下さる美術館が増えてきて、とても助かる。展示計画とその解説が複雑になってきている。それはむしろ、壁面に例えば油彩の作品を並べるだけといったごく基本の展示にも、不可避的に向かっていってしまう意識の存在に関わっている。


「建築の日本展:その遺伝子のもたらすもの」カタログより展示風景。森美術館、2018年、撮影:来田 猛

 この企画展では、「縄文の住居から現代建築まで100のプロジェクト」が、模型・写真・図面・関連資料など、およそ400点で紹介されている。プロジェクト100点という数字は、結果ではなく最初から設定した枠だろう。なんといっても縄文から現代までの全建築史という途方もない時間のスパンを見渡し、その現代には石上純也、前田圭介、田根剛、吉村靖孝など1970年代生まれの建築家たちの仕事までしっかり見せているのだ。100のプロジェクトは「可能性としての木造」「安らかなる屋根」「開かれた折衷」「集まって生きる形」「発見された日本」「共生する自然」ほか9つのセクションに分けて集められている。それぞれのタイトルで内容がほぼ想像できるかもしれないが、9つに分けた構成自体がきわめて正統的というか、あえて新しい切り口は避け、日本建築についての定説を集大成して若い世代あるいは海外の読者に示そうとしたようにも思える。執筆者も建築家のほかに研究者30人あまりが数えられる。それで2000年近くの建築史を分担執筆し、しかも歴史を俯瞰する全体を表すための文体統一の配慮も必要だったにちがいなく、企画・監修者には負担がかかったと思う。でもそのコントロールが拘束的ではないのは読めば分かる。自由であり思いがけない発見や指摘がある。とくにうまいと思ったのは現代の建築については基本的にはその設計者が主旨を書いている。全体が歴史的方向を印象づける俯瞰的文体のなかで、建築家による建築とその説明が毛羽立っている。つまり小さいが自己主張のテクスチャがある。ここで研究者の共同執筆による教科書などとはちょっとちがう本が顔を出している。もともと「日本」と建築家による「建築」との関係をいうとするならば、もっとずっと多くの作品例を出すべきだろうが、本展では「現代」(あるいは「現在」)を思い切り強くアピールするために、「現在」に至るまでの多くの建築家による先行作品を割愛し、いまもっとも元気な建築家たちによる織目を微妙に変えた文体できれいに繕った。ここでは、展示を、カタログが主導している。そしてすべての説明に英文が併記されていることは重要だ。この展覧会は、日本の建築界内だけのものではなく、またその外側に、突飛な切り口によっていきなり剥き出しにする意図もないのだ。

 あらためて考えるのは、ここで選ばれたプロジェクトの100という数字である。プロジェクトを最終的に何点に絞るかについてはいろいろなアイデアが出されたなかで最適な数字が出されたにちがいない。100のプロジェクトはけっして多くはないと思うが、建築関係外の人たちにはめんどくさい数かもしれない。木造の、屋根の、空間構成の、対自然の、歴史と現在とが結び付けられる共通項が明快過ぎて、建築の理解をかえって妨げてしまうかもしれないので。例えば旧閑谷学校(1701年)について「建築をつくる前に、学校全体の環境を計画した。人々が集まってくるための広場、山火事から学校を守る日除けのための丘、防災のための池、学校を火事や災害から守るための長大な石塀、石塀で閉ざした内側の治水を制御するための石造りの埋設管による排水路など、(中略)建築についても当時の建築の常識から大きく逸脱した、徹底した工学的アプローチによって計画されている。まず平面形は極めて純粋な内陣・外陣の幾何学的構成をとっており、他の聖堂建築に類例がない。立面においても(以下略)」と、藤原徹平がわずか1000字近くの解説でこの名建築の魅力をみごとに描いているが、当のカタログでは写真3点、見開き2ページ。これを100プロジェクト全部見ていくのはたいへん。展示そのものも同様だろう。たとえば藤原の解説をすべて展示に、小学生にもよく分かるように具体化する。そのためにプロジェクトを10に厳選し、残り90は小さい扱いだがそこに至る流れをさらによく分かるように位置づける(結果として旧閑谷学校がその10点に残るかどうかは別だが)。と、あらぬ妄想に足を取られた。
 とにかく建築をもっと多くの人々に理解してもらいたいのである。なんだか迫力があり専門的威嚇的で面白そうというのではなく、信用されたいのである。
 長くなってしまったので中途半端のまま終わらせてもらうが、あとひとつだけ必見の展示。待庵(1582年頃)の原寸再現。究極の最小限空間などと言われる待庵。自分でそれを体験できる。なかに入らせていただいて直ぐ分かった。国宝内部空間のかつての体験の異様さを、私はずっと寸法にも結びつけて考えていたが、その記憶が押し出されて別の身体性がどこかの闇の中から戻ってくるのを、再現された茶室のなかで逆に、痛切に感じたのだった。
(2018.9.6 うえだまこと) 

 
「建築の日本展」カタログ
サイズ:A4
ページ数:324ページ
言語:日英バイリンガル
価格:3,672円(税込)
制作・発行:森美術館/Echelle-1
販売場所:森美術館ミュージアムショップ
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