君島彩子のエッセイ 第2回 「墨について」 2010年7月27日 |
私は自分の作品に対して「水墨画」という言葉をよく使用する。
言葉を使用するのは難しい。「水墨画」という言葉にはどうしても、山水図のイメージがついてまわってしまう。だから私の作品は水墨画と言うべきではないのではと仰る方もいる。 確かに水墨画には中国からの長い歴史がある。私は水墨画を見る事はしてきたが、その伝統技法を学んだうえで制作してきたのではなく、ただ水溶性の墨を用いて画いているにすぎない。 しかしながら、紙に墨というシンプルな作品の中で墨の役割は大きい。 更に、洋画に対して日本画という言葉が使用されるようになって100年以上の月日が経ち、作品を「素材=地域」によって区分することが不可能になった現代だからこそ、私が現在制作している作品には「水墨画」という言葉が一番しっくりくると考えている。 翻訳作業は言葉の難しさを更に感じる時である。墨を海外の方、特に欧米の方に説明する時になんと言えば良いのか悩むところだ。[Sumi]と言うのが一番しっくりくるのだが、それだけでは更に説明を要してしまう。辞書には[Indiaink]や[Chinese ink]と出ているが、純粋に素材として使っているのに特定の地域を想像させてしまうのは、時として誤解を招く可能性もある。墨もインクの一種なので、単純に[ink]と言ってしまった方が良いのではないかと最近は考えている。 しかしインクの持つイメージが、墨とは異なっている事も多い。 [inky shadow]と言えば真っ黒い影の事になり、漆黒に近いイメージで使われる。 ところが墨は古くから「墨に五彩あり」と言われるように、モノクロームの中に実際の色材以上に多彩な色が表現できると言われ、それは作者の技量と鑑賞者の知識、両方があって成り立つとされてきた。 では現代は、どうだろうか? 水墨画と言えばモノクロームの世界と思う方が多いのではないだろうか? 私も基本的にはモノクロームの世界を思い浮かべながら制作している。だから彩りについて想定する事はないが、完成した作品を見ていると、ふとした瞬間に色が見える事がある。そこが墨の面白い所だ。 実際の作品を見ていただける機会があれば、私の作品の中に色が見出だせるか、確かめていただきたい。 余談だが最近、画面上にサインを入れるのを止め、印を押すようになった。 私の名前の一部から「彩」の字を篆刻したものである。自分ではモノクロームの画面に「彩」の字が入っているのが面白いなと思っている。 画面のイメージか従来と変わらぬよう色彩のない銀で捺しているので、朱印のような主張はない。そして金に対して銀の持つ「終わりの感覚」は作品最終段階で捺される印に少しの儀礼牲を与えてくれる。 (きみじまあやこ) 「君島彩子のエッセイ」バックナンバー 君島彩子のページへ |
||||||||||||
|
ときの忘れもの/(有)ワタヌキ 〒113-0021 東京都文京区本駒込5-4-1 LAS CASAS Tel 03-6902-9530 Fax 03-6902-9531 E-mail:info@tokinowasuremono.com http://www.tokinowasuremono.com/ 営業時間は、11:00〜19:00、日曜、月曜、祝日は休廊 資料・カタログ・展覧会のお知らせ等、ご希望の方は、e-mail もしくはお気軽にお電話でお問い合わせ下さい。 Copyright(c)2005 TOKI-NO-WASUREMONO/WATANUKI INC. All rights reserved. |