四谷アート・ステュディウムで22日(水)に開催された振付家トリシャ・ブラウンに関するレクチャーに行ってきた。
レクチャーは、二部構成になっており、一部はトリシャ・ブラウンのダンスに関する岡崎乾二郎氏のレクチャーで、氏の幅広い知識を下に、トリシャ・ブラウンのモダンダンスにおける歴史的な位置づけとともに、彼女の活動と交錯・連動していた美術における試みが紹介された。続いて二部では、トリシャ・ブラウン氏本人を迎えて岡崎氏や会場からの質疑応答が行われた。
ダンスについて詳しい知識はまったくないのだが、今回の明快なレクチャーと会場で購入した本「トリシャ・ブラウン―思考というモーション」で、ダンスで行われてきた試みと建築でのそれと、大きく重なる部分があるのだと理解することができた。
私が理解したところによれば、トリシャ・ブラウンのダンスは、これまでいくかの大きな展開がなされており、そのそれぞれの試みが形式に関するコアな問題と関わっている。
たとえばトリシャ・ブラウンが作品「ライトフォール」(1963)で行ったコンタクト・インプロヴィゼーションは、リチャード・セラなどが行ったサイト・スペシフィックな作品と問題を共有しているということだった。
「ライトフォール」では、トリシャ・ブラウンが、別のダンサーの上に乗る。この場合、彼女は、別のダンサーの動きにあわせて、自分の動きを制御しバランスをとらなくてはならない。水平な床の上では、ダンサーは自分の意識で自分の身体をほぼコントロールできる(ように思える)。しかし、コンタクト・インプロヴィゼーションの場合、自分の意思だけで自分の身体の動きを完結させることは不可能であり、コントロールできない他者との関係の中で、自らの身体の動きを決定しなくてはならない。
そして、これと同じように、リチャード・セラの彫刻を考えることができるとのことだった。
リチャード・セラの制作する彫刻も、安定した床とだけ関係し、彼の意思のなかだけで完結して決定されているわけではない。コンタクト・インプロヴィゼーションと同様に、作家にはどうすることもできない他者-つまり作品が設置される美術館の壁などの環境や他の複数の鉄板-と関係をもち、バランスをとることによって、宙に静止したかのような形態を保つ彫刻となっている。
そして、トリシャ・ブラウンは、「思考というモーション」でも紹介されているとおり、「ライトフォール」に続いて、“ミニマルな所作を要素として数列的に積み上げていく”「アキュームレーション」(1971)やラウシェンバーグの衣装・舞台美術やローリー・アンダーソンの音楽とのコラボレーションによって、素材と形式を相互にフィードバックさせ、作品を組み立てていく「セット アンド リセット」(1983)など、次々と新しい試みにチャレンジしている。
さらにここで、今回のレクチャーで示されたダンスと美術の文脈の重なりを、建築にまで拡大させるならば、トリシャ・ブラウンやリチャード・セラの作品をレム・コールハースの設計した建築作品「Villa
Dall'Ava」に、結びつけることができると思う。
たとえば、コルビュジェが描いたドローイング「DOMINOシステム」や、コールハース自身が「Villa
Dall'Ava」以前に計画した「ラ・ヴィレット公園コンペ案」の場合、素材とは関係なく、形式が自律したルールによって決定されている。「DOMINOシステム」であれば、コンクリート製の床・柱・階段を自律する「建築的要素」として、周辺環境、壁、扉、家具、人・・・等々の雑多な要素から切り離した上で、建築家は、その「建築的要素」だけを操作する。同じように、コールハースの「ラ・ヴィレット公園コンペ案」では、まず公園の機能上必要とされる要素とは無関係に、公園の敷地全体を30mピッチのストライプで区画し、その区画の中に機能上必要とされる要素を無作為に放り込んでいる。
一方、「Villa
Dall'Ava」では、コルビュジェが住宅で用いたボキャブラリーを引用しながらも、コルビュジェの「DOMINOシステム」や「ラ・ヴィレット公園コンペ案」とはまったく異なる形式の構築方法を採用している。
つまり、「DOMINOシステム」や「ラ・ヴィレット公園コンペ案」が、プロジェクトを巡る個別の条件とは無関係に、グリッド状の柱や幾何学的な外形、30mピッチのストライプなど、予め決定された形式によってまとめられてしまったのに対して、「Villa
Dall'Ava」では、まず不可避的に受け入れざるを得ない条件に従って住宅全体を複数のボリュームに分割し、それぞれのボリュームを、お互いに微妙な力学的なバランスを保つように組み合わせることで、全体の形式を作り出している。
そのために、屋上に(極めて大きな重量をもつ)プールがあるにも関わらず、グランドレベルにまったく重量感を感じさせない軽快なガラス張りの空間を作り出すことができているわけである。
まさに、極めて大きな重量の複数の鉄の塊が、お互いのバランスをとりながら組み合わせられることで宙に静止しているリチャード・セラの彫刻ようになっている。
コールハースは「S・M・L・XL」や「MUTAITIONS」などの著作において、資本主義の自動運動をシニカルに肯定する理論を表明している。そのため一般的に、コールハースはそれらの理論が文字通りに受け取られることによって、シニシズムの建築家とみなされている。
(例えば浅田彰「磯崎新とレム・コールハース」、「コールハースの「世界=都市」」。)
しかし、彼は実際の作品製作の場面において、資本主義の論理を単純に受け入れているわけではない。
上述のとおり、「ラ・ヴィレット公園コンペ応募案」や「Villa
Dall’ava」、さらにはその後の作品においても見られるように、コールハースが一貫して取り組むのは、近代が生み出した雑多な素材とそれを統合する形式の関係である。
この意味において、コールハースの影響を受けた多くの若手建築家たち(ex.mvrdv、[made in
Tokyo])と、コールハースは一線を画する。また、形式と素材の関係を巡って、一定の方法に固執することなく、次々と挑戦的な試みを続けているという意味においても、トリシャ・ブラウンとコールハースは、重なる部分があると感じた。