石元泰博
Yasuhiro ISHIMOTO
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1921年、アメリカ、サンフランシスコに生まれる。3歳のときに両親と共に高知県に帰国(泰博にとっては来日)。1939年高知県立農業高校(現高知県立農業高等学校)を卒業後、単身渡米。1948年シカゴのインスティチュート・オブ・デザイン(通称ニュー・バウハウス、後にイリノイ工科大学に編入)に入学し、戦前の近代デザイン運動をリードしたドイツのバウハウスの造型教育と、アメリカ近代写真の伝統を融合させたこの学校で、石元は極めて正統的なモダン・フォトグラフィーの方法論を身につける。また、ハリー・キャラハン、アーロン・シスキンドに出会い、多くを学ぶ。1952年卒業し、翌年来日。のちに丹下健三とヴァルター・グロピウスとの共著として出版される『桂 日本建築における伝統と創造』に収録する写真のため、1954年に桂離宮の撮影を行なう。 |
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個展や各カメラ雑誌への積極的な登場によって、石元の存在は次第に認められていった。1958年妻・滋と渡米し、1961年までシカゴに滞在。1969年、日本国籍を取得。戦後復興のただ中にあった日本写真界にモダンフォトグラフィーの精髄を伝え、以後、日本を拠点に精力的に活動を続ける。東京を中心に、街の人々、枯葉、水(川面)、雪の足跡、捨てられた空き缶など、変わりゆき、とどまることのない、"もののすがた"を追って現在にいたる。多重露出の撮影も続ける。
代表的なシリーズに、「桂離宮」「シカゴ、シカゴ」「伊勢神宮」「移りゆく被写体を求めて」など。2012年永逝(享年90)。
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