関根美夫
SEKINE Yoshio
(1922−1989)
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1948年中村真の主催する自由美術研究会に参加し、前衛芸術を知る。また同研究会を介して吉原冶良と知り合う。同年、汎美術家協会展に初めて出品し、1952年には毎日新聞社賞を受賞する。全関西綜合美術展や、二科クラブ展、芦屋市展など多くの展覧会に精力的に出品を続けた。1954年「具体美術協会」が吉原治良と彼の元に集まった関根を含めた若い芸術家たちによって結成される。1959年に関西が活動拠点であった具体美術協会を退会し、東京に転居。1963年の第15回読売アンデパンダン展に、その後の主要なモチーフとなるソロバンを描いた作品を発表する。 |
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以後執拗にこだわり描き続けた主題であるソロバンは、「通貨そのものでなくソロバンという道具を描くことで、高度経済成長を生きた日本人の意識と行為の残像を表す」とも、「デジタル社会に生きる現代の私たちへ諧謔を弄しているかのよう」ともいわれている。縦横に隙間なくソロバンが並んだ画面は、激しい行為や素材の物質性を強調したいわゆるアンフォルメル風の初期の抽象画からはなれ、全体でひとつの幾何学的抽象画とも見えるが、ここではソロバンをソロバンとして平面化し図匠化したのではなく、機能的本質を表現する記号としての抽象表現となっている。身の回りの日用品を記号化したポップアートともいえるが、関根はこのような着想をジャスパー・ジョーンズの《標的》シリーズから得たといわれる。
引用
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