画廊主のエッセイ
このコ-ナ-では、画廊の亭主が新聞や雑誌などに依頼されて執筆したエッセイを再録します。
綿貫不二夫
『日経ア-ト』1997年12月号に掲載
瑛九ほど、学芸員に愛されている画家はいないのではないか。没後37年の間、瑛九回顧展または「瑛九とその仲間たち」展などその名を冠した展覧会を開いた美術館は生地の宮崎県立美術館はもちろん、東京国立近代美術館、国立国際美術館、埼玉県立近代美術館、伊丹市立美術館、都城市立美術館、町田市立国際版画美術館、北九州市立美術館、兵庫県立近代美術館、和歌山県立近代美術館、福岡市美術館、入善町下山芸術の森発電所美術館、下関市立美術館など枚挙に暇がない。ほぼ数年おきに回顧展が開催されるというようなことは他の抽象画家では例が無い。
生前から熱狂的な支持者に囲まれ、久保貞次郎(町田市立国際版画美術館初代館長)、山田光春(画家、瑛九伝を執筆)、木水育男(教師、「瑛九の会」の中心メンバ-)らにより没後の顕彰も次々となされ、支持者たちの手作りの資料も豊富にある。さほど入場者数の期待できない抽象画家の回顧展が繰り返し開かれるのは、後の世代に与えた影響力の大きさと、汲めども尽きないその魅力にあるのだが、しかし何故か本格的な画集がなかった。美術雑誌で瑛九特集が組まれるということも殆ど無い。従って一般的な知名度は極端に低い。
学芸員やコレクタ-には愛されても、出版ジャ-ナリズムには縁がないという不思議な現象の中で、日本経済新聞社が国立近代美術館での没後最初の遺作展示となった「四人の作家展」(1960年 4月)を担当した本間正義氏の監修で、決定版ともいえる作品集を刊行したことは、編集に携わった身の手前味噌といわるかも知れないが快挙である。これを機に日本には珍しい自由でマルチな才能を持った前衛画家の全貌が、多くの人々に知られることを願わずにはいられない。
豊かな色彩と光を高品質の用紙と印刷により再現した豪華画集だが、編集にあたっては何よりも収録作品の調査と選定に時間をかけ、作品に関するデ-タには特に正確を期した(従来の展覧会カタログの類は限られた時間の制約のもとでの編集になるため、デ-タの正確さという点では必ずしも十分とはいえなかった)。曲折に富み、様々な実験に挑戦した軌跡を、油彩 130点、フォトデッサン36点、コラ-ジュ 9点、銅版画39点、リトグラフ23点の計 237点によってたどる構成になっている。公開されている26美術館の所蔵作品をはじめ、今回新たに発掘されたものなど個人所蔵作品も数多く収録している。瑛九を良く知る人でも改めてその多彩で旺盛な創作力に驚くだろう。一昨年『大正期新興美術運動の研究』(スカイドア刊)によって毎日出版文化賞を受賞した気鋭の美術史家・五十殿利治氏による論文も、昭和の前衛美術史に瑛九を位置付けようとする力作だ。
『日経ア-ト』1997年12月号に掲載。
バブル時代に従来の業界誌的なものから、消費者(コレクタ-)の立場にたった美術雑誌として登場し、その後休刊してしまった『日経ア-ト』に依頼されて書いた原稿である。
実は1995年 3月に『資生堂ギャラリー七十五年史』が刊行され、足掛け六年にわたった調査チ-ムを解散し、しばらく虚脱感で呆然としていた。がらんとした事務所を改装してギャラリ-「ときの忘れもの」を開いたのだが、編集仕事にもやり残したことがあり、日本経済新聞社を口説いて『瑛九作品集』の出版にとりかかったのは、その年の秋だった。 その数年前、軽井沢の別荘に久保貞次郎氏を、久保氏の教え子でもある妻令子とともに訪ねたことがある。久保氏に何回かにわたりインタビュ-を行ない、それを「久保貞次郎回想録」としてまとめたいという希望を伝えたところ、氏は非常に喜ばれ、帰京後折り返し「あなたの話しを聞き、久しぶりに興奮した」と速達が届いた(久保氏は速達が好きだった)。
美術評論家、児童美術研究家、蒐集家、エスペランティスト、跡見学園女子短大学長、町田市立国際版画美術館長など、多面的な活躍をした久保氏だが、何よりも日本人ばなれした実践家として久保氏こそがその面目だった。20数年前、地方の県立美術館が海老原喜之助の代表作の購入交渉に真岡の久保家を赴いたとき、私もお供したことがあったが、「いったいいくらで買いたいのですか」と単刀直入に聞き、その返事(後に議会で問題になったという程、当時としては高額であった)を聞くや、それを100分の1にも満たない価格で入手した経緯を正確に回想し、楽しそうに語られたのには、一同呆然、唖然としたものだった。「支持することはその作家の作品を買うことだ」という信念のもとに氏は多くの作家、画商とつきあったが、正確な記憶のもとに語られる生き生きとした回想は、日本の美術史に新たな光を投げ掛けるに違いない。そう考えてのインタビュ-企画だった。
それから間もなく久保氏は病に倒れ、録音テ-プはその夏の日の一回で終わってしまった。もう少し急いでいたらと悔やまれてならないが、久保氏の盟友でもあった瑛九の作品集をこの手で編集したいという夢は、そのとき以来のものだった。
残念なのはこの本の完成をまたず1996年10月には久保氏が、97年には池田満寿夫、山城隆一、木水育男の各氏が相次いで逝ってしまったことである。泉下の瑛九も久しぶりに仲間と再会し、私たち瑛九を知らない世代からのエ-ルにきっと微笑んでいるだろう。
『瑛九作品集』
B4変形判( 320× 260mm)、総 204頁、クロス装、豪華箱入、作品図版237点(油彩130点、コラ-ジュ、フォト・デッサン45点、銅版画39点、リトグラフ23点、他に参考図版68点)
監修/本間正義(美術評論家連盟会長、前埼玉県立近代美術館長)、
作家論/五十殿利治(筑波大学助教授)、
年譜・文献/横山勝彦(練馬区立美術館学芸員)
発行/日本経済新聞社、刊行/1997年10月 1日、
定価/普及版57,000円(+税)、
特別限定版(限定 100部)330,000円(+税)
特別限定版には、瑛九と親交のあった難波田龍起、靉嘔、細江英公のオマ-ジュ作品3点と、瑛九銅版画の後刷り1点の計4点を挿入。瑛九銅版画は20数年前に刷られ保存されていた後刷り 100種類 100点が遺族より提供され、一冊づつに全て異なった銅版画が挿入されるというユニ-クなもの。
ご購入希望者はときの忘れものまでお申込下さい。
瑛九作品集
瑛九「昼の分析」 1959年
油彩・布 45.5x53.0cm