飯沢耕太郎のエッセイ「日本の写真家たち」 第14回 「風間健介―—「炭鉱遺産」の輝き 」 2019年05月18日 |
風間健介は1960年、三重県津市に生まれた。三重県亀山高等学校卒業後、1978年に上京し、ミュージシャンを専門に撮影するカメラマンになる。だが、与えられた被写体を求められるままに撮るような写真のあり方に疑問を覚え、カメラを手に全国各地を訪ね歩く放浪の旅に出た。そんな時にたまたま出会った北海道夕張の炭鉱の建造物に強く惹かれ、1987年、北海道南幌町に、89年には夕張市に移住して住みついた。
炭鉱で栄えた夕張は、当時閉山が相次ぎ、衰退しつつあった。だが、風間は「炭鉱イコール暗い」というイメージに追随するのではなく、風化しつつある建造物や、発電所の巨大な鉄製の機械群、取り壊されていく鉱夫たちの住宅などの「炭鉱遺産」が発する、猛々しいほどのエネルギー、その生命力の輝きを写真で捉えようとした。6×7判のカメラにモノクロームのフィルムを詰め、画像のコントラストを強めるフィルターをつけて、長時間露光で撮影する。結果として風間の夕張の写真は、滅びゆくものへの哀惜の念とともに、そこに映し出された風景の独特の美しさをも定着するものとなった。
風間は北海道東川町で開催される東川町国際写真フェスティバルで、毎年夏に野外写真展を開催し、2002年に第18回東川賞特別賞を受賞した。2005年には、それまでの写真を集成した写真集『夕張』(寿郎社)を刊行し、翌2006年に日本写真協会賞新人賞と「写真の会」賞を受賞する。写真家の大西みつぐは『夕張』に寄せた文章で、「風間の目に映る風景は、単に過ぎ去った時間やものヘの郷愁ではなく、強烈な存在感を放ち、ある時代の精神、人々の生き方をそこに痕跡として留めているという事実そのものである」と評している。この写真集の出版と受賞によって、風間の仕事は多くの写真関係者の注目を集めるようになった。 風間は飛躍を期して、2006年に埼玉県狭山市に自宅とアトリエを建造して移転する。この頃、写真のほかにドローイングなども精力的に試みた。さらに2015年には千葉県館山市の空き家に転居し、「ギャラリー風間」をオープンさせた。だが体調が急速に悪化し、2017年6月に自宅で死去した。生前の唯一のまとまった写真集である『夕張』をあらためて見直すと、自分自身を強く触発してくれる被写体に巡りあった歓びと、それを形にしていくことの手応えを感じることができる。もし彼が、次のテーマを見つけたならば、さらに充実した作品を生み出すことができたのではないだろうか。 (いいざわ こうたろう)
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