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飯沢耕太郎のエッセイ「日本の写真家たち」
第15回 「北井一夫——「いつか見た風景」を撮り続ける」  2019年07月18日
   北井一夫は1944年に中国(旧満洲国)鞍山に生まれた。1945年に日本に引き揚げ、父の故郷の三重県に住むが、1948年に上京、59年には神戸に移った。美術大学に進むつもりだったが、石膏デッサンに自信がなく、1963年に日本大学芸術学部写真学科に入学する。だが、授業にまったく興味が持てず、1965年に同大学を中退し、学生運動や神戸の港湾労働者の写真を撮りはじめた。同年には横須賀の原子力潜水艦寄稿反対運動のデモを、「ブレ・ボケ」の画像で捉えた写真集『抵抗』(未來社)を自費出版している。その後も、日本大学芸術学部のバリケード封鎖を内側から撮影した「バリケード」、成田空港反対闘争を記録した「三里塚」などのシリーズを発表し、社会・政治の状況に深くかかわる活動を続けていった。
 その彼の写真が大きく変わっていくのは1970年代以降である。『アサヒカメラ』に「沖縄放浪」(1972年)、「フランス放浪」(同1973年)を連載したのに続いて、同誌1974年1月号からは「村へ」を連載し始めた。『村へ』は同誌1975年12月号まで続き、1976年に第一回木村伊兵衛写真賞を受賞する。続編の「そして村へ」(1976年1月号〜76年6月号)を含めると、同シリーズは『アサヒカメラ』に足掛け4年、全41回にわたって掲載され、北井の代表作の一つとなった。
 『村へ』のテーマとなっているのは、1960〜70年代の高度経済成長の時期に、急速な近代化によって姿を変えていった日本各地の農村地帯の生活と風景である。だが、北井は「農業問題」を告発したり、民俗学的な記録を残したりすることをめざすのではなく、旅の途上で出会った光景を、あくまでも通過者の視点で、やや距離を置いて撮ることに徹しようとした。結果として、そこには多くの日本人にとっての原風景というべき、懐かしい記憶を呼び起こす「いつか見た風景」が写り込むことになった。
 北井は「村へ」以降も写真家としての歩みを着実に進めていった。千葉県浦安を撮影した写真集『境川の人々』(1979年)、大阪の通天閣界隈に通い詰めた『新世界物語』(1981年)に続いて、1989年には居住先の千葉県船橋の住人たちにカメラを向けた『フナバシストーリー』(1989年)を発表する。1990年代には近代都市に変貌しつつあった中国・北京を長期にわたって取材し、写真集『1990年代 北京』(2004年)をまとめた。東京都写真美術館学芸員の藤村里美は、同美術館で開催された「北井一夫 いつか見た風景」展(2012年11月〜13年1月)に寄せたエッセイ「普通の生活」で、「北井一夫とは普通の生活をドキュメンタリーする写真家である」と述べている。その「普通の生活」に向けられた北井の眼差しは、2000年代以降、さらに幅と深みを増しているように見える。
いいざわ こうたろう



北井一夫
「1970年日本より、新潟桑取谷」
1981年  ゼラチンシルバープリント
15.8x23.6cm


 

 

 


■飯沢耕太郎 Kotaro IIZAWA
写真評論家。1954年生まれ。日本大学芸術学部写真学科卒。筑波大学大学院芸術学研究科(博士課程)修了。1990〜94年季刊写真誌『デジャ=ヴュ』編集長。著書に『「芸術写真」とその時代』(筑摩書房)、『日本写真史 を歩く』(ちくま学芸文庫)、『写真美術館へようこそ』(講談社現代新書)、『私 写真論』(筑摩書房)、『「写真時代」の時代!』(白水社)、『荒木本!』(美術 出版社)、『増補 戦後写真史ノート』(岩波現代文庫)、『写真的思考』(河出ブックス)、『「女の子」写真の時代』(NTT出版)など多数。きのこ文学研究家としても著名。その著に『きのこ文学大全』(平凡社新書)『世界のキノコ切手』(プチグラパブリッシング)ほか。

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