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小林美香のエッセイ「写真のバックストーリー」
第3回 ロベール・ドアノー「L'ENFER 地獄カフェ」  2011年10月25日
ロベール・ドアノー
「L'ENFER 地獄カフェ」
1952年
ゼラチンシルバープリント
35.0x24.5cm
サインあり

歩道を歩きながら怪訝そうな表情を浮かべてカメラに視線を向ける制服姿の警官。その背後には恐ろしい形相の大きな顔を象った建物の入口。男性は大きく開いた口の前にさしかかり、全身がちょうど口の中におさまるような角度で捉えられていて、まさしく「食べられかけ」の状態になっています。
ロベール・ドアノー(Robert Doisneau, 1912-1994)は、偶然この光景に出くわして撮ったというよりも、この建物の前を人が通りかかるのを待ち構えていたのかもしれません。この建物は、ピガール地区(ムーラン・ルージュのようなキャバレーやナイトクラブが建ち並ぶパリの歓楽街)にあった地獄カフェ(le Cafe' de L'Enfer)で、19世紀末に開店し、現在のテーマ・レストランの先駆け的な存在として注目を集め、悪魔を象ったカフェの入口を撮影した絵葉書も販売されていました。


絵葉書を見ると、カフェの外壁全体に装飾がほどこされていたことと、隣には「天国(Le Ciel)」という店があったことがわかります。「天国」と「地獄」が隣り合わせに並ぶ界隈として道行く人の目を楽しませていたのでしょう。(ちなみに店内はこのような感じでした。)

20世紀初頭には、ジャン=ウジェーヌ・アジェ(Jean-Euge`ne Atget, 1857−1927)も地獄カフェの入口を撮影しています。


アジェの写真では、悪魔のカッと見開いた眼がくっきりと際立ち、むき出した牙がかみついてくるような角度から捉えられていて、舞台装置の一部のような迫力があります。アジェの写真とドアノーの写真を比べてみると、入口の扉がシャッターに換えられ、外壁に幾分か経年変化が見られますが、人目を惹く存在感は保たれていたようです。ドアノーがアジェの写真を事前に見ていたどうかは寡聞にしてわかりませんが、その可能性は十分に考えられます。ドアノーが地獄カフェの入口という舞台の上に、相応しい登場人物が現れるのを待ち構えて撮影したと想像すると、40年以上の歳月を経て、ドアノーがアジェの写真から得たインスピレーションがユニークな形で結実したことの興味深さが増してくるというものです。残念ながら、後年に地獄カフェは取り壊され、かつての所在地だったクリシー通り53番地には、現在モノプリというスーパーマーケットが建っています。


「地獄カフェ」にも端的に表れているように、ドアノーの写真の魅力は、パリの街に息づく歴史と、市井の人々の日常が絶妙なバランスで組み合わせられ、ユーモアと愛情を込めて描き出されていることにあります。1950年代からファッション雑誌「ヴォーグ」や「パリ・マッチ」や「ライフ」などのグラフ雑誌で発表されたドアノーの写真は、戦後の復興期の街の明るい雰囲気や、自由な生活を謳歌する人々を描き出したものとして、読者から人気を得ていました。
「地獄カフェ」と同時期に撮影され、ドアノーの代表作として知られる写真に、「パリ市庁舎前のキス」(1950)があります。ポストカードやポスターなどをとおして多くの人に知られているこの写真には、パリ市庁舎を背景に歩きながらキスをする若いカップルが、カフェの屋外テーブル越しにとらえられています。後にモデルに指示を与え、演出をほどこして撮影した写真だということが判明して話題になりましたが、「地獄カフェ」と同様に、パリの街の「舞台」としての魅力を知り尽くしていたドアノーからこそ撮ることができたものだったと言えるでしょう。
(こばやし みか)

ロベール・ドアノー公式サイト:http://www.robert-doisneau.com/fr/

小林美香 Mika KOBAYASHI
写真研究者。国内外の各種学校/機関で写真に関するレクチャー、 ワークショップ、展覧会を企画、雑誌に寄稿。
2007-08年にアメリカに滞在し、国際写 真センター(ICP)及びサンフランシスコ近代美術館で日本の写真を紹介する展覧会/研究活動に従事。
著書『写真を〈読む〉視点』(2005 年,青弓社)、訳書に『写真のキーワード 技術・表現・歴史』 (共訳 昭和堂、2001年)、『ReGeneration』 (赤々舎、2007年)、 『MAGNUM MAGNUM』(青幻舎、2007年)、『写真のエッセンス』(ピエブックス、2008年)などがある。

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