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小林美香のエッセイ「写真のバックストーリー」
第6回 ルイス・キャロル「ドロシー・キッチン」  2011年12月10日
図1)
ルイス・キャロル
「Dorothy Kitchin ドロシー・キッチン」
1879年(Printed later)
ゼラチンシルバープリント
15.0x12.8cm

(図2)
イクシー(アレクサンドラ)・キッチン(1870年頃)

長椅子の肘掛けにもたれかかって寝そべる少女。長椅子の端を裁ち落とすような仕方でフレーミングされていて、やや低い位置から撮影されているために、顔の位置が画面の中心近くにあって、じっと正面を見つめる視線が印象に強く残ります。膝の上で手を握り、顔の表情はやや硬いものの、寝そべった姿勢や、無造作におろした巻き毛、スカートの裾からのぞくペチコートや膝などからは、子どもらしさが伝わってきます。
『不思議の国のアリス』の著者ルイス・キャロル(Lewis Carroll, 本名チャールズ・ラトウィッジ・ドジソン, Charles Lutwidge Dodgson 1832-1898)は、クライスト・チャーチで数学教師として教鞭を執るかたわらで、1850年代半ばから1880年までの間に、大学関係の友人や知人の娘たちなど、たくさんの少女たちの写真を撮影していました。この写真のモデルになったドロシー・キッチン(1874-1953)は、彼の同僚であり、後にダラム大学の総長を務めたジョージ・ウィリアム・キッチンの娘です。キャロルのモデルとして、4歳から16歳まで約50回も撮影された、イクシー(Xie)ことアレクサンドラ・キッチン(Alexandra Kitchin, 1864-1925)は、ドロシーの姉にあたります。
イクシーも、ドロシーと同じく4,5歳の頃に同じ長椅子とクッションに寝そべった姿勢で撮影されています。(図2) イクシーは寝間着か下着のような服を着て、裸足の足を投げ出し、立て膝をつき、視線を遠くに向けています。大きなクッションを背景にして全身が写っていることもあり、ドロシーの写真よりも、身体の小ささや幼さがより際だって見えます。二人の姉妹が時期を隔てて同じ長椅子で撮影されていることや、イクシーの服装から、これらの写真はキッチン家の中で撮られたものではないだろうか、と推測できます。
ルイス・キャロルが撮影した写真のなかには、このように少女たちが長椅子に寝そべって写っているものが数多くあります。たとえば、『不思議の国のアリス』の主人公アリスのモデルになったアリス・リデル(Alice Liddell, 1852-1934)と姉のロリーナ、妹イーディス(1854-1876)の三姉妹の写真(図3)や、イーディスの写真(図4)もまた、キッチン家の姉妹と同様に、同じ長椅子に寝そべった状態で撮られています。体を寄せ合う三姉妹の仕草(図3)や、疲れて眠たそうなイーディス(図4)表情は、撮影のためにポーズを取っているというよりも、彼女たちが日常生活や、会話のやりとりをする合間に見せるような、リラックスした自然なもののように映ります。ルイス・キャロルにとって、少女たちを長椅子に寝そべらせるということは、彼女たちがカメラを前に緊張せず、リラックスしていられるようにするための撮影上のテクニックだったのかもしれません。

(図3)
リデル三姉妹(左からイーディス、ロリーナ、アリス)(1858)

(図4)
イーディス・リデル (1858)

(図5)
カルト・ド・ヴィジット(名刺判写真)

(図5)
カルト・ド・ヴィジット(名刺判写真)

ルイス・キャロルが写真を撮っていた1850年代中頃から1880年は、カルト・ド・ヴィジット(名刺判写真)が流行し、写真館でポートレート写真を撮ることが広く行き渡っていった時期でもありました。おめかしをして撮られている少女たちのカルト・ド・ヴィジットには、写真館の椅子に座って撮られたものや、椅子の座面や背もたれに手を添えて立って撮られているものが多く見られます。(図5)(図6)写真を撮ることがとても珍しかった時代ですから、写真館の調度品に囲まれて写された少女たちは、よそゆきのすまし顔をしていたり、緊張してこわばった表情を浮かべていたりします。
ルイス・キャロルの撮った少女たちをこのようなカルト・ド・ヴィジットと比べてみると、彼の写真に捉えられている少女たちの自然な表情や所作がより際だっています。彼女たちが横たわる長椅子には生活の跡が色濃く表れていて、寝そべった少女たちは、撮影の前後で眠っていたのかもしれないと思わせるほどリラックスしているようです。寝そべり、眠りと目覚めの間にたゆたう少女たちの写真は、『不思議に国のアリス』の夢の世界に接合するような雰囲気を漂わせていると言えましょう。
(こばやし みか)

小林美香 Mika KOBAYASHI
写真研究者。国内外の各種学校/機関で写真に関するレクチャー、 ワークショップ、展覧会を企画、雑誌に寄稿。
2007-08年にアメリカに滞在し、国際写 真センター(ICP)及びサンフランシスコ近代美術館で日本の写真を紹介する展覧会/研究活動に従事。
著書『写真を〈読む〉視点』(2005 年,青弓社)、訳書に『写真のキーワード 技術・表現・歴史』 (共訳 昭和堂、2001年)、『ReGeneration』 (赤々舎、2007年)、 『MAGNUM MAGNUM』(青幻舎、2007年)、『写真のエッセンス』(ピエブックス、2008年)などがある。

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