小林美香のエッセイ「写真のバックストーリー」 第20回 ヘレン・レヴィット「メキシコ1941」 2012年8月25日 |
戸口の柱にもたれかかり、通りを歩く女性を呼び止めるように、左腕に手を添えて、笑いかけながら親しげに視線を向ける男性。女性は右腕を少し曲げ、顔を少し強張らせて、男性の顔から視線をそらしながらも左手を握り、男性に応えています。路上で二人の男女の間でほんの束の間に交わされたやり取りの仕草が、向かい側から通りすがりにふと眺められたような視線で捉えられています。何気ない情景ですが、それぞれの微妙な仕草や視線が、二人の間の謎や秘密などを想像させます。この写真は、トリミングをほどこされた状態で、ヘレン・レヴィット(Helen Levitt, 1913-2009)が1941年のメキシコ滞在中に撮影した写真を纏めた写真集『Helen Levitt: Mexico City』(1997)(図2)の表紙に使用されています。 この写真からも見てとられるように、ヘレン・レヴィットは、メキシコ滞在中に、労働者や貧しい人たちの暮らす地域の通りを歩きながら、路上に繰り広げられている人々のやり取りや生活の情景を撮影し、仕草や表情、視線の動きなどを間近に捉えています。(図3)
レヴィットの視線は、外国からやってきた旅行者が、異国の風景や人々を物珍しさや好奇心の混ざった目で探っていくような視線とはまったく異なり、あたかもそこに暮らしている人が身近な隣人をそばで眺めているかのように、自分に近しい存在として捉えているかのようです。
ブルックリンで生まれたヘレン・レヴィットは、1930年代末から、70年近くにわたってニューヨークの路上で写真を撮り続けました。彼女が地元のニューヨークで撮り続けた写真と、旅行先のメキシコで撮影した写真を見比べてみても、レヴィットが、いつも路上での人々の営みに注意を払い、細やかな眼差しを向けていたことを見てとることができます。彼女の代表作として知られる写真集『A Way of Seeing』(1965)には、1930年代末から1940年代中頃までの間にラテン系の住民が数多く住むスパニッシュ・ハーレムなどを中心にニューヨークの路上で撮影した写真がまとめられており、路上の人々の所作、とくに子どもたちの遊ぶ姿が生き生きと捉えられています。 路上に子どもたちがチョークで描いた落書き(図4)を撮影することから路上の撮影を始めたことからもあきらかなように、レヴィットは子どもたちが即興的に作り出すものや、繰り広げる動作を面白がり、常に注意を払って子どもたちの姿を目で追っていたのでしょう。建物の壁を背に取っ組み合いをする少女たちの後ろで、少年がスカートめくりをする様子をとらえた写真(図5)を見ると、レヴィットが俊敏な子どもたちの動作を常に注意して観察していたからこそ捉えられた偶然の瞬間のインパクトを思い知らされます。また、宙を漂うシャボン玉の行く先を歩きながら目で追う幼い少女たちの情景(図6)のように、子どもたちの心の動きや所作に添うようなレヴィットの眼差しは、日常のなかに潜む詩情に充ちた情景を掬い上げています。 (図1)に描き出されている男女の一瞬のやり取りと同様に、子どもたちの動作は鮮やかに写しとられているレヴィットの写真には、日常生活に潜み、見過ごされがちな経験の豊かさ、を思い起こさせてくれます。 (こばやし みか) ■小林美香 Mika KOBAYASHI 写真研究者。国内外の各種学校/機関で写真に関するレクチャー、 ワークショップ、展覧会を企画、雑誌に寄稿。 2007-08年にアメリカに滞在し、国際写 真センター(ICP)及びサンフランシスコ近代美術館で日本の写真を紹介する展覧会/研究活動に従事。 著書『写真を〈読む〉視点』(2005 年,青弓社)、訳書に『写真のキーワード 技術・表現・歴史』 (共訳 昭和堂、2001年)、『ReGeneration』 (赤々舎、2007年)、 『MAGNUM MAGNUM』(青幻舎、2007年)、『写真のエッセンス』(ピエブックス、2008年)などがある。 「小林美香のエッセイ」バックナンバー ヘレン・レヴィットのページへ |
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