大竹昭子のエッセイ「迷走写真館〜一枚の写真に目を凝らす」 第14回 2014年3月1日 |
(画像をクリックすると拡大します) まず目がいくのは、ふたりの女性の断髪頭である。ボブカットというのか、うなじのすっきりしたヘアスタイルがそっくりだ。しかも右の女性が扇状の模様の入ったラグラン袖のセータを着ているために、うなじから肩にかけてのラインがより際立っている。 つぎに目が移るのは彼女らのズボンだ。ばっさり切られた髪と同様、パンツの裾もくるぶしが露出するほど短い。きっと短い丈がはやっていたのだろう。右隣の女性は裾をたくしあげているし、左側の人もそうだ。腰に手をやったスタイルといい、流行に敏感な乙女という雰囲気がにじみでている。 わたしの記憶ではこの写真にいる女性は三人だった。今回見直していちばん左にもうひとりパーマ頭の女性がいるのに気がついた。パーマの女性の存在感は薄い、というか若い三人の発するものが強くて霞んでいる。川には舟が浮かんでいてそこに三人の人影があることも、「三」が印象づいた理由かもしれない。 この写真の構図的なおもしろさはこれだけでも充分に伝わってくるが、さらにおもしろくしているのは、少年の連れている犬である。大口を開けてあくびしている。たまたま眠気をもよおしただけかもしれないが、完全にお尻をむけたこの構図においては、このあくびは彼女たちにむけられていると考えずにはいられない。 犬は退屈し、あきれている。人間たちはなにがおもしろくて川なんぞ眺めているのか。背中をむけてあくびをすることで彼は表明しているのだ。オレには関係ない、どうでもいいことだと。 犬を連れている毬栗坊主の少年には”貧しい田舎の子”という風情が漂う。モダンガールがいなければ別段そうは思わないだろうが、対照するこの関係ではそう感じてしまう。少年はあくびする犬と若い女性たちの中間くらいの立場にいる。両方の言い分を理解する通訳者のようだ。 (おおたけ あきこ) 〜〜〜〜 ●紹介作品データ: 井上孝治 〈こどものいた街〉より 「大分県日田市 三隈川」 1955年 ゼラチンシルバープリント 27.9x35.5cm ■井上孝治 Koji INOUE(1919-1993) 1919年福岡市生まれ。福岡県立福岡聾学校中等部卒業。3歳の時事故で聴力と言葉を失い、一級障害者の認定を受ける。 戦前より写真を撮り始め各種コンテスト入選。1989年岩田屋デパートのキャンペーンに写真が採用され、同年福岡市で写真展を開催。1990年パリ写真月間に出品。1993年アルル国際写真フェスティバルに招待され、アルル名誉市民賞を受賞。 写真集に『想い出の街』『あの頃』『こどものいた街』『音のない記憶』がある。東京、京都、沖縄、スイス、アメリカ・ロサンゼルス、などで写真展が開かれた。 〜〜〜〜 ■大竹昭子 Akiko OHTAKE 1950年東京都生まれ。上智大学文学部卒。作家。1979年から81年までニューヨークに滞在し、執筆活動に入る。『眼の狩人』(新潮社、ちくま文庫)では戦後の代表的な写真家たちの肖像を強靭な筆力で描き絶賛される。都市に息づくストーリーを現実/非現実を超えたタッチで描きあげる。自らも写真を撮るが、小説、エッセイ、朗読、批評、ルポルタージュなど、特定のジャンルを軽々と飛び越えていく、その言葉のフットワークが多くの人をひきつけている。現在、トークと朗読の会「カタリココ」を多彩なゲストを招いて開催中。 主な著書:『アスファルトの犬』(住まいの図書館出版局)、『図鑑少年』(小学館)、『きみのいる生活』(文藝春秋)、『この写真がすごい2008』(朝日出版社)、『ソキョートーキョー[鼠京東京]』(ポプラ社)、『彼らが写真を手にした切実さを』(平凡社)、『日和下駄とスニーカー―東京今昔凸凹散歩』(洋泉社)、『NY1980』(赤々舎)など多数。 「大竹昭子のエッセイ」バックナンバー 大竹昭子のページへ |
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