大竹昭子のエッセイ「迷走写真館〜一枚の写真に目を凝らす」 第22回 2014年11月1日 |
(画像をクリックすると拡大します) 写真のなかにどのくらいの人数が写っているか数えようとしたが、途中で断念した。重なり合っているのでうまく数えられない。それでも百人以上いるだろうことは想像がついた。下から三分の一くらいまでのところで、四十人を超えていたからである。 ここに写っている空間のサイズは、幅・奥行きともにせいぜい数メートルだろう。面積にして三、四十メートル平米といったところで、そこに百人以上の人が詰まっているのだから、驚くべき事態である。 男性の水着はただの短パンだからいまも昔もほとんどデザインが変わらないが、女性の水着のほうは明らかに時代の差が感じられる。腰のところに切り替えのついた、裾のひらひらした水着を着た女性がプールサイドの中央にいる。こういうのが流行っていた時期がたしかにあったな、と思いながらほかの女性の水着姿も観察しようと探したが、男性が圧倒的に多い。女性は子連れでもないかぎり、このなかに入っていくのは躊躇するかもしれない。 狭い空間に大勢の人がひしめき合っている光景を、「イモの子を洗うような」と表現する。あれはまだ大きく実っていない里イモの子を、互いにこすり合わせて皮をむくことから来ているはずで、となれば、このプールのシーンほどその言い回しに似合っている場面はないだろう。みなさん、皮のむけかかったイモのように半裸の状態で入っているのだから。 人の蝟集する場はさまざまあるが、プールの混雑が放つエネルギーが異様なのは、そこにいる人が裸であることが大きい。衣服に遮断されずにむきだしになった皮膚が互いにこすり合わされるだから、高まらないはずはないのである。 これでは泳ぐどころか、ただの水浴もむずかしそうだが、それでもみんな結構、輝かしい表情をしている。狭くて暑苦しい家を脱出できた開放感や、人気のスポットに来ているという高揚感があるのだろう。そう、あの頃はたかがプールがハレの場だった。どんなに混んでいようが、はりきって出かける価値があったのだ。 見ているうちにふと中国のことが思い浮かんだ。日々、東京の繁華街に大型バスでどさっと降り立つ中国人団体客の勇ましさや、声の大きさや、あたり構わない行動力が、この写真のイメージと重なり、夏場に中国の都市部を巡ったら、どこかにこのような光景があるようにも思える。 その一方で、現代日本のプールの情景もモノクロ写真に収めたら、こんな雰囲気になるかもしれないとも考えた。第一にモノクロ写真には時間を消す効果があるし、第二に人間がマスで写っているとディテールの比重は後退する。つまり半裸の人々が多数写っているというだけで、時代を超えた光景になりやすい。 しかし細部に目を凝らせば、そこには時代の証言たるものが必ずや写っているはずで、そのとき、ただの「イモの子」ではなくなるだろう。写っている人間をマスとしてとらえるか、個として見わけるかで、写真の伝えるものはまったく変わってくる。 (おおたけ あきこ) 〜〜〜〜 ●紹介作品データ: 土田ヒロミ 〈砂を数える〉シリーズより 1981年撮影(2014年プリント) ゼラチンシルバープリント イメージサイズ: 15.5x22.7cm シートサイズ: 20.3x25.4cm Ed.10 サインあり ■土田ヒロミ Hiromi TSUCHIDA(1939-) 1939年福井生まれ、福井大学(工学部)時代に写真を始める。 1963年卒業後化粧品入社、研究スタッフとして勤務、傍ら東京綜合写真専門学校に学ぶ、卒業後、時折カメラ雑誌などに作品を発表する。 1971年本格的に写真作家を目指し化粧品を退社。フリーランンサーに。その直後に「自閉空間」で第八回太陽賞受賞。 1968〜75年,日本の土俗性へ視線をむけ日本各地を取材、その成果を「俗神」(76年)。その評価を得てニューヨーク近代美術館(ニューヨーク)、ポンピドーセンター(パリ)などの海外で発表続く。 その後、次第に都市へ関心が移り、群衆を対象に「砂を数える」(75,83年)「新・砂を数える」。日本経済のバブルに浮かれて催されたさまざまなパーティを取材「パーティ」(90年)。首都圏の郊外の国道沿線の風景「Fake Scape」(02年)都市へ向かう一方,俗神の系譜として「続・俗神」を開始。 一方、再びニッポンを対象としては、311年東日本大震災以降「フクシマ」を撮影開始。 〜〜〜〜 ■大竹昭子 Akiko OHTAKE 1950年東京都生まれ。上智大学文学部卒。作家。1979年から81年までニューヨークに滞在し、執筆活動に入る。『眼の狩人』(新潮社、ちくま文庫)では戦後の代表的な写真家たちの肖像を強靭な筆力で描き絶賛される。都市に息づくストーリーを現実/非現実を超えたタッチで描きあげる。自らも写真を撮るが、小説、エッセイ、朗読、批評、ルポルタージュなど、特定のジャンルを軽々と飛び越えていく、その言葉のフットワークが多くの人をひきつけている。現在、トークと朗読の会「カタリココ」を多彩なゲストを招いて開催中。 主な著書:『アスファルトの犬』(住まいの図書館出版局)、『図鑑少年』(小学館)、『きみのいる生活』(文藝春秋)、『この写真がすごい2008』(朝日出版社)、『ソキョートーキョー[鼠京東京]』(ポプラ社)、『彼らが写真を手にした切実さを』(平凡社)、『日和下駄とスニーカー―東京今昔凸凹散歩』(洋泉社)、『NY1980』(赤々舎)など多数。 「大竹昭子のエッセイ」バックナンバー 大竹昭子のページへ |
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